こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

三位一体の主日(ヨハネ16:12-15)わたしたちは三位の神を等しくたたえます

2016-05-21 | Weblog
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(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
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こうじ神父
「今週の説教」
16/05/22(No.829)
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三位一体の主日
(ヨハネ16:12-15)
わたしたちは三位の神を等しくたたえます
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三位一体の祭日を迎えました。父と子と聖霊の唯一の神をたたえる日です。三位の神をたたえる確かな動機、きっかけを探すことにしましょう。

わたしは以前、次のような書き置きをして出かけることをよくやっていました。書き置きには3つのことが書かれていまして、「海上保安庁の仕事に行ってきます。捜さないでください。先立つ不孝をお許しください」というものです。すでにお気づきかと思いますが、釣りに行くときにそのことを賄いのシスターに知らせる書き置きでした。

初めの頃は、「海上保安庁の仕事って何ですか?」と聞かれたりしていました。分かってないのだなと思い、さらに困らせようと思って「誰か違反操業をしていないか、見張りに行っているのよ」ととぼけたりしていました。お土産の魚を持って帰る日もあったので、最終的には釣りに行っているのだと分かったようです。

「捜さないでください」と書くのは、午前中に出かけることが多かったのですが、たいてい昼ご飯までには帰るので、昼ごはんは用意していてねという合図でした。「先立つ不孝をお許しください」はシスターがやってくる前に出発していたので、なぜいないのかを知らせる合図でした。

単なる書き置きでは面白くありません。何かを考えさせる書き置きをして、わたしという人間を知ってもらおうという思いもありました。3つの書き置きを総合して、賄いのシスターは主任神父がどのような人間であるかを徐々に理解していったのでした。

わたしたちの信じる神も、ご自身の特徴を言おうとして「三位一体の神である」と、このように啓示されたわけです。人間の知恵でたどり着けない神の特徴は、神ご自身がお示しくださる以外に知ることはできません。そこで神は、御子イエス・キリストを通して「父と子と聖霊である」と示してくださったのです。

ここまでで「なるほど」と納得された方がいらっしゃれば、これ以上話すことはありません。ただ、多くの方が「それは分かりますが、ピンときません」と思っておられるでしょう。わたしたちの信じる神は「父と子と聖霊」ですが、ほかに言葉を補うことはできないのでしょうか。

三位一体の神についてはさまざまな説明が試みられてきました。それらの歴史に耐えうる説明と比べるとつたないかもしれませんが、次の3つについて考えるなら、わたしたちの信じる三位一体の神に思いを馳せることが出来るのではないかと思っています。その3つとは、「死・復活・赦し」です。

わたしたちの信じる神さまは、人となってこの世においでくださっただけでなく、わたしたちの救いのために死んでくださったお方です。人の救いのために死んでくださる神は、ほかのどの宗教にもおられません。この、人の救いのために死んでくださる神は、わたしたちの推理ではたどり着けないお姿なので、神が人となって、実際に命をささげ、わたしたちに啓示してくださいました。この「人の救いのために死んでくださる神」は、御子によって啓示された神の姿です。

また神は、人類の救いのために死んでくださった神の独り子を、復活させてくださいました。使徒言行録13章30節に次のようにあります。「神はイエスを死者の中から復活させてくださったのです。」パウロはアンティオキアの会堂でこのように雄弁に語って、「父と子と聖霊」の神を証ししたのです。イエスを死者の中から復活させてくださったのは、父なる神の姿を示しています。

そして復活したイエスは弟子たちに息を吹きかけて、次のように言われました。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」(ヨハネ20・22-23)御父と御子から与えられる聖霊は、神の赦しを啓示するのです。

こうして、御子によって「神は人類の救いのために死んでくださる」ことが示され、御父によって「神は死者の中から復活なさる」と示され、聖霊が弟子たちに注がれて「神は赦しを与えてくださる」ことが示されました。わたしたちの信じる神は、「父と子と聖霊」の三位一体の神であり、言葉はつたないですが、「死んで復活し、赦しを与えてくださる神」と補うことができると思います。

この説明であれば、神さまはどのようなお方ですかと問われたときに、「父と子と聖霊の神」また「死んで復活し、赦しを与えてくださる神」と、自信をもって答えることができるのではないでしょうか。

説教の初めに、「三位の神をたたえる確かな動機、きっかけを探すことにしましょう」と呼びかけました。もし、今日のミサを通して三位一体の神をたたえるきっかけをつかんだなら、具体的な場所、時間を思い描きましょう。わたしはどこで、三位一体の神をたたえますか。わたしはいつ、三位一体の神をたたえますか。

「わたしはこの日、この場所で父と子と聖霊の三位一体の神をたたえます。」あなたが三位一体の神をたたえるとき、三位一体の神を知らないだれかが、あなたを通して知り、同じように父と子と聖霊の三位一体の神をたたえる日が来ますように、今日のミサの中で恵みを願いましょう。

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‥次の説教は‥‥
キリストの聖体
(ルカ9:11b-17)
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ちょっとひとやすみ
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▼以前書いたかもしれないが、「これ以上はないだろう」という想定は、結局書き換えられるので意味がない半面、いちおう、そういう想定は持っていたほうが良いとこのごろ思う。ある小教区にいた時、言い方はよくないが「歌が下手な」巡回教会があった。日曜日のミサをささげながら、「気が散るから、もう歌わなくてもいいのに」とさえ思うような状況だった。
▼ところが、違う小教区に赴任してみると、それを上回る「歌の下手な」巡回教会が待っていた。「まさかここより下手な教会があるとは」と初めのうちは思ったものだが、想定も書き換えられてみると楽しいもので、「この次、もっと歌の下手な教会に巡り会うのはいつだろう」と、変な期待を持ったりする。
▼今この時点でも、「これ以上ひどい状態はないだろう」という現実と向き合いながら日々を過ごしている。なぜここまで先延ばしにして、結局それを片付けないで時間だけが過ぎたのだろうか。なぜこんなひどい状態からわたしはスタートしなければならないのか。本当に驚き、腹立たしさで大声を出したくなる。
▼しかし、「これ以上はないだろう」という想定のもとに現実と向き合えば、それはそれで楽しくなる。きっとこれ以上のひどい体験はしないに違いない。ここで積んだ経験はこの先何倍にもなって帰って来るだろう。ただし、多くの場合「これ以上はないだろう」という想定は書き換えられ、さらにひどい状況に置かれることになるのだが。
▼それでもいいじゃないか。今は「これ以上ひどい状況は考えられない」と思って作業ができている。それに、どれだけあがいても50歳の私が残り担うことのできる時間は25年である。これ以上のひどい状況がこの先待っていたとしても、25年もすればすべて思い出に変わるのだから、楽しんでいこう。

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今週の1枚
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第436回目。たまたま夕方にこの場面に遭遇した。シェアしたいと思った。

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