事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

グリーンハウス再建計画 ページ1 愛のコリーダ

2007-09-06 | 映画

Empiredessens_p さて、今回から山形県酒田市に存在した伝説の映画館「グリーンハウス」を特集します。なんか、再建に向けて(というのはちょっとオーバーだけど)動きがあるようなので、側面からバックアップしたいので。今回は「愛のコリーダ」の巻。

 1976年10月29日、高校2年生の映画少年だった私は、翌日の土曜日、東映映画上映館酒田中央座で菅原文太主演、俊藤浩滋(合掌)企画、中島貞夫監督の「バカ政 ホラ政 トッパ政」を観る算段でいた。当時、東北でも有数の洋画ロードショー館だったグリーンハウス(日テレ「11PM」で小森のおばちゃまが「あれはいい映画館!」と激賞してくれていた)では、大島渚が久しぶりに撮った日本初のハードコア「愛のコリーダ」を上映していたが、当然成人指定だし、ずたずたのカット、ぼけぼけの画面であることは承知していたので、当時熱中していたやくざ映画の方を選択したというわけだった。

 風の強いその日、7時前に家に帰り、NHKのローカルニュースを見ると、酒田中町で火事があり、現在も延焼中であることが伝えられていた。火元はグリーンハウスだという。「あのオシャレな映画館が焼けるのは痛いなー」それどころではなく、グリーンハウスの中にはおそらく日本で一番小さな名画座「シネサロン」(座席数ほぼ10。私はここで浴びるほどアメリカンニューシネマを観た。ここで初めて痴漢行為をはたらいたロクでもない同級生もいたが)が併設されていたので、これは痛いどころの話ではなかったのだ。そのくせ「でも明日はバカ政だし……」と油断しまくりの状態だったのはどうしたもんだろう。

14  いっこうに鎮火の報は聞こえてこず、近所の消防団員たちは総出動、半鐘やサイレンは鳴りまくり。台所の窓から市街地を眺めると、5キロほど離れた私の家からでさえ、空の半分ほどが紅く染まっていた。その赤さ、明るさは夕焼けの比ではない。

 深夜になっても火勢は衰えず、YBCの古池常泰アナ(私のクラスメイトのお姉さんをナンパしたことで印象深い)が終夜実況していたことや、井上順が文化放送「セイヤング」で「山形県の酒田というところが今燃えていますね。ま、よくわかりませんが」と失礼なことを話していたのを憶えている。結局、鎮火したのは午前5時ごろ。死者1名。罹災者3,300名。被害総額405億円の戦後4番目の大火という結果になった。

 翌朝、市街地を通ることなく学校にチャリで行ける私は、騒然とした雰囲気を、自衛隊の行進やら学校のグラウンドに朝日新聞のヘリが着陸したことぐらいでしか感じ取れないでいた。「バカ政観たかったなー。」引き続きのんきな高校生だったのである。物見高く火事の現場を見に行くことには抵抗があったし。

 余談だが、その後この被災地にはたーくさんの“観光バス”がやって来ていて、私は素直にそれを受けとめられないでいた。もっとも、変な言い方だが酒田が一気にメジャーになったのはこの大火のせいもあるだろう。東京に出たとき、ネイティブの連中には「酒田?知ってるよー、燃えたとこだろ?甲子園にも出たし。」とニッコリ笑って言われたものだ……いいけどさ。

 一週間ほどたって、結果的に類焼をくいとめた新井田川沿いをチャリで走って、私は初めて呆然とした。

 町が……無くなってる。

 正確にいうと、どんな風の具合かわからないが、全く燃えていない建物が二三見受けられるものの(そのうちの一軒は私の知り合いの家で、その後、的外れな怨嗟のために投石されたりした)、あとはもう、なんっにも無くなっているのである。ここに至ってようやくことの重大さに気づいた私は……何にも出来なかった。無力な高校生にも何ごとか出来ることがあったはずなのに。

 その後、気が遠くなるような拙劣な都市計画もあって、酒田はどんどん“下降”して行くことになってしまった。

R030323  あれから四半世紀経ち、初めて観るニューバージョン「愛のコリーダ」は、ワイセツに関する日本人の感性が鈍化(私は素直に成熟、と思っている。そろそろヘアー云々は卒業する頃だろう)したことと、自分の老化があいまって、ハードコアというより、日本の様式美を徹底的に画面にぶち込んだ古典に見えた。文句なく傑作。若い頃に観ておけば(観るべきだった、とつくづく思う)、鼻血の1リットルも流していたかもしれないが。

 藤竜也と松田英子のがんばりはもちろん素晴らしかったが、ファンだった芹明香中島葵の姿にはため息が出た。もう亡くなった中島のことは今回のリバイバルで誰も話題にしてくれないけれど、森雅之の娘にして、阿部定役の松田英子よりも先にファックシーンを撮り終えた彼女は、実は日本初の公認本番女優なのだ。多くのポルノ映画に出演していた彼女も、この事実を聞いた時は泣いたという……そんな時代の映画だったのである。

……「バカ政 ホラ政 トッパ政」は、結局今にいたるも観ることが叶わないでいる。

(ページ2につづく)

コメント (2)
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