藪本雅子のブログを読んでいて、テレビ局をやめた時のことを思い出した。
その時の上司は、ぼくの採用時の人事局採用担当でもあって、ぼくがいずれやめるつもりなおをよく知っていた。だから、「うん、いつ言い出すかと思っていたよ」ということで、慰留なしの円満退社。
その後思ったのはね、「ぼくは日本テレビのことを覚えていても、日本テレビは(日本テレビの人たちは)ぼくのことをすぐに忘れる」ということ。
ぼくは会社をやめてすぐに留学し、ほんの一年で帰ってきた。その後、しばらくの間文藝春秋でする仕事が多かったこともあって、ちょくちょく会社に顔を出していた(ご存じの通り、文春と旧日テレ社屋は、徒歩5分の距離)。
旧交を温めたい気分が常にぼくにはあったのだけれど、かなりげんなりさせられたのは、会社にいくたびに「もう、帰ってきたのか」と言われ続けたと。一度行って30分でも滞在すると、四五人に言われる。中には、もう何度同じこと聞くんすか、って人もいた。
たぶん日本テレビの人たちの頭のなかで、「会社をやめてアメリカ」のままぼくのプロファイルは固定してしまってそこから先更新されなくなったんだろうなあ。おまえメシくえてんのか、といらぬ心配をされてしまったことも一度や二度じゃなし。基本的に本を読まない人が多いから、ぼくの存在や著述活動は外宇宙の彼方なわけです。
それでも、時々顔を出していたのは、やはり行けば、懐かしい顔があり、また、ぼくを気に掛けてくれる人もいたからなのだけれど……。
でも、ある時期から、バツが悪い気分になり、結局行かなくなってしまった。些細なことだけど、行くたびに「帰ってきたのか」と言われるのが面倒になってきたのも大きい。
いまだに汐留の新社屋は一度も顔を出していない。
ちなみに、ぼくは鳩友会というのに入っている。
これは日本テレビOBの会で、これに入っている「合法的」(?)に日本テレビに出入りできるわけ。鳩友会のパスは放棄して次に行くときは、きっとなにかの仕事で行く必要ができた時かなあなんて考えていた。
でも、それはなさそうだなあ。
実はやめる時、日テレ系文化人になります、と冗談交じりで宣言したのだけど、結局、そうはならなかったぼくなのでしたよ。
会社では別の時間が流れている。業績やら、人事異動やら、外に出てしまったものは関係ない部分で、ジンセイってやつが決まっていく。みずから好んでやめたわけで、その共同体の外に出たことは正直ほっとしていたのだけれど、やはり、個でふんばる仕事には特有の孤独があるから、ああいう「だれかが必ず自分を見てる」的な状況が懐かしくなることはある。
いや、これは嘘だ。懐かしくはない。一度たりとも。今の方がずっと心地よい。
それでも、疎外感をかつて抱いたのは、自分が忘れるより早く、忘れられちゃったからだな。あっさりと。
お互いに遠きにありてリスペクト。みたいなふうにはならなかったのだ。
なんかまとまりませんな。
ちなみに、日本テレビ辞め組としては、ぼくは永井美奈子さんと、ほぼ同期、です。
その時の上司は、ぼくの採用時の人事局採用担当でもあって、ぼくがいずれやめるつもりなおをよく知っていた。だから、「うん、いつ言い出すかと思っていたよ」ということで、慰留なしの円満退社。
その後思ったのはね、「ぼくは日本テレビのことを覚えていても、日本テレビは(日本テレビの人たちは)ぼくのことをすぐに忘れる」ということ。
ぼくは会社をやめてすぐに留学し、ほんの一年で帰ってきた。その後、しばらくの間文藝春秋でする仕事が多かったこともあって、ちょくちょく会社に顔を出していた(ご存じの通り、文春と旧日テレ社屋は、徒歩5分の距離)。
旧交を温めたい気分が常にぼくにはあったのだけれど、かなりげんなりさせられたのは、会社にいくたびに「もう、帰ってきたのか」と言われ続けたと。一度行って30分でも滞在すると、四五人に言われる。中には、もう何度同じこと聞くんすか、って人もいた。
たぶん日本テレビの人たちの頭のなかで、「会社をやめてアメリカ」のままぼくのプロファイルは固定してしまってそこから先更新されなくなったんだろうなあ。おまえメシくえてんのか、といらぬ心配をされてしまったことも一度や二度じゃなし。基本的に本を読まない人が多いから、ぼくの存在や著述活動は外宇宙の彼方なわけです。
それでも、時々顔を出していたのは、やはり行けば、懐かしい顔があり、また、ぼくを気に掛けてくれる人もいたからなのだけれど……。
でも、ある時期から、バツが悪い気分になり、結局行かなくなってしまった。些細なことだけど、行くたびに「帰ってきたのか」と言われるのが面倒になってきたのも大きい。
いまだに汐留の新社屋は一度も顔を出していない。
ちなみに、ぼくは鳩友会というのに入っている。
これは日本テレビOBの会で、これに入っている「合法的」(?)に日本テレビに出入りできるわけ。鳩友会のパスは放棄して次に行くときは、きっとなにかの仕事で行く必要ができた時かなあなんて考えていた。
でも、それはなさそうだなあ。
実はやめる時、日テレ系文化人になります、と冗談交じりで宣言したのだけど、結局、そうはならなかったぼくなのでしたよ。
会社では別の時間が流れている。業績やら、人事異動やら、外に出てしまったものは関係ない部分で、ジンセイってやつが決まっていく。みずから好んでやめたわけで、その共同体の外に出たことは正直ほっとしていたのだけれど、やはり、個でふんばる仕事には特有の孤独があるから、ああいう「だれかが必ず自分を見てる」的な状況が懐かしくなることはある。
いや、これは嘘だ。懐かしくはない。一度たりとも。今の方がずっと心地よい。
それでも、疎外感をかつて抱いたのは、自分が忘れるより早く、忘れられちゃったからだな。あっさりと。
お互いに遠きにありてリスペクト。みたいなふうにはならなかったのだ。
なんかまとまりませんな。
ちなみに、日本テレビ辞め組としては、ぼくは永井美奈子さんと、ほぼ同期、です。