川端裕人のブログ

旧・リヴァイアさん日々のわざ

一行も書かなかった日

2008-05-22 08:27:43 | 日々のわざ
R0017459近所在住のカシノユウタさんと神田で会ってお話(写真は特に関係ありません)。数学やら疫学やら物理やらの話をしながら、子どもの話になって3時間半。こういうのって、たいそう楽しく豊かな時間だ。今書いている算数小説にいろいろアドバイスをいただくことになって心強い限りです。
「エピデミック」をきっかけに疫学に非常に興味を持ってくださったのだけれど、統計物理的なバックグラウンドを持つ人が、この分野をみるといろいろ新しい流れが起こるんじゃないかと感じることしきり。


で、カシノさんと話していると息子から電話があって、サッカースクールに行きたくないとか言い出して、話を聞いているとそこのチームメイトとの問題があってどうのこうの……。
行きたくないというのははじめてなので、コーチに電話して事情を話して様子を伝えておくと、コーチはコーチでその問題をそれとなく練習の中の「課題」として処理して(つまり、コミュニケーションの問題を練習の中で改善というか解消というか、より正確には可視化するみたいなこと)くれたよう。
寝る前に「きょう楽しかったことなんかあった?」と聞くと、息子は「サッカー!」とか言っていたくらいで、よかったよかった。

Pさん紹介の「虫えい」の本が濃ゆい。
とりあえず、入門しとくか、という気分になって、下の方を購入。
日本原色虫えい図鑑日本原色虫えい図鑑
価格:¥ 14,700(税込)
発売日:1996-06
虫こぶ入門 増補版―虫えい・菌えいの見かた・楽しみかた虫こぶ入門 増補版―虫えい・菌えいの見かた・楽しみかた
価格:¥ 2,520(税込)
発売日:2007-03


絶滅動物フェチ

2008-05-21 08:57:59 | 川のこと、水のこと、生き物のこと
 2000年シリーズ。
 これは文芸春秋の何かの雑誌に書いた原稿だと記憶している。
 言及されるのは、これら。
 
地上から消えた動物 (ハヤカワ文庫 NF 88)
価格:¥ 630(税込)
発売日:1983-01
大図説滅びゆく動物
価格:¥ 9,975(税込)
発売日:1980-01


  いずれも今では類書がたくさんあるけれど、前者はストリーテリングの面では追従を許さないと思うのです。自分の文章を読み直しながら、今、アマゾンで買ってしまいました。実家に帰ればどこかにあるんだろうけど。後者も独特のタッチの絵が素敵。これcorvoさんに見てほしいなあとさっき本棚から引っ張りだして思ったり。
 
 以下本文
 偏愛読書館

 絶滅した動物に得体の知れない吸引力を感じる──などと主張すると、「ああ、恐竜が好きなのね」と納得されてしまうのだが、実はそうではない。
 
 ぼくが惹かれてやまない「絶滅動物」には、年代的な条件がつくのである。「恐竜のように何千万年も前に滅び去ったものではなく、つい最近、18世紀以降に絶滅したもの」。具体的にいえば、「不思議の国のアリス」にも登場する飛べない鳥ドードー、カムチャツカの巨大な“人魚”ステラーカイギュウ、“北のペンギン”オオウミガラス、といったあたりだ。
 
 では、なぜ、好きか。おそらく、「つい最近まで生きていて、会えたかもしれないのに、結局、会えなかった」というもどかしさ、切なさがたまらない。そういう説明で、自分でも腑に落ちている。
 
 こういった“絶滅動物フィリア”を自覚するきっかけは一冊の本だった。かれこれ20年まえ、高校生1年生の時に読んだロバート・シルバーバーグの「地上から消えた動物」。
 
 いっぱしのSFウォッチャー気取りだったぼくは、「夜の翼」で知られるこの作家が、どういう風の吹き回しかノンフィクションを書いていたことに驚き、「要チェック」とばかりに購入したのだった。
 
 読んで、即座に、はまった。潜在的に持っていた嗜好を自覚した瞬間だった。
 
 たとえば、オオウミガラス。その名の通り、ウミガラスの仲間なのだが、空を飛べず、姿も生態も南半球のペンギンそっくりだった(「ペンギン」とは、もともとオオウミガラスの学名であり、プライオリティはオオウミガラスの方にある)。
 
 彼らが絶滅したのは、1844年。数が少なくなったのを心配した博物館の依頼で、最後の2羽が殺されて剥製にされた。この場合、博物館が心配したのは、種の絶滅ではなく、剥製が入手できなくなることだった。
 
 ステラーカイギュウというジュゴンの親玉のような動物もいた。ジュゴンやマナティは時に、「人魚のモデル」といわれるけれど、ステラーカイギュウはもはや、人魚に誤認される気づかいはない。なぜなら、体長8メートル、体重4トンと巨大で、その重量感たるや、いかなる“人魚”ともかけ離れたものだったろう。カムチャツカ半島沖のベーリング島近辺だけに棲んでおり、もっぱら、コンブなどの海草を食べて生きていた。ロシア人がラッコやアザラシの毛皮を獲るためにやってきてから、食糧として捕獲され、1768年に最後の一頭が殺された。配偶者が殺されると、パートナーもその場に留まり殺されてしまうという悲しい習性や、体長8メートルというモンスターめいた体格のジュゴンというのが、心に響いた。
 
 シルバーバーグの本にはあまり図版がなかったので、夏休みにアルバイトで貯めたお金で小学館から出ていた「大図説・滅びゆく動物」を買った。1万円近い箱入りの豪華本で、イタリア語からの英訳をさらに日本語訳したものだ。とにかく図版が美しく、飽きもせずにこの本の中のドードーやオオウミガラスのページを開いたものだ。細密なイラストが持つイメージの喚起力という点で、本当にハイレベルな書籍であったと思う。その後、竹書房が「地球絶滅動物記」という「類書」を出したが、「大図説」を超えることはできなかった(とぼくは評価している)。
 
 90年代以降、さらに「類書」は増えた。絶滅寸前の動物を主題にして、すでに滅んでしまったものにも言及するのがよくあるスタイルで、たいがいの場合、目新しい情報は盛り込まれていない(なにしろ相手は、もう滅んだ生き物だ。新しい情報なんてあまりない)。従って、もはや、ぼくの興味をひくものではない。その一方で、ぼくが、絶滅動物に感じていた奇妙な愛情は、出版される書籍を購入するというレベルではおさまらなくなりつつもあった。
 
 海外旅行をする際には、訪れた大都市の博物館に足を伸ばして、ドードーやオオウミガラスやの剥製、ステラーカイギュウの骨などを拝むことにしている。テレビの仕事で、カムチャツカ半島を訪ねた時は、ベーリング島にまで足を伸ばして、今も砂浜に埋まっているステラーカイギュウの骨の断片を拾い集めた。オーストラリアのタスマニアタイガーの化石を個人で集めている人物を訪ねたこともある。コロンビア大学の大学院に在籍した時、巨大な図書館の中を三日間かけて歩き回り、北米の鳥類学者オーデュポンが、19世紀に狩つくされたリョコウバトについて記述した原著を閲覧したり、ステラーカイギュウの発見者(報告者)であるドイツ人医師ゲオルグ・ステラーの航海記を見つけ出したりもした。
 
 さらに、このような興味を持つ者にとって自然なことかもしれないが、最近ではカメラを持ってフィールドに出る。「すべての野生生物は絶滅の危機に瀕している」という人すらいる今、心惹かれる絶滅危惧種には手遅れにならないうちに会っておきたい──そんな、不謹慎な理由で、たとえば、ニュージーランドの飛べない鳥、タカヘやカカポに会いに行く。広い意味で自然保護についての取材だが、根っこにあるモチベーションは、「今会わないと、もう会えない」なのである。人には言わないけれど、そのことを強く自覚している。
 
 つい、最近、久しぶりに絶滅(寸前)動物もので、「意を得たり」と感じさせられる本に出会った。「銀河ヒッチハイカーズガイド」で有名なダグラス・アダムス(またもSF作家だ)の"Last Chance too see"(邦訳はない)。この人物は、ぼくと同じ嗜好の持ち主だ。「今、行かなければもう会えない」とばかりに、彼はニュージーランドにカカポを訪ね、インドネシアにコモドオオトカゲを訪ねる。ぼくは、この本のタイトルが気に入って、ある月刊誌の連載にそのまま使わせてもらっている。
 
 ***************
 
追記@2008
言及されているlast chance to seeの連載は、その後、「へんてこな動物」として本になったのでした。
へんてこな動物
価格:¥ 1,575(税込)
発売日:2000-07


さらに検索してみると……
Last Chance to SeeLast Chance to See
価格:¥ 1,637(税込)
発売日:1992-11

co.jpのアマゾンで、ちゃんとこういうのが買える。
なんてすごい時代なのだ、と感心する。

文庫版「銀河のワールドカップ」が書店に並ぶ

2008-05-20 21:39:00 | 日々のわざ
銀河のワールドカップ (集英社文庫 か 49-1)
価格:¥ 780(税込)
発売日:2008-05-20
本日、大手書店には並んだそうです。東京にて確認済み。
「能書き」については、あらためて。
とりいそぎ報告、ということで。

さらに報告すると、7月予定だった「ニコチアナ」の文庫は、9月以降になりそうな気配です。


なつかしい雑誌

2008-05-20 21:00:05 | 雑誌原稿などを公開
最近、「昔書いた原稿」を発掘するのが趣味と化していて、どうも2000年に書いたものあたりから、このパソコンに残っていることが判明した。それ以前のはどこにあるんだろう、と思いつつ、2000年は充分、昔の話で、こんなの書いたっけってのが多い。で、きょうの発掘は、こいつ。

ゲーム批評 という不思議な雑誌と少しつき合いがあったことがあって(ザ・スープを書いた頃)、その時になにかに書いた雑誌評。
朝日新聞だったか大手新聞の「マガジンジャック」みたいなコーナーだったか、それとも、そのものずばり「ゲーム批評」に書いたのか忘れてしまった。
ゲーマーではないぼくですが、業界との癒着を生まないために「業界内広告を排する」という妙に硬派なこの雑誌のことを、気に入っていたのでした。
 ゲーム批評について思うこと

 もぞもぞ、している。
 身悶え、している。
 はじめて、「ゲーム批評」を読んだ時に感じたのは、そういうことであった。ぬえのような相手を語ろうとする志の高さと、悲しいほどの方法の未成熟を同時に感じたのである。

 語るべきことは沢山あるのだろう。書き手たちは、語りたくて語りたくてうずうずしているようだ。しかし、議論のための軸がない。だからもどかしく、もぞもぞと身悶えするような感覚。

 考えれば考えるほど、彼らは実に分の悪い場所で闘っている。ゲームという曖昧な広がりの中で、議論の対象もみずから発見しなければならないし、それをどのように切り取って、どのうような方法で語るのか、ということも手作りになる。それを行おうとする者は、まさに徒手で巨大産業に立ち向かうドン・キホーテに見えてきた。

 その姿勢に共感を覚える。

 理由は、二つ。

 ひとつめは、「ゲームはあまりにひどい」と思うから。
 ぼくはビデオゲームに関しては、超ウルトラライトなユーザーである。はじめて購入したプラットフォームはPS。RPGに興味を持っているにも関わらず、最後までプレイしたソフトは「FF7」「FF8」「ポポローグ」のみである。

 ゲームに本当の意味ではまったことがない人間が、このような売れ筋RPGに見いだしたのは、「批評性のない『引用』の横行」であった。

 ゲームを創る人って、ゲームに時間をとられて、小説や映画や漫画などの他ジャンルにコミットしている時間がないのかな、と感じた。例えば、多くのRPGが、「指輪物語」的な世界で展開することの必然性とは何だろう。それについてクリエイターがどう自覚しているのか疑問だ。小説の「指輪物語」を愛する者には耐え難いような、「引用」がごく普通に行われていく。もっと細々としたところ、例えばFF7と“エヴァ”の関連など、オマージュと呼ぶには稚拙で無自覚すぎる。まさに、欠けているのは、視野の広さと、批評精神ではないかと、強く感じるのである。

 二つ目の理由は、ぼく自身も、作品性と商品性という両面を持つ“コンテンツ”に関わる仕事をしたり、興味をもったりしてきたから。

 会社員として8年間勤務した民放テレビ局は、やはり、提灯持ち的メディアしか持たない娯楽産業の巨人であった。そんな中で、クリエイターたちは、視聴率という絶対評価と闘いながら、やはり、みずからが関わった番組を「作品」として考えているのである。彼らの「作品」を作品として評価しようとするメディアは事実上、ない。

 また、Jポップ・ジャンキーを自認するぼくは、一リスナーとしてアーティスト(とあえて表記しよう)たちの作品を楽しみつつ、時に大いに苛立ちもする。日本人のために、日本語で(時には不可解な英語まじりで)歌われる歌は、あきらかに「作品」であるにも関わらず、商品としての評価しか受けてこなかった。

 物書きとして、言葉に対する思い入れか強いので、特に「歌詞」については、忸怩たるものがある。キラリと光るものを持った人はたくさんいるのに、ぼくたちの社会はそれを評価する言葉を持たない。ただ、無自覚で、誰かの真似ばかりが、横行する。一昔前に量産された「制度」にノーを突きつけるタイプの和製ロックが、結局は「歌の言葉」の制度にからめ取られていたのが一番分かりやすい例だ(例えば尾崎豊を思い出してみよう)。

 以上を総合すると、(1)ゲームにはもっと批評性が必要であるが、(2)ほかのジャンルだってかなりひどい、従って、(3)「ゲーム批評」のような蛮勇をふるう小規模メディアがあるゲームの世界はまだまし、ということになる。

 だから、「ゲーム批評」は思いっきり、批評して、批評して、批評し倒すべきである。「理屈ならべたって、結局、おもしろけりゃいいんだろ」などと無批判なことをうそぶくやつがいたら、とりあえずはり倒しておけ。その屍から、きっと本当におもしろいもの、楽しめるものが現れるから。

 そう、エンターテインメントに対する批評というのは、そのジャンルを深く愛してしまった者が、高い水準で楽しませてくれる「作品」を獲得し続けるための、いわば自衛手段なのだ。たぶん。

 ぼくも、身悶えしながら、Jポップ歌詞批評をはじめようか。近いうち。きっと。「ゲーム批評」には、そんな気持ちにさせられる。

 最後になったけれど──業界外広告が入りますよう、祈念申し上げます。心から。


**********************

追記@2008
結局J-POP批評は、企画倒れになりました。
 



電磁波と高圧送電線

2008-05-19 06:43:00 | ひとが書いたもの
世界 2008年 06月号 [雑誌]世界 2008年 06月号 [雑誌]
価格:¥ 780(税込)
発売日:2008-05-08
津田敏秀さんの小論が掲載されている。「電磁波と高圧送電線・何が問題なのか──WHOの勧告と日本政府の対応」と題して、10ページにわたる。環境問題、健康問題の基礎としての疫学だけではなく、それを施策に反映させられない日本の行政の仕組みについての言及が厚い。
がん関連のトップジャーナルのひとつ国際がん誌に2006年に発表された兜研究が、なぜ文部科学大臣の諮問機関「科学技術・学術審議会」でC判定とされたのか、ということにも言及する。

津田さんの仕事の流れでいうと、水俣病にかんする施策に科学的根拠(疫学)が活用されなかった件を告発する「医学者は公害事件で何をしてきたのか」の延長上。
医学者は公害事件で何をしてきたのか医学者は公害事件で何をしてきたのか
価格:¥ 2,730(税込)
発売日:2004-07

政策決定というのは常に科学的な根拠だけではなく、そのほかの要素やもろもろの綱引きの中でたゆたうもの。けれど、そのベースに、最低限、みんなが共有すべき「わかっていることと、わかっていないこと」とか、「頻度と分布」みたいな意識は持ちたい。
それができないのって、つらい。

官庁、医学界、マスコミ、市民……のリテラシーが少しずつ底上げされないと、同じままだろう。
というわけで、とりいそぎ、マスコミの人に読んでいただきたい内容。
考えてみれば、津田さんは、これらの仕事で、少しジャーナリスト寄りのことをしてしまっているわけで、別にそれがいけないわけではないけれど、ちゃんと調べて書く専門の人たちが、これくらいのことこなしてほしいと思う次第。

イモムシではありませぬ

2008-05-18 21:26:51 | 川のこと、水のこと、生き物のこと
R0017486近所の公園にある高遠桜の木の葉っぱに、イモムシ大量発生!
と思ったら、ちがうみたい。
これは、葉がぐるんと巻き込んで、こういうイモムシ様の形状になるのですね。
中はどうなっているかというと……

R0017490こんなかんじ。アブラムシがびっしり。
害虫、なんだろうなあ。こうやって、葉をスポイルしすぎると、栄養障害にもなるだろうし……。

で、調べてみたら、サクラコブアブラムシ、とか、サクラフシアブラムシというのだそうですね。
桜→ヨモギ→桜、というライフサイクル。


服を着た鉄塔

2008-05-16 09:56:43 | 日々のわざ
R0017433何かの深い理由があるのか、近所の鉄塔が「服」を着ている。

ぜんぜん関係ないけれど、この写真を撮っていたら(早朝5時すぎ)、すれ違った車のおじさんから挨拶された。知っている人だったんだろうか……。

さらに関係ないけれど、アマゾンで「銀河のワールドカップ」、予約可になってました。
発売されたら、また報告いたします。
銀河のワールドカップ
価格:¥ 780(税込)
発売日:2008-05-20



山と渓谷のエッセーなど

2008-05-15 08:10:27 | ひとが書いたもの
山と渓谷 2008年 06月号 [雑誌]山と渓谷 2008年 06月号 [雑誌]
価格:¥ 880(税込)
発売日:2008-05-15
こちらの「言葉降る森」というリレーエッセイのコーナーに執筆しました。192-193の見開き。「離島をのぼれ!」というタイトル。テレビ局に勤めていて、わりと閑職っぽい「ケーブルテレビの営業」をしていた頃の話。
それにしても、きれいな雑誌だなあ。竹下光士さんの「熊野」の巻頭グラフなど、うっとりとしてしまう。谷村志穂さんが紹介している北海道の「お花畑」の山は素敵。

昨晩、ワイシャンペル本の訳の不満ついて述べたら、corvoさんからうれしい指摘。
恐竜学 進化と絶滅の謎恐竜学 進化と絶滅の謎
価格:¥ 10,500(税込)
発売日:2006-07-26
くだんの本の2nd editionの訳が、しっかりと真鍋真さんの訳で出ていたのですね。
こりゃあ、うれしい。
しかし、この件、知らないなんて、すっかり恐竜の世界にごぶさたな最近をさらけだしているようなもの。
買います。

「ディアス」の読書日記2

2008-05-14 20:38:40 | ひとが書いたもの
2001年に書いた古い読書日記。でも、個人史上でもきわめて珍しい文章。
紹介したのは、二冊と一誌。

ディノプレス―最新の恐竜情報誌 (Vol.4(2001))
価格:¥ 2,100(税込)
発売日:2001-07
痛快!恐竜学
価格:¥ 1,785(税込)
発売日:2001-06

恐竜の進化と絶滅恐竜の進化と絶滅
価格:¥ 7,140(税込)
発売日:2001-03


前の二つは素晴らしいできばえで、ディノプレスなんて、見つけたら買っとけ、とファンの人には言いたい。
で、最後のひとつがくせ者で……。

以下本文を。
**************

 ジュラシックパークの夏だ。恐竜本が熱い。氾濫する恐竜本の中から、今回紹介したいのは一冊と一誌。『痛快!恐竜学』(平山廉)は、最新の恐竜学をバランスよく解説してくれる。また、7月に第4号が出た季刊誌「ディノプレス」は、世界一の恐竜マニア雑誌だ。恐竜好きは、毎号味読すべし。以上、「良書」紹介は終わり。

 良質な読書体験の後で、凄まじいトンデモ本(訳)に出会ったので、衝撃のあまり報告。
 瀬戸口美恵子・烈司、両氏の共訳で青土社から5冊出されている一連の恐竜関連書。とりわけ今年三月刊の『恐竜の進化と絶滅』が壊滅的だ。

 実例を挙げよう。序文の中の謝辞から。

「A・K・ベーレンスメイヤー……(大量の人名を省略)……らは、予想できない敵に対抗して、建設的に批評する能力を持ち続けて、未完成の原稿をすべてくぐりぬけた」


 極端な逐語訳で、文意を取るのに苦労する。同じような箇所が各ページに必ずあり、読み進めるには極度の集中が必要だ。しかしこれがほんの序の口なのだ。次のような文章に出会うと、そこから先はもう笑うしかない(186ページ)。

「恐竜は、最古の発見時以来、多くの詩や、五行戯詩、狂詩[韻律不整で内容下品な詩]の主題になってきた。ほとんどが、巨大さや噂される知力のないことや、そのようなつまらない感覚をバランスをとるために最近のわずかな努力で、社会的愛嬌に集中している。一番有名な恐竜の詩は、二重の脳(一般的な論点とその臀部に一つ)が与えた特に知的鍛錬に、ステゴザウルスの知的主張をほめたたえている……」


 何のことか分かった人がいたら教えてほしい。ぼくにはさっぱり分からない。

 ちなみにこれは本文ではなく、コラムの冒頭から引いた。それ自体で完結した記事なので、文脈を無視して切り取ったために意味が通らないのではない。本文中でもこのレベルの超悪訳(というか訳出放棄だ)が頻出する。

 誤訳も数々ある。例えば、肉食のケラトサウルス類を、草食恐竜のひとつ「角竜類」と訳しているのだが、これは双方に「角」を意味する「ケラト」がつくものの、虎を牛とするような間違いだ。また別の訳書では「第三紀」が「三畳紀」と訳されている。こちらは例えば日本史の学術書で、「大」の字つながりで、「大正時代」を「大和時代」と誤記するような強烈なミス。烈司氏は京大教授であり、いわゆる専門家のはずなのだが……。

 憤りを感じた。他社が版権を取って別の訳者が訳していれば、日本の恐竜文化を豊かにすること請け合いの名著なのだ。その可能性を潰すことは、原著者にも読者にも失礼ではないか。それが、程度の差こそあれ、同じ訳者・出版社の組み合わせで量産されてきたのだからたまらない。

 実はこれらトンデモ訳は、恐竜ファンの間では有名だ。恐竜関係のメイリングリストでは、「またか」というような話題がやり取りされる。あるマニアはつい購入してしまってから、あまりもの訳に驚愕し「眠くなった時に読むと怒りで目が醒める」と効用を発見した。別のファンは「かくも文意がとれないのは、ひょっとして落丁なのでは」と出版社に送り返すことを検討した。

 義憤にかれられたぼくは、すでに出版されている5冊をすべて読破した。そこで報告。5冊すべて「読むのに苦労する」から「日本語とは思えない」レベルに達しているとぼくには思えます。購入を検討される方は、書店で手にとって実際に訳文を一部でも読み、ご自分でご確認を。

 そにれしても、なぜこんなトンデモ訳が、世に送り出され続けたのか、暗澹たる気分になる。一つの理由として「書評」を挙げざるをえない。我が国の新聞や雑誌に掲載される書評は、悪いものを悪いと言えない仕組みになっている。ぼく自身、書評を請け負ったものの、作品を褒めることができず葛藤した経験がある。「否定的な評を掲載するくらいなら、そもそも頁を割かない」というのが編集者の言い分だ。事実、『恐竜の……』の書評はほくが知る限りほとんど出なかった。たしかに、これはひとつの識見なのかもしれない。

 しかし、その識見を常に期待できるわけではないのだ。ネット書店Amazonのエディターレヴューで、別役匝氏は「エッセイのようなわかりやすさ」と件の書を推奨する。別役氏は超人的読解力の持ち主なのだろうか。いずれにしてもその読解力を万人に求めるのは酷だ。日本語として読解できない訳に批判はゼロで、数は少ないが不可思議な推奨だけが語られる。これってやはり変だ。

********

ブログにアップするにあたってのコメント。
今でもこの本を「台無し」にされたやりきれなさは残っていて、読み返すとつい怒ってしまうのでした。
だからといって、ダメ本をいちいち告発するのがよいかというと、たぶん一般的には、文中の編集者見解の方が妥当だとは思うのだけれど……。

あと、一時のアマゾンの自社書評は本当にひどいものがまじっていて、あきらかに読んでいないと思われるものも多数ありましたっけ。
自分の作品では、これ。
緑のマンハッタン―「環境」をめぐるニューヨーク生活(ライフ)緑のマンハッタン―「環境」をめぐるニューヨーク生活(ライフ)
価格:¥ 1,800(税込)
発売日:2000-03

このレビューをした人も、間違いなく、本文を読んでません。前書きの情報だけで、書いてます。

さむっ!

2008-05-14 13:26:18 | 日々のわざ
R0017328寒いし、花も散るし……なんだか、どんよりだ。
午後イチで、小説の未来を憂う、志ある編集者さんと、懇談。
刺激を受けたり、自分の至らなさをあらためてかんじたり……。やや元気が出たような。
でもま、ぼくの場合、「目の前ののこと」をひとつひとつやっていくしかないよなあ、というのが実感。
というわけで、粛々とやります。


「ディアス」の読書日記

2008-05-13 13:45:08 | ひとが書いたもの
かつて、「ディアス」という雑誌があって、2001年頃に書いていた読書日記四回分を紹介。
これは第一回目。

言及されるのは、

それがぼくには楽しかったから (小プロ・ブックス)それがぼくには楽しかったから (小プロ・ブックス)
価格:¥ 1,890(税込)
発売日:2001-05-10
CODE―インターネットの合法・違法・プライバシーCODE―インターネットの合法・違法・プライバシー
価格:¥ 2,940(税込)
発売日:2001-03-27


7年も前の紹介だけれど、両方とも、現役で読む意味がある本です。
 メル友殺人だとか、情報技術がらみの犯罪が起こるたび、インターネットけしからんなどという人がいるのだけれど、それって正直ピントはずれだ。活版印刷だって、テレビだって、電話だって、新しい情報伝達の手段ができるたびに、社会はきしみを立ててきた。ちょっと年配の人ならテレビがいかに過激に「お茶の間」の力学を変えたか覚えているだろう。また若い世代なら、携帯電話が普及し出した頃、一度や二度「依存症」みたいになった経験があるんじゃないだろうか。それは「殺人」などの大事に至らなかったとはいえ、身近な「きしみ」の実例なのではないか。

 大切なのは、そういった「新しいメディア」もやがて社会にしっかり根付いたということ。ある程度の時間があれば、人々はその「メディア」に慣れて、適切なバランス感覚をもって、つき合うことができるようになるものなのだ。

 だから、インターネットについて、ぼくたちがしなければならないのは、まず「慣れること」だ。それも、電子メールやウェブなど、個別のサーヴィスに慣れるだけではなく、インターネットの成り立ちそのものに対してのリテラシーが問題になるのではないだろうか。

 というようなことを考えつつ、『それがぼくには楽しかったから』(リーナス・トーバルズ)を読んだ。言わずと知れたLinux開発者の自伝だ。ヘルシンキの一大学生が自分自身の楽しみのためにPCで動くUNIXライクなOSを書き、それがインターネットの共同体の中で育てられ、Windowsにも対抗しえる一大勢力になる様が描かれる。「楽しみ」のためにプログラムを書くハッカーたちが、営利のために活動するマイクロソフト社よりもずっと堅牢で、柔軟なOSを創り上げ、かつ、それが全世界で使用されるようになるなんて、10年前には誰も想像しなかっただろう。これは、明らかに資本主義の原則に反しているように思える。しかし、実際に起こったことなのだ。

 このサクセスストーリーのポイントは、これがまさにインターネットで繋がったハッカー共同体によってはじめて可能になったということ。彼らはインターネットによって繋がることに、いち早く適応し、その成果を旧来の社会に素早くフィードバックしてみせたのだといえる。このあたりのことは、『伽藍とバザール』(エリック・レイモンド)も重要な副読本。彼らが金銭をインセンティブとしないで、知的好奇心をドライブに、名声を報酬とする共同代だというとこが、とても説得的に述べられている。

 関連して、最近、一番衝撃的だったのは、『CODE──インターネットの合法・違法・プライバシー』(ローレンス・レッシグ)だ。

 冒頭でいきなり、固定概念を吹き飛ばされる。ネット犯罪が起きるとよく「ネットだから犯人が特定しにくい」ということが言われる。それは、現時点では時に事実だ。しかし、一般論としては逆なのだ。コンピュータ・ネットワークでつながれた社会というのは、実はこれまでの人類の歴史の中で、もっとも一元的に人々を管理しやすい環境なのだ。フライバシーを保護すると思われる暗号技術ですら、個人のプライバシーを相互には保護しつつ、権力側は各個人のすべてのプロファイルを把握できる、というような使い方が可能であると指摘された時、目から鱗が落ちるとともに背筋に冷たいものを感じた。

 結局今のインターネットが「自由」なのは、そのように作られているからにすぎない(自由を支えるプロトコル群をつくったハッカーたちに感謝)。利用者個々の情報がたえず把握出来るようなネットなど、技術的にはごく簡単に実現可能だし、今後、商業化を通じて、インターネットは管理的なものへとシフトしていく可能性があると、レッシグは警鐘を鳴らす(たとえばMP3の規制を想起せよ)。新たなメディアによって変わっていく、我々のリアルライフについて、徹底的に考え抜き、絶望的とも思える状況を切り開く知的体力は、もう感動的だ。しかし、感動ばかりしていられない。それがこれからのネットワーク時代のリアルなのだとすれば、これはぼくら自信の問題なのだ。


世田谷巨樹

2008-05-11 21:55:36 | 日々のわざ
R0017278わりと近所にある巨樹。
屋敷の敷地内にあって、そこにはお稲荷さんもあって、プチ鎮守の森と化している。
敷地内のお稲荷さん多数の、このあたり、以前住んでいたやはり近所のマンションからは、ビルの屋上のお稲荷さんも見えたっけ……。
で、
なにはともあれ、この巨樹の前を通るたびに、世田谷作家として勝手に親近感をおぼえている梨屋さんの「プラネタリウム」を思い出す。
その中の一編に、巨樹になってしまう少女の話がある。

プラネタリウムプラネタリウム
価格:¥ 1,365(税込)
発売日:2004-11-26



PTA二回り目

2008-05-10 12:34:22 | 日々のわざ
二回目の航海に出ておるわけですが、なんだかそぐうのは「航海」のアナロジー。
これは、レモンさんもそう言っていたよね。

レモンさんのPTA爆談レモンさんのPTA爆談
価格:¥ 1,470(税込)
発売日:2005-06


でも、最近、より強く思うのは……、こっち。
ジョジョの奇妙な冒険(8~17巻セット)ジョジョの奇妙な冒険(8~17巻セット)
価格:¥ 5,996(税込)
発売日:2003-08

空条承太郎が、仲間とエジプトまで旅をする「スターダストクルセイダース」のシリーズ。

これが一年目だとして、二年目はこっちかな。

Steel ball run―ジョジョの奇妙な冒険 Part7 (Vol.6) (ジャンプ・コミックス)Steel ball run―ジョジョの奇妙な冒険 Part7 (Vol.6) (ジャンプ・コミックス)
価格:¥ 410(税込)
発売日:2005-11-04

アメリカ大陸横断レースの話なんだけれど、なんとなくこんなかんじ。
具体的にどれがどうというわけではなく。