こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

日本カトリック神学院東京キャンパス講話(1)

2017-01-24 | Weblog
日本カトリック神学院東京キャンパス 月の静修
「将来の司祭に望むこと」

【なぜわたしはここにいるのか 新たな挑戦のため】

田平教会の中田輝次神父です。3月で50歳になりました。叙階24年目を歩んでおります。田平教会は1918年に献堂されたレンガ造りの教会です。2018年には献堂百周年です。当時の主任司祭は中田藤吉師、わたしは藤吉神父様の親類なので、「ちゃんと系図を知っての粋な計らいだなぁ」と思っておりました。直接お尋ねする機会がありましたので尋ねてみましたら、「そうだったのかね」と言われました。偶然そうなったのであれ、神の摂理であれ、田平教会に赴任したのは、わたしにとって恵みだったと思います。
前任地浜串教会は、赴任した当初は小学生が15人くらい、中学生も同じくらいいたと思いますが、離れる時には教会に籍を置いている小学生は5人くらい、中学生も同じくらいに減っていました。田平教会は、それからするとにぎやかです。小学生が25人くらい、中学生も20人くらいいます。それに加えて育成会という組織がしっかりあって、頼もしいなぁと思っています。
ただ、にぎやかな子供たちの声は、ある意味挑戦状でもあります。つまり、50歳を迎えたおじさんが、小学生とまっすぐに向き合えるのだろうか?そんな疑問があったわけです。結果から言うと子供たちはそんなに難しくは考えていませんでした。心を開いてくれる司祭であるかどうかを子供たちは求めているのであって、年齢ではないことが分かりました。もちろん、さらに若い30代の主任神父さまにかなわないことは十分承知です。
ほかにも、自分がここに遣わされてきた、この務めを託されたのは、どんな意味があるのだろうかと考える場面がいくつもありました。でもそれは、すべてわたしが「空の手で」イエス・キリストについていくための挑戦だったのだと思います。
何か、道具を持っているからこの場所で務めることができるとか、何かの経験や知恵があるからこの任務ができるというのではありません。なぜわたしがここにいるのか、考えさせる材料はすべて、驕りを捨てて、初めから、空の手になった時に教えていただける。常にそれは「イエスについて来るように」と教えているのだと思いました。


【なぜわたしはこの静修に呼ばれたのか 神が呼ばれたから】

一回目の話は、司祭として感じていることを話しますので、そこから「こうなってはいけないな」とか、「この取り組み・姿勢は参考になりそうだ」ということを汲み取っていただければと思います。二回目の話は司祭が「祭司」としてささげなければならないものについて話そうと思っています。
O型の人間はお調子者なのでしょうか。何か頼まれたらそれに見合う能力があるかどうかも考えずに「はいはい」と引き受けてしまうのですが、今回は事情が違います。ある意味、わたしは頼まれてもいないのにここに来ているのです。
2016年の長崎教区司祭黙想会の時のことです。東京キャンパスに派遣されている中島誠志神父さんがそこに参加していまして、声をかけられました。「神父さん、東京キャンパスの神学生のために月の静修を引き受けてくださってありがとうございます」「え?何の話?」「またまたぁ。電話で依頼されて、引き受けてくれたんでしょ?」「電話?知らん知らん」「神学院にはちゃんと中田神父って、名前が貼ってありますよ」「えぇ?本当に知らないって」「おかしいなぁ」その時はそれで終わりました。
今度は汐留という神父さんが登場します。汐留君と中島君が次のような話をしたようです。「月の静修を東京キャンパスの副院長さんに依頼されて『わたしでよければ引き受けます』と答えましたが、何をすればいいんですか?」「え?浜串は異動があったか?」
「はい。四月の異動でわたしが浜串に行きました。そしたら『浜串教会ですか?月の静修をお願いしたいのですが』という電話があって、どうしてわたしなのかなぁと思ったけれども、わたしでよければと思って引き受けました」「違う。中田先輩に依頼したんだよ。まさか異動があっているとは・・・」「え!そうなんですか?」
そして次の場面は、汐留君がわたしに恐る恐る近寄ってきて、こう話しかけます。「先輩、落ち着いて聞いてくださいね。実は浜串教会に東京の神学院から月の静修の依頼の電話がかかって来て・・・」「それを引き受けたのはお前だろ。俺は知らん」「いやいや先輩、それは困ります。ぜひ先輩が行ってきてください」「俺は依頼は受けてない。お前が行け」
もうこの頃には笑いながら話しているわけですが、東京にいる間に田平教会で何か起こったらどうするんだと冗談言ったら、「その間はわたしが田平にいます。それでいいですか?」とか言われました。つまり、東京の神学院の副院長様は浜串教会にわたしがいるものと思って依頼をし、浜串に後任で入った汐留君は自分に白羽の矢が立ったと理解して引き受けたわけです。
しかし、どのような形であれ、神さまがわたしに頼んできたのだから、神さまがきっと話す材料も用意してくれると思って、探し続けていました。今回、お話の材料を見つけたのは、定期的にカトリック信者を見舞っている中に、病院に入院している一人のシスターがいまして、そのシスターとの出会いで考えるヒントをいただきました。
わたしが田平教会に赴任して間もなく、そのシスターは入院されました。「通常の病人訪問は月に一度です」と引継ぎを受けていましたが、シスターには月に2回、御聖体を授けに行っていました。このシスターと出会った中で、考える材料が降ってきて、それから今日まで温めてきた話です。
皆さんの多くは、健康に多少の自信がある人ばかりでしょう。そもそも、病気がちな人は、召命の道のりの中で自分自身をふるいにかけているはずです。養成担当者も、あえて病気がちな子を選び出すということはしないと思います。そうした、健康に多少の自信がある皆さんが、ある時入院して、一般の入院患者と一緒に寝起きをし始めるわけです。
どんなに心細いことでしょう。隣のベッドには、初めて見る人がすでに入院しています。神学院での規則に従った生活を望んでも、隣の人は構ってくれません。テレビを観たい時にテレビを観るし、ラジオを聞いたり、神学院の生活をそのまま持ち込める場所ではないわけです。
ですからせめて、御聖体だけはあまりにも間隔が開かないように、修道院にとどまれなくても、聖体に養われているという実感を持たせたいと思って時間を取るようにしました。十字架を背負っているのですから、十字架も含めて、恵みとして受け取ることができるように、御聖体だけでも頻繁に受けてもらおうと思ったのです。
「自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。」(ルカ14・27)病院に入院しているシスターは、奉献生活者に期待したいことのほとんどを背負っていると思いました。病院で苦しんでいる。なのに御聖体をいただくときにとても笑顔に溢れている。司祭・修道者に期待されているのはこの「右の手のすることを左の手に知らせない」そんなおささげなのだと思います。


【これがわたしの生きる道】

中田神父は面白おかしく暮らしてきましたし、この性格は変わることがないと思います。「神父様には悩みとかないのですか?」とも言われます。ですから中田神父と出会った人の中には、生き方を許し難いと思う人も出てくるでしょうし、親近感を持ってくれる人も出てくると思います。
中田神父は万人向けの、だれにでもそつなくこなすような生き方はできないかもしれません。虫の合わない人とは突っかかってしまうこともたびたびです。そういう人間であることを踏まえて、今日の講話は耳を傾けていただければ幸いです。
どんなことでも楽しく話せるようになれたらいいですね。皆さんは泥棒と出会ったり、強盗に押し入られたりした経験はあるでしょうか。金目の物をあまり持たない皆さんには、泥棒も強盗も縁のない話かも知れません。中田神父は、これまで何度も泥棒にお金を取られましたが、ある時こんなことがありました。親戚の葬式に出た帰りに、全身水色の服を着た女性と出会いまして、その女性はわたしにこう言ったのです。
「葬式の帰りにみんなで食事をしたいのだけれどもお金がありません」。わたしは1万円その女性に渡しましたが、あとで考えると泥棒ではなかったかと思っています。葬式に出る女性が全身水色の服を着ているはずがありません。お金をさしあげる理由は何もなかったのに、ありがとうの一言でもぎ取られてしまいました。聞くところによると、一緒に葬式に出ていたわたしの父ちゃんからもふんだくったという話です。とんでもないです。
それでも泥棒被害は限定的です。ですが強盗となると、少々の被害では済みません。かつて赴任したことのある伊王島には毎週司祭館にちびっ子強盗が押し入って来ていました。教会学校の子どもたちです。連中は毎週やって来ては冷蔵庫や水屋を開けて、「なんかなかー(何かないか)」と言って押し入るのです。水色の服の泥棒はありがとうと言いましたが、強盗はありがとうと言いません。
さらにこの強盗団の中で最年少の男の子は、司祭館に入る時何と言って入ると思いますか?ふつう司祭館に入る人は「おじゃまします」とか「失礼します」とか言うものです。ですがこの子は、「ただいまー」と言って司祭館に入るのです。「ただいまー」と言って侵入するのですから、ありがとうを言うはずもありません。わが家と思っているのですから。中田神父がこの小教区にいた間の被害総額は1万円では済みません。大損害です。
またわたしは人と接する時、その人ができること・ちょっと考えたら気付くことにはいっさい手を貸しません。病人訪問で玄関まで迎えてくださる車いすの老人がいまして、この方は自分の部屋に戻って聖体拝領をするのですが、車いすを押してあげればささっと連れて行くことができますが、わたしは絶対にそんなことはしません。
考え方はいろいろでしょう。神父様を長く待たせてはいけないと、付き添いの人が先回りして早く連れて行くということも考えられます。でも中田神父は、困っているのでない限り、ご自分でらくらくと車いすを押している場合は決して手を触れません。
考え方はいろいろなので、わたしを冷たい人だと思う人も当然いらっしゃると思いますが、わたしは何と言われようと、その人が自分で押していこうとしているのに、遅いから代わりに押してあげるというのは、その人を尊敬していないと思うからです。
「自分で車いすを押していては時間がかかるので、代わりにわたしが押してあげます。」親切な態度のような気もしますが、その人は傷ついているかも知れません。あなたは遅いと、烙印を押されてしまったのですから。
中田神父はそのような考え方の人間ですから、少し考えれば分かるようなことを間違う人には、腹が立ってしょうがないのです。腹を立てることは罪なのですから、この場で罪を皆さんに告白して、赦しを願いたいと思っています。
ほかの例を挙げましょう。中田神父のところに、とある修道院からFAXが届きました。わたしの名前を間違っていました。見ず知らずの人ならともかく、そのFAXの送り主は教会の祝日表も手元にあったでしょうし、隣の姉妹には中田神父の姓名をはっきりと知っている姉妹もいたに違いありません。
ほかにも「カトリック教報」が手元にあれば、中田神父は当時教区広報委員会の委員長だったので1面の左上にちゃんと中田神父の名前が書いてあります。三つの方法で確かめることができるのに、名前が間違っていた。これは気分悪いです。
このあとのテーマである「人間の成長」ということと関わってきますが、人間は自分の知恵や努力だけでは成長にも限界があるのです。人と関わって、たえず助けられて、成長する。そういうふうに創造されているのです。間違った名前でFAXを送った。振り返って考えると、FAXする前に、人に聞こうとしなかったのではないでしょうか。謙虚に人に尋ねていれば防げたのではないでしょうか。
自分に助け船を出してくれる人を寄せ付けない。知らないうちにそんな雰囲気を作ってしまっていたのではないでしょうか。FAXの人は何の気なしに間違っただけかも知れませんが、慎重に考えれば、ちょっとしたミスからでも何かの収穫があるのではないでしょうか。


【常に成長を願い求めて日々を過ごす】

人間は、常に成長を願い求めることで神さまにお役に立てるものとなれると思います。神さまの道具として、本当にお役に立てるようになるためには、たえず使いやすい道具へと変わっていかなければなりません。
料理の包丁は、買ってきてすぐは何も手が加わっていませんが、使い続け、砥石で研いでいくうちに、手に馴染む道具へと変わっていきます。使い続けるので、少しずつすり減ってはいますが、使いやすく変わっていくのです。
あらためて人間は、常に成長し続けることができるのでしょうか。わたしという人間は、すり減っていきながら、本当に使いやすい人間へと変わっていけるものなのでしょうか。
中田神父の髪の毛は、十年前と比べると悲しいくらいに減ってきました。では中田神父という人間は神さまにとって使いづらいものになったかというと、この場合はたぶん使いやすい道具になったと思います。ハゲおやじになったので、今から華やかな世界に気を散らすこともないですし、女性に鼻の下を伸ばすこともなくなるでしょうし、女性が近寄ってくることも少なくなるだろうと思うからです。
昔からするとずいぶん減ってはいても、時間を掛けて神さまのより使いやすい道具となっていく。これは大事なことです。皆さんはより使いやすい道具へとこれまで変わってきたでしょうか。長い時間をかけて、人の話を聞き入れない頑固な人間に変わってきた。時間とともに、人を蹴落としても何とも思わないようになってきた。この数年で立場が逆転した途端に、周囲の人のことを人とも思わない横暴な人間になった。何か一つでも当てはまるとしたら、悲劇的なことだと思います。
常に成長し続けるために最後まで役に立つのはわたしの努力でしょうか。そうだと思いますか?わたしはそうだとは思いません。わたしの努力で成長し続けるのは困難です。むしろ、人と出会って刺激を受けることや、豊かな書物を通して教えてもらうことのほうが、最後まで役に立つものだと思います。
身近なところで言うと、わたしたちは転勤をするたび、違った兄弟司祭と触れ合います。まったく知らなかったことや、まったく接したことのない種類の司祭と出会うでしょう。新しいその司祭は、わたしに何かを成長させるために、神さまが送ってくださったのです。
書物は、たくさん手にとって読むということは難しいと思います。今この場で、一つの本を薦めるとしたら、中田神父は「希望の道」という本を薦めたいと思います。大司教に選ばれた直後に投獄され、十年以上ものあいだ恐ろしい迫害を受けても大司教としての司牧の務めを牢獄の中から立派に成し遂げたベトナムの教会の枢機卿の手記です。
全体は、1001回のメモ書きの集まりです。牢獄からは、三行か四行か、それくらいのメモしか外に届けることができなかったのでしょう。そのメモが書き写されて、教区民は導きを受けていたのです。この本を、一日につき三つのメモを読み続けるとしましょう。およそ一年で、読み終えることができます。ほかの本を一年間横に置いたとしても損はしないほど豊かな内容です。わたしはそう思っています。人を通して、また書物を通して(書物の中には結局、人がいるのです)、常に成長を目指していくことを忘れないようにしましょう。


【右の手のすることを左の手に知らせない】

伊王島・馬込小教区に赴任した時、チャンスがあって司祭館建設の経験を積ませてもらいました。大司教様によって司祭館は無事に祝別され、落成式の運びとなりました。この日まで順調に進んだのですが、一つ困ったことがありました。落成式の日に一人の経済問題評議委員に大司教様に感謝の言葉を述べてくださいとお願いしていたのです。3か月前くらいにはお願いしたと思います。
ところが司祭館祝別・落成式の2~3週間前、別の経済評議委員から「神父様。○○さんは挨拶が書けなくて眠れないと言っていますよ。何とかなりませんか?」と言うのです。「いいよ。わたしが書くよ」と言ってわたしが感謝の言葉を書きまして、その人に言わせたのです。まぁ、自作自演です。
落成式の当日、わたしはその作文を経済問題評議員に読んでもらってわたしもそばで聞いているという場面を想像してください。そこへ「主任神父様からも一言お願いします」と言われたので、「経済問題評議委員の方、よくぞこのような挨拶を言ってくれた」とねぎらいました。
わたしの作文を読んで、よくぞ言ってくれたとは、よくまぁ言えたものだと思いますが、右の手のすることを左の手に知らせない。この作文が主任司祭の自作自演だと気付かれないために、わたしはそのように言ったわけです。またその経済問題評議員も偉かった。わたしの作文を前もって30回練習して、完璧に自分の作文のように読み上げてくれました。その時の原稿を、読み上げてみたいと思います。

感謝の言葉

敬愛するヨゼフ高見三明大司教様、

このたびはわたしたち馬込小教区の司祭館落成にあたり、信徒との交わりのミサと司祭館祝別のためにおいでくださり、心より感謝申し上げます。小教区の信徒を代表して、ひと言述べさせていただきます。
わたしたち小教区民にとって、司祭館建設は長年の懸案事項でした。先代、先々代の主任神父様の頃から、司祭館の老朽化は目に見えて進んではいたのですが、なかなか行動に移すことができませんでした。まずはこれまで赴任してこられた主任神父様方にご不便をおかけしたことをお詫びしたい気持ちです。
またこのたび、十年ぶりに若い主任神父様をいただくことになり、喜ばしいと思うと同時に、またもこれまでの旧司祭館にお迎えしなければいけないことに心を痛めていたところでした。こうして司祭館を無事に落成してみると、もっと早くから歴代の主任神父様に住みやすい司祭館を提供すべきであったとつくづく感じております。
いつも気さくな現在の主任神父様は、赴任する直前に訪ねて来られた時のことを「海岸の道路沿いに、建てて間もないと思える信徒会館を見た時、これなら司祭館はもっと期待できる建物に違いないと思った」と仰っていました。そのように聞かされて、おそらく初めて旧司祭館を訪ねた時は言葉に詰まったのではないかと役員一同肝をつぶしたのでした。
司祭館そのものは、十一月の地鎮祭から数えても四ヶ月ほどで完成しておりますが、この「目に見える建物」を完成させるためには、ほぼ一年にわたる主任神父様のご苦労と、わたしたち信徒相互の一致と協力の時間が必要でした。一人ひとりは、「主任神父様にもっと住みやすい家を提供したい」と思っていましたが、心一つにして物心両面で協力体制を立ち上げるためには、時間が必要でした。
見えない建物である馬込小教区信徒の気持ちを一つにまとめ上げるための主任神父様の苦心は、日曜日毎の説教にも、結婚式や葬儀の典礼からも十分伺うことができました。主任神父様と一つになって、仕事を成し遂げることができるのはこの時を置いてほかにはない、そう感じたのです。
振り返りますと、高見大司教様のご英断によって決まった一年前の転勤が、司祭館新築をなし終えたいちばんのみ摂理であったと考えております。神様はわたしたちの小教区の再建・再生の見えるしるしとして、若い主任神父様を派遣してくださり、同時に司祭館建設を一つのチャンスとしてお与えくださったと思います。
無事完了しました新司祭館は、総額二千三百五十万円の大がかりな事業でしたが、その四割は大司教区からの支援であります。これから二年間にわたって、教区の支援なしにこの計画は完成できなかったことを噛みしめていきたいと思っております。
それと同時に、わたしたちは行動力ある主任神父様としっかり力を合わせていくなら、まだまだできることがあるということも学ばせていただきましたので、できますなら、これから先何年も現在の主任神父様と共に小教区の活性化・再生のために力を尽くしたいと思っております。大司教様の寛大な御理解をいただければ幸いです。
どうしても聖書の言葉を一つ挨拶に折り込みたくて、主任神父様にお知恵を拝借に行った所、旧約聖書の「コヘレトの言葉」を入れなさいとのことでしたので、旧約聖書の一節で挨拶を結びたいと思います。

「何事にも時があり
   天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
     生まれる時、死ぬ時
     植える時、植えたものを抜く時
     破壊する時、建てる時
 神はすべてを時宜にかなうように造り、
 また、永遠を思う心を人に与えられる。」

司祭館の祝別を通して、わたしたち小教区民も大司教様とお会いする時を与えていただきました。神が与えてくださった素晴らしい時をわきまえて、これからも主任神父様と一致協力し、見えない建物である神の家の完成のために一歩ずつ歩を進めていくことをお約束いたしまして、挨拶に代えさせていただきます。

平成十七年 四月十日
カトリック馬込教会
経済問題評議員


【神さまはすべてを準備してくださる】

「神様はすべてを準備してくださる。」これは信じるかどうかにかかっています。信仰の問題です。神さまはすべてを準備し、必要なものはすべて与えてくださいます。それが信じられるか信じられないかは、信仰の問題です。信じられないとすれば、あなたの信仰はその程度のものです。神さまが必要なものはすべて与えてくださると信じて疑わない人には、神さまはきっとその通りに答えてくださることでしょう。
先ほどの司祭館建設を例に挙げましょう。馬込教会に着任した時、司祭館建設のために小教区会計には1円の積み立てもありませんでした。司祭館に残された賽銭通帳にも、通帳を維持するためだけのお金1万円しか残されていませんでした。離任した太田尾教会の賽銭通帳には300万円残してきたというのに、です。
チャンスを与えられて新築した司祭館は2350万円かかりましたが、神さまは必要なものはすべて用意して、与えてくださいました。わたしは当時の司祭館建設を通して、それを体験として学び、確信を持っています。神さまは必ず必要なものは与えてくださいます。反対に必要のないものは、一切与えてくださいません。
信仰によって、必要なものはすべて与えていただけると確信していますし、必要のないものには1円たりとも与えていただけないとも思っています。そこで話の要点を確認したいわけですが、神学院の皆さんは、必要なものはすべて神さまが与えてくださると固く信じているでしょうか。
教会に限らないことですが、どんな組織も協力者が必要です。指導者が必要です。素晴らしい出会いや、示唆に富む書物が必要です。この世のものについても、時には必要となるでしょう。それら一切を、神さまが必要だと思えば与えてくださると、固く信じているでしょうか。
召命の恵みが与えられることを信じる必要があります。司祭への道を歩み始めた神学生が健やかに育つことを信じる必要があります。司祭候補者になり、朗読奉仕者になり、祭壇奉仕者になり、いよいよ叙階の秘跡を受けた助祭になり、彼らが健やかに育つことを信じる必要があります。
許せないと思っている人を許す力をお与えくださると信じる必要があります。信じて疑わない人にしか、神さまの力を示すことはできないのです。疑っている人に、神はご自分の偉大な力を示すことができないのです。
今日この時から、全面的に神さまを信頼いたしましょう。飢え、渇いているわたしを満たしてくださることを決して疑わないように。神学生、司祭でありながら決して赦されるはずのないことをしでかしたとしても、神の憐れみに心を開けば赦してくださることを決して疑わないように。
いなくなった羊もあきらめずに探し回れば必ず見つけて肩に抱いて喜んで帰ることができることを、疑ってはいけません。「天に対してもお父さんに対しても罪を犯しました」と泣いている兄弟を、神が喜び迎えてくださることを疑ってはいけないのです。
必ず、与えてくださいます。成長するために必要な出会い・書物・何かのきっかけ。必要なものは必ず与えられます。あとは信仰の問題です。あなたと神が正面から向き合って、あなた自身の信仰を問い直すことが求められているのです。


【共同体とともに、共同体のうちに育ててもらう】

とっさのことをできる人とできない人といますよね。
たとえばミサの時によく仕えてくれる教会の侍者を例に挙げましょう。言われてすぐ動ける子と全く動けない子がいます。香部屋で「めずらしい小学生がミサに来ている。今日はその子も侍者に使いたいからその子を香部屋に連れて来なさい」と言いました。
その教会の香部屋に、右側のドアと左側のドアとありました。
「神父さま。どっちのドアから行くのですか?」と言うわけです。
「俺が知るや!自分で行け!はよっ」と言ったら・・・
「いや。あのぉどっちから行けばいいんですか」
「右側から行け!」で、行った。行ったのはいいのですが、この子はとっさのことができません。「あの~あの~」ってその子供の前で黙っています。何とかして連れて来いよと思うのですが。思い通りにいかない子もいます。ある子は「連れて来て」と言ったら「はーい」と返事して連れて来る。
皆さんの中でもとっさのことができる人と、とっさのことは無理で、きちんと打合せをして準備したものでないとできませんという方、いらっしゃると思います。それぞれ良いところを生かして共同体を豊かにしていただければいいのではないでしょうか。
それに関連してなんですけど、共同生活をしている中で、もちろんお互いに良いものを与え、影響を受けながら自らの完成を歩んで行くと思うのですけれど、一緒にいるからといって一人ぼっちでないという保証はありません。一緒にいても一人ぼっちという人はいるかもしれません。そう考えると、ある時間、何かこうお互いに良いものを出し合うような工夫を、こういった月の静修でもいいんですけど、試してみたらいいのではないかなぁと思います。
共同の時間というのもあります。共同の時間に共同の場所にいれば孤独でないかというとわたしの経験ではそうでもないです。共同の場所に一緒にいても一人きりということがありえます。
例えば一つの案ですけれども、聖書の分かち合いというのがありますね。与えられた朗読箇所に「立ち上がる」という一つの動作があるとしましょう。この一つの動作をお互いに分かち合ってみる。全員が忌憚なくみ言葉から受けたものを分け合う。そういう取り組みを時に入れてみれば、『あ~この人はこういうところに目が行くんだなぁ』とか、わたしの知らないところで立ち上がるという動作に光が与えられた。今までずっと聖書読んでいたつもりだけどあの神学生のおかげでわたしは新しいところを見つけた。そういうことが少しできるんじゃないかなと思っています。
ちなみに、立ち上がるというのはキリストの復活に関連のある言葉ですね。ですから、ある場面で「立ち上がって行動を始めた」とあれば、その人は信仰を持って、キリストへの信頼を置いて何か動き始めたというふうに受け取っていいと思います。
あるいは、朗読箇所は特に定めずに一つの動作を取り上げて分かち合うことも面白いかもしれません。「座って」とか、「座らせて」とかそういうところを皆さん出し合ってみましょうと呼びかける。ある人は パンと魚の奇跡で人々を50人ぐらいずつ座らせた、あそこを思い出す人がいるでしょう。もしかしたらまた違うところを思い出す人がいるかもしれません。あ~なるほど。こういう所でも座るというのが出るんだなぁ。あの仲間のおかげでわたしは知らないことを知ることができたんだなぁとなる。
一人で聖書を読んで一人で発見できることって限られています。たかだか60年70年80年ぐらいの時間で見つけた箇所です。ですから、たぶん一人で見つけるよりもほかの仲間に見つけてもらったものを吸収する。そういうことをするともっともっとこの学生生活でお互いに助け合って養成しあうことができる。お互いにお互いを育て合うということができるのではないでしょうか。一人ではない、そう感じて、慰められ、力を得ていく仲間もいるかもしれません。
一例ですよ。一例。慎重に考えて綿密に準備してしゃべっているわけじゃないんです。ですからこれが唯一だと断定されては困りますので、あくまで参考として考えてください。共同でいますけれど、一人きりにならないように。共同の時間に一つ部屋に集合していますけど、一人きりということが無いように何か工夫を考えてみてはいかがでしょうか?
いろんな役割分担をして、一つのことを成し遂げ、一体感を味わうというのは素晴らしい体験ですね。一人ぼっちにならない効果的な方法でもあると思いますが、わたしはそれを教皇様の来日の時に味わいました。当時はほろ苦い思い出でしたが、今となっては得難い体験です。
教皇様が日本においでになったのは1981年でした。中学3年生だったと思います。雪が降りました。高校生になった先輩神学生たちや大神学校の先輩たちは祭壇のそば近くで何か仕事がありました。当時わたしはそれを指をくわえて見ていました。高校生だったら良かったのになぁと思って。またそういう機会がもしかしたらあるかもしれませんが、中学生は何をしていたと思います?プラカード持ちだったのです。
松山競技場では、正面スタンド側に祭壇が設けられていました。そこに大神学校の上級生は近くでお手伝いをしたと思いますけれど、高校生以上は何かしらお手伝いがあって、正面スタンドに上がっていたわけです。松山競技場のグラウンドではA-1・A-2・A-3と区画になって参列者が入ってましてそこにわたしたち中学生もいました。
記憶のある方は覚えていると思うんですけど、プラカード(案内板)を持っていた坊やたちがいたと思います。わたしたちは案内板を持つのが仕事だったのです。案内板を持つわたしたち神学生は、皆さんはスタンドの方を見ているんですけれど、プラカードを持って背中を向けて立たないといけなかったんです。
わたしは後ろを振り向きながらずっとミサにあずかったのを覚えています。「このように立て」と言われたので。わたしも中学のときは純粋だったので、立っていなさいと言われるとそのままでした。じゅかじゅか濡れる中、ズック靴です。布製なので、どんどん濡れてしみ込んでいくのです。冷たいなぁ冷たいなと思いながら、プラカードを持って一生懸命立っていました。
前日叙階式がありました。もう30年も前なので皆さんは記憶のない方々なのかもしれません。神学生は特別な配慮をしていただいて中央の通路に寄せて席を用意してもらっていました。「今諫早を通過しました。」「後何分でおいでになります。」「教皇様おいでになりました」と言って浦上教会の正面の扉が開かれて教皇様が中央の通路を通ります。わたしたちは、「あっ来た」と思ったんですけど、その瞬間、同じ服を着たひとかたまりの女性の方々が「どいてぇぇぇ」と言って殺到してきて、わたしたちは押しやられていって「あぁぁぁ」っと言う間もなく中央の通路からどんどん後ろにやられ、「教皇様ぁぁぁぁぁ~」教皇様の姿ではなく、バーゲンセールに群がる同じ服を着たひとかたまりの女性の姿しか見えなくなりました。
誰とは言ってませんよ。同じ服を着たひとかたまりの集団の女性です。ちなみにわたしが「どいてぇぇ」と言われたのは紺色の服でした。それ以上は言わないことにしておきましょう。そこは典礼用品の買い物をする付き合いもあり、買い物をするときに値段を吹っ掛けられても困るので、紺色の服を着た一団とだけ言っておきます。握手できるぐらいのところに置かせてもらっていたのに、あっという間に後ろに追いやられて・・・それが教皇様の思い出です。
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