2045年にシンギュラリティが訪れると言われています。どう対処したらよいか不明で心細い感がありますが、人類にとっての直近のシンギュラリティを考察してみようというのが本書の目指すところです。それは、3~5000年前の文字の発明になります。文字発明後数百年後に記された「論語」を、著者の得意とする身体論と漢字の視点から読み込んでいます。
人類は文字を生み出して、いかに変化したか?「時間を生み、論理を作りだし、そして、心も生み出した」と考えられています。その心とは、「未来を変え、過去から学ぶ力」と定義されています。文字誕生以前は現在だけしか想定できなかった人類は、時間を知った瞬間に、未来に対する「不安」と過去に対する「後悔」という、心の裏に潜むおそろしい副作用も持ち合わせてしまいました。
この葛藤状態や危機的な状況に対して、自動反応(react)するかどうしようかと慌てているだけの人と、自動反応に一度ストップをかけ、「現在」という時点を、過去と未来という時間の中で捉えなおし、何をすべきか、何が一番いいのか、それを冷静に判断し、選択し得る能力を持った人たちが存在します。論語では、孔子は、前者をふつうの人である「小人」、後者を「心を使おうと決めた「君子」に分類しました。「君子」は「思考するふつうの人」です。次のシンギュラリティ以前でも、情報や時代情勢に流されるだけの人が多くなり、スマホという小さな画面の言いなりになっています。人が人たる存在であるには、「注意深く思考し、行動する」ことが不可欠になります。
そして、思考、「知」の過程を「温故而知新」のレシピとして提示しています。それは、
①問いを立てる
②さまざまな「知識」を脳内に投げ込む
③「温」する
④忘れる
⑤新しい知見が突然出現する
です。疑問を持ち、インプットし、絶妙なアウトプットをする、AIには不得手な「問いを立てる」を盛り込んだ「温故而知新」を今のうちに仕込んでおきましょう!
『あわいの時代の「論語」 ヒューマン2.0』(安田登著、春秋社、本体価格1,800円)
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