当ブログをお読みくださり、ありがとうございます。
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こうじ神父
「今週の説教」
16/01/01(No.805)
‥‥‥†‥‥‥‥
神の母聖マリア
(ルカ2:16-21)
見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだった
‥‥‥†‥‥‥‥
みなさん新年あけましておめでとうございます。神の母聖マリアの守るべき大祝日です。日本の多くの人が新年をどこか祈りの場所に詣でて出発しています。わたしたちは真っ先に教会に来て、新しい年が祝福に満ちた年であるように祈ります。特に、神の母聖マリアの取次ぎを願いたいと思います。
わたしが出した年賀状には、「桃栗三年浜串六年。本年もよろしくお願いいたします」と書きました。小教区の皆さんにはこのミサであいさつしますので特にはお出ししませんが、もう6年も経過したのだなぁと思います。司祭は6年経つと何が起こっても不思議ではありませんので、置かれた場所で咲くように精いっぱい努力したいと思います。
2015年わたしが思い出すのは3月17日の「信徒発見150周年」に向けて積み重ねてきた教区シノドスが「父の家に帰ろう、そして出かけよう」という提言案にまとめられ、公布されるという恵みがありました。そして12月8日には「いつくしみの特別聖年」も開かれるという年でした。また小教区でもみなさまのたくさんの支えによって、何とか務めてまいりました。2016年、本年もどうぞよろしくお願いいたします。
ところでミサの説教は、時に難しいと思うことがあります。いちばん難しいのは、同じテーマで違う説教を用意することです。神の母聖マリアの大祝日を始め、主の降誕、御復活などは同じテーマです。たいていの福音朗読は、マタイ・マルコ・ルカの共観福音書を順に使用するので全く同じテーマにはなりません。
神の母聖マリアの大祝日は違います。テーマが同じですから、わたしは23年同じテーマと向き合って違う説教を考えているわけです。これはなかなか大変なことです。一字一句違えずに同じことを話しても気付かれないかもしれません。それでいいじゃないですかと思うかもしれませんが、同じ話を毎年話してくださいとみなさんが言われたらきっと辛いと感じることでしょう。わたしも同じことです。そういう苦労を味わいながらの元旦の説教であります。
神の母聖マリアの大祝日にあたり、まず羊飼いたちの思いに分け入りたいと思います。羊飼いたちが見聞きしたこと、それは主の降誕夜半の福音朗読にある通りです。「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」(2・12)今日の福音朗読にも同じことが書かれています。
もしかしたら、羊飼いたちは天使の言っていることを文字通りには受け取っていなかったかもしれません。「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」(2・11)このメッセージは良いとしても、あとに続く言葉に羊飼いたちは顔を見合せたのではないでしょうか。「救い主」が、「主メシア」と呼ばれる方が、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ているだろうか。半信半疑でいたとしても不思議ではありません。
羊飼いたちは「急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。」(2・16)羊飼いたちは、すべて天使の話したとおりの光景を見ました。羊飼いたちが半信半疑でいたとすれば、目の前の光景は最初の疑念を吹き飛ばすのに十分だったでしょう。見事に、貧しくみすぼらしい光景。救い主が、主メシアが、布にくるまって飼い葉桶に寝ていたのです。
ではなぜ羊飼いたちは、「見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った」(2・20)のでしょうか。そこにはマリアとヨセフが大きく関係していると思います。
マリアとヨセフが、わが子を喜んで抱いていた。たとえ布切れにくるんで飼い葉桶に寝かせなければならなかったとしても、そこに神の計画を汲み取ろうとし、使命に忠実に従い、約束された救い主を迎えることができて本当に喜んでいる。この姿が、羊飼いたちにとってすべてを納得させる決め手になったのではないでしょうか。
羊飼いたちは最初半信半疑だったかもしれませんが、ヨセフとマリアが少しの疑いもなく、目の前にいるわが子を約束された救い主として受け入れておられた。特にマリアは、「これらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた」(2・19)のでした。これが羊飼いたちに勇気を与え、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせ、神をあがめ、賛美しながら帰って行ったのです。
羊飼いたちはヨセフとマリアの少しも動じない姿を見て、目の前にいる乳飲み子が救い主、主メシアであると理解し、人々に告げ知らせる力を得たのでした。これはわたしたちが取り組むべきお手本だと思います。
わたしたちもこれから新たな年に向かって歩み始めます。カトリックの信仰に自信をもって生きるため、神がいつもわたしたちのそばにいて守り導いてくださることに自信をもって生きるために、神の母聖マリアの動じぬ姿を一人ひとりの心に写し取って帰りたいと思います。
わたしたちは神の手の中で生きていると証するために、誕生にまつわるすべてを包み隠さず示しておられる神の母聖マリアに信頼を寄せて今年一年を過ごしていきましょう。あわせて今年一年が平和な年であることを願いましょう。
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‥次の説教は‥‥
主の公現
(マタイ2:1-12)
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ちょっとひとやすみ
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▼新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。今年はなんと、50歳になる年です。3月12日です。年が明け、3月の誕生日はあれよあれよと言ううちにやってくるでしょう。20歳の時、50歳は印象として「おじいさん」でした。「おじさん」は40代まで。いよいよ「おじいさん」の領域へ突入です。
▼あと4年もするとメルマガは1000号に到達する。「気が早い」と思われるかもしれないが、1000号はもう目の前の出来事、現実味を帯びてきたと思っている。それはメルマガ配信準備の型紙と、説教案を準備するMS-Wordのファイルを1000号ちょっとまで用意したことによるものだ。
▼1000号の配信予定日は、2019年4月28日になる。目印になる祝日は神のいつくしみの主日。目を皿のようにして連番に間違いがないか調べて、あくまでも現時点で番号を振り続けた結果だ。計算違いがあったり、臨時で特別号を出すかもしれない。
▼さて問題は、そのときどこにいるか、ということだ。その2年前、2017年には司祭叙階25年、銀祝を迎える。このこととも関係するが、どこにいるかは結構大きな問題だと思う。1000号については予想が立っても、2017年と2019年にどこにいるかは誰も知らない。ささやかでもお祝いできる場所にいたいと願うばかりである。
▼2015年は食事のお世話をしてくださるシスターが居ない年で、自炊には苦労させられた。最初はどの料理も作りすぎて無駄にしてしまった。肉じゃがを作るときにジャガイモを4個使い、できたのはいいが最後には見るのも嫌になり、食べなかったことも。お一人さまの肉じゃがにはジャガイモ2個で十分である。
▼野菜を食べるために、「水炊きもどき」も何度か作った。これも最初は作りすぎた。2リットルの水を鍋に用意していた。当然最後は食べるのも嫌になる。お一人さまの鍋に入れる水は、1リットル。それでも多いかもしれない。分量が分かってきて、水炊きそのままで食べるのがつらくなると、最後は味噌を入れて味噌汁にして食べたっけ。
▼自炊も悪くはない。しかし衛生面も問題だし、バランスの問題もある。やはり食事はサポートしてもらうのが一番だと思う。2016年はどうなっているだろうか。
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新企画今週の1枚
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第412回目。新上五島町は成人式を1月3日にする。教会は元日にする予定だが。
ホームページもご覧ください。
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【文庫本の問い合わせについて】
文庫本説教集「取って食べなさい」に問い合わせくださり
ありがとうございます。C年の文庫本がまた見つかり、
3冊セットの提供が可能になりました。ABC年セットで
2000円です。ご希望の方は住所と名前を添えて連絡ください。
===-===-===-=== † 神に感謝 † ===-===-===-===-===
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こうじ神父
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16/01/01(No.805)
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神の母聖マリア
(ルカ2:16-21)
見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだった
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みなさん新年あけましておめでとうございます。神の母聖マリアの守るべき大祝日です。日本の多くの人が新年をどこか祈りの場所に詣でて出発しています。わたしたちは真っ先に教会に来て、新しい年が祝福に満ちた年であるように祈ります。特に、神の母聖マリアの取次ぎを願いたいと思います。
わたしが出した年賀状には、「桃栗三年浜串六年。本年もよろしくお願いいたします」と書きました。小教区の皆さんにはこのミサであいさつしますので特にはお出ししませんが、もう6年も経過したのだなぁと思います。司祭は6年経つと何が起こっても不思議ではありませんので、置かれた場所で咲くように精いっぱい努力したいと思います。
2015年わたしが思い出すのは3月17日の「信徒発見150周年」に向けて積み重ねてきた教区シノドスが「父の家に帰ろう、そして出かけよう」という提言案にまとめられ、公布されるという恵みがありました。そして12月8日には「いつくしみの特別聖年」も開かれるという年でした。また小教区でもみなさまのたくさんの支えによって、何とか務めてまいりました。2016年、本年もどうぞよろしくお願いいたします。
ところでミサの説教は、時に難しいと思うことがあります。いちばん難しいのは、同じテーマで違う説教を用意することです。神の母聖マリアの大祝日を始め、主の降誕、御復活などは同じテーマです。たいていの福音朗読は、マタイ・マルコ・ルカの共観福音書を順に使用するので全く同じテーマにはなりません。
神の母聖マリアの大祝日は違います。テーマが同じですから、わたしは23年同じテーマと向き合って違う説教を考えているわけです。これはなかなか大変なことです。一字一句違えずに同じことを話しても気付かれないかもしれません。それでいいじゃないですかと思うかもしれませんが、同じ話を毎年話してくださいとみなさんが言われたらきっと辛いと感じることでしょう。わたしも同じことです。そういう苦労を味わいながらの元旦の説教であります。
神の母聖マリアの大祝日にあたり、まず羊飼いたちの思いに分け入りたいと思います。羊飼いたちが見聞きしたこと、それは主の降誕夜半の福音朗読にある通りです。「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」(2・12)今日の福音朗読にも同じことが書かれています。
もしかしたら、羊飼いたちは天使の言っていることを文字通りには受け取っていなかったかもしれません。「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」(2・11)このメッセージは良いとしても、あとに続く言葉に羊飼いたちは顔を見合せたのではないでしょうか。「救い主」が、「主メシア」と呼ばれる方が、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ているだろうか。半信半疑でいたとしても不思議ではありません。
羊飼いたちは「急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。」(2・16)羊飼いたちは、すべて天使の話したとおりの光景を見ました。羊飼いたちが半信半疑でいたとすれば、目の前の光景は最初の疑念を吹き飛ばすのに十分だったでしょう。見事に、貧しくみすぼらしい光景。救い主が、主メシアが、布にくるまって飼い葉桶に寝ていたのです。
ではなぜ羊飼いたちは、「見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った」(2・20)のでしょうか。そこにはマリアとヨセフが大きく関係していると思います。
マリアとヨセフが、わが子を喜んで抱いていた。たとえ布切れにくるんで飼い葉桶に寝かせなければならなかったとしても、そこに神の計画を汲み取ろうとし、使命に忠実に従い、約束された救い主を迎えることができて本当に喜んでいる。この姿が、羊飼いたちにとってすべてを納得させる決め手になったのではないでしょうか。
羊飼いたちは最初半信半疑だったかもしれませんが、ヨセフとマリアが少しの疑いもなく、目の前にいるわが子を約束された救い主として受け入れておられた。特にマリアは、「これらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた」(2・19)のでした。これが羊飼いたちに勇気を与え、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせ、神をあがめ、賛美しながら帰って行ったのです。
羊飼いたちはヨセフとマリアの少しも動じない姿を見て、目の前にいる乳飲み子が救い主、主メシアであると理解し、人々に告げ知らせる力を得たのでした。これはわたしたちが取り組むべきお手本だと思います。
わたしたちもこれから新たな年に向かって歩み始めます。カトリックの信仰に自信をもって生きるため、神がいつもわたしたちのそばにいて守り導いてくださることに自信をもって生きるために、神の母聖マリアの動じぬ姿を一人ひとりの心に写し取って帰りたいと思います。
わたしたちは神の手の中で生きていると証するために、誕生にまつわるすべてを包み隠さず示しておられる神の母聖マリアに信頼を寄せて今年一年を過ごしていきましょう。あわせて今年一年が平和な年であることを願いましょう。
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▼新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。今年はなんと、50歳になる年です。3月12日です。年が明け、3月の誕生日はあれよあれよと言ううちにやってくるでしょう。20歳の時、50歳は印象として「おじいさん」でした。「おじさん」は40代まで。いよいよ「おじいさん」の領域へ突入です。
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▼さて問題は、そのときどこにいるか、ということだ。その2年前、2017年には司祭叙階25年、銀祝を迎える。このこととも関係するが、どこにいるかは結構大きな問題だと思う。1000号については予想が立っても、2017年と2019年にどこにいるかは誰も知らない。ささやかでもお祝いできる場所にいたいと願うばかりである。
▼2015年は食事のお世話をしてくださるシスターが居ない年で、自炊には苦労させられた。最初はどの料理も作りすぎて無駄にしてしまった。肉じゃがを作るときにジャガイモを4個使い、できたのはいいが最後には見るのも嫌になり、食べなかったことも。お一人さまの肉じゃがにはジャガイモ2個で十分である。
▼野菜を食べるために、「水炊きもどき」も何度か作った。これも最初は作りすぎた。2リットルの水を鍋に用意していた。当然最後は食べるのも嫌になる。お一人さまの鍋に入れる水は、1リットル。それでも多いかもしれない。分量が分かってきて、水炊きそのままで食べるのがつらくなると、最後は味噌を入れて味噌汁にして食べたっけ。
▼自炊も悪くはない。しかし衛生面も問題だし、バランスの問題もある。やはり食事はサポートしてもらうのが一番だと思う。2016年はどうなっているだろうか。
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【文庫本の問い合わせについて】
文庫本説教集「取って食べなさい」に問い合わせくださり
ありがとうございます。C年の文庫本がまた見つかり、
3冊セットの提供が可能になりました。ABC年セットで
2000円です。ご希望の方は住所と名前を添えて連絡ください。
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