川端裕人のブログ

旧・リヴァイアさん日々のわざ

感染症疫学についてサピオに書いた文章

2008-04-25 11:25:03 | 喫煙問題、疫学など……ざっくり医療分野
サピオの2008年3月12日号に掲載されたものの、「元原稿」です。雑誌掲載に当たっては微妙に、手を加えています。編集部でつけてくれたタイトルは「フィールド疫学で感染拡大を食いとめろ」。

参考文献としては、こちら。
エピデミックエピデミック
価格:¥ 1,995(税込)
発売日:2007-12


ちなみに、この原稿にも、小説にも目を通してコメントをくれた、感染症疫学の若きエースは、この夏に結婚されるとのこと。おめでとうございます。
フィールド疫学で感染拡大を食いとめろ

 SARSや新型インフルエンザを思わせる新型呼吸器感染症の制圧を主題にした小説『エピデミック』(角川書店)を上梓した。本邦初の「疫学」小説だ。

 主人公は架空の組織、「国立集団感染予防管理センター」の実地(フィールド)疫学調査員。我々の社会ではなじみのない、しかし世界的には標準的手法である「フィールド疫学」を武器に、謎の感染症に挑み、地域流行を収束させる。そのプロセスをこってりと描いた。

 なぜって、フィールド疫学者の仕事ぶりが非常に「格好いい」と感じるから。「危険を顧みず、集団感染の現場に飛び込む英雄的職業」であるだけでなく、思考パターンがクリアで、ぼくたちが思いつかないような問題解決の科学的手法を示してくれる。SFでいう「センス・オブ・ワンダー」(うわーすげーっ、という感覚)が強烈だった。

 小説では、その現場の感覚を掬いあげたかったのが一番。そして、まだまだ一般的ではないこの仕事を認知してもらえば、我が国の感染症対策がより充実する素地にもなる、などという遠大な野望も(?)もなかったとはいえない。

 なにしろ、日本では疫学者研究者の数が少ない。大学で疫学を学ぼうにも正式に「疫学研究者」を養成するカリキュラムをコンスタントに提供している大学は数えるほどだ。ことフィールド疫学については、1999年から国立感染症研究所が毎年数人規模で無給の訓練生を受け入れており、まさに養成が始まったばかり。一方、この分野での先進国であるアメリカでは、少し大きな大学なら、まるまる疫学関連大学院と言ってもよい「公衆衛生大学院」(School of Public Health)があるし、医学大学院(medical school)の中に「疫学部」に相当するものがあるのも普通だ。フィールド疫学者に関しても米国疾病予防管理センター(CDC)が常時160人程度の有給の訓練生を実働部隊として持っている(毎年80人で、二年間のコース)。卒業生は2500人にもおよび、全米の自治体などに散って活躍しているから、感染症対策には必ず疫学的な方法であたるのが当然のことになっている。

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 では、疫学というのはどんなものなのか。
 大雑把に言うと「集団における病気の発生に関する学問」だ。病気と原因の因果関係を議論するために有用で、喫煙が肺がんの原因になるのを示したことは、我が国でもよく知られている。感染症で言えば、感染や発病のパターンを、観察データから特定するのが、中心的な役割だ。

 フィールド疫学者は、感染症の疫学を実践的に活用する。なんらかの病気が集団発生したとき、あるいは集団発生が危惧されるときに、現場(ルビ、フィールド)に駆けつけて適切な調査を行い、対策を講じ、感染拡大を食い止める。

 その際、「時間・場所・人」という三つの要素に注目する。感染曲線(発症者の時間的な推移をみる)や感染地図(発症者の地理的な集積を見る)を描いたり、発症者の個人データ(性別年齢などから始まって、職業、最近の行動、渡航歴など、病気と関係がありうる属性や行動を洗い出す)を集めることで、「どこで感染が起こったのか」「感染経路は何か」「どういった属性や行動が病気と関係しているのか」などを推測する。ヒト・ヒト感染が成立する病気については、患者と接触歴のある者を探し出す接触調査を行って、早い段階から検疫・隔離下に置く措置も重要になる。この時、検疫・隔離の期間については、集団のデータから潜伏期間や感染性期間(人を感染させる能力を持っている期間)を推測して、参考にする……。

 こういったプロセスに興味を持っていただけるなら、すぐさま拙著を読んでいたくのがよい。この場では、おおよそ紙幅が足りないので、フィールド疫学のキモだとぼくが思う部分を書き出す──
・病原体の確定に拘りすぎるな。
・調査は迅速にスタート。
・感染様式とパターンを把握して流行拡大を食い止めろ!

 といったところだろうか。

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「病原体の確定にこだわりすぎるな」という点について詳しく書いておこう。

 我々の社会には根強い思考の「癖」がある。
 病気の原因といった時に、必ずといっていいほど「目に見える実体としての病原体」を求めてやまない。保健所などの専門家でもしばしばそうだし、対策を決定する行政も、人々に伝えるマスコミも、「何ウイルス」か「何菌」かを第一の問題にしがちだ。しかし、現実には「病因かよくわからない集団感染」は常にあるわけで、それでも、感染症制圧はできるし、するべきだ、というのが疫学の常識だ。

 ひとつ、よく引き合いに出される事例を。19世紀のロンドンでコレラが大流行した際、感染爆発を収束させた「疫学の父」ジョン・スノーの業績。猖獗をきわめた「新興感染症」コレラを制圧するために、スノーは綿密な調査を実施し、特定の水道会社と契約している家庭から患者が多く出ているのを突き止めた。そして、水道の取水口を締めることで集団感染を制御した。

 これはまさに、今でいうフィールド疫学の仕事だ。「時・場所・人」の中の、「場所」の要素に注目し、感染地図を描き、感染源となった水道を特定した。特筆すべきは、この時代には、ウイルスはおろか、細菌すら発見されていなかったことだろう。コレラの原因としては「瘴気説」が有力で、水との関係は取りざたされていなかった。にもかかわらず、スノーはフィールド疫学的な分析から「原因」をつきとめた。コレラ菌が細菌学の父、コッホによって発見されたのは、30年ほど後のことだ。 

 つまり、集団感染を制御するためには、かならずしも病原体を知らなくてもよい。もちろん、分かればそれにこしたことはないのだが、「分かるまで待つ」という態度はむしろ有害だ。感染症の伝播が成立するためには「感染経路」「感受性宿主(感染し得る者)」「感染源」の3つが必須であり、このうちの1つだけでも介入することが出来れば感染の拡大を食い止められるのだから。

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 こういった疫学的常識から外れて、我が国がつい「病原体待ち」してしまった事例としては、SARSがある。厚労省はウイルスが確認された「確定例」だけを世界保健機構(WHO)に報告する方針をとった。ところが、発見されてほやほやの新興ウイルス病だ。標準的なウイルス検査法などなく、「確定例」のみが患者となると、必然的に日本の患者数はゼロとなる。

 ちなみに、日本以外の各国は、疫学的な情報に基づいた診断基準を満たした者を患者とし、検疫や隔離など厳しい対策でSARSと対峙した。日本の場合、みかけは「患者ゼロ」でも、ほかの国に比べてより高いリスクに晒されていたことになる。一国のリスクは国際的なリスクでもあるから、世界的に非難されたじ、実際、日本の市中や院内で重篤なSARSの集団感染が起こらなかったのは僥倖なのだ。

 感染症ではないが、疫学思考の欠落が重大な被害をもたらした、超弩級の悲劇も我が国にはある。水俣病だ。
 1956年の最初に患者が見いだされて以来、病因物質としてメチル水銀、アミン、機雷など様々な説が出された一方、原因食品(感染症でいえば感染経路や感染源に相当)は一貫して誰もが「魚」であると疑わなかった。この時なぜ熊本県や国は、疫学的分析に基づいて、水俣湾の魚を食べてはならないと周知できなかったのか。その後、数万人に及んだ被害の規模、患者認定をめぐる泥沼を思うと、忸怩たる思いを禁じ得ない。
  
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 というわけで、新興感染症の発生が心配される今、疫学の基礎的かつ実践的な部分を、我々の社会がこなせていないのは非常にまずい。最低限、例の思考の「癖」は自覚し、社会として克服しなければならないし、日本全国の自治体、中央官庁、病院、マスコミなどにそれぞれ、もっと疫学を理解し、常識とした上で判断できる人材が行き渡らなければ、どんなことになってしまうのか、想像するだけでこわい。

 やはり気になるのは、最も心配される新型インフルエンザ。
 ここでもウイルスの確定にこだわりすぎるのはやはり危険だ。

 たとえば、東南アジアの鳥インフルエンザ多発地帯から帰国したツアー客たちが、高熱を発し、肺炎症状を呈した場合。どの段階で、積極的な調査・対策を開始すべきか。ラボでの確定診断などを待っていたら、その間に、二次感染、三次感染の機会が発生しかねない。だから、迅速に疫学的調査を行い、どういった感染パターンを呈し、どのように予防できるのかを先回りして検討すべきだ。行政が「新型と確認できるまで様子見」を決め込んだり、病原体が出たのか出ないのかばかりをマスコミがかき立てたりすると、現場の足を引っ張ることになる。

 繰り返す。
病原体の確定にこだわりすぎるな。調査は迅速にスタート! 感染様式とパターンを把握して流行拡大を食い止めろ!

 そして、さらに疫学の深い森の中に踏み込むべきだ。緊急時の情報の集積と分析。病気をコントロールするために様々な指標。それらの多くが疫学の方法によってもたらされるのだから。



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3 コメント

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拝読してふと思い出したのが、孫子・作戦編の一節 (実松)
2008-04-25 20:37:22
「故兵聞拙速、未覩巧之久也」
(兵は拙速を聞くも、未だ巧久を観ざるなり)

戦争で雑でも素早いのはあるが、巧みだが長引くというのは見たことがない…
短時間の間に多くの人命がかかる点、戦争と感染病制圧は共通する所があるかと。最古の戦争哲学書は心構えの点で参考になるかも知れません。
なお、拙速を「貴ぶ」のというのは明らかな誤りです。為念。
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この文章、とても嬉しかったです。別件、若きエー... (にしうら)
2008-04-26 07:30:55
感染症の疫学が基礎的に広まるためには、因果関係の議論など他の分野を含めて疫学の専門家の皆さんがしていらっしゃるような啓蒙にはじまる第1ステップが必須に思います。時代はその拡充だけでは足らず、日本が途上国並みのレベルから脱出するには第2ステップとして日本の研究社会や専門家社会の皆さんが変わってもらわないとどうにもならないと思います。色々な方から中身の相談を受けることがありますが、丸投げしすぎで大枠理解だけあっても何も発展はありません。悪しき政治的かつ無駄な人間関係や、まわりくどい物事の表現や、裏で色々なことを言う公衆衛生。だけど、総じて専門家の仮面を被った者たちの実力は口ほどにもない、という状況を打破できないと大和の大地で学んだ若手は祖国で育ちません(ので、次世代に声は届きません)。まずは第1ステップ打破をもうすぐ祝福できる時代ですね。それに力になれない自分が発言することではないかも知れないけれど。
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実松さま、はじめまして。 (カワバタヒロト)
2008-04-27 09:59:05
孫子がそんなことを言っているのですね。知りませんでした。いや、その方面弱いのです。ありがとうございます。

にしうらさん、予備校生・高校生が興味を持ってくれるといいです。
若手が育たず、自力で育った人の声が次世代に届かないというのは、本当に困った事ですね。
でも、ま、ちょくちょく、帰ってきてくださいませ。
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