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‥‥‥†‥‥‥‥
こうじ神父
「今週の説教」
2024/2/11(No.1280)
‥‥‥†‥‥‥‥
年間第6主日(マルコ1:40-45)
イエスは深いところで私たちに触れてくださる
‥‥‥†‥‥‥‥
浜脇教会は一日黙想会を含む年間第6主日です。与えられた福音朗読の中で、「イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れた」(1・40)この場面が目を引きました。もっと短く言うと、「イエスが触れた」ということです。イエスが触れると、清くなるのです。
「心に響く」ことを、日本の独特の表現で「琴線に触れる」と言ったりします。イエスが触れてくださったのは、先にイエスの御心に重い皮膚病を患っている人の言葉が触れたので、イエスがその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われたのです。「深く憐れんで」とあるのは、その人の言葉がイエスの心に触れたことの何よりのしるしです。
イエスは心を揺さぶられて、その人に触れ、重い皮膚病は去り、清くなりました。皮膚病は目に見える部分ですが、「清さ」は目に見えない部分です。激しく心を揺さぶられたイエスは、重い皮膚病を患った人の内面にまで触れてくださったのです。
しかし、イエスがその人の深いところまで触れてくださったとしても、その人自身が深い内面でイエスと出会ったかは別の話です。イエスはそれを察知して、「この人は表面的にしかわたしと出会っていない」そのことを御存知だったので、「だれにも、何も話さないように気をつけなさい」(1・44)と言われたのです。
心配していたことが現実になります。表面的にしかイエスと出会わなかったこのいやされた人は、イエスの忠告に従わず、「大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた」(1・45)とあります。イエスの忠告に聞き従っていたら、違った人生を歩んでいたでしょう。
この人がもし、深い場所でイエスに触れていたら、いやしの場面で表面的な出会いに終わっていたとしても、イエスの忠告をこれから先何度も思い返して、自分は静かな生活の中でそれを感謝すべきだと気付いたかもしれません。
この人の体験を、私たちは同じように体験することができるでしょうか。実は体験できるのです。それは聖体の秘跡とゆるしの秘跡においてです。聖体の秘跡もゆるしの秘跡も、深いところで、内面で、イエスと触れる秘跡だからです。
ミサで聖体拝領をするとき、キリストが私たちに触れてくださっています。表面的には、手のひらに触れて、舌に触れたと考えるかもしれません。もしそれだけのことならば、あの小さなパンよりも、もっと大きくて、口の中をいっぱいにしてくれるもののほうがよほど嬉しいでしょう。
表面的な感覚で終わらせず、いただいた恵みを思い巡らすと、これが私たちのために裂いて分け与えられたイエスの御体であることに気付くでしょう。そのとき、私たちはイエスと深い場所で触れるのです。「あなたの糧になります。」そう言ってイエスが先に、私に触れてくださった。イエスは深いところで、私たちに触れてくださっています。
またゆるしの秘跡を受ければ、「あなたの罪をゆるします」という言葉が耳に届くでしょう。耳に届くだけで終わるのではありません。罪は内面深くに巣くっています。そして罪のゆるしのために、イエスは十字架にかかり、私の罪を担ってくださいました。
十字架上でいのちをささげたイエスが、私の内面深くに触れてくださった。何よりも、イエスが先に、私の罪に触れて、十字架の上で罪を背負ってくださったのです。
イエスが私たちに触れてくださるのは、実に深い場所においてです。いつそれが分かるようになるでしょうか。イエスはあなたの人生全体を使って、いつか分かるように完成させてくださいます。イエスが私に触れてくださる。そのことが分かるときは必ず来ます。完成への道のりを歩んでいけるように、ミサの中で恵みを願っていきましょう。
‥‥‥†‥‥‥‥
‥次の説教は‥‥
四旬節第1主日(マルコ1:12-15)
‥‥‥†‥‥‥‥
‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥
▼連続休暇をいただいた。助任二人は先に連続休暇を入れていたので、最後になった。五島列島から出ることはほとんど無いので、たまの休暇も新鮮だ。長距離バスに乗ったり飛行機に乗ったり、楽しく過ごせた。
▼何より幸いだったのは、緊急の連絡が無かったことだ。おかげで目一杯の休暇を使うことができた。緊急の問い合わせ(誰かが亡くなって洗礼名が分からないとか)があっても、スマホで返事ができる態勢はできているが。休暇は楽しいが、業務が1ミリも進んでいないのが、残念と言えば残念。
‥‥‥†‥‥‥
今週の1枚
‥‥‥†‥‥‥
第887回目。飛行機は雲の上を飛ぶ。当たり前のようで、新鮮だったりする。
ホームページもご覧ください。
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† 神に感謝 †
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こうじ神父
「今週の説教」
2024/2/11(No.1280)
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年間第6主日(マルコ1:40-45)
イエスは深いところで私たちに触れてくださる
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浜脇教会は一日黙想会を含む年間第6主日です。与えられた福音朗読の中で、「イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れた」(1・40)この場面が目を引きました。もっと短く言うと、「イエスが触れた」ということです。イエスが触れると、清くなるのです。
「心に響く」ことを、日本の独特の表現で「琴線に触れる」と言ったりします。イエスが触れてくださったのは、先にイエスの御心に重い皮膚病を患っている人の言葉が触れたので、イエスがその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われたのです。「深く憐れんで」とあるのは、その人の言葉がイエスの心に触れたことの何よりのしるしです。
イエスは心を揺さぶられて、その人に触れ、重い皮膚病は去り、清くなりました。皮膚病は目に見える部分ですが、「清さ」は目に見えない部分です。激しく心を揺さぶられたイエスは、重い皮膚病を患った人の内面にまで触れてくださったのです。
しかし、イエスがその人の深いところまで触れてくださったとしても、その人自身が深い内面でイエスと出会ったかは別の話です。イエスはそれを察知して、「この人は表面的にしかわたしと出会っていない」そのことを御存知だったので、「だれにも、何も話さないように気をつけなさい」(1・44)と言われたのです。
心配していたことが現実になります。表面的にしかイエスと出会わなかったこのいやされた人は、イエスの忠告に従わず、「大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた」(1・45)とあります。イエスの忠告に聞き従っていたら、違った人生を歩んでいたでしょう。
この人がもし、深い場所でイエスに触れていたら、いやしの場面で表面的な出会いに終わっていたとしても、イエスの忠告をこれから先何度も思い返して、自分は静かな生活の中でそれを感謝すべきだと気付いたかもしれません。
この人の体験を、私たちは同じように体験することができるでしょうか。実は体験できるのです。それは聖体の秘跡とゆるしの秘跡においてです。聖体の秘跡もゆるしの秘跡も、深いところで、内面で、イエスと触れる秘跡だからです。
ミサで聖体拝領をするとき、キリストが私たちに触れてくださっています。表面的には、手のひらに触れて、舌に触れたと考えるかもしれません。もしそれだけのことならば、あの小さなパンよりも、もっと大きくて、口の中をいっぱいにしてくれるもののほうがよほど嬉しいでしょう。
表面的な感覚で終わらせず、いただいた恵みを思い巡らすと、これが私たちのために裂いて分け与えられたイエスの御体であることに気付くでしょう。そのとき、私たちはイエスと深い場所で触れるのです。「あなたの糧になります。」そう言ってイエスが先に、私に触れてくださった。イエスは深いところで、私たちに触れてくださっています。
またゆるしの秘跡を受ければ、「あなたの罪をゆるします」という言葉が耳に届くでしょう。耳に届くだけで終わるのではありません。罪は内面深くに巣くっています。そして罪のゆるしのために、イエスは十字架にかかり、私の罪を担ってくださいました。
十字架上でいのちをささげたイエスが、私の内面深くに触れてくださった。何よりも、イエスが先に、私の罪に触れて、十字架の上で罪を背負ってくださったのです。
イエスが私たちに触れてくださるのは、実に深い場所においてです。いつそれが分かるようになるでしょうか。イエスはあなたの人生全体を使って、いつか分かるように完成させてくださいます。イエスが私に触れてくださる。そのことが分かるときは必ず来ます。完成への道のりを歩んでいけるように、ミサの中で恵みを願っていきましょう。
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ちょっとひとやすみ
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▼連続休暇をいただいた。助任二人は先に連続休暇を入れていたので、最後になった。五島列島から出ることはほとんど無いので、たまの休暇も新鮮だ。長距離バスに乗ったり飛行機に乗ったり、楽しく過ごせた。
▼何より幸いだったのは、緊急の連絡が無かったことだ。おかげで目一杯の休暇を使うことができた。緊急の問い合わせ(誰かが亡くなって洗礼名が分からないとか)があっても、スマホで返事ができる態勢はできているが。休暇は楽しいが、業務が1ミリも進んでいないのが、残念と言えば残念。
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