こうじ神父今週の説教

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2023-03-31 | Weblog
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四旬節第5主日(ヨハネ11:1-45)その石を取りのけなさい

2023-03-25 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2023/3/26(No.1227)
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四旬節第5主日(ヨハネ11:1-45)その石を取りのけなさい
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最近、涙もろくなったと感じます。二ヶ月くらい前から「あー、私は転勤しますって、言わないといけないんだな」と思って、皆さんの顔をまともに見ることができなくなっていました。若い頃は、「知らない教会に行くワクワク感」がありまししたが、今は「これから田平教会の家族がまた、知らない神父様と時間をかけて関係を築き上げないといけないんだな」みたいに、家族を残していく感覚があります。

四旬節第5主日A年は、ラザロの死と、イエスがラザロを生き返らせる場面です。私はイエスの一つのことばを皆さんと分かち合いたいと思います。これも年の功でしょうか、新鮮な学びがありましたので分かち合わせてください。

イエスの一つのことば、それは今週のヨハネ福音書11章39節「その石を取りのけなさい」です。もう7年も皆さんと一緒に居るので、ただ単にお墓を閉めている蓋の石を取りのけなさいと言ったわけではないだろうな、ということはお分かりでしょう。

そこで、何を「取りのけなさい」と言っておられるのかを考えましょう。中田神父は、皆さんの身近なところに理解の鍵があると思っています。たとえば、夫婦で考えを伝えようとするときに、「これを言ったら機嫌悪くするから、言うのをやめようかなぁ」とためらうことがないでしょうか。もうすでに諦めて言わなくなっているかも知れません。

その、「ためらい」はイエスが言っておられる「石」であり、「その石を取りのけなさい」と指摘される部分です。「石」を置いた人がいるし、「石」に遮られている人がいます。両方に、イエスは「その石を取りのけなさい」と言おうとしているのです。

ラザロの墓の前にあった「石」は、生きている人と死んでいる人とを分け隔てる「石」でした。そして死んだラザロの姉妹マルタが、「主よ、四日もたっていますから、もうにおいます」(11・39)と言ったように、もはやどうすることもできないもの、諦めと無力感を表していました。

そのすべてに、イエスは答えます「その石を取りのけなさい。」生きている人と死んでいる人を分けるのは石の蓋ではないことを証明するために、イエスはラザロをよみがえらせるのです。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。」(11・25)

これは私たちに、次のように当てはめることができるでしょう。夫婦が生き生きとしているのは互いの力関係ではない。家族が生き生きとしているのも、親のおかげだけではない。イエス・キリストが、夫婦・家族の中で恵みを注いでくださるおかげ。イエスがいつでも自由に恵みを届けられるように、「その石を取りのけなさい」そう呼びかけているのです。

私は、イエスの呼びかけに応えるでしょうか。イエスは障壁となるすべてを取りのけて、喜びを届けてくださいます。喜びを受け取れるか否かは、私たちが石を取り除くか否かにかかっています。これからイエスは聖なる三日間を経て復活の栄光に入られます。復活のイエスを迎え入れるために、あなたの中にある石を取りのけますか、取りのけませんか?運命を左右する二週間です。

今年も、何とかして受難の主日までには、御復活までの説教案を用意したいと思っています。今回は紙の印刷はしません。とてもその時間がありません。代わりに、QRコードを用意しますので、それをカメラで読み取って、利用してくださればと思います。聖なる三日間に参加できない方も、ぜひ先に用意する説教案で、救い主の歩みを一緒に辿っていくことにしましょう。来週のミサのお知らせにはQRコードを掲載します。

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‥次の説教は‥‥
受難の主日(マタイ27:11-54)
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ちょっとひとやすみ
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▼結局こういう形に落ち着いた。太田尾教会の時からだったか、20年以上「聖週間の説教」を紙に印刷して受難の主日に用意していた。あるとき転勤後に前任地を何も告げずに訪ねて、中田神父が作った「聖週間の説教プリント」が置いてあるのを見た。「残った部数が置いたままか。そうなるよなぁ」とつくづく思った。
▼QRコードなら紙を失わない。どうしても紙が必要な人もいる。その人だけプリントして対応しよう。これまでは紙が残っていて届かない人がいたが、これからは無理なく届けられるようになるだろう。聖週間の説教案に、早速取りかからねば。

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今週の1枚
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第834回目。引っ越しの荷物で出てきた。25年以上前に子どもたちから贈られた。

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† 神に感謝 †
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四旬節第4主日(ヨハネ9:1-41)主よ、その方はどなたですか

2023-03-19 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2023/3/19(No.1226)
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四旬節第4主日(ヨハネ9:1-41)主よ、その方はどなたですか
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いよいよ、中田神父にも転勤の時がやってまいりました。「中田神父がいなくなって寂しい」と言う人と、「中田神父がやっと転勤してくれる」と思っている人がいると思います。どちらの人にとっても、私が転勤することは耐震工事を完成させる司祭がやって来るわけですから、良いことです。

長い福音朗読でした。その中で生まれつき目の不自由だった人が、目の前に救い主がいるのを知らずに言った言葉が印象的です。「主よ、その方はどんな人ですか。その方を信じたいのですが。」(9・36)彼にとっては、「見て、信じる」ということも生まれて初めて経験することでした。触って信じる、聞いて信じるということはあったかも知れませんが、触覚も聴覚も、きっとこの人には良い思い出が無かったでしょう。

これまで、周りの人は「この人は目が見えないから」と言っていい加減にあしらってきた可能性があります。「そのへんにあるものでも触らせておけ」「そのへんにあるものを聞かせておけ」そんなひどい扱いをされてきたのではないでしょうか。そうしたひどい扱いを考えたら、目の前に救い主が立っておられても、「この人だ」とにわかには信じることができないのです。

笑うに笑えない体験をしました。書面で転勤先が書かれた任命書が届き、恐る恐るその教会の主任神父様と連絡を取りました。行き先は田平教会よりも信徒の数が多く、三つの教会の主任司祭であり、しかも地区長という肩書きまでくっついていたのです。これを恐れないで、何を恐れましょう?

相手の主任神父様とのやり取りの一部です。「神父様、私はそちらの教会の主任を拝命しました」「おー、近いうちに引き継ぎをしようか」「分かりました」「ところで、田平教会は耐震補強があるとよね」「そうです。あと二年後でしょうか」「それからさ、教会で所有している車とかあるのかなぁ」

「あー、軽トラを置いていこうと思っています」「それはもしかしたら釣り専用のトラックね?」「いえ、そう言うわけではありませんが・・・」私はここまで、電話の相手の神父様が、会話を弾ませるために田平教会の話をしているのだと思っていたのです。すると向こうの神父様がしびれを切らしてこう打ち明けました。「中田神父さん、もしかして状況を分かってないのかな。今回は私とあなたと、入れ替わるとよ」「ええ!」

これには驚きました。電話の向こうの神父様も、次の教会のことを考えなければならないはずなのに、田平教会のことを根掘り葉掘り聞いてくるなぁ、と勘違いしていたのです。

ここでようやく、私の中で今週の福音朗読がすんなり納得できました。「主よ、その方はどんな人ですか。その方を信じたいのですが。」「あなたは、もうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ。」(9・36,37)声で聞いただけでは信じることができませんでしたが、実績十分のその人のお名前を祝日表で見て、そうかと納得しました。

中田神父は、霊名が聖トマスなので、「見ないと信じない」人間です。その中田神父に、書面で見える形で次の任地を示してくださったのは、大司教様であり、イエス・キリストです。そして、田平教会の後任の神父様に選ばれた人と電話していたのに気づかずにいましたが、祝日表に書かれた後任の神父様の名前を見て、神の計らいを信じたのです。

神様は通常の任期を一年延ばしてでも、本当に必要とされる方を準備なさったのだと、信じることができました。信じたいと思っている方が目の前にいても気づかない愚かな人間である中田神父に、信じて前に進む力をイエス様は与えてくださいました。皆様とのお別れの時まであと一ヶ月、その思いを(今日は「平戸瀬戸の花嫁」という替え歌に託して、説教の結びとしたいと思います。)この一ヶ月噛みしめたいと思います。

平戸瀬戸 日暮れて 夕波小波
福江教会へ お嫁に行くの
助任司祭の教育 心配するけれど
兄弟司祭だから 大丈夫なの
瀬戸山教会と サヨナラするのよ
かなととはやとが 行くなと泣いた
男だったら 泣いたりせずに
満(みつる)神父様 大事にしてね

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‥次の説教は‥‥
四旬節第5主日(ヨハネ11:1-45)
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ちょっとひとやすみ
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▼いよいよ、この歌を歌うときが来た。それを察したのか、お付き合いのあった教会の方から当時の小教区新聞をスキャンしてもらった。「悟られたのだ」と思った。
▼同じことをしてきた。行く先行く先で「瀬戸の花嫁」を歌った。伊王島・馬込教会のときから「あの鐘を鳴らすのはあなた」も歌うようになった。ここでも歌うだろう。すべては繰り返される。しかし、単純な繰り返しではなく、繰り返すたびに厚みが増し、豊かになってきた。

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今週の1枚
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第833回目。YouTubeヘルプより。ミサ動画の広告は、各自で努力してブロック。

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四旬節第3主日(ヨハネ4:5-42)行って、ここに呼んで来なさい

2023-03-11 | Weblog
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2023/3/12(No.1225)
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四旬節第3主日(ヨハネ4:5-42)行って、ここに呼んで来なさい
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3月12日をもって57歳になりました。何かいいことあるのでしょうか?ミサ中に「儀式書」を開く際、指に油がなくて頁がめくれません。歳を取るというのはこういうことです。それでもなお、今年一年に良いことがあるのでしょうか?贅沢かも知れませんが、中村大司教様のように、儀式書の頁を隣でめくってもらえる日が来たら、それは私にとっては良いことの始まりかも知れません。

さて朗読された福音は「イエスとサマリアの女」の場面です。今年の四旬節は驚きの連続です。黙想会で田平教会の年間テーマを掘り下げるつもりで準備しましたが、講話で用いた聖書の箇所が、今過ごしている四旬節の朗読といくつも重なりました。怖いくらいに重なりました。

朗読された箇所はいくつかの省略が施されていますが、省略をうかがわせる箇所から入りたいと思います。「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。わたしたちは自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であると分かったからです。」(4・42)サマリア人の女性が何かを話しているはずです。省略された部分はこうです。

「さあ、見に来てください。わたしが行ったことをすべて、言い当てた人がいます。もしかしたら、この方がメシアかもしれません。」(4・29)サマリア人の女性が村人に語った言葉が、中田神父の目に留まりました。多くの村人たちはこの言葉に導かれてイエスを信じました。これはつまり、サマリア人の女性が実行した信徒による信徒のための宣教活動「信徒使徒職」だったのです。

彼女が「さあ、見に来てください」と村人たちに語りかけるまでに、彼女はどのような準備をしたのでしょうか。実は準備をしたのは彼女ではなく、彼女と「永遠の命に至る水」について語り合ったイエス・キリストだったのです。わたしたちの宣教活動も、準備してくれるのはイエス・キリストです。

「わたしが行ったことをすべて、言い当てた人がいます。」これは女性が村人に語った言葉です。彼女はイエスに呼ばれ、集められて、御父の御心を行う使命を与えられました。きっかけは自分で井戸に水を汲みに行ったことでしたが、そこで導かれたのは偶然ではなかったのです。

私たちに当てはめてみましょう。私たちがこのミサに呼ばれるのも、きっかけは自分でミサに足を運んだことですが、このミサに呼び、集め、御父の御心を説き、使命を与えるイエスの働きは偶然ではありません。最初から私たちを、使命を与えるためにお呼びになっているのです。

あとは、私たちがどう答えるかにかかっています。「さあ、見に来てください」と、生活の中で出会う人を連れて来るのか、生活に戻っても、ここで与えられた恵みや使命を誰にも知らせないで眠らせてしまうのか。私たちにかかっています。私たちもできれば、イエスに永遠の命に至る水を与えられた者として生活に戻りましょう。私たちと出会う人が、「その水をください」と言ってくれるチャンスを届けてあげる人になりますように。

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‥次の説教は‥‥
四旬節第4主日(ヨハネ9:1-41)
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ちょっとひとやすみ
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▼当然この時期は「人事異動」が気になる。まぁそれでも、発表すべき人たちは発表すべき時に発表するだろう。あちこちで噂が飛び交う。中には人事を公然と予想する人がいて、「◯◯(人名)人事」なるものまで飛び交う。にぎやかな時期である。
▼どちらかと言うと、私は「誰がどこに行くか、どうでも良いではないか」と思っている。ただ、それも単なる異動についてだったら姿勢は変わらないが、「ここは重要な異動だ」となると気にはなる。たとえば、これから五年、十年を占う運命の分岐点になるような人事については、他人事とは思えない。
▼まぁ、それらも含めて大司教様の胸の内だ。神様がいてくださる。そう信じて前を向きたい。

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今週の1枚
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第832回目。中学生と57歳の誕生日を祝った。ケーキがあれば、目的なんて。

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四旬節第2主日(マタイ17:1-9)わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです

2023-03-04 | Weblog
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2023/3/5(No.1224)
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四旬節第2主日(マタイ17:1-9)
わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです
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今日は、初聖体を迎える方々のためにお話をしたいと思います。皆さんがいただく御聖体は、白い小さなパンで、そこにはイエス様がおられます。「アーメン」と声を出して受け取って、舌に乗せていただきます。「聖体拝領」と言います。これから、ミサに出ている大人の人と同じだけ、ミサのお恵みを全部いただけるようになります。だから聖体拝領できるようになった今日は、すばらしい日です。

このお話の前に、神父様がイエス様の物語を読みました。イエス様と何人かの弟子たちで山に登ると、イエス様が「顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった」(17・2)とありました。弟子のペトロはビックリしましたが、それでも嬉しかったので「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです」(17・4)と言ったのです。

イエス様の光り輝く姿を、大人の人たちは「神々しい」と言うと思います。神様にしかできないことを見たり、触ったりする。それを「神々しい」というのです。山の上でペトロとヤコブ、ヨハネの三人は、神々しいものを見たのです。

初聖体の皆さん。皆さんがいただく御聖体のイエス様は、「顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった」あのイエス様と同じ方です。神々しい方です。そのイエス様が、私たちの心と身体に来てくださいます。物語のペトロと一緒に言いましょう。「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。」

初聖体を受ける皆さんのお父さんお母さんも、大切なお子さんが、大切な家族が、初聖体を受けます。このすばらしい体験を一度きりにすることなく、これからも大切にしてください。御聖体をいただく「すばらしい体験」を続けるために、田平教会は土曜日の夜7時、日曜日の6時と9時にミサを用意しています。家族でミサに参加し、すばらしい体験を続けていけるよう、ミサに参加するための時間を確保してください。

イエス様と一緒に山に登ってすばらしい体験をした弟子たちは、もう一つの声を聞きました。光り輝く雲が彼らを覆って「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」(17・6)という声が雲の中から聞こえたのです。

教会にこれから来て、御聖体をいただいてすばらしいことを味わいますが、では「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声を聞くのでしょうか?中田神父様の答えは「はい」です。聖書を通して、日曜日でしたら三つの朗読を通して、「これはわたしの愛する子ですよ。愛する子イエスの招きに耳を傾けてくださいね」という招きを、父なる神様が日曜日の三つの朗読から聞かせてくれます。

初聖体のお恵みはもうそこまで来ています。「わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです」の体験はもうすぐそこまで来ています。大きな期待を胸に、このミサを続けていきましょう。

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‥次の説教は‥‥
四旬節第3主日(ヨハネ4:5-42)
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ちょっとひとやすみ
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▼数日前、いくつもの教会の子供が私の前に行列をなして並んでいた夢を見た。その子どもたち一人一人の頭をなでながら、夢の中で私は自分自身に声を掛けていた「世話やなぁ。」この夢が何を意味しているのか、2週間後には分かるようになると思う。
▼小教区は教区の財産をある程度委託されている。財産管理について主任司祭・評議会役員は責任があるのだが、中でも主任司祭が「財産管理」に重い責任を持っている。しかし、すべての財産について把握しているのか怪しい。それは中田神父についても当てはまる。もっともっと、主任司祭として、管理責任者として、自覚と成長が必要だ。

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今週の1枚
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第831回目。初聖体の前日。はじめての赦しの秘跡。
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