こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

年間第18主日(ルカ12:13-21)神のために豊かになる生き方の報い

2022-07-30 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2022/7/31(No.1191)
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年間第18主日(ルカ12:13-21)
神のために豊かになる生き方の報い
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「自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」(12・20)イエスのたとえ話の結びを説明するために、今日の説教はあるわけですが、一人の司祭が伝えることのできる量は限られています。各自、自分にとってイエスのこの招きがどのように当てはまるのかを考えるなら、私たちは神の前に豊かになれると思います。

一週間、田平教会は公開ミサを中止しました。中田神父は次の日曜日、一週間ぶりにミサに参加できてよかったなと思えるようなミサと説教はどういうものだろうかと考えて過ごしました。そんな中、ミサが中止になってすぐ、長崎教区の司祭たちにとって誰もが恩人と言える人が亡くなりました。長崎でカトリックの葬儀社を立ち上げ、その会長を務めておられたパウロ西村勇夫さんです。皆さんの中にも新聞でお読みになった方がおられるかもしれません。

ほどなくして通夜と葬儀の日程が決まりました。24日(日)の夜7時に通夜、25日(月)午前11時から葬儀ミサでした。しかし長崎市内の新型コロナ感染状況を考えると、出席すべきか迷うところでした。考えた末に、弔電を打って、田平教会で同じ時間にミサをすることにしました。もちろん非公開のミサでしたが、心は浦上教会のミサに参加しているつもりでおささげしました。

弔電は、私が浦上教会助任時代にお世話になったことを思い出しながら、思いつくままに打ちました。「パウロ西村勇夫様のご訃報に接し、心から哀悼の意を表します。多くのカトリック信徒の天国への旅立ちをお手伝いしてくださり、感謝申し上げます。『これらの人々にしてくれたことは、わたしにしてくれたのである』とのイエスのことばを受け取る時が来ました。田平教会からミサの中で心を込めてお祈り申し上げます。カトリック田平教会中田輝次」

もっと、文面に込めるべき事柄があったかもしれませんが、関係各位の弔電が殺到しているでしょうし、どうせ読まれることもなかろうという安易な考えで、思った通りのことを申し上げたわけです。ところが私の弔電は、報告によると三番目に読み上げられたそうです。ビックリしました。

西村さんに届けたかった思いはこうです。彼は、カトリックの葬儀会社の代表として、教会葬儀のたびに、一切を横に置いて奉仕してくださいました。いつ何時葬儀の依頼が舞い込むかもしれず、常に緊張を強いられたはずです。まさに、「神のために豊かになる生き方」を仕事に選んだわけです。

ですので、その報いはマタイ福音書25章「すべての民族を裁く」にあるように、「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(25・40)これがふさわしいのではないかなと思ったのです。

「神のために豊かになる生き方」は、選ぼうと思えばだれでも選べる生き方だと思います。私は聖ヤコブのお祝いにと公式のミサのないこの機会に、早い時間から釣りに出かけた日がありました。まぐれで3キロ弱の鯛を釣り、刺身と兜煮を用意して届けました。仕掛けに食いついた瞬間に、豊神父様の顔が頭に浮かんだのです。私のことは二の次でした。これだけでも、「神のために豊かになる生き方」です。ちょっと考えればすぐ思いつくことから、生涯にわたっての生き方まで、いろいろ選べると思います。

ミサを中止した一週間、もしかしたら「自分のために富を積む生き方」だったかもしれません。それでも、もう一度ミサが再開してみたら、「神のために豊かになる生き方のほうが優れているなぁ」と感じたのではないでしょうか。皆さんにとって取り組めそうな「神のために豊かになる生き方」を見つけて、その道を究めることができますように。

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‥次の説教は‥‥
年間第19主日(ルカ12:32-48)
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ちょっとひとやすみ
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▼一週間、ミサを中止した。私的なミサはもちろんささげたが、やはり目の前に信徒修道者がいない中でミサをささげると、「繋がり」の感覚がなく、淡白なミサになりがちだ。やはりミサは、会衆と共にささげるべきものだとつくづく思う。
▼6年間酷使してきたノートパソコンが突然「ブルー一色」になり、「エラーが発生しましたので、情報収集して報告後に自動的に再起動します」というメッセージを定期的に出すようになり、完全にいかれてしまう前にということでノートパソコンを購入した。いくつかの部分で以前よりもグレードを上げた。一つはメモリの搭載量を8GBから16GBに増やした。もう一つは画面の大きさを15インチから17インチにした。
▼17インチはさすがに大きいが、しばらく使用して慣れてくるととても便利だ。昔、デスクトップパソコンのモニターが17インチだったことを思い出す。隔世の感がある。全体的に文字の表示も大きめのフォントを用いて、目に優しいパソコン作業が可能になっている。その点は良いのだが、キーボードのレイアウトやデザインは、従来のものがはるかに良かったのでそこは少し不満である。

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今週の1枚
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第798回目。今回は動画。オムレツのふわふわ感が少し体感できれば幸いだ。

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年間第17主日(ルカ11:1-13)求めなさい。探しなさい。門をたたきなさい。

2022-07-23 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2022/7/24(No.1190)
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年間第17主日(ルカ11:1-13)
求めなさい。探しなさい。門をたたきなさい。
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田平教会は、小教区内の信徒の新型コロナウィルス陽性判定報告を受けて臨時の役員会を開き、年間第17主日と、年間第17週週日のミサを中止することにしました。ここ一週間の長崎県の感染状況を考えれば、誰が感染してもおかしくないし、感染対策を続ける中で感染したことを誰も責めることはできません。受けとめていきましょう。

さて福音朗読は、イエスが主の祈りを弟子に教える場面と、粘り強く祈り求めることが教えられています。このミサ動画を観てくださっている信心深い信徒にとって、今日イエスが教えてくださることは何も異存が無いかも知れません。しかし、お世辞にも信心深いと言えない中田神父にとっては、粘り強く祈ることを教え諭すのは後ろ指を指される思いがします。「信心深くないあなたに説教されたくない」と言われてもしかたがありません。

そんな中田神父ですが、「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」(11・9)この体験が無いこともありません。数少ない体験を通して、信心深い皆さんが今週の福音朗読を味わう助けになればと思います。

私の中で「一度でいいから体験してみたいこと」と言えば、司祭叙階式の日の教話ということになります。叙階の秘跡を受ける人と、集まった会衆に向けて、この日の心構えを語るお話です。たいていは、受階者の所属教会の主任司祭が引き受けます。

ですから赴任した教会に候補者がいることが大前提です。なかには巡り合わせが良くて、赴任した二つの教会で司祭叙階の対象となる助祭がいて、二回教話をおこなった後輩司祭もいます。ただ、「やりたいなぁ」と言っている人が引き受けるよりも、「やりたくないなぁ」と思っている人に大役が回った方が、誠実な話ができるのかも知れません。

仮に、私にその大役が回ってきたら、参考にしたいなぁと思っている説教があります。それはイエズス会のジェームズ・バークレー神父様が実際の叙階式でなさった説教で、その日本語訳を大神学校の助祭の時に読んだことがあります。「弱さを身に負うがゆえに」(“Because beset by weakness”)というタイトルで、コリントの信徒への手紙二の「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(二コリント12・9)これがそのまま当てはまる説教です。

大変印象深い説教でした。そこで、大神学校の図書館の責任者であるカナダ人の神父様にお願いして、記事のコピーを取ってもらい、卒業してからも持ち歩いていたのです。ところが数回の転勤で引っ越しをするうちに、大切な説教のコピーを失ってしまいました。その後大神学校に行っても図書館には足が遠のき、しばらく読み返すことができなくなっていたのです。

そんな時、願ってもないチャンスが回ってきました。今から10年ほど前です。私が代表を引き受けている視覚障害者へのボランティアグループの会員の一人が、純心大学の図書室で働いていました。そこで雑誌のことを尋ねると、その雑誌の該当するページをコピーすることができるとのことで、久しぶりに記事を読み返すことができたのでした。

ここまででしたら、「それは良かったですね」で終わるのですが、話はこれで終わりません。新しい辞令を受けて、私は現在の田平教会に来ることになりました。恥ずかしい話ですが、またもや、叙階式ミサの説教原稿を失ってしまったのです。それでもずっと、心の隅に手に入れたいという思いがありました。そこへ、またもチャンスが巡ってきます。

田平教会は何人もの純心聖母会のシスターを輩出しています。その中の一人のシスターに、「記事を手に入れることはできるだろうか」と相談してみたのです。すると快く引き受けてくださり、近いうちにコピーして届けてくださることになりました。今度ばかりは失うことがないように、クラウドドライブに保管しておこうと思っています。

中田神父にとっての「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」このみことばは、三十年にわたる司祭生活のなかの一つの出来事で体験できました。長い時間がかかりましたが、「だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる」(11・10)この体験ができたのでした。

イエスの約束は、「だれでも」体験できる。これは信頼に値します。私はお世辞にも信心深いとは言えない神父ですが、そんな私でも、長年探し求めたものを手に入れることができました。これからも、求め、探し、門をたたくことで、イエスは信頼に値するお方ですと人々に証ししていきたいものです。

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‥次の説教は‥‥
年間第18主日(ルカ12:13-21)
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ちょっとひとやすみ
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▼田平教会近くに「お告げのマリア修道会田平修道院」が置かれている。歴史は古く、マトラ神父が紐差教会の田崎に「愛苦会」を設置して間もなく、田平教会の中田藤吉神父が田崎に愛苦会の教育を受ける子女を送り、教育を受けたメンバーが田平で「愛苦会」での生活を始めた。
▼「愛苦会」はのちに「聖婢姉妹会」となり、その後に「お告げのマリア修道会」となる。この田平修道院敷地内にいくつか果物の木が植えてあるが、修道院の正面入口付近に「リンゴの木」が植えてあった。いつの物か分からないが、立派な実がなっていて、修道院の歴史を見つめてきたのかも知れない。
▼「弱さを身に負うがゆえに」は原文の英語版がある。"Because beset by weakness"でネットを検索して欲しい。私も手に入れているが、今度日本語のコピーを純心のシスターから送ってもらったら、日本語訳と原文と、何回も何回も読み合わせて、どちらでも理解できるようにしておきたい。そしていつか、講話のために説教台に立ちたい。

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今週の1枚
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第797回目。リンゴかわいや。かわいやリンゴ。鳥につつかれないのが不思議。

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† 神に感謝 †
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年間第16主日(ルカ10:38-42)マリアは良い方を選んだ

2022-07-16 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2022/7/17(No.1189)
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年間第16主日(ルカ10:38-42)
マリアは良い方を選んだ
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司祭館西側に、今年もゴーヤを植えました。同じ場所に、オクラも植えました。「植えた」と言いましたが、私が植えるわけはないので、正確には「植えてもらいました」です。水やりは、いちおう私の仕事です。雨が降らないかなぁ。

一つ学習しました。オクラの実は、まっすぐ育つのですね。葉っぱが茂って、見落としていたのですが、もう食べ頃を過ぎてから実に気付きました。その場でかじってみたら、繊維が固くなっていて、いくつかはおいしく食べられませんでした。

ゴーヤはまぁまぁのタイミングで収穫できたので、下ごしらえして卵と合わせて炒め物にしておいしく食べています。小学生中学生の皆さんここでクイズです。ゴーヤの下ごしらえのために、縦半分に割って、中のわたを取り出しますが、このとき北斗神拳を使って取り出します。気合いを入れるとき、どんな声を出すか分かりますか?「わた!わた!」です。

まぁ、今日の説教はこれで終わったようなものですが、ここから北斗神拳よりも「真剣に」福音のお話をします。イエス様がマルタとマリアの家に迎えられました。マルタは、おもてなしをしたかったので忙しく働きました。マリアはイエス様のそばにじっと座って、話に聞き入っていました。

マルタはおもてなしの手伝いをしないマリアを不満に思っています。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」(10・40)

けれどもイエス様の返事は意外でした。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」(10・41-42)イエス様の返事に、見落としてはいけない大切な言葉がありました。

気が付いたでしょうか。それは、「マリアは良い方を選んだ」という言葉です。「選んだ」と言っています。「何かと何かがあって、どちらか一つを取る」というのが「選ぶ」ということでしょう。マリアは「何」と「何」を比べて選んだのでしょうか?

お父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃんは気が付いていると思います。マルタのようにおもてなしをたくさんしてあげることと、イエス様のそばにいて、じっくり話を聞くことと、この二つを比べて、話をじっくり聞く方を選んだのです。

マルタはどうだったのでしょうか?マルタは選んでいないのかも知れません。「おもてなしをすること」この一つだけが頭に浮かんで、忙しく働いたのだと思います。「一つだけ」しか考えなかったら、「選ぶ」ことはできません。これは私たちにも大切なことを教えてくれているのです。私たちもいくつか考えてみて、その中の良い方を選ぶことが大切なのです。

夏休みがもうすぐ始まります。思いっきり遊びたいでしょう。けれども「思いっきり遊ぶ」この一つだけしか浮かんでいない人は、選ぶことができなくなってしまいますね。もしかしたら、「思いっきり遊ぶ」この一つの考えに、縛られているのかも知れません。縛られている人は、自由な人ではなくて不自由な人です。

「思いっきり遊ぶこと」のほかに「時間割を決めて過ごすこと」も考えてみましょう。少なくとも二つ考えたなら、どちらかを選ぶことができます。両方を比べて、「良い方を選んだ」とき、あなたの夏休みはすばらしい夏休みになるでしょう。

こんなことを別に中田神父が言わなくても、お父さんお母さんが子供に言えば済むことです。むしろ中田神父が言っても、右から左に通り過ぎるだけかも知れない。今日ここに集まった保護者の皆さんは、「マルタとマリアをごらん」と言って、「マリアは良い方を選んだよ。あなたはどうする?」と諭すことができます。立派な福音の伝達ができる機会を、みすみす逃さないでほしいと思います。

きっとすべてのことに、この教訓は活かせるでしょう。一つしか頭に浮かんでいない人は、「岐路に立たされている人」でさえありません。選択肢を持たずに、ただ一つのことに縛られている不自由な人です。イエスが「必要なことはただ一つだけである」と仰ったのはどんな意味でしょうか?「選ぶ」ということだったのではないでしょうか。

私たちは一つの考えだけに縛られてはいけません。イエスはたった一つのこと、「選ぶ」大切さを示されたではありませんか。もし、「これしか正解はない」と考えて行き詰まっているなら、イエスのそばにじっと座って、果たしてそれは自由に選んだ答えなのか、考えてみることです。主のもとに座って話に聞き入るなら、私たちもきっと「良い方を選ぶ」ことができるに違いありません。


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‥次の説教は‥‥
年間第17主日(ルカ11:1-13)
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ちょっとひとやすみ
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▼全国で、豪雨の被害が出ている。「梅雨」が早く明けたと発表されても、こんな形で雨の被害が出てしまうと、予報が早すぎたのでは?と思ってしまう。今年は各地で起こっている災害や戦争など、心配が取り除かれるようにと祈ることが本当に多い。
▼一方で祈りは、「マリアは良い方を選んだ」にかなう働きなのかなとも思う。生活の中で時計(腕時計や壁掛け時計)を見て、「何をするか」と思ったとき、いくつかの選択肢の中から「祈ること」を選ぶのはすばらしいことだ。

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今週の1枚
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第796回目。「また買ったの?」少しお高いフライパンだったが、高機能だ。

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年間第15主日(ルカ10:25-37)人を行動へと駆り立てる深い憐れみ

2022-07-09 | Weblog
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こうじ神父
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2022/7/10(No.1188)
‥‥‥†‥‥‥
年間第15主日(ルカ10:25-37)
人を行動へと駆り立てる深い憐れみ
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金曜日の安倍元総理大臣の死去のニュースには目を疑いました。すべての命に心を寄せておられる神様に信頼を寄せて、心からご冥福をお祈り申し上げます。どんな理由にせよ、暴力で人を黙らせ、社会を黙らせようとする行動は許されません。容疑者は、安倍元総理大臣に銃で二発発砲しました。

一発目は当たらず、二発目が命中して安倍氏は倒れたのだと思いますが、実は一発目はその場を通りがかって助けようとした善いサマリア人イエスを撃って、助けられる命を助けられなくしたのだと思いました。

今日の福音朗読は、律法の専門家がイエスに問いかけました。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」イエスが「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、彼は正しい答えを返したのです。イエスも「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる」と返しました。

これが一度目のチャンスでした。イエスと出会った律法の専門家が、永遠の命を受け継ぐにふさわしい生き方を開始する、最初のチャンスでした。しかし彼は、「自分を正当化しようとして」そのチャンスを無駄にしたのです。

律法の専門家にもう一度チャンスが巡ってきます。「さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」これにも正しい答えを返しました。「その人を助けた人です。」そして二度目のチャンス、もしかしたら最後のチャンスかも知れない場面でイエスは再び促します。「行って、あなたも同じようにしなさい。」

この律法の専門家は、最後かも知れない二度目のチャンスを活かしたのでしょうか?その後のことは書かれていませんが、残念ながら二度目も活かせなかったのではないかと思います。「誰が自分の隣人か」にこだわり続けた結果、イエスが示そうとした「あなたは誰かの隣人になろうとしているか」に気付くことができなかった。

ここからは中田神父の勝手な結びつけです。安倍氏に銃を向け、二発発砲した容疑者も、私たち人類の隣人になるためにおいでになったイエス・キリストに耳を傾けるチャンスを、二度とも失ってしまったのだと思います。一度目で、命の大切さに気付くことはできました。自分がしようとしていることは許されないことだと。許されないことだと分かっているのに、再び発砲して心の声に聞き従わなかったのです。

誰かの隣人になろうとすることは時には難しいこともあります。心の声は「傷つけてはいけない」と自分に叫びを上げているのに、心の声に背を向け、暴言や暴力で相手を黙らせ、言いなりにしようとします。その人は、目の前にいる人を暴力で黙らせているだけではなくて、隣人になろうとしてくれているイエス・キリストをも、同時に黙らせ、傷つけ、痛めつけているのです。

私たちが誰かの隣人になるために、チャンスは一度かも知れません。もし二度チャンスが巡ってくるなら、手遅れになる前にそのチャンスを活かし、握りしめたものを手放しましょう。命に対する深い憐れみ、いつくしみこそ、誰かの隣人になるために必要なことです。

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‥次の説教は‥‥
年間第16主日(ルカ10:38-42)
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ちょっとひとやすみ
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▼長崎県は長崎市長が二人も銃撃された過去があるから、惨劇が繰り返されたことにショックを受けている人は多いと思う。本島市長銃撃事件の時は自分がどこに居たのか覚えていないが、2007年の伊東市長銃撃殺害事件の時は長崎市内にいた。
▼日本は銃を所持するのが世界でも困難な国の一つだと思っている。事件には手製の銃が使われたと報道されている。折しも参議院議員選挙と重なった。安心安全は、誰が、どの党が、保障してくれるのか?

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今週の1枚
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第795回目。今現在、自分の食べるものは自分で作る必要が生じている。

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年間第14主日(ルカ10:1-12,17-20)あともう少しをつなぐあなたの手伝いが必要

2022-07-02 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2022/7/3(No.1187)
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年間第14主日(ルカ10:1-12,17-20)
あともう少しをつなぐあなたの手伝いが必要
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今週の福音朗読は、イエスが十二人の弟子のほかに七十二人を任命して、御自分が行くつもりのすべての町や村に先に遣わされたという内容で、「七十二人を派遣する」という見出しが付けられています。七十二人は、私たち皆に当てはまると考えています。

「七十二人も必要なのか」と考えるかも知れません。私は全世界で「すべての町や村」に宣教で出かけていく協力者としては七十二人でも足りないくらいだと思っています。そのことを考えるきっかけに、一つの例を紹介します。

かつて、上五島と佐世保を結ぶ九州商船のフェリーは、佐世保を出港すると上五島のいくつもの港に寄港していました。記憶が正しければ、佐世保を出港したフェリーが宇久島の港、小値賀島の港、それから有川港、立串港に寄港していました。現在は上五島内の連絡フェリーと佐世保有川直行便と分けて運航していると思うので、参考程度に聞いてください。

中田神父が中学生高校生だった時、小学生時分に出身教会鯛ノ浦教会の神父様だった「道向 栄」神父様が佐世保の鹿子前教会に転勤したので、私と私の先輩葛嶋神学生は、神学校の学期が終わると長崎からひとまず佐世保の鹿子前教会に立ち寄って、一泊させてもらった道向神父様に翌日佐世保のフェリー乗り場に連れて行ってもらい、上五島・鯛ノ浦に帰るというのが定番になっていました。

いつものように佐世保のフェリー乗り場に着きましたが、私は葛嶋先輩に「有川港直行ではなく、大回りして有川港に行く便に乗りたい」とお願いして、葛嶋先輩が乗った有川港直行を見送って、大回りをする便に乗りました。有川直行に乗れば、乗船時間が2時間半で、下船後私の家も葛嶋先輩の家も路線バスで15分程度でした。しかし大回りの便に乗れば、乗船時間が5時間必要でした。

なぜわざわざ大回りする便に乗ったのか?今考えると理解できませんが、当時は長い時間フェリーに乗ってみたかったのかもしれません。ひょっとすると、上五島にいながら、宇久島も小値賀島も見たことがなかったので、港周辺を見たかったのでしょうか。

フェリーに5時間乗り、港の景色も初めて眺めました。あともう一つ、珍しい光景を見ました。立串港でのことですが、この港は大きなフェリーを直接接岸させるには水深が浅い港でした。もしまともに接岸させようとすれば、フェリーでは乗り上げてしまいます。

そこで、立串港で下船する人のために、フェリーは波止場から少し離れたところで碇を降ろし、そこへ小舟がやって来て下船者を乗せ、立串港に連れて行ったのです。最後の何十メートルがフェリーでは近づけないので、その何十メートルのお世話を小舟がしたのでした。

あの時のことを久しぶりに思い出して、中田神父はこう思ったのです。最後の何十メートル、最後の最後のお世話、これが七十二人の宣教活動なのではないかと。田平小教区で言えば、それは地区の評議員でしょう。評議会で検討したことを、各家庭までの最後の何十メートル、あともう少しのお世話があって、小教区は回っているのです。

田平小教区だけではありません。偶然ですが長崎教区は七十二小教区に分かれています。七十二人だけではとても足りません。その何倍もの人に協力を頂くことで、すべての家庭、すべての信徒へのあと何メートルを繋ぐことができるのです。

最初のたとえで、佐世保港を出港したフェリーは上五島・立串港内までやって来ました。港内まで入って来たのだから、立串の集落までやって来たと言えないこともないでしょう。しかし地面に足を降ろすところまでは来ていません。その最後のお世話、あと少しのお世話をしてくれる小舟が、大切な役割を果たしたのです。

同じように、私たちも、「宣教する長崎教区」の使命がすべての人に届くように、あと少しの距離をつなぐのです。情報や、知らせたいことがそこまで来ているのに、あと少しのお手伝いがないために不自由している。教区の呼びかけ、福音宣教の実り、これらが手渡しできないでいる。そのあと少し、手が届きそうで届かない少しの距離を繋ぐために、より多くの人の奉仕を必要としているのです。

私もまた、その七十二人の中の一人ではないでしょうか。

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‥次の説教は‥‥
年間第15主日(ルカ10:25-37)
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ちょっとひとやすみ
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▼7月3日は通常であれば聖トマスの祝日。しかし今年はカレンダーの都合で消されている。日曜日(今年は年間第14主日)が優先された結果だ。しかし心優しい田平教会役員は私の霊名聖トマスのお祝いをセットしてくれた。
▼ちょうど、司祭叙階30周年ということもあり、コロナ感染だけは出せないので敷地内でバーベキュー(焼肉)形式で開いてくれた。この原稿を書くのは土曜日なのでどんなお祝い会になったのかは分からないが、健康祈願祭(40歳・60歳)の対象者と合わせ、きっと賑わったはず。
▼場の賑わいになればと思い、この日に向けて「一期一会」という楽器の練習をした。「ウクレレ」のような楽器で、四本の弦が張られている。練習する気になった最大の理由は、「SONGS」で紹介され、「自分にもできそう」と思ったことだ。日曜日の動画で最後のほうに登場すると思うが、著作権申し立てが怖いので、その部分だけ音声はミュートしている。

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今週の1枚
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第794回目。アップできるか分からないが、「一期一会」演奏の様子。

http://ss104313.stars.ne.jp/220703.jpg
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