こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

待降節第1主日(マルコ13:33-37)典礼の意識的参加のために用意していなさい

2020-11-28 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2020/11/29(No.1092)
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待降節第1主日(マルコ13:33-37)
典礼の意識的参加のために用意していなさい
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【期間限定】YouTubeで説教を視聴できます。チャンネル登録歓迎します。
https://youtu.be/S38boBKl7OA
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「あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」(13・37)待降節を迎えました。教会の暦は待降節から新しい一年が始まります。さらに言うとミサの福音朗読はABC三年周期になっていて、今年はマルコ福音書を主に朗読するB年です。「目を覚ましていなさい」という呼びかけを、新しいB年の典礼を始める糧にしましょう。

新型コロナウィルスの脅威はいまだに去りませんが、この状況で典礼を行いながら感じたことがあります。平戸地区内、他の小教区でも似たような問題が起こっています。それは私たちが「教会の公式の礼拝である典礼に、これまで意識的に参加できていなかった」ということです。

具体的に例を挙げましょう。ミサは、「入祭唱」から始まります。典礼にオルガンを十分使用できていた頃、入祭の儀はオルガン奏者が典礼聖歌を弾くことで始まりました。皆さんはそれに合わせて歌いさえすれば良かったわけです。

ところが今は、入祭唱を地区の典礼当番の人が読み上げて入祭の儀が始まります。どのタイミングで、皆さん唱えているでしょうか?規則には「どのタイミングで入祭唱を読み上げなさい」などというこまごましたことは書いてありません。それこそ、その担当者の思いやりとか、心がけが問われるわけです。

実際に、「あ~。このタイミングで入祭唱を唱えているということは、ミサが始まるきっかけを入祭唱が与えていることなどまったく頭に入ってないな」と勘ぐってしまう時があります。司祭の姿が見える頃にはもう唱え終わっている。それから間延びしたように司祭が入堂する。これでは、入祭唱の役割を果たしていません。

通常、「ミサ曲」と言われている「賛歌」の部分も、オルガン奏者が音を出してくれていた時はそれにただ従うだけでした。しかし今、オルガンを演奏しなくなって、「あわれみの賛歌」と呼ばれる「主よあわれみ給え」をどのタイミングで言うのか、意識しなければならなくなりました。その直後の「栄光の賛歌」は司祭が最初を唱えますが、皆さんは続きを祈祷書を見ないで言えるでしょうか?オルガンに合わせて歌っていた時、何とな~く歌で唱えていた。それを意識して唱えるのは大変だと初めて気づいたでしょう。

同じように感謝の賛歌「聖なるかな」も、意識して会衆をうまく導かなければなりません。まだ司祭の叙唱の祈りが唱え終わっていないのに「聖なるかな~」と遮ることなどもってのほかです。「平和の賛歌」(神の小羊)このあたりになるともう自分の務めは忘れてしまって、誰かが知らないうちに「神の小羊!」と代わりに言われてしまった。そういうことはなかったでしょうか?

いよいよ「拝領唱」まで進むと、意識にすら上らないかも知れません。司祭がキリストの血である御血を拝領して侍者の鈴が鳴らされた後、典礼部員に促されて、促されるままに拝領唱を唱える。こんなことでは、典礼に意識的に参加しているとはとても言えません。

もう一度、福音朗読の冒頭を読み上げましょう。「気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。」(13・33)何かに気を取られて、入祭唱を唱え損ねている間に司祭はもう入堂して、ミサの意向を読み始めた。それから入祭唱を唱えようとしてももはや手遅れです。一瞬、気を取られてしまうのが今回なのか次回なのか、誰にも分からないのです。

今年の新型コロナウィルスの猛威は、カトリック教会にとっては私たちに典礼の意識的参加を強く促す出来事だったと言えるでしょう。平戸地区内の他の小教区でも同じような状況だそうです。

ついでに言いますが、典礼の意識的参加を求められているのは、典礼当番だけではありません。会衆全員が、どのタイミングで入祭唱を唱えたら、司祭も気持ちよくミサに入れるのか、自分が当番に当たっているつもりで、心の中で唱えてみると良いでしょう。そうすれば、皆が典礼に意識的な参加を果たすことができます。

もし、新型コロナウィルスの影響がしばらく続くのであれば、私たちは典礼の意識的参加のためにチャンスをもらったのです。新しく始まる典礼暦B年の始まりに当たり、今年の典礼暦は、さまざまな典礼行事に意識的に参加しましょう。

オルガン奏者に導かれたから何となく答唱を唱えていた。そんな参加の仕方をこの際改めましょう。よりよい参加、意識的な参加を心がけて、主の降誕を喜び迎えることができますように。取り次ぎを願っていきましょう。

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‥次の説教は‥‥
待降節第2主日(マルコ1:1-8)
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ちょっとひとやすみ
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▼また仕事が増えた。最近のことだが、ボランティア活動の延長線で繋がった人から「エッセーを毎月寄せてください」と頼まれた。長崎市内に拠点のある視覚障害者のための音訳ボランティア「声の奉仕会マリア文庫」が、最初のきっかけになっている。
▼私はこのグループの代表になっているため、本来なら定期的に顔を出し、たとえば朝礼をこなさなければならないのだが、何せ平戸市に住んでいるため、頻繁に顔を出すのは難しい。そこでずいぶん前から「朝礼動画」を作り、それを観てもらって朝礼に代えている。
▼他に、この音訳ボランティアが出している「月刊誌」(録音物)のような定期刊行物「月刊アヴェ・マリア」に約15分の宗教コーナーを録音で届けている。他にも音訳点訳図書館との繋がりから「図書情報」という書誌が発行されているので、そこにも原稿を出している。どうやらこの「図書情報」が目に留まったらしい。
▼内容は任せてもらったが、間隔は月に一度、その中に福音の芽生えのような、日常生活に福音を見いだすきっかけのようなものを、という意向だ。何かお役に立てればと思っているので、第一回は提出したところだから、次に向けて準備を開始する。
▼「今週の一枚」で「マジンガーZ」の話に触れているが、「マジンガーZ」と「グレートマジンガー」は小学生時代に観ていたアニメ番組。さらに「グレンダイザー」というアニメがあるが、これはあまり記憶が無い。ちなみに、「マジンガーZ」「グレートマジンガー」のテーマソング、何も見ず調べずに完コピできた。

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今週の1枚
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第699回目。何に見える?司教帽(ミトラ)?私にはマジンガーZに見える。

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今週の「笑える」
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「うなじがつむじにあるから思い通りに髪が決まらない」「かなり難しそうだ」
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† 神に感謝 †
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王であるキリスト(マタイ25:31-46)最後の一人にまで心を寄せる王であるキリスト

2020-11-21 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2020/11/22(No.1091)
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王であるキリスト(マタイ25:31-46)
最後の一人にまで心を寄せる王であるキリスト
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「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」(25・40)この招きを耳にすることが、私たちにとってどれほど大切か。誰にでも分かっていることです。ですがこの招きにあずかることを最優先に人生を送っているかは別問題です。王の前に誰もが立たされます。その時を、平常心で迎えられる人生でありたいものです。

先週ボートで釣りに行ったら、塩焼きくらいの鯛を釣りました。キジハタ1匹、アラカブ1匹、塩焼きの鯛3匹(3枚と言うのかな)だったので、鍋料理の下ごしらえまでしてから引退した神父様に届けようと考えまして、賄いさんにも野菜や豆腐や準備してもらいました。

出かける頃には昼1時になっていたのですが、「起きてるかな?」と言う心配が出てきまして、賭けをしようという話で盛り上がりました。私のほうから「『昼寝している』に500円」と提案しますと、「同じほうに賭けようと思ったので、不成立ですね」と言われました。いざ訪ねてみますと、なんと神父様は額に汗をかきながら、せっせと庭いじりをしているではありませんか。お魚を預けながら、「どっちも外れたなぁ」というオチが付いたのでした。

さて今週は「王であるキリスト」の祭日で、今週で典礼の暦の一年が終わります。来週からは待降節になり、新しい典礼の暦が始まります。典礼暦の終わりに当たり、「この世の終わり、最後の審判」を考えるのは意味のあることだと思います。「さあ、わたしの父に祝福された人たち」と王に招いていただける一年だったかを振り返り、また新たな一年をこの姿勢で過ごしていく決意を新たにしたいものです。

たとえで示される審判の成否を決める分かれ道は、「この最も小さい者の一人にしてくれたこと、してくれなかったこと」です。「最も小さい者」がどれくらい意識できているか。それが大きな分かれ道になります。具体的に考えることにしましょう。

中田神父が田平教会の日々の出来事を取り上げ、問題があれば解決するその場所は評議会です。評議会と連絡会が密に情報交換をすれば、ほぼ田平教会の家族全体のお世話ができる、とても立派な仕組みです。

しかしそれだけで安心してはいけません。お世話が行き渡っていない場所があるかも知れません。田平教会の信徒の皆さんが遠慮深くて、問題があっても評議会まで上がってきていないこともあるでしょう。それでも主任司祭個人に問題が上がってきていれば、取り上げてもらうことは可能です。それすら恐縮して声を出さずにいる場合も考えられます。

ここで今週のたとえが重なってきます。「主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。」(25・44)評議会で上がってきたことは、一つずつチェックをして一つ残らずこなした。だから漏れはないはずだと思って「いつお世話をしなかったでしょうか」と言いたくなります。けれども主任司祭の果たす務めとして、残念ながら漏れがあったのです。「はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。」(25・45)

評議会と連絡会で話し合って、それでも漏れてしまう問題。それこそが、「最も小さい者」が抱えている問題なのだと思います。そして審判の席で主任司祭が問われるのは、この「最も小さい者にしなかったこと」なのです。

評議会で話し合って、内容を主任司祭が日曜日のミサでお知らせを入れ、連絡会に参加する地区委員さんにも各世帯に連絡を回してもらう。そこまですれば「組織」としてはやるだけのことはやったと言えるかも知れません。

ただ、「最も小さい者」に、この方法で連絡が届いたかは疑問が残ります。この方法で漏れた人にも小教区の歩みを共にしてもらいたい。そこであと一歩、主任司祭は踏み込んで行動しなければ、「わたしにしてくれなかった」と責められる可能性もあります。

主任司祭に当てはめてみましたが、これは決まった人だけの問題ではありません。王であるキリストは、「すべての民族を裁く」「すべての人に同じことを問う」と考えるべきです。一人ひとり、自分にとっての「最も小さい者」は誰なのか、考えてみましょう。かなり手を尽くしても漏れてしまう人。それは私にとって誰のことなのでしょうか。

私は病人訪問を月の第一金曜日に回っていますが、たくさん漏れている人がいるに違いありません。申し訳なく思っています。漏れている人たちにせめて、クリスマスプレゼントの一つでも届けられたらと思っています。みなさんも、「さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい」(25・34)と声をかけてもらえるように、王であるキリストの祭日を迎えたこの一週間、振り返る一週間といたしましょう。

一年前、11月24日、フランシスコ教皇様と私たちは、同じ場所で同じ時間を過ごし、王であるキリストを祝いました。今また教皇様と一緒に歩いた「すべてのいのちを守るため」この歩みを思い起こし、教皇様のこれからのご活躍と、私たちが変わらずすべてのいのちにいつくしみの目を注いで生きる決意を新たにしましょう。

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‥次の説教は‥‥
待降節第1主日(マルコ13:33-37)
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ちょっとひとやすみ
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▼思い切って髪を短くした。櫛で分けることができない。最近はやっているらしいから、髪を短くした。髪を短くしたらしたで、これからこの髪型を維持するためには毎月床屋に行かなければ。
▼短くして分かったが、横をバリカンで刈っているので横に目が行く。ハゲばかりに目が行っていたのが少しは緩和されるかも知れない。それはありがたい。もちろん、ハゲは変わらないので、この点については発毛剤育毛剤でなく、根本的な解消法が発明されるのを待ちたい。
▼床屋で面白いことがあった。私の前に一人客がいたが、その人は水戸黄門のようなヒゲだった。私がごま塩ヒゲ。私が出た後に、今度は立派なヒゲの人が!三連続ヒゲだ。何かに大当たりしたような気分だった。
▼私が言うことではないのかも知れないが、私が思い出した人はほぼ全員、その日のうちに連絡してくる。ちょっと前は造船所のある島の人だったが、今度はまちづくりの人をふと思い出したその日に、その人が司祭館を訪ねてきた。
▼「人を嗅ぎつける」というのか、「霊感がある」というのか、思い出したその日に、高い確率で連絡してくる。私がこの才能を自在に操れるならと思わないでもないが、そんなことを考えれば良くないことが起こりそうなので、この話はここで終わりとしよう。

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今週の1枚
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第698回目。ロードメジャーでお散歩。一周2650m。二周すれば十分運動する。
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今週の「笑える」
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「つちやたいふう」「まさか、『土屋太鳳』のこと?」
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† 神に感謝 †
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年間第33主日(マタイ25:14-30)あなたはそれをどう読んでいるのか

2020-11-14 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2020/11/15(No.1090)
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年間第33主日(マタイ25:14-30)
あなたはそれをどう読んでいるのか
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「早速、五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。」(25・16)主人が預けたのは現金です。いろいろ複雑に考える必要も無く、それを元手に商売をするなり、貸金業をするなり、すぐ事業に取りかかれるはずでした。しかし最後の一人は何も取りかからず、責任を問われることになります。なぜ最後の一人は主人の期待に恐れを感じたのでしょうか。

「タラントン」というお金の単位は、非常に大きな単位です。その下のお金の単位は「デナリオン」とか「ドラクメ」です。これは労働者が一日に稼ぐ賃金だったと言われています。ちなみに「ムナ」という単位もあります。これは「100デナリオン」「100ドラクメ」ですので、基準となるのは一日の労働者の賃金である「デナリオン」ということになります。

一タラントンは6000デナリオンです。一年に200デナリオンの稼ぎとして、単純計算で30年分の稼ぎです。するとこの一タラントンは、私が考えるに当時の人々が一生かかって稼ぎ出すお金だったと言えるでしょう。当時の人々の平均寿命を考え合わせると、30年働くことができれば御の字だったと思います。

一つのことに気づきます。一タラントン預かった人は、僕が一生涯働いて稼げるだけのお金を預かっている、と言うことです。すでに十分な資金を託されていたことを、最後の僕は見落としていました。

「かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。」(25・19)十分な資金と時間を与えられているので、何らかの結果を出していなければなりません。預けたお金のほかに何も差し出すものがないというのは、言い訳にならないということです。

振り返って私はゾッとします。「それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預け(た)」(25・15)私の同期は、それぞれ三つの教会の助任司祭となり、私は浦上教会の助任司祭でした。私は何タラントン預かって、この司祭職をスタートさせたのだろうか?そう思った時、ゾッとしたのです。

私がイエス・キリストと精算をする日に、何をお返しできるのだろうか。そもそも何タラントン預かっていて、どれくらい儲けて主人に差し出さなければならないのでしょう。どうひいき目に見ても、浦上教会は他の教会の二倍、三倍の経験を毎年積んでいきます。出会う人の数、出会う人の種類も、他のどの教会よりも中身が濃いものになります。浦上教会助任から出発したのですから、私がお返ししなければならない分は、他の同期の何倍も求められて当然です。今の自分の姿を鏡に映しながら、ため息をついたのでした。

今日の福音を、朗読箇所からではないのですが、イエスの次のことばで見渡すとよいかも知れません。「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」(ルカ10・26)。これはルカ福音書の「善いサマリア人」のたとえを使って律法の専門家と対話する時に言われたことばです。私たちはこれを、「あなたは今日のたとえ話をどう読んでいるか?」と受けとめる。そうすると、見えてくるもの、響いてくることがあるのではないでしょうか。

「ここには何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか。」私は、司祭として歩み始めた時に五タラントンをいただいたに違いない。その五タラントンを元手に、神の国の喜びにあずかる人をどれだけ儲けただろうか。「これがあなたのお金です」と責任逃れをし、託された多くの恵みを神の喜びのために使わなかった点を問われるかも知れません。

私たちはどうでしょうか。少なくとも私たちは、人が一生涯で手に入れることのできるタラントンを、神から託されて生きています。それが6000デナリオンでなくても一向に構いません。ある人は生まれた時から寝たきりですが、その人の生涯で手に入れることのできるすべてを、前もって託されているのです。託されたものを使って、私たちは神にお返しできる人生を生きてきたでしょうか。

ある人はこう言うかも知れません。「私は自分のことで手一杯でした。さらに貯蓄して、さらに増やして、神さまにお返しする余裕なんてどこにもありませんでしたよ。」本当にそうでしょうか。

中田神父は、出会った時から長崎市の原爆病院に入院し、一歩も動けなかった人を知っています。その人はお見舞いに行くとしばしば新しいカトリック信者の紹介をしてくれました。「何階の何号室に、カトリックの人が入りました。よかったら訪ねてください。」

この人は「預かった命」というタラントンを活用して、神さまの喜ぶ儲けを生み出していたのです。そして、ある日訪ねたら居なくなっていて、詰め所の看護師に聞くと亡くなったということでした。

寝たきりの人ですから、預けられたタラントンはそう多くなかったかも知れません。けれどもその人は立派に儲けを出して、旅立っていったのでした。私たちが神さまから託されたものをどのように使うべきか、考えるお手本と言えるでしょう。

神は、誰に対しても預けたものの精算をします。預かったのにホコリを被ったままにしておくのか、預かったものを積極的に運用するのか、私たちの答えを楽しみにしておられます。それを「厳しい方」と受け取るのか、「楽しみに待っておられる方」と受け取るのかは自分次第です。私は、病院で出会った高齢の女性を通して、「神は私たちの応答を楽しみに待っておられる」と信じております。

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‥次の説教は‥‥
王であるキリスト(マタイ25:31-46)
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ちょっとひとやすみ
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▼伊王島時代にお世話になった人の中に、メルマガを直接メールで送信していた人が数人いた。一人は介護施設に入ったが、一人は伊王島に今も住んでいる。この二人に転勤後も説教を聞かせたくて、メルマガのことを教え、転勤したのだった。
▼ところが、どうしてなのかうまくメルマガを発行スタンドから受け取れないで困っているという。まぁ、「お年頃」ということなのだろう。そこで直接メールで送るようになって、10年くらいになるかも知れない。ここで問題が発生した。
▼両方ともに、メールを送信できないのである。こちらから送信しようとすると、サーバーに拒否されたというような機械的な返事が送信されてくる。いろいろ試したが、どれもうまくいかず、数ヶ月困った状態が続いていた。
▼そこで、この時代にローテクではあるが、葉書で「メールが送れなくなっていて申し訳ない。受け取る皆さんのサーバーがパンクしている可能性があるので、ケータイに保存してあるメルマガを削除してみて欲しい」と連絡した。
▼一人は葉書の内容を理解できて、メールを削除してくれた。一人は内容が理解できなかった。それは仕方がないのだが、「これで送信できるようになる」と思ったのに、まだ送信できない。いよいよ困ってしまった。
▼そこで、やり方を一から考え直した。「タブレット」を準備してそれを渡し、それぞれで「ブログ」を読んでもらおう。少し費用はかかるが、これで全て解消できる。そう思った。ここからは時間差があるのだが、少し「話を脚色して」結末を紹介したい。
▼一人は、「タブレット」が功を奏し、これからは安心して毎週の説教を読み、録音を聞けるようになる「予定」だ。まだタブレットを送っていないので、あくまでも見込み。
▼もう一人はすでに届けに行ってきた。操作の仕方も一から教えてきた。その後、メールが届いた。「神父様、申し訳ありません。タブレットは操作が難しく、使うことができません。神父様と一緒に写った写真を、額縁のように立てかけています。ありがとうございました。」

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今週の1枚
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第697回目。録音で何と言おうと、私の体の中にはカープの血が流れている!

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今週の「笑える」
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「あの攻撃してくるやつの名前何だっけ?『ショッカー』『サッカー』」
「あー、『ハッカー』ね」
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† 神に感謝 †
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年間第32主日(マタイ25:1-13)五人は愚かで、五人は賢かった

2020-11-07 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2020/11/8(No.1089)
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年間第32主日(マタイ25:1-13)
五人は愚かで、五人は賢かった
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「十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。」(25・1-2)私たちはもちろん、「賢い乙女」の振る舞いに倣わなければなりません。賢い乙女の賢さは、どこにあったのでしょうか。

十人の乙女にぴったり当てはまるたとえを、結婚式を準備しているカップルにずっと話してきました。ここで紹介したいと思います。結婚した夫婦が赤ちゃんに恵まれたとします。赤ちゃんはまず、空気を吸ったり吐いたりしているのではなく、羊水という液体に浸かって生きています。また、食べ物を口にして生きているわけではなく、ヘソの緒で母親と繋がり、栄養をもらって生きています。

用水に浸かって、ヘソの緒で繋がっているにもかかわらず、赤ちゃんは成長していく中で、今は必要ないのに呼吸するための肺を用意します。今は必要ないのに、食べるための口、消化・排泄器官、ものを見るための目、音を聞くための耳を準備します。何もつかまないし、歩き回らないのに、手足の指が発達していきます。これはすべて、胎内を出た時のための準備です。無事に生まれてきて、すぐに新しい環境に適応するために、今はまったく必要のないものを胎内で準備しているわけです。

結婚するカップルには、この胎児の成長を例に、人は、この世のことだけを整えるだけでは足りないことを学ぶ参考にしています。つまり先祖のために祈るとか、自分自身の救いのために祈るとかは、この世のことだけで十分と考える人にはまったく不必要なことです。

しかし、この地上の生活を終えた後、神の国での生活に必要な物を準備していなければ、間に合わなくなるのです。胎児が、生まれ出て「しまった。外の世界では肺で呼吸をしなければいけないのか。外の世界では口から食べ物を入れなければならないのか」と言ってそれから準備をしても間に合わないのと同じです。

赤ちゃんが、次の世界で必要な物を準備しながら、私たちに「今さえよければ構わないという生活では、次の世界、次のステージに移った時に後悔しますよ」と教えているのだと結婚する人たちに考えさせるようにしています。今週の福音朗読は、まさにこの学びが当てはまるわけです。

「十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。」花婿が花嫁をもらい受けに行く時間は、「今」というステージです。「今」のことだけ考えれば、ともしびの予備の油は必要ないでしょう。

しかし花婿を出迎え、婚宴の会場に入る段階は、「次の世界」「新しいステージ」です。しかも、この新しいステージにいつ移るのか、ともしびを用意するおとめたちには知ることはできません。それでも、常に次のステージに移った時に困らないように、用意が必要なのです。

私たちにとって、「今の世界」と「次の世界」とはどのようなものでしょうか。「今のステージ」には大きな差は出ないけれども、「次のステージ」では大きな差となる「予備の油」とは何でしょうか。それは「イエス・キリストを信じる信仰」だと思います。「今の世界」のことだけ考えれば、日曜日に時間と都合を付けてミサに参加することは、その習慣のない多くの人々と差が付くことはないでしょう。ひょっとすると、もっとゆっくり眠り、平日にできないことに没頭する時間に費やした方がましかも知れません。

しかし、「今」教会に来てミサに参加することは、次の世界、次のステージで大きな差が付きます。私たちに次の世界があるなら、それはイエス・キリストと繋がった世界です。そこで必要なものは「今の世界」で用意していなければ間に合わないのです。

「予備の油」を買いに行ったおとめたちは、ついに次の世界、次のステージに移ることはできませんでした。「はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない」(25・12)と主人に突き放されます。それはつまり、「次の世界の準備をしないで今を過ごしてきたあなたがたの責任である」ということです。

今日、洗礼式を迎えるお子さんがいます。洗礼によって神の子とされ、永遠の命を授かり、教会の一員となります。この子も、これから「今」のことだけを追い求めて生きるのではなく、「今この時点から、次の世界に必要なものを備えて生きる」ひとになっていきます。

もちろん本人にはその力がまだ備わっていませんから、大人になるまで両親と代父母が、「今さえ良ければ構わないという生き方では足りないのだよ」と教え、導かなければなりません。教会の中で過ごす時間を体で覚え、両親、祖父母、代父母の祈りの声で祈ることを覚え、予備の油を蓄えていきます。

いつかこの子は「予備の油がなぜ必要なのか?今さえ楽しければ良いのではないか?」と聞いてくるかも知れません。その時に、両親、代父、祖父母はていねいに、今信仰を養っておけば、次のステージで決してうろたえることがなくなると、教えてあげるのです。

今週の福音朗読で、「五人は愚かで、五人は賢かった」とあるのは偶然ではないかも知れません。半分の人たちは、この地上の生活を、「今さえ良ければ構わない」そんな暮らしかたをしているのではないでしょうか。さらに「油を分けてください」と愚かなおとめたちが願った時、賢いおとめたちは「分けてあげるほどはありません」と答えました。

私たちは「賢いおとめたち」を遙かに超えて、予備の油を分けてあげる、今を生きる中で、次を生きる準備を人に勧めることもできるのです。私のミサ説教は田平教会だけに留まらず、多くの人にネット上で聞かれています。原稿も読まれています。この人たちも含めて、予備の油を分けてあげることさえためらわない人になりましょう。今日洗礼を受けるお子さんが、そのような人に育っていくことを願っています。

それでは、洗礼式に移りましょう。

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‥次の説教は‥‥
年間第33主日(マタイ25:14-30)
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ちょっとひとやすみ
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▼司祭館西側に植えてある「藤の木」が垂れて季節には楽しめるように、「藤棚」が作られていたが、台風9号10号の際、棚が壊れてしまった。棚の土台がネジで留められていたため、「ねじ曲がり」、隣の槇の木に覆い被さって、槇の木も迷惑だったことだろう。
▼このたび教会役員にお願いして、ひとまず撤去してもらった。藤の木はまだ花を咲かせてくれるので、いたんだ部分を切り、残してもらった。これから枝がまた伸びてきたら、藤棚を整備してもらい、また鑑賞できるようになる日が来るかも知れない。
▼役員がせっせと働いてくれている間、私は何をしていたか?私は怠け者なので作業しているそばでウロウロして「作業しているふり」をしていた。役員もお見通しで、「おや神父さん、作業のふりは上手ですね」と一本取られてしまった。今田平小教区で陣頭指揮を執ってくれている役員とは、まぁこのような関係である。
▼台風の影響は、他にも残っていて、周囲を見渡した結果、他にも切り倒さないといけない木が見つかった。今まで以上に司祭館が外から見えるのではないかと気にはなるが、先でその危険な木がいたずらしないとも限らない。ここは決断をして、その木にはこの世とおさらばしてもらうことにする。

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今週の1枚
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第696回目。片付けられた藤棚、季節外れのゴーヤ。

http://ss104313.stars.ne.jp/201108.jpg
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今週の「笑える」
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「あ、防弾チョッキのニュースが流れてる!」
「詳しくないけど、『BTS(防弾少年団)』じゃ?」
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† 神に感謝 †
コメント
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