こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

四旬節第5主日(ヨハネ12:20-33)父よ、わたしをこの時から救ってください

2024-03-15 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2024/3/17(No.1285)
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四旬節第5主日(ヨハネ12:20-33)
父よ、わたしをこの時から救ってください
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3月17日、中田神父の叙階記念日を迎えました。島本要大司教様に叙階の秘跡を授けていただきました。これから32年目に入ります。特別な思いはありませんが、だんだん頑固になってきている気がしますので、頑なな心を砕いてもらいながら務めたいと思います。

イエスはご自身の苦しみをほとんど表に出しませんが、今週の朗読箇所12章27節はそれを言葉にしています「父よ、わたしをこの時から救ってください」。苦しみを打ち明けている箇所をあと一つ思い出しました。マルコ14章35節でイエスは地面にひれ伏し、「できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るように」と祈っています。(次の箇所も参考として。ルカ22章44節)

苦しさの極みにありながら、御父の望みに従います。「今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか。『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。父よ、御名の栄光を現してください。」(12・27-28)避けて通れるものならそうしたい。けれども、一粒の麦として、死んで多くの実を結ぶことが、御名の栄光を表す道なのです。

「地に落ちて死ななければ一粒のままである。」(12・24)私はこの部分に特に目が留まりました。「地に落ちる」という表現は日本語では評判や権威が失墜することです。この箇所はそこまでの意味は含まれていないでしょうが、「地に落ちて」死ななければ一粒のままであると考えるなら、私たちにもっと強く訴えかけてくるのではないでしょうか。

この感覚を保って、読み続けます。「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。」(12・25)自分の思い描く最期にこだわるなら、それは「地に落ちて死ぬ」ということではありません。もしかしたら捨てられて、そばにいてほしい人もいないまま最期を迎えるかもしれない。そんな「地に落ちて死ぬ」ところまで受け入れるとき、この世の命を神に保ってもらい、永遠の命に至ることができるのです。

それは、今の中田神父には全く受け入れられない最期です。3月12日で58歳になって、司祭生活も確実に折り返したので、もしも余命を宣告されても受けとめるでしょう。しかし、苦楽を共にした人や、実家の家族や、そばにいてほしい人がいなくて旅立つのは耐えられません。「地に落ちて」の死は耐えられないのです。

すると、さらに続く箇所も踏み込んで考えることができます。「わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。」(12・26)イエスに全面的にお仕えしたいと考えていました。それなのに、「地に落ちて」死ぬところまでは従えません。「どんなことでも従います」と決心していたのに、すぐに手のひらを返してしまいます。

イエスは「地に落ちて」死ななければならないのに、私は「地に落ちて」は死ねないというのでしょうか。来週の受難の一週間に向けて、本当に私はイエスのいるところに留まりたいのか、自分が留まりたいところにだけ留まろうとしているのではないか。思い巡らしましょう。

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‥次の説教は‥‥
受難の主日(マルコ15:1-39)
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ちょっとひとやすみ
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▼58歳になった。そして叙階記念日(3月17日)となった。1992年叙階で、32年目に入る。もうこれからは「いくらでも時間はある」とは言えない。本当に成す(やり遂げる)べきことのために時間を使わなければ、きっと後悔する。
▼私以上に時間が短いかもしれない人がいる。私はその人のために何ができるのか。「残り時間が少ない」というよりは「残り時間が残酷に削られていく人」がいる。その人は私にとって大切な人。教えたり教えられたり、長い時間を共有してきた人。その人のためにできることは何か?

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今週の1枚
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第892回目。「5」と「8」の誕生日キャンドル。85歳のその日は来るだろうか?

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† 神に感謝 †
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