川端裕人のブログ

旧・リヴァイアさん日々のわざ

日本のクジラ食文化@朝日新聞

2006-07-24 18:20:54 | トンデモな人やコト
表題のコラム(?)が本日の朝日新聞朝刊にあり。
元WWFJ自然保護室長の佐藤哲教授(長野大)と、鯨類研究所の畑中寛理事長の「論」が対置される
畑中氏の議論は、伝統的な日本の反・反捕鯨的な言説。今も昔も、こういうかんじ。
一方、佐藤氏は、反捕鯨でも、親捕鯨でも、ましてや反「反・反捕鯨」でもない、提案型・ソリューション型(?)の論調がみられて面白い。

佐藤氏の議論の新しいところは、「数が豊富な一部のクジラは資源として持続的に利用できる。国際合意のもとで捕鯨再開を目指すべきだという「出口」は揺るがない」として、捕鯨再開を目指すことに理解をしめしていること。
彼はWWFJにいた頃は、この発言はできたのだろうかと疑問に思いつつ、そのほかの部分では見事にagreeできることが書かれている。

「クジラは日本の食文化という主張にものすごく違和感がある」というのは本当にそうだ。クジラを食べてきて、近代化をへてもなお、地域アイデンティティとクジラが結びついてきたような地域はともかく、都市部で「安価だから」クジラを食べたような「戦後体験」もふくめて文化と言ってしまってはいないか。もちろん、ざっくりと「海の幸を利用する」ことは日本の文化だとしても、そのレベルの文化ならほかにもたくさんあり、クジラだけを特別視する理由はない。

それに、佐藤氏は言っていないけれど、南極海での捕鯨が日本の文化、とはやはりどうしても言えないと思うのだ。「野生生物と人間の関係はダイナミックに変わる」というのはその通りで、現在の文脈でクジラを食べたい人がそれほど多くないなら、わざわざ需要を掘り起こすこともあるまい。

日本政府が代々やってきたことは、売り文句に買い文句的な「対立構造を深める」たぐいの努力であって、ぼくにはそこまでやる理由が分からない。佐藤氏同様、このままでは「地域生活に深くくみ込まれてきた伝統的なクジラ食文化まで守れなくなる」ことを懸念する。

なんて書いたら、ぼくは親捕鯨派、反捕鯨派、どちらに属することになるのだろうか。
いや、佐藤氏のように、一見、反捕鯨とみられがちなバックグラウンドの持ち主が、このように述べることは、ほかの「反捕鯨な人たち」にはどう響くのだろうか。

いずれにしても、「おれはこう思う」と大々的に主張したいわけではなく、目を惹く記事があったので是非ごらんを、ということなのでした。

そうそう、またも猫さんネタですね。