退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「『生真面目さ』ふたつと人工知能には『心がないこと』」について

2017-10-10 02:18:36 | Weblog
晴れ。上着なしで出かける。

北田暁大・解体研編著「社会にとって趣味とは何か」を読む。

地道に「普通の社会学をやろう」というのは結構。
残念ながらブルデューについては門外漢。

「文化社会学」という名の「調査」の「意味」をあらためてということらしい。
ただしそこに「可能性の中心」があるのかと言われると微妙。

「身綺麗」にするのはいいとして重要なのはそこから何が生まれるかだろう。
いささか「野蛮さ」に欠けるような。

こうした作業をするよりむしろ魅力的な著作をと思った次第。
もっともその「成果」がいつか出てくることには期待したいと思うけれど。

「心意気」は伝わったのであとは待つのみだと言っておく。
各地に広がる「無法」に対する「異議申し立て」だと思えばいいか。

さて。

人工知能の発達によって「風が吹けば桶屋がもうかる」が
あながち「ホラ」でもない可能性が浮かび上がるようになったのが面白いところ。

少なくとも人工知能はわれわれには思い付かない「結び付き」を提示し
囲碁や将棋の世界では「名人」を倒している。

29連勝で巷を賑わせた藤井聡太もどうやら「心持ち」に惑わされ。
その点で「心などない」人工知能はおそらく「勝る」はず。

深夜「目撃!にっぽん」の「大阪ミナミの伝説 “パッチギ”の男」を観る。

愛すべき男ではある一方でどこか弱い男。
「普通の暮らし」ができないからこそケンカに明け暮れたり。

いかにも「大阪」を感じさせる在日の人アンソ。
「シラフで生きてられるか」という点については大いに同感しつつ。

「痛み」を知るからこその「やさしさ」が人々を魅了するけれど
自らはその「限界」を越えられなかった模様。

「敗者」はこうして「伝説」になる。
なぜならたいていの人は「敗者」だから。

なるほど「ブルース」が流行る土地柄ではある。
その味わいを噛みしめたいもの。
コメント
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