退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「貧しい政治あるいは貧しい子どもたち=未来であること」について

2017-02-18 02:04:53 | Weblog
くもり一時雨。寒さはなく。

斎藤美奈子「学校が教えてくれないほんとうの政治の話」を読む。

政治に関心がないのは「『ひいき』がないから」という冒頭の喝破には
久方ぶりに著者の本領を見た思いがする。

「政治に『中立』はありえない」と好調に進むので
読者は「選択肢」を突きつけられてついつい乗せられる仕組み。

「歴史」の紹介や「右翼と左翼のわかりやすい解説」も見事。
若者たちの「必読書」として推薦しておきたいもの。

どっちに就こうと構いはしないが
いずれにせよこのあたりの「歴史」を「最低限の知識」としておこう。

ちなみに「多数決」で勝ったことのない身としては「反体制派」ということになる。
もちろん「党派」には属さない「個人」として。

「週刊文春」で小林信彦が珍しく稲田防衛大臣の「言い換え」に怒っている。
「敗退」を「転進」とした「大本営発表」を思い出すのだろう。

「映画の話が多くなって」久しいのに
さすがにこれは許せないということのはず。

「統治能力」を欠く人材がのさばるようになったのは
国民がいたずらに「感情のカタルシス」を求めるようになったから。

自らの「非力さ」を「国家の威信」に重ねてごまかすのはよろしくない。
もっともそれが避けられるかどうかは難しいので「経済的安定」が大事。

「悪玉」を探すスタイルだと左右を問わずそうなりがちで。
いたずらに「敵」を作って攻撃するのみでは虚しい。

とりあえず「子どもたちの貧困」をどうにかしないと。
たぶんその「一点突破」で新たな「つながり」が出来ると思うのだけれど。

少なくともそれを「政治課題」にする「センス」がないとどうにもならず。
「無料の塾」を紹介する前に彼ら彼女らをそこに追い込んでいるのは何かを明らかにしないと。

「そこそこ満足な生活を維持するための給料」をどこから調達するのか。
「再分配」でそれが可能かどうかについても同様。

クドいほど繰り返すが最後に大事になる資源は「人」。
その土壌が貧しいままでは「未来」もしれたもの。
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