こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

年間第13主日(ルカ9:51-62)鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は

2022-06-25 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2022/6/26(No.1186)
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年間第13主日(ルカ9:51-62)
鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は
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年間第13主日、今週から11月20日まで忠実に「年間の主日」が続いていきます。11月13日に年間第33主日を迎えると、次は「王であるキリストの祭日」つまり年間の最後の主日を迎え、今年の典礼暦を終えます。そして11月27日からは新しい典礼暦A年になり、この日から「新しいミサの式次第と第一奉献文から第四奉献文」に沿ってミサをささげることになります。11月27日からは、司祭が「主は皆さんとともに」と呼びかけたら、皆さんは「またあなたとともに」と答えます。

次の典礼暦まではまだ時間があるので、目の前の典礼に集中することにしましょう。今週の福音朗読箇所の後半は「弟子の覚悟」が語られています。説教の準備をしながら、懐かしいことを思い出しました。高校三年生の時です。書道の時間がありました。真面目に取り組んだ生徒は、どんどん上達して、日本習字の創立者原田観峰先生から初段とか認定される人がいました。

中田神父はあまり興味が無く、真面目に取り組まなかったので、ちっとも進級しませんでした。それはどうでも良いのですが、この習字の授業の最後に、女性の先生が「好きな言葉を提出してください。先生が色紙にしたためてみんなに渡します」という課題を出しました。

課題を出したその場で好きな言葉を提出したのか次の週だったかははっきり覚えていませんが、今週の朗読の結び、9章62節の「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」を提出したのです。しかも、この節の前半だけ「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は」ここだけを提出したのです。それには訳がありました。

というのは、たぶん習字の先生は、私が提出した聖書の引用を知らないはずです。さらに、弟子になりたいと申し出た人にイエスがかけた言葉で、「険しい道になるけれども、それでもついてきますか?」という弟子の覚悟を問う言葉であることもおそらく知らないでしょう。

そうなると、この言葉を色紙に書いて欲しいと願った高校三年生が何を考えているのか想像するかも知れない。もし、特に気にも掛けない先生だったら、「『鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は』何だろう?変な言葉を書かせる生徒だなぁ」それくらいの反応でしょう。

しかし、この先生がもっと興味を持って、「この生徒が提出した言葉は、どこから引用した言葉だろうか。誰に聞けば分かるだろうか。職員室の先生方に聞けば分かるだろうか?」相当考えを巡らせて、これが聖書からの引用で、弟子になろうとしている高校三年生が、「道は険しいよ」ということを時々自分に言い聞かせるために書いてもらいたいと願ったのだと、そこまで考えてくれたなぁと思いつつ、ルカ9章62節を、全体でなくそのさわりだけ、色紙にしたためてもらったのです。

そして何と、高校三年生当時のことと、今年の司祭黙想会の説教師の言葉が重なりました。ヨゼフ・アベイヤ司教様は、これからの福音宣教に一つの方向性を示してくれました。これからの福音宣教は、「ともに歩むこと」「その人に寄り添うこと」から始めるべきではないか、ということです。少し前置きが必要ですが、これまで私たちの福音宣教は、「私たちの所に真理がありますから、私たちの所においでなさい」というスタイルでした。しかし現代人の多くは、「いいえ、真理はインターネットで自分で探しますから結構です」と考えているわけです。

教会に真理があるかも知れない。けれども、教会まで行かなくても真理を手に入れることができる。だったら教会に行ったり、洗礼を受ける必要は無い。そういうスタンスの人々に、「教会に真理があるから来るべきだ。教会に来ない人は真理に背を向けている」といくら声を上げても人々に響かないわけです。

むしろ、真理を探し求めている人、答えを必要としている人にぴったりの「問い」を、教会から投げかけ、その人とともに歩む。こういう方向で宣教の一歩が始まるのではないか。アベイヤ司教様の宣教に対する考えをそう理解しました。

ここまで話すと、「そこで繋がるのね」と理解した人もいるでしょう。私は高校三年生の時に、書道を教えてくれた先生に、習う側でありながら「問い」を投げかけていたのです。先生は私の問いをどう受けとめますか。その後先生とお目にかかっていないので、結果は分かりません。良い答えを見つけてくれていたらと願っています。

私たちも、真理を探し求めている人、答えを必要としている人と日々出会っていると思います。イエスは「わたしに従いなさい」と呼びかけますが、私たちは真理そのものではないので、答えを必要としている人とともに歩んであげるべきです。

ルカ福音書の最後の物語を皆さんもご存知でしょう。復活したイエスがエマオで現れる物語です。復活したイエス、真理そのものであるイエスがすぐそこにいるのに気付かず、復活したイエスは辛抱強く二人の弟子とともに歩き、聖書をひもとき、パンを裂いて与えてくれました。私たちにも、「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は」と呼びかける機会がそこかしこにあるのではないかと思います。

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‥次の説教は‥‥
年間第14主日(ルカ10:1-12,17-20)
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ちょっとひとやすみ
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▼6月25日(土)大荒れの天気だった。朝方の予報では小雨だったが、朝ミサを終え、いまだに満足できないオムレツを食べて部屋に戻ると、雨が強めに降り出してきた。気にせず小教区報の原稿を仕上げて提出しようとした頃、部屋が暗くなり、外が騒がしくなった。
▼すると間もなく、「ドーン」とものすごい雷が落ちた。近くで落ちたのではないだろうか。家電品が心配になるほどの、地響きのする雷が落ちる。急いで原稿をGoogleドライブにアップし、ひとまずパソコンを閉じて嵐が去るのを待った。
▼すると、空があっという間に明るくなる。澄み切った空の何と対照的なこと。思わず写真を撮った。「写真を撮るなら、嵐の写真も撮っておけば良かったな」と思っていたら、お誂え向きの嵐がまたやって来た。今日は、新しく植えたゴーヤに水を撒く必要が無くなった。

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今週の1枚
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第793回目。今年もゴーヤの苗を植えた。前方にはアサガオ。私の仕事は水撒き

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キリストの聖体(ルカ9:11b-17)生活全体がキリストの愛に養われているか

2022-06-18 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2022/6/19(No.1185)
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キリストの聖体(ルカ9:11b-17)
生活全体がキリストの愛に養われているか
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先週、主日のミサが三回ありまして、繰り上げミサと6時のミサで「主の昇天」と「キリストの聖体」はなぜ「主日」とタイトルにつかないのか?という説明を、間違ってしていました。

この二つの祭日は、伝統的に木曜日に祝われていました。それを日本の教会は、木曜日では集まれない人が多いので、日曜日に振り替えている。この点を説明しなければなりませんでした。申し訳ありません。この説明を、長崎で行われた「教区司祭黙想会」で思い知らされました。

黙想会木曜日のことです。午後の講話で福岡教区のアベイヤ司教様がこう切り出しました。「ローマでは本日、キリストの聖体が祝われています。私たちもその雰囲気で始めましょう。」ローマでは木曜日に祝われ続けている。私は間違った説明をしたことを思い出し、本当に恥ずかしい気持ちになりました。

キリストの聖体の祭日、本日午後5時から聖体賛美式もありますので、アベイヤ司教様の講話を参考に説教を進めていきたいと思います。四日間の黙想会全体に言えることですが、司教様の講話はとても力強く、生き生きとしていました。基本を押さえながら、司祭たちが何かに気付く、そのためのお手伝いをしてくださったと思います。

ミサは「記念」と言われます。最後の晩さんの記念です。キリストが残された愛の記念です。記念するのですが、記念を行うことで、私たちが「キリストの記念」となる。講話はここから始まりました。

「ありがたいものを託されたので、記念し続けます。」それだけではなくて、私たち自身が「キリストの記念」になっていく。そこまで聖体の秘跡は私たちを招いている。なかなかその考えまで思い至りません。やはり、適切な指導を受けて黙想することは大切だと思った次第です。

ほかにもいろいろ考えるヒントを頂きました。それについては午後の聖体賛美式の祈りで紹介しますので、その時に味わいましょう。ここではもう一つだけ、キリストの聖体が信じる人にとってどれだけ支えになっているかを紹介して終わりたいと思います。

アベイヤ司教様は教皇フランシスコからまず大阪大司教区の補佐司教として、酒井補佐司教様と一緒に司教に任命されました。その後福岡の司教に任命されたのですが、司教になる前はご自分が所属しているクラレチアン会の総長として、ローマで十年間務めていました。

その間は全世界七十カ国に派遣されている会員を回って励ましたりしましたが、極寒の地シベリアの会員を訪ねた際に、会員が「総長様、隣の小教区を訪ねてください。そこは派遣されていた会員の司祭が亡くなってから56年間ミサが行われていません。ぜひ行って、56年ぶりにミサをささげてください。」シベリア鉄道で4時間の場所でした。

考えられるでしょうか?56年前にミサが途絶えたまま、ずっと司祭なしで信仰を守り続けていました。そしてたくさんの人が、56年ぶりのミサにあずかってくれたのです。聖体の秘跡は、人々を生かすために与え尽くされたイエスの命です。その愛の秘跡をいただくミサを、56年待ってくれていたのです。

私たちも考えなければなりません。私たちはどれくらいミサを真剣に受けとめているでしょうか。コロナ禍でミサが途絶えて再開した時に「ああ、またミサにあずかることができる」と喜んだはずです。私たちは1ヶ月とか2ヶ月待ったわけですが、お話に登場した人々は56年待ちました。これは、一つひとつのミサを、司祭はより真剣にささげ、みなさんはより真剣に参加する。そのきっかけになるのではないでしょうか。

ご苦労だとは思いますが、もう一度、夕方5時に、聖体賛美式においで下さい。私たちの救いのために、惜しまず与え尽くした愛の記念を、もう一度賛美しに来てください。今日の聖体賛美式が、聖体の秘跡と生活の繋がりを深めるきっかけになりますように。

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‥次の説教は‥‥
年間第13主日(ルカ9:51-62)
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ちょっとひとやすみ
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▼使徒言行録8章で、エチオピアの女王カンダケの高官で、女王の全財産の管理をしていたエチオピア人の宦官が登場する物語がある。この高官は主から命じられて近づいたヤコブに、「読んでいることがお分かりになりますか」と聞かれ、宦官は、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言っている(8章31節)。
▼黙想会は、謙虚に「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と訴え、指導してくださる説教師や祈りの中での照らしを通して、今まで気付かなかったことを手引きしてもらう機会なのだと思う。
▼だからもし、黙想会に説教師はいるけれども「手引きしてくれる人」がいなければ、分かるはずのことも分からないということになる。これは自分自身への戒めで、もし私がどこかの黙想会の説教師に呼ばれた時に、「説教師はいるけれども手引きしてくれる人がいない」と非難されることになってはいけない。いつかまた黙想会を頼まれたなら、「手引きしてくれる人」として働けるか、考えてみるべきだ。

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今週の1枚
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第792回目。黙想会に入られた司祭たちに祈りのカードが届く。支えられている

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三位一体の主日(ヨハネ16:12-15)神はご自身を五感で感じられるようにしてくださった

2022-06-11 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2022/6/12(No.1184)
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三位一体の主日(ヨハネ16:12-15)
神はご自身を五感で感じられるようにしてくださった
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ここ数年、三位一体の主日に、「御父・御子・聖霊」をそれぞれ黙想するような説教をしてきました。昨年は全体的な話で、一昨年は「御父」について話していたようですので、今年は「御子」について話してみたいと思います。

私は二十年くらい読書に支障をきたす人たちを支えるボランティアグループの一つ「声の奉仕会マリア文庫」にお手伝いしています。その関係で日本国内のカトリックの声の奉仕グループ間でも録音によるお便りでやり取りをします。すると、会ったことがなくても「長崎で声の奉仕をしている神父さん」という形で、あちこちで知られています。

伊王島の馬込教会でのことです。私を訪ねてきた人がいたので島の中を案内していました。伊王島灯台をはじめ、いくつか回りながら案内していたのです。案内しながら歩道を進んでいると、私たちのほうにやって来る別のグループの一人が、「あっ!マリア文庫の中田神父さんですね?」と声をかけてきました。

何のことか分からず、近づいてその方に聞いてみると、視力に障害のある方でした。県外からたまたま長崎を訪れて、伊王島にはマリア文庫の録音の便りで声を寄せてくれる中田神父がいるから訪ねてみようということになり、伊王島まで来ていたそうです。

私は、近づいてくるかたが誰なのか知ることは出来ません。しかしその方は私の声によって、ふだん録音物を通して親しみを持っていた中田神父が自分の前に立っていると気付いたのです。「目の前に」と言いたいところですが、「目の前」は適切ではないかも知れません。

この時、ある人には「見える姿」がその人が誰であるかを確かめる決め手になりますが、ある人には「声」が、その人が誰であるかを確かめる決め手なのだと理解したのです。その人は背格好とか、身なりで私を確認できできませんでしたが、声が捜し当てる拠り所となったのです。

三位一体は、御父と御子と聖霊が唯一の神であることを教えるものです。先ほどの私の体験と重ねると、御子は「声」と言えるかも知れません。その姿を見ることができなくても、声が間違いなくその方だと教えてくれる。そういうことではないでしょうか。

「声」は、それだけが存在するのではありません。声を発するかたがいます。声を発するかたと声は、お一人のかたを表しているでしょう。姿形を捉えられない父である神が、御子を「声」として送ってくださった。三位一体の御子の働きは、そういうことではないかと考えたのです。

三位一体の神の働きについて、何か一つでも人に伝えるきっかけがあれば。中田神父はそう思って、この主日を迎えています。キリスト教の教えは説明がとても難しいものが多々ありますが、その中でも極めつけ難しい三位一体の神秘を、私たちが味わい、信じ続けることができるように、恵みを願いましょう。今回のたとえが、皆さんの信仰理解の一助となりますように。

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‥次の説教は‥‥
キリストの聖体(ルカ9:11b-17)
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ちょっとひとやすみ
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▼水曜日に日曜日の福音朗読からヒントを得て文章を書く用事があり(それこそ「声の奉仕会マリア文庫」の用事)、「よし書けた!これで日曜日の説教もスイスイと書けそうだ」と思ったのだが神様はそう甘くない。
▼取り上げた日曜日は「キリストの聖体」の祭日で、19日の朗読箇所であった。ガッカリした。ガッカリしてはいけないのだろうが、それでも少し楽しみはある。来週のアイディアはすでに仕込んであるからだ。これで安心して黙想会に参加できるというものだ。

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今週の1枚
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第791回目。これが何を意味するか。近いうちに分かると思う。

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聖霊降臨の主日(ヨハネ14:15-16,23b-26)空気が抜けるビーチボールは外からのパッチが必要

2022-06-04 | Weblog
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「今週の説教」
2022/6/5(No.1183)
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聖霊降臨の主日(ヨハネ14:15-16,23b-26)
空気が抜けるビーチボールは外からのパッチが必要
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聖霊降臨の主日を迎えました。クイズです。先週「主の昇天」を祝いましたね。「主の昇天」はなぜ、「主の昇天の主日」と言わないのでしょうか?また来週は「三位一体の主日」で、再来週は「キリストの聖体」です。「キリストの聖体の主日」とは言いません。なぜでしょう?

さて、聖霊降臨の出来事を、例えを使って考えてみたいです。私が部屋の片付けをしていて見つけたビーチボールを材料にしたいと思います。いつ購入したかも覚えていないのですが、世界地図をあしらったビーチボールでして、楽しみながら世界地図を覚えられる優れものです。

しかしいざ空気を入れて膨らませてみると、残念な結果になってしまいました。いくら空気を入れても、時間が経つとしぼんでしまうのです。自転車や車のタイヤチューブで、どこかに穴が開いていて、何度空気を入れてもしぼんでしまう経験がおありでしょう。車は簡単ではありませんが、自転車はちょっとした道具とコツを覚えれば外からパッチを当てて修理することができます。

先ほどの地球儀のビーチボールに戻りますが、いくら空気を入れても、どこかに穴が開いていればそこから空気が漏れ、しぼんでしまいます。目には見えない小さな穴であっても、外から塞ぐ、覆わなければ空気は満たされないのです。

これは、聖霊降臨の出来事をうまく表していないでしょうか。弟子たちは聖霊を注がれるまで、家の中にいました。閉じこもっていたと言ってもよいかも知れません。イエスは弟子たちに、「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ16・15)と命じられていたはずですが、自分たちの力だけでは実現できませんでした。力を蓄えようとしても、どこかで漏れて、しぼんでしまっていたのです。人間の弱さが、見えない小さな穴となっていたのでしょう。

この状態では、いくら努力で満たそうとしてもダメで、外からの助け(パッチ)がなければ満ちることはできません。この外からの助けこそが、約束された聖霊だったのです。聖霊は私たちに宣教する力を満ちあふれさせるパッチ、外からの助けだったわけです。

もちろん人間の努力も無力ではありませんが、人間はどこかに弱さがあるので、努力だけで宣教する人になろうとしても、それはいつになっても使えないビーチボールのままなのです。宣教を恐れて閉じこもっている弟子を宣教へと促したのは、ほかでもない聖霊だったのです。

私たちは皆、信じている信仰を宣教しなければなりません。しかし弱さがあります。その弱さは努力で乗り越えるものではなく、聖霊によって赦され、包まれて力を発揮する個性となるのです。

引っ込み思案、口下手、せっかち、おっちょこちょい等。いろんな欠けている部分を聖霊は穴を塞ぐパッチになってくださり、一人一人の個性に変えてくださるのです。聖霊の照らしをミサの中で願い、私も信仰を伝える者とならせてくださいと願うことにしましょう。

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‥次の説教は‥‥
三位一体の主日(ヨハネ16:12-15)
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ちょっとひとやすみ
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▼99歳の女性が神様のもとに旅立った。その前の週には、55歳の男性が旅立った。お恥ずかしい話だが、55歳の男性の通夜と葬儀で考えられる限りのことを話し、知恵を振り絞ったので99歳の女性の通夜と葬儀には話す材料を持ち合わせていなかった。
▼しかし不思議なことに、百歳になろうとしていたこの女性のお顔を眺めたら、話すべきことが思い浮かんだ。幸いにコロナ以前には病人訪問をしていたので、思い出すことがあり、思うところを語ることができた。
▼もしかしたら、顔がすでにご自分を呼んでくださった神様を見ているので、私に語るべきことを教えていたのかも知れない。顔は心の鏡。すでに神を眺めている人の顔には、安心して委ねていることが表れているのだと思う。誰かの告別をするたびに、私のことを誰がどう話してくれるのだろうかと本気で考える。

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今週の1枚
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第790回目。出棺の準備でいろんな家族がいろんなものを納める。私はこれかな

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