こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

年間第21主日(マタイ16:13-20)信仰を言い表す人を神は支えてくださる

2014-08-24 | Weblog
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(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
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http://hanashi-no-mori.news-site.net/voice/140824.mp3

(音声ファイルは、MP3形式です。)
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こうじ神父
「今週の説教」
14/08/24(No.725)
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年間第21主日
(マタイ16:13-20)
信仰を言い表す人を神は支えてくださる
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年間第21主日は、「ペトロ、信仰を言い表す」という場面が選ばれました。「弱さを抱えながらも信仰を言い表す人を、神は支えてくださる」とまとめたいと思います。

19日に、楽しみにしていたものを受け取りました。それは司祭になった時に愛宕のレデンプトリスチン修道院で制作した絹織物の祭服で、22年お世話になっていたものの修繕がようやく仕上がったのです。特別な管理もせずに着続けた絹織物の祭服は、全体的に黄ばみが出てしまい、裏地が破れ、糸がほつれ、染みも目立ってきていました。

制作してくださった修道院には「修繕をお願いします。費用はいくらかかっても構いません」とだけ伝えて祭服を届けました。担当のシスターからは、例えて言えば大手術が必要で、費用も相当かかると言われました。でも、22年愛用してきた祭服を、さらに10年15年着続けるためと思い、できることはすべて施してくださいと言いました。

おかげで立派に仕上がりました。無事に修繕を成し遂げてくださった修道会の姉妹たちに心から感謝したいと思います。さっそく、21日に行われた福見教会での葬儀ミサに使用しました。浜串教会では9月以降の白の祭服を使用する日にお披露目できると思います。

さて福音朗読の学びに入りましょう。今週の朗読個所は、うっかり聖母被昇天の説教の前置きとして話してしまった箇所なのですが、初めて向き合ったつもりで与えられた個所を読み返してみました。なぜ、イエスはペトロを使徒の頭、教会の礎となさったのでしょうか。

まず、ペトロの信仰告白を読み返してみましょう。「あなたはメシア、生ける神の子です」(16・16)と答えたペトロにイエスは、「あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ」(16・17)と言われました。天の父がペトロを選び、信仰告白へと導いたことを伺わせます。

さらにイエスご自身も、「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない」(16・18)とペトロを選んだことを明言しました。

そして、「わたしはあなたに天の国の鍵を授ける」(16・19)と仰ったのは、これは聖霊を授けると受け取ってもよいのではないでしょうか。聖霊が注がれて、地上でつないだり解いたりするための正しい判断ができるようになる。そのことを「鍵を授ける」と言っていると考えてみました。ここでは、ペトロが聖霊によっても選ばれたと考えることができると思います。

以上、ペトロは天の父によっても、イエスによっても、聖霊によっても選ばれ、教会の礎として用いられることになったと考えられます。ここで改めて、なぜペトロが選ばれることになったのでしょうか。わたしは、以後2千年以上続く地上の教会の姿が、ペトロに投影されている、映し出されていると思いました。

ペトロはご存知のように、御父にも御子にも聖霊にも選ばれて使徒の頭とされたのですが、彼自身はイエスに叱られる行動を取ることもあり、イエスを否認する弱さもあり、言い伝えによると迫害のさなかにローマを離れ、逃避行している時に十字架を担いでローマに向かうイエスとすれ違い、「あなたがローマを離れようとしているから、もう一度わたしが磔にされに行くのだ」と言われ、思い直してローマに戻って殉教したと言われています。

人間的には弱さを抱えた人物でしたが、いつも自分の弱さを率直に認め、イエスに助けを求めて立ち直っていくのでした。弱さを抱えながらも、2千年もの長きにわたって三位一体の神に緊密に結び合わされて強められ、揺るぎないものとなっていく。そんな地上の教会の姿が、ペトロに投影されているのではないでしょうか。

ペトロの信仰告白の場面は、信仰を立派に証しするためには、いつも神の支えが必要なのだよということを教えてくれていると思います。それは、わたしたち個人の信仰だけでなく、わたしたちが地上の教会を維持していくためにも、三位一体の神との緊密な絆が必要だということでもあるのです。わたしたち教会家族が、信仰を守り、信仰を伝え、信仰を証ししていくために、常に三位一体の神がわたしたちの心臓部にあって、わたしたちを生かしてくださる必要があるのです。

信仰を守り、伝え、証ししていくことは、キリスト信者の基本的な生き方です。わたしたちがこの生き方を維持し続けるためには、わたしたちの手足に、心臓が血液を送って十分な酸素が行き渡る必要があります。その心臓の働きは、三位一体の神と緊密に結ばれてはじめて可能なのです。ペトロの信仰告白もそのことを、わたしたちに示しているのだと思います。

ペトロと同じようにわたしたちも、どのようにして今の教会は2千年の長きにわたってこの地上に維持されてきたのかを証ししなければなりません。それは三位一体の神と緊密に結ばれ、三位一体の神の助けがあったからです。

わたしたちの信仰生活にも同じ証しが必要です。信仰を守り、伝え、証しするために、わたしたちの体に三位一体の神が酸素を送り続けてくれていることをいつでも思い出し、人々に証しできる準備を整えておく必要があります。

使徒信条を通して、わたしたちは何を信じて生きているかを証しできるようにいつも準備しておきましょう。同時に、わたしたちは三位一体の神と緊密に結ばれていて、この神がわたしたちの体の隅々にまで恵みという酸素を送り続けてくださっているので信仰生活を守り、伝え、証しできているのですといつでも告げ知らせることができる人でありたいと思います。そのための準備の恵みをミサの中で願い求めましょう。

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‥次の説教は‥‥
年間第22主日
(マタイ16:21-27)
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ちょっとひとやすみ
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▼体は全身に血液が巡って活動できる状態を保っている。だから活動できているのは心臓が丈夫で、安定して血液を送ってくれているからだ。目で見ることのできる活動の部分だけ取り上げるのは、それこそ小手先のことに過ぎない。
▼長崎教区が信徒発見150周年を機に「この教区がどうあるべきか、どのように舵を切るべきか」を真剣に話し合い、模索している。それが教区シノドスだ。今年の11月にはすべての討議が終了して大司教に提言を提出することになっている。
▼提言が、小手先のものにならないために、必ずこの教区の心臓部がきちんと働いているかを把握しておく必要があると思う。さあこの方向性で舵を切るぞと意気込んでも、そこで心不全を引き起こしたり心筋梗塞になったりすれば、一巻の終わりである。
▼ところで長崎教区の心臓部はどこか。長崎教区に始まったことではないが、全身に血液を送り、よどんだ血をきれいに洗浄して酸素を再び届けてくれる部分はどこか。わたしは「祈る共同体のあるところ」が心臓部だと思っている。毎日毎瞬間、一切変わらないリズムで祈り続ける共同体。これがキリスト教共同体(教区であったり、小教区であったり、あるいは家庭も)の心臓部だと思う。
▼心臓はたまに働いたりたまに力を発揮したりする場所ではない。必ず同じリズムで働き、力を発揮しなければならない場所である。場合によってはふだんの何倍もの血液を送り出し、全身の激しい運動を支えなければならない。
▼長崎教区は、これから最終決定されるであろう提言を支えるだけの丈夫な心臓部を持っているのだろうか。教区民みなが、心臓の働きを思い出して、教区の活動に必要な酸素を送り出すために、毎日毎日全く同じリズムで欠かさず祈ってくれる心臓部を持っていると言えるだろうか。
▼幸いに、決してリズムを変えることなく祈り続けてくれている共同体が教区内にはある。たとえば女子修道会。だが本当にそれだけで、これからの教区全体の活動を支えるだけの酸素を末端にまで送り続けることができるのだろうか。
▼もう少し、決してリズムを変えることなく祈り続けている共同体があるかもしれない。だが、わたしはもっと、こうした心臓部を担ってくれる人々が長崎教区には必要だと思っている。だれにも何も告げなくて構わない。ただ決まった時間に祈ってくれる人がいてほしい。心臓だって、だれにも何も言わず、黙って働いているのだから。

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今週の1枚
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第332回目。予定では、プール遠足を楽しむ浜串小教区の子供たち。

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