こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

王であるキリスト(マタイ25:31-46)いつわたしは、あなたの食卓に席に着きましたか

2023-11-22 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2023/11/26(No.1266)
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王であるキリスト(マタイ25:31-46)
いつわたしは、あなたの食卓に席に着きましたか
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初聖体クラスのお友だちは、長い準備を終わって、今日御聖体をいただきます。とても楽しみですね。中田神父様は、皆さんが今日までしてきた長い準備を、立派だなぁと思っています。

実は中田神父様も、マラソン大会の準備をしています。司祭団マラソン大会と言って、だいたい1月の最後の火曜日に、長崎教区内から20人とか、30人の神父様が集まって、堂崎教会から福江教会まで9キロ、走ったり徒歩で向かったりするんです。

ただ、中田神父様が練習を始めたのは11月15日、大会まで2ヶ月しか残ってなくて、準備したのはたったの2ヶ月です。初聖体のために、ここにいる三人は9ヶ月準備しましたよね。初聖体のために9ヶ月も準備したお友だちと比べたら、マラソン大会のために2ヶ月しか練習しない中田神父様は恥ずかしいです。

これも正直に言いますが、神父様はたぶんマラソン大会が終わったら「あーやっと終わった。これでしばらく走らなくて済むぞ」と走るのをやめてしまうと思います。30年間、ずっと同じ事の繰り返しでした。この日のためにしばらくのあいだ練習して、あとはやめちゃうんです。

初聖体を受けるお友だちは、そうならないと信じています。9ヶ月という長い準備をして初めてイエス様をいただきます。それなのに「これで御聖体はもう受けなくていいかな。年に一回で十分だ」そんなことにならないように、ぜひこれからも日曜日(前晩の土曜日でもいいけど)には教会に来てミサに参加して、御聖体を拝領してください。

自分への言い聞かせも含めて、親子とも次のことをお願いしたいです。ミサに参加して、御聖体を受けて、イエス様にこれからも養われ、導かれていってください。ミサと聖体拝領を続けると、毎週の、必ず必要な恵みになっていきます。本当は私のトレーニングも、大会のあとも続けていけば、心と体の健康を保つために必ず必要なものになるのです。教会のお恵みが私には必ず必要だと分かる日が来ます。その日のためにも、これから続けてミサに来て、御聖体を拝領しましょう。

休まずミサに来て、御聖体を拝領するお友だちに、イエス様はきっとこのように声をかけてくれます。「あなたはわたしが会いたいなぁと思った時に会いに来てくれた。わたしのからだを分けてあげたいなぁと思ったときにみことばと聖体の食卓に席に着いてくれた。」

続けてミサに来て、聖体拝領していると、何月何日ミサに来たと言われても思い出せないかも知れません。「いつわたしは、あなたが会いたいなぁと思った時に会いに行ったのでしょうか。あなたの食卓の席に、いつわたしは着いたのでしょうか。」覚えていなくても大丈夫です。

このようにイエス様に答えたあなたは、回数を覚えていないくらいミサに来て、御聖体拝領したはずだからです。クリスマスだけ来たとかではなく、何回ミサに来て御聖体拝領したか覚えていない。これくらいミサと聖体が当たり前のことになるように願っています。

では最後に、初聖体を受けるお友だちに御聖体のことをどれくらい学んだが、共通テストをすることにしましょう。

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‥次の説教は‥‥
待降節第1主日(マルコ13:33-37)
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ちょっとひとやすみ
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▼こちら福江に転勤して、ほぼ毎日皿洗いをしている。「働き方改革」と言えるかもしれないが、食事と掃除をお世話してくれる修道会のシスターの負担を軽くするためだ。そのひと手間が、働きやすい職場環境に貢献している。
▼火曜日、福岡で神学院の感謝祭に参加した。来年3月で閉校が決まっているため、楽しい感謝祭ではなく「終わるか・・・残念」という感傷に浸るミサだった。ただ、前を向いて方向を探っているようなので、きっと活用してくれると信じている。
▼飛行機で今回は行き帰りを選んだ。空からの五島の眺めは言葉では言い表せない美しさ。感動を覚えた。帰り着き、台所に立った瞬間である。洗い物が一つ残っていたのだが、無意識に腕まくりをして洗い物を手に取った。手に取った瞬間に、自分が笑えた。

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今週の1枚
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第873回目。75人乗りプロペラ機。五島福江間40分(45分)。あっという間。

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† 神に感謝 †
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年間第33主日(マタイ25:14-30)あなたは何を差し出して「御覧ください」と言いますか

2023-11-18 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2023/11/19(No.1265)
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年間第33主日(マタイ25:14-30)
あなたは何を差し出して「御覧ください」と言いますか
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私は寝ていると夢を見ていることが多いです。どこで寝ていても夢を見るのは才能と言えるかも知れません。何せ世界史の授業中に寝ていて、すばらしい光景を見ていたら、山中寛先生から頭をゴツンとたたかれて授業に戻されたことがあるくらいです。

夢は見ても、寝言は言わないと思っていたのですが、どうやらそうでもなさそうです。30代頃の記憶になるでしょうか。地区の司祭たちで泊りがけのお出かけをした時です。翌朝の食事中、先輩方が私の顔をのぞき込んで深刻そうに言うのです。「おい。昨日はどがん夢ば見たとや?『ごらんください!』って叫びながら万歳しよったぞ。」先輩方がそう言うのですからそうだったのでしょう。しかし当の本人は、どんな夢だったか思い出せませんでした。

そこで自分なりに想像してみました。すぐに思い付きました。まさに今週の、タラントンのたとえです。預けられたお金をうまく運用して、ご主人にこう言っている場面です。「御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。」(マタイ25・20)

しかし、「忠実な良い僕」だけが「御覧ください」と言ったわけではありません。「怠け者の悪い僕」も、「出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です」(25・25)と言っています。

私が夢で叫んだのはどちらか。「喜んでください」のほうの「御覧ください」だったに違いないと思っていますが、いずれにしても私は何かを差し出して、主人に「御覧ください」と言ったのです。これを今週の学びにしたいのです。

人は皆、命の主人から能力に応じて預けられたものがあります。命の主である神が、「忠実な良い僕だ。よくやった」そう答えてくれる人生を期待されているのです。預かったものはそれぞれですが、決してそれを土の中に埋めて放置し、主人の思いに背いてはいけないのです。

私は、「タラントン」を「才能」に結びつけて考えることが多かったと思いますが、今回は違う見方を示したいと思います。人によっては大きな十字架を背負わされている人もいるでしょう。何かしらの障害や、長く続く病気などは、できれば避けたいものかも知れません。

しかしその人が忠実に十字架を背負い、または病と常に向き合うなら、その生き方は「御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました」これに匹敵するのではないでしょうか。それを見て神様は「忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」(25・21)と言ってくださるのです。

病や障害が、決して「少しのもの」でないことはそれを与えた神様が十分承知です。その苦しみ、痛みも知った上で「主人と一緒に喜んでくれ」と答えてくれます。人が羨むような才能でも、神様の期待に背を向けて、神様の喜ぶ使い方をしなければ、それは土に埋めて活用せず過ごすことと同じです。才能も、十字架も、神が預けてくださったものです。要は預けられたものに忠実であったかということです。

お一人お一人、命の主である神様が精算を求める時が来ます。その時に私たちは何を差し出して「御覧ください」と言うでしょうか。「置かれた場所、境遇の中で神の期待に忠実に生きる」この思いを持ち続けましょう。「御覧ください」と、正直に自分の一生を報告する。そのために日々を大切に生きることにしましょう。

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‥次の説教は‥‥
王であるキリスト(マタイ25:31-46)
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ちょっとひとやすみ
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▼「素で笑う。」これがなかなか難しい。自分自身がそうなのだから、誰かを「素で笑わせる」のはさらに難しい。大笑いできるようなネタができたらぜひショートムービーで使いたいが、果たしてその日はいつ来るだろうか。
▼ミサの式次第と奉献文が新しくなって一年が経とうとしている。堅信組に口頭試験で「栄光の賛歌」を唱えさせたことがある。すると中学生がこう提案してきた。「神父様、ぼくは歌でしか栄光の賛歌を唱えることができません。歌っても良いですか?」「あーもちろんいいよ」
▼「歌い出しは神父様がしてください。」この子のペースに乗せられて「天のいと高きところには神に栄光」と歌ってあげた。するとこの子はその続きを完コピして歌った。もちろん合格である。次に同じようなことがあれば、「天には神に栄光」と歌ってあげたい。

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今週の1枚
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第872回目。こんな「変顔」で、腹の底から笑ってくれる人がいるだろうか。

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† 神に感謝 †
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年間第32主日(マタイ25:1-13)神に呼ばれるそのときには用意を整えて待つ

2023-11-09 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2023/11/12(No.1264)
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年間第32主日(マタイ25:1-13)
神に呼ばれるそのときには用意を整えて待つ
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今週の福音朗読の半ば、賢いおとめたちも愚かなおとめたちも、皆眠り込んでいて起こされる様子が描かれています。「ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。」(25・5-7)

これが何を表しているかというと、賢いおとめも、愚かなおとめも「花婿だ。迎えに出なさい」と眠っているところを起こされた。この条件は同じだということです。違いが出たのは、眠り込む前に、賢いおとめは次に必要になることを備えていたこと、愚かなおとめは備えがなかった、ということです。

中田神父が「備え」ということでいつもたとえに使う出来事があります。それは新生児の誕生の出来事です。新生児はお母さんのお腹の中で10ヶ月過ごし、生まれてきます。もし、お腹の中の10ヶ月さえ過ごせばそれで良いというのであれば、何かを食べるための「口」も、匂いを嗅ぐ「鼻」も、必要ないかも知れません。

しかし、10ヶ月経って生まれ出てくれば、その瞬間からさまざまな能力が必要になります。目・口・耳・鼻、数え上げればきりがありませんがそれらがすぐに必要になってくるのです。「しまった!準備してなかった。今から準備しよう」では間に合わないわけです。

これは朗読のおおとめたちの心がけをよく教えてくれます。おとめたちは、ともし火をともすことで働きができます。ともし火のための油を切らしてしまえば、自分の働きを果たせなくなるのです。「ともし火を、今さえともしておけば大丈夫」愚かなおとめたちはそう思ったのでしょう。眠気が差して、起こされた時、次の場面で必要な油を用意していませんでした。「今さえ良ければ」という考えしかなかったからです。

賢いおとめたちは違いました。彼女たちは次の場面で必要になるものを、ちゃんと準備していました。眠りから覚めた時、賢いおとめたちも今必要な油はなくなっていて、次の場面で必要な油、準備しておいた油を用意したのです。

花婿と一緒に招かれる婚宴の席。それは戸が閉められ、私たちが過ごす「今」とはきっちり分けられる場所のようです。次の場面で必要な準備がなければ、「開けてください」と言っても「はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない」(25・12)と言われてしまうのです。

賢いおとめたちが準備していた壺の中の油とは何でしょうか。それは「神への愛と信仰」かも知れません。今さえ良ければ構わないという生活であれば、神への愛も信仰も、整えなくても生きられるでしょう。日曜日に早起きして一時間二時間、神様のために時間を使う必要もないでしょう。

しかし天の国では、「あなたを信じて生きていました」と証明するものが必要なのです。あるいは朝晩の祈りであるとか、隣人に手を差し伸べて愛のわざを行うとか、教会のために維持費を納めるとか、そうしたことが「油」となって、宴に招かれるのではないでしょうか。

「今は忙しい。歳を取ってゆっくりしてから信仰も愛のわざも取り組みます。」本当にそれで良いでしょうか。ある人は「今取り組まなければ、残された時間は数ヶ月です」と宣告されるのです。今週の福音朗読の結びはこうです。「目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」(25・13)

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‥次の説教は‥‥
年間第33主日(マタイ25:14-30)
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ちょっとひとやすみ
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▼トマトジュース。「デコピン」じゃなく「リコピン」が含まれ、高めの血圧を下げてくれるらしい。民間療法みたいな話だが、しばらく飲んでみようということで箱買いした。メーカーは別にどこでも良かったのだが、購入した店で「箱」で売っていたのがたまたま「カゴメ」だったのでそれにした。
▼健康生活のために、少しお金をかける必要を感じてきた。健康な人は考えないかもしれないが、誰かのために長生きしたいなら、何かのために長生きしたいなら、多少お金を健康のために使うのも悪くはない。サプリとか、そういうものは嫌いだが、トマトジュースなら使っても良いかと思った。

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今週の1枚
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第871回目。トマトジュース。映り込んだものは見栄えが悪かったのでカット。

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年間第31主日(マタイ23:1-12)神の権威を徹底的に認めることから

2023-11-03 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2023/11/5(No.1263)
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年間第31主日(マタイ23:1-12)
神の権威を徹底的に認めることから
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「律法学者たちやファリサイ派の人々は、モーセの座に着いている。だから、彼らが言うことは、すべて行い、また守りなさい。しかし、彼らの行いは、見倣ってはならない。言うだけで、実行しないからである。」(23・2-3)これは宗教指導者たちに向けられた非難ですが、私は教会の司祭たちにこれが当てはまっていないか、ご迷惑をかけているのではないかと心配しています。

かつては分かりませんが、今、信徒の司祭に対する見方は非常に厳しくなっていると思います。司祭が祭壇でお世話することよりも、司祭の日常の言葉や振る舞いで迷惑をこうむっていることのほうが多いかもしれない。それでもかつての信徒は黙っているかも知れません。

今は違います。司祭が説教台から話すことは、司祭のお手本がなければ聞いてもらえません。「自分がしていることを棚に上げている」と、はっきり指摘を受けます。自分自身、下五島地区に来てからのことを振り返ってみると、自分のしたいことのためには時間を使うけれども苦手なことや面倒なことには時間を使わず、それでいて信徒の皆さんへの要求は天井知らず。これでは説教に耳を傾けてはもらえません。

川原義和神父様という先輩がおられました。教区の会計を長く務めていました。私が半年間カトリックセンターに住まわせてもらって、センターから滑石教会に通勤していた時期があり、そのご縁でいろんな話を聞かせてもらいました。その中でいちばん印象に残っている言葉が、「長崎教区の司祭は『なんもせんもん家』が多い。驚くほど何もしない。」という話です。専門的な勉強をしている「専門家」ではなく、何もしない「せん・もん」家だ、と言っていたのです。

教区に提出する予算・決算、年6回やってくる特別献金の送金、年一度の現勢報告と財産目録の提出など。都度提出してくだされば何も問題ないのに、その時期になると報告のない小教区があって教区会計の仕事が止まります。しかたなく、教区会計職員の方が電話で催促します。結局対応したのは評議会役員でした。

特別献金も日本の教会全体でまとめるために一定の期限を切って受け付けています。送金がまだの小教区に、またも職員の方が催促の電話です。司祭は役員に務めを押し付け、当たり前のことが当たり前にできません。それを揶揄して、「教区司祭はなんも『せん・もん』家だ」と言っておられたのです。二つ目の教会の助任だった中田神父はその話を身のすくむ思いで聞いておりました。

そんな「せんもん家」の司祭にも、態度を改める機会は何度かあったと思います。長い司祭生活です。思い通りにいかない時期もやって来ます。その時期に「自分の言葉や態度がうまくいかない原因ではないだろうか」と考えて、本来の「仕える者」になる。へりくだる者として一つ一つの奉仕に心を込める。そうすると、結果も付いてくるわけです。

どんな務めでも、心がけや取り組み方が違えば果たした務めの価値は違ってきます。司祭が急に呼ばれる場面と言えば、病者の塗油だと思います。「忙しいのに・・・」と心の中で考えて病者の塗油に出かけていくのと、「これは、イエスが言われた『病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ』(マタイ25・36)に倣う絶好の機会だ」と思って出かけるのでは、果たした務めの価値は違うわけです。

「あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。」(23・11)イエスの招きを真に理解するためには、「権威」は神お一人にあると、心から受け入れることが必要です。教会の中では「権威」は神のものです。それを心から受け入れる時、「権威」を振りかざし、言うだけで実行しない「なんもせんもん家」の司祭は長崎教区から居なくなるのだと思います。

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‥次の説教は‥‥
年間第32主日(マタイ25:1-13)
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ちょっとひとやすみ
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▼転勤して半年過ぎたが、まだまだ訪ねたことのない場所がある。その中に、管轄の教会が一つあって、半年遅れの初赴任となる。それが玉之浦教会。信徒の皆さんには大変お待たせした。どんな人たちがいるのか、とても楽しみにしている。
▼玉之浦教会と同じく、「大瀬崎灯台」も訪ねたことのない場所だ。正確には玉之浦教会も大瀬崎灯台も訪ねたことはあるかもしれないが、自分の足で行くのは初めてのことになる。両方を訪ねてみて、下五島の魅力を感じることができた。

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今週の1枚
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第870回目。大瀬崎灯台。灯台そのものまで訪ねていくのは、次の機会に。

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† 神に感謝 †
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