PTAのいわば先輩会員である、Jさんに会ってきた。
Jさんは、三多摩地区在住。
最初はフルタイムで、積極的にかかわれなかったものの、フリーになったのを機に、クラス委員、役員選考委員、広報委員、最後は会長を歴任した。
広報時代のエピソード。
例えばプールの話題が委員で出たとする。
・腰洗い漕で肌が赤くなるのが気になる。
・ゴーグルをしてはいけないのはなぜ?
・プールの掃除ってどうなっているの?
などという疑問が出たら、すぐ取材。
ほかにも、PTAで集めている使用済みテレカの行き先は? とか、教頭先生の子育て体験とか、いろいろな取材を、自分たちで決めて即行動。やらされているPTAではなく、「自分たちの場」になったのがよかったという。
面倒くさい、というハードルを下げて、おもしろいじゃん、と思うようになれる工夫。
会長時代は、おもしろいアンケートを取った話。
会員の「得意なもの」。たとえば、パソコン、大工仕事、イラスト、料理、掃除、カーテンを縫える……等々。それを把握しておいて、なにかの時には「お手伝いお願いできませんか」と頼んだり。
これはなかなか良さそう。
あと、彼女が言っていたことで、すごく心に響いたのは、「PTAの格を下げよ」ということ。
とかく、PTAというと、なにか形式張った、堅苦しいものと思われがちだ。でも、それじゃいかん。学校組織ではなく、自主的な任意団体で、ボランティアベースの団体なのだから、もっと気楽で気さくでよい。
彼女が試みたのはいろいろあるけれど、たとえば、役員ではなく、「世話人」という名前で呼ぶようにしたこと。PTA会長ではなく、PTA世話人代表。なんとなく、格が下がってませんか。
また、PTAからのお知らせに、「会長」の連名を極力少なくしたということ。
委員会の報告書などは、委員長名でいいのではないか、ということで押し切った。
校長から「会長は責任をとるべきだから、連名すべき」と言われた時にも、「それは会長なのだから当たり前、わざわざ、連名しなくても当然のこと」と突っぱねたとか。
こういうのも当然ありだと思う。
先人の工夫はやはり、とても参考になる。
ああ、そうだ、ひとつ大事なこと。
Jさんはギターがお上手で、卒業式で「卒業するきみたちへ贈る歌」みたいなものを作詞作曲してうたわれたそうです。
追記
誤解を招くかもしれないので言っておくと、自分が所属するPTAの先輩ではあまりせん。自分よりも前に、それぞれの場所でPTAを担った人たちを「先輩会員」と読んでいるのです。
あと、ご本人の話によると、「やったことだけ書くと、なにかすごくうまくいったPTAのように見えるかもしれないけれど、まあ、いろいろありました」ですって。
うんうん、ぼくは頷いたのでした。
だって、そのほうが、当たり前のなのですよ。
岸裕司さんの「学校を基地に」に出てくるPTA改革だって、行間を読めば、その時々に非常なストレスがあったことは簡単に推測できてしまうのであって、要は、なにかをやろうとした先輩がいて、それを終えた後も(どれだけ思いを遂げられたかは別にして)、ポジティヴな姿勢を失わずにきょうも元気だ、そして、PTAってすてきじゃんと思ってる。それが大事。
Jさんは、三多摩地区在住。
最初はフルタイムで、積極的にかかわれなかったものの、フリーになったのを機に、クラス委員、役員選考委員、広報委員、最後は会長を歴任した。
広報時代のエピソード。
例えばプールの話題が委員で出たとする。
・腰洗い漕で肌が赤くなるのが気になる。
・ゴーグルをしてはいけないのはなぜ?
・プールの掃除ってどうなっているの?
などという疑問が出たら、すぐ取材。
ほかにも、PTAで集めている使用済みテレカの行き先は? とか、教頭先生の子育て体験とか、いろいろな取材を、自分たちで決めて即行動。やらされているPTAではなく、「自分たちの場」になったのがよかったという。
面倒くさい、というハードルを下げて、おもしろいじゃん、と思うようになれる工夫。
会長時代は、おもしろいアンケートを取った話。
会員の「得意なもの」。たとえば、パソコン、大工仕事、イラスト、料理、掃除、カーテンを縫える……等々。それを把握しておいて、なにかの時には「お手伝いお願いできませんか」と頼んだり。
これはなかなか良さそう。
あと、彼女が言っていたことで、すごく心に響いたのは、「PTAの格を下げよ」ということ。
とかく、PTAというと、なにか形式張った、堅苦しいものと思われがちだ。でも、それじゃいかん。学校組織ではなく、自主的な任意団体で、ボランティアベースの団体なのだから、もっと気楽で気さくでよい。
彼女が試みたのはいろいろあるけれど、たとえば、役員ではなく、「世話人」という名前で呼ぶようにしたこと。PTA会長ではなく、PTA世話人代表。なんとなく、格が下がってませんか。
また、PTAからのお知らせに、「会長」の連名を極力少なくしたということ。
委員会の報告書などは、委員長名でいいのではないか、ということで押し切った。
校長から「会長は責任をとるべきだから、連名すべき」と言われた時にも、「それは会長なのだから当たり前、わざわざ、連名しなくても当然のこと」と突っぱねたとか。
こういうのも当然ありだと思う。
先人の工夫はやはり、とても参考になる。
ああ、そうだ、ひとつ大事なこと。
Jさんはギターがお上手で、卒業式で「卒業するきみたちへ贈る歌」みたいなものを作詞作曲してうたわれたそうです。
追記
誤解を招くかもしれないので言っておくと、自分が所属するPTAの先輩ではあまりせん。自分よりも前に、それぞれの場所でPTAを担った人たちを「先輩会員」と読んでいるのです。
あと、ご本人の話によると、「やったことだけ書くと、なにかすごくうまくいったPTAのように見えるかもしれないけれど、まあ、いろいろありました」ですって。
うんうん、ぼくは頷いたのでした。
だって、そのほうが、当たり前のなのですよ。
岸裕司さんの「学校を基地に」に出てくるPTA改革だって、行間を読めば、その時々に非常なストレスがあったことは簡単に推測できてしまうのであって、要は、なにかをやろうとした先輩がいて、それを終えた後も(どれだけ思いを遂げられたかは別にして)、ポジティヴな姿勢を失わずにきょうも元気だ、そして、PTAってすてきじゃんと思ってる。それが大事。