川端裕人のブログ

旧・リヴァイアさん日々のわざ

号泣する準備はできていた、はずなのに……

2007-03-15 20:59:41 | 保育園、小学校、育児やら教育やら
保育園の卒園式。
来年から民営化されるので、保育士さんも総とっかえ。
これを機に、保育士をやめる人もいるのかもしれないし、全員がこの場を去ることも大きいのかもしれない……とても気合いの入った式になる。

保護者としては感謝することしきり。
号泣する親も、子ども続出する。

とはいえ、ぼくはそうはならなかった。
考えてみれば、こういう時の涙の水位はかなり低いのだ。

あしたもあさっても、日々は続き、娘も日々、大きくなっていく。
式は区切りだけれど、胸を張り、晴れやかな気持になっておしまい。
わざわざ「式」で確認して、ほろりとなることはあんまりない。
日々、確認すればよい。

むしろ、ヤバいのは「最終日」だ。
ぼくは「保育園」という場を失う。
ぼくも娘も、いや、年長の息子も、「切れる」。

これからは、保育園に行ってインターフォンを慣らすと、とたんに不審者だ。
来年、知っている先生はいないわけだし。

いや、そういうわけじゃなくて、とにかく「最終日」はヤバい。
号泣する涙は、きっとその時ってかんじがする。

ちなみに、式で泣いている子たちを見て思ったのだけれど、この年齢で「卒園式で泣く」のはどんな理由なんだろうか。
まだまだこの先、想像もできないような未来があって、失うものよりも得ていくものの方が大きく、心も体も未来へ未来へと先を急ぐ年齢。
あえてこの場所に楔を打ち込んで、涙するのはどんな心理?

娘はけろり。
父娘は似ているのだ。

だから、ごく素朴な意味で、不思議に思った。今度、聞いてみよう。
何が悲しかったのかって。