事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

オヤジロック三昧 Neil Young - Heart of Gold

2017-09-19 | 音楽

Neil Young - Heart of Gold

きのうは米沢往復。さすがに疲れます。片道160キロ。一日で7時間クルマを運転していたことになる。でも、全然眠くならなかった。

NHK-FMが敬老の日特集として(これがちょっと我ながらつらいんだけど)「オヤジロック三昧」と称して69才以上のロックアーティスト(元気にもほどがある)特集をかましてくれたからだ。おれのためにあるような企画!69才にははるかに遠いけど!

89年のストーンズのスティール・ホイールズ・ツアーのオープニング曲は……

「スタート・ミー・アップ!」

みんな病気になったエアロスミスのなかでいちばん健康なのは……

「ジョー・ペリー!」

(訳詞コーナーの)

「♪おれはハリウッドにも行った」

「レッドウッドにも行った!」(「孤独の旅路」ニール・ヤング)

DJより先に宣言するわたしに助手席の妻と後部座席の娘はあきれている。仕方ないんだよそういう世代なんだから。

でもこの番組に狂喜したのはその理由だけじゃない。

「このDJ、何才ぐらいだと思う?」

わたしにとっておなじみの人だったので。

「え?三十代くらい?」

「おれより年上なんだよ」

そのDJは山本さゆりだったのである。

あ、誰も知らないか。

かつてラジオ関東(死語)でオンエアされていた「全米トップ40」で湯川れい子のアシスタントのような立ち位置だった人だ。チャッピーじゃん。懐かしくて涙が出る。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E3%81%95%E3%82%86%E3%82%8A

今泉恵子の全英トップ20もよろしくね。

初めて知ることも多かった。

○キャロル・キングは、ソングライターになる前はティーンエイジアイドルとして売り出そうとしていた。

○(「ビー・マイ・ベイビーの)ロネッツのヴェロニカはフィル・スペクターと結婚していた(マジで知りませんでした)。

えーとあと何だっけ。こうやって忘れていくのが敬老っぽい。

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追悼ウォルター・ベッカー Steely Dan - Gaucho - HQ Audio

2017-09-04 | 音楽

Steely Dan - Gaucho - HQ Audio

週末にうちの猫は近所のライバルとケンカをしたらしく、脚をひきずっている。
「医者に連れてかなきゃ」
ところが、運動会で学区の小学校から借りた綱引きの綱を軽トラで返しているうちに外に出たみたい。で、帰ってこない。ネガティブな想像がどんどん膨らむ。夜勤明けの息子も

「死ぬときはいなくなるって言うよね」

よせよ。

いろんなところを見回ってもいない。夕刻になっても帰らない。酒を飲む気にもなれない。

「あいつが帰ってくるまで禁酒しよう」

なんてことまで考える。午後6時。暗くなり始めたので、もう最後だと軒下をのぞいたら

「にゃ」

と出てくる。ふううう。とりあえずご飯を食べさせて、妻と医者に向かう。助手席で彼女は

「どうしようかと思ってたの。あたしもご飯を食べる気にもならないし」

レントゲンを撮ったら骨折はしていないようだ。抗生物質を注射してもらう。あーよかった。こんなにも自分がダメージを受けていたのかとびっくり。妻も猫用キャリーを抱えて

「よかったねぇ、よかったねぇ」

とつぶやいている。いつか、覚悟を決めなければならない時も来るのだろうが、今は勘弁してくれ。ってことでさっそく飲んでます。

その代わりというわけではもちろんないが、スティーリー・ダンのウォルター・ベッカーが亡くなった。神経症的なまでに完成度にこだわった

「彩(エイジャ)」

「ガウチョ」

という二大傑作アルバムだけでも聴いてほしい。わたし、ガウチョは人生でいちばん数多く聴いたアルバムだと断言できます。タイトル曲の女性ボーカルの美しさは筆舌に尽くしがたい。にしても、このバンドの歌詞は意味わかんなくて(T_T)

 

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戦後の音楽文化PART8 学習指導要領

2016-11-02 | 音楽

Black Wonderful Life HD Widescreen 16:9

PART7「演歌」はこちら

音楽特集の最後は、少しは学校職員っぽいことを。

「学習指導要領」

学習指導要領は、1958年より法的拘束力をもつようになり、以後十年ごとに改訂される運びとなる。そしてこれによって共通教材(各学年歌唱、鑑賞教材それぞれ三曲ずつ)が導入されるようになったことは重要である。教育課程の基準となる目標や内容を示すだけでなく教材の指定を行うようになったことは、何を我々の共通のレパートリーとしていくかを国が示したということである。

これには国による教育への過剰統制ではないかという批判があった。特に小学校の歌唱教材については、文部省唱歌や日本古謡から選曲されており、それが果して「愛唱歌」となりうるのか、それらを歌うことで音楽の生活化が図られるのかを疑問視する意見が聞かれた。しかし、時代を経た現在から顧みると、学校教育における教材として音楽の導入部からそれらの歌が選択されてきたことで、世代を超えて歌い継がれる「みんなが知っている歌」になった事実も見逃せない。

……なるほどー。全然知りませんでした(笑)。他の教科は教材の指定は行ってない。そういえばそうか。国語の教科書に“必ず載る作品”は存在しないものな。まあ夏目漱石に一度もふれないで卒業するのはむずかしいだろうけれど。

しかしわざわざ共通のレパートリーを文科省が用意しなければならないくらいに現在の音楽の嗜好は細分化され、みんなが知っている歌は生まれにくくなっている。紅白歌合戦の視聴率が低下し続けているのはその証左でもあるだろう。

わたしはそのことは一種の成熟だと考える。もちろんみんな知っている曲を力強く歌う経験はたとえようもなく成就感があり、成長段階において必要なことだとは思う。でもわたしは最後にこれだけは言っておきたかったのだ。“みんなが知っている曲がある”ことは確かにうれしい。しかしその曲を歌いたくない人間に歌を強制するような世の中は、きっとろくなものではないんだろうと。

この特集の最後の曲はブラック「ワンダフルライフ」。わたしの世代にとってはサントリーが売り出したバーボン、オールドフォレスターのCM曲としておなじみ。すばらしい曲。そしてこの曲を書いて歌ったコリン・ヴァーンコムは今年、交通事故で亡くなっている。享年53。彼にとって、人生が素晴らしいものであったことを祈ります。え、こんな曲知らない?それはよくないなあ。ぜひ歌ってみてください。詞は皮肉にみちていますがシンプル。

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戦後の音楽文化PART7 演歌

2016-11-01 | 音楽

ザ・エン歌.MPG

PART6「ウエスタン」はこちら

「演歌」

1970年前後に成立するレコード歌謡の一ジャンル。ヨナ抜きと呼ばれる五音音階の旋律、七五調の歌詞、こぶしや唸りを強調する歌唱、オーケストラまたはビッグバンド編成の伴奏などを特徴とする。

「ヨナ抜き」明治以前から存在する伝統的音階。ドレミでいえばファとシが存在しない。 

……演歌の定義はとてもむずかしい。にしても驚かれないだろうか。1970年前後に成立した?ちょっと待ってよ。そんなに新しいのか。演歌とは日本の心であり、古賀(政男)メロディーで、韓国のメロディーが日本に移入されて、えーとあとなんだっけ。それらすべての言説は嘘だったの?

気になったので「創られた日本の心神話 『演歌』をめぐる戦後大衆音楽史」(輪島裕介著 光文社新書)を読んでみた。この、気鋭の音楽学者によれば

・演歌のルーツは明治期の自由民権運動における演説の歌だが、しかし現在の演歌というジャンルとはほとんど関係がない。

・60年代において、演歌的な(その頃は演歌と名のってもいなかったが)ムード歌謡は、低俗なものと蔑視されていた。

・しかし低俗だからこそ聖であるという反語を用いて、演歌をサブカル的に称揚したのが作家の五木寛之であり、ルポライターの竹中労(キネマ旬報の連載をわたし愛読していました)だった。

……74年生まれの著者は冷静にこの事実を積み上げていく。もちろん反論もあるだろう。しかし団塊以上の世代は、この流れを肌で感じていたのではなかったか。ある日突然、演歌(それは怨歌、艶歌とも表現された)というジャンルが発生したことを。

その象徴が、宇多田ヒカルの母親だった藤圭子ではなかったのか。彼女の壮絶な過去は、その暗いジャンルにうまくはまった……年長の人たちから怒られそうだな。

わたしは北原ミレイの「石狩挽歌」や八代亜紀(この人は自分のことを演歌歌手だとは思っていない)の「雨の慕情」は大好き。憂歌団の「ザ・エン歌」はもっと好き。この曲を知ったのは、松金よね子がラジオ番組に出演したときにリクエストしてくれたからでした。以下次号

ということで本日の一曲はその「ザ・エン歌」。憂歌団が三十年ほど前に酒田の文化センターでコンサートをやったとき、「じゃあ次は演歌を……」と言ってこの曲をやろうとしたというのに、偏狭な客が「ブルースをやってくれ!ブルースブルースブルース!」と絶叫したために木村はブルースに変更。おかげでこの曲が内田のギターとともに酒田で演奏されることはなかったのでした。うー。

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戦後の音楽文化PART6 ウエスタン

2016-10-31 | 音楽

The Band & Emmylou Harris 'Evangeline' 1978.avi

PART5「ゲイシャ・ワルツ」はこちら

戦後の音楽の方向性を決定づけたのは、やはり占領軍ではないだろうか。

「キャンプ」

アメリカ軍キャンプの音楽としては、ジャズと総称されたアメリカ系舶来軽音楽が広範に演奏されたが、戦前の日本のジャズとの顕著な相違点としては、カントリー&ウエスタン(当時は単にウエスタンと呼ばれることが多かった)と、のちにモダンジャズと呼ばれることになるビ・バップ以降のジャズの移入がある。

どちらも戦時中のアメリカで、音楽産業の既存のメインストリームとはやや別のところで台頭した音楽であり、前者であれば中西部や南部出身、後者であればアフリカ系のアメリカ軍将兵の直接的な要求と支持に基づいて日本に持ち込まれた新しい音楽といえる。

前者については、演奏が比較的容易なことや、西部劇的に理想化された「アメリカ」のイメージも手伝って、日本の高校生・大学生がバンドを組んでキャンプで演奏することが多かった。アメリカ本国では地方の庶民的な音楽であるウエスタンは、日本ではブルジョア子弟が主たる担い手になった。

そうした富裕層子弟のバンドは学校を卒業するとバンドから引退したが、放送やレコード会社、出版社への就職を通じて音楽産業に関わっていく者も多かった。その代表的な人物として、三井財閥の分家出身で、学生時代はバンド、ワゴン・マスターズを率い、その後日本テレビに入社して多くの音楽番組を手掛けた井原高忠がいる。

……ここで井原さんの名前が出てくるのか。

戦後すぐに、“趣味で”音楽をやる若者はなるほどブルジョアの子弟しかいないだろうし、田舎者が多かった米兵に感化されてウエスタンを始めるのは自然なことだ。日米において、かくしてねじれは生じたわけだ。

少し時代は下るけれども、アメリカ大使館の軍事顧問団に勤務した経歴を持つ人物も、現在の音楽界に多大な影響を与え続けている。英語名ジョン・ヒロム・キタガワJohnny H. Kitagawa。もちろんジャニー喜多川のことである。以下次号

本日の一曲は尾崎豊の「米軍キャンプ」にしようかとも思いましたが、あまりにそりゃベタなので(笑)、ザ・バンドとエミルー・ハリスが共演した「イヴァンジェリン」を。これは「ラスト・ワルツ」のバージョン。ということは撮ったのはマーティン・スコセッシだ。黒髪が美しかったエミルー・ハリスは、銀髪となったいまもきれいです。

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戦後の音楽文化PART5 ゲイシャ・ワルツ

2016-10-25 | 音楽

(改) 芸者ワルツ/神楽坂はん子 (本人歌唱ステージ)

PART4「合唱」はこちら

話がこむずかしくなってしまった。他にもこの本にはお勉強になるネタがてんこ盛りです。

「朝鮮戦争・特需」

(1950年の朝鮮戦争特需によって)あっけらかんと歓喜する日本人、冷ややかに批判を下す日本人の両者がいたのだが、音楽もそれらに符合していたように見受けられる。歓喜するほうでみれば、「君が代」や行進曲「軍艦」が街に響き渡ったり、特需景気に潤った新興成金層のお座敷ソングが氾濫していく状況があった。

お座敷ソングの草分けとしては、1949年に売り出され、51年に歌詞をよりエロチックに改作して大流行した「トンコ節」(作詞:西条八十、作曲:古賀政男)が挙げられる。52年には、神楽坂はん子の歌う「ゲイシャ・ワルツ」(作詞:西条八十、作曲:古賀政男)のヒットによって、お座敷ソングはさらに流行していく。

とはいえ、こうしたいわば桃色歌謡曲にあっても、単なるエロに終わらない悲哀や人間性の発露があったと考えられる。たとえば

「あなたのお顔を 見たうれしさに 呑んだら酔ったわ 踊ったわ 今夜はせめて介抱してね どうせ一緒にゃ くらせぬ身体」

と歌う「ゲイシャ・ワルツ」に対して、成金男性に従属する芸者の性(さが)と同時に、アメリカに従属する日本の悲しい性というメタファーを感じ取った日本人も当時少なからずいたのである。

……ゲイシャ・ワルツ(あなたのリードで島田もゆれる、ってあれですよ)をそこまで裏読みするか。ちなみに、炭坑節をひねった「トンコ節」とはこんな歌です。

「あなたのくれた帯どめの 達磨模様がちょいと気にかかる さんざ遊んで転がして あとであっさり つぶす気か」

うまいっ!しかしウィキペディアによれば、あの大宅壮一はこの歌を「声のストリップ」だとして西条八十を批判したという。わたしなどから見ると、花柳界という存在自体が一種のファンタジーにしか思えない。芸者さんと遊んで楽しいというのも、実は一種の才能でしょう。以下次号

 

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戦後の音楽文化PART4 合唱

2016-10-24 | 音楽

Chicago - 25 or 6 to 4 (Remake)

PART3「吹奏楽コンクール」はこちら

歌の話になったところで、合唱のもつ魔力についても考えてみよう。

国民合唱」(NHK)
「海ゆかば」や「みたみわれ」が大政翼賛会による国民皆唱運動で活用されたように、1943年以降の「国民合唱」は国民運動推進に寄与した。「皆唱」はいわば合唱の本質的性質であり、合唱と社会運動の連結は戦後の「うたごえ運動」にも見ることができる。一人の声が他者の声と重なり融合していく体験は、音楽的感動以外に、共同体意識を呼び覚ます。

……戦時中に、それこそ戦時色に染まりきった歌をガンガン放送したラジオ番組だから批判しているわけではないの。歌というのは、それほど強力だということなのだ。特に教職員はそのことを日々感じているのではないか。

「校歌」
私たちは小学校に入学すると校歌を覚え、中学・高校・大学と同様に校歌に遭遇する。また、小・中学校のころにはそれぞれの自治体の市歌・県歌に出会うケースが多い。その後、会社の社歌、工場の工場歌に接する人も少なくないだろう。私たちは人生のなかで所属する社会集団の歌に必ずといっていいほど出会う。

これらの歌謡の始まりは明治期だが、全国に普及していくのは、実は昭和期、ことに1930年代である。その中心的担い手は詩人・北原白秋で、彼は「国民歌謡」と自ら定義する有機的な歌謡体系を構築した。そこには、天皇統治の国家のあり方を称賛する「頌歌」=「国体歌」を頂点として、軍国主義国家日本の軍事全般を題材とした「皇軍歌」が続き、工場歌や社歌や市町村歌などの「団体歌」と、小学校から大学・専門学校までを対象とした「校歌」が連なり、さらに国民の日常生活を鼓舞する「生活讃歌」が組み込まれていた。白秋は、国民共同体・国家有機体を歌謡によって構築し、そこで国民たちの「皇民」的資質を喚起しようとしていたのである。

……へー。あの北原白秋がねえ。これは意外だ。この解説でもわかるように、歌によって“帰属”意識は確実に醸成される。だからこそ、どの中学校でも合唱コンクールが生徒指導的な意味合いもあって開催されるのだろう。達成感は比類がないほどだ。以下次号

本日の一曲は「あーさひーにはえーてー」という母校の校歌にしたいところですが、もちろんそんな動画はないし、学校自体も無くなってしまった(泣)。そこでブラスといえばこのバンド、シカゴ(祝ワールドシリーズ進出)の「長い夜」。ファンには怒られるだろうけれど、わたしはこのリメイクバージョンが大好きなんですよ。

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戦後の音楽文化PART3 吹奏楽コンクール

2016-10-22 | 音楽

Eurythmics - Miracle Of Love (Remastered)

PART2「全日本吹奏楽連盟」はこちら

この吹奏楽コンクールはなかなかルールが複雑で、下位大会で金賞をとれば上に行けるというものではなく、とっても上に行けない金賞を「ダメ金」と呼ぶのだとか。わけがわからない。

まあ、芸術系の人たちの考えることはよくわからないからなあ、と嘆じていればいいわけではなくて、どうもこの吹奏楽のありようは、他の体育系ととてもよく似ているし、教員のヒエラルキーがそのまま吹連にシフトしているとすれば(よく知りませんけれど)、競技団体と一定の緊張関係にある体育系よりも、部活動として異様だと思われるのは無理がない。

高額化する部費、楽器運搬などの重い保護者負担、外部講師と顧問の微妙な関係など、日本のスポーツが学校体育によりかかりすぎているのとまったく同じ構図。部活動がいびつであることを、体育系よりも如実に示しているのではないか。

ことは吹奏楽だけでなく合唱にも及んでいて、その象徴がNHK全国学校音楽コンクール(通称Nコン)だ。こちらにも、面白い動きがあった。

NHK全国学校音楽コンクール(Nコン)

2000年代後半からは、中学校の部を中心に「多くの中学生が自ら合唱に興味を持ち、歌いたいと思える曲を、という趣旨で、J-POPのアーティストによる課題曲の制作が続いている。2008年度のアンジェラ・アキ作詞作曲の「手紙」のように、オリジナル楽曲もヒットし、そのメッセージ性から卒業ソングとして人気を集める例も見られる。
J-POPの課題曲は、合唱音楽に精通した作曲家が合唱用に編曲するものの、この試みには指導者だけでなく児童・学生の間でも賛否両論あり、議論を呼んでいる。音楽のありようが多様化する今日、主催者が歌わせたい歌と子どもたちが歌いたい歌、その折り合いをどのようにつけていくのかが、コンクールの是非とともに問われている。

……是非は本当にともかく、合唱コンクールで歌われる曲のほとんどが、わたしのまったくあずかり知らない曲ばかりなのには毎年驚いています。本当に、是非はともかく。まあそういいながら、われらが鶴岡北高が日本一になったことは素直に喜んでおります。すげーな、おめでとう。以下次号

本日の一曲はユーリズミックスの「ミラクル・オブ・ラブ」愛の奇跡ですか!ヒデとロザンナですかっ。

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戦後の音楽文化PART2 全日本吹奏楽連盟

2016-10-18 | 音楽

Weather Report - Birdland

PART1はこちら

全日本吹奏楽連盟について「<戦後>の音楽文化」ではこう解説されている。

「全日本吹奏楽連盟」

日本の吹奏楽界の中心は、まぎれもなく学校ベースの吹奏楽文化である。戦前から学校の部活動における「吹奏楽部」は存在したが、大半は戦後の学習指導要領改訂の影響を受けて設置された「吹奏楽部」である。

日本で最大の吹奏楽組織である全日本吹奏楽連盟の歴史は、1939年に大日本吹奏楽連盟として結成されたことにさかのぼる。1973年には社団法人としての認可を受け、2013年に現在の一般社団法人全日本吹奏楽連盟となった。加盟団体数は14241団体(2014年12月現在)にのぼり、現在11の支部、さらに都道府県、各市までの下位組織によって構成されている。各連盟の運営は、多くの中学校や高等学校における吹奏楽部の顧問である教員や元教員によって支えられている。

……ですよね。本来、吹奏楽は音楽シーンの一部であるにもかかわらず、この連盟はほとんど教員&教員OBによって運営されている。くわえて、この団体が主催するコンクールは

全国大会への出場は熾烈な競争である。専門の演奏家による指導を取り入れている学校は珍しくない。しかし、現在のコンクールは、学校の課外活動の範疇を超えているとの指摘もある。そのような日本の吹奏楽について、ノルウェーの音楽研究者デイヴィッド・G・エベールは「特異的」である、と著書のなかで指摘している。全日本吹奏楽コンクールを抜きにして、世界から日本が吹奏楽大国と呼ばれる姿は描けない。しかし、功罪に鑑み、基本的な議論をすべきときかもしれない。

……別に朝日新聞(吹連とともに主催)の地方版が吹奏楽コンクール一色になってしまうことに文句があるわけではないが(少しはあります)、ちょっとこれは過剰ではないかと前から思っていた。以下次号

本日の一曲はウェザー・リポートの「バードランド」。キャッチーな旋律にジャコパスの禍々しいベースがからむ。彼はとっくに、そしてザビヌルも死んでしまった。おおおウェイン・ショーターは存命ですかっ!うれしいっす。

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戦後の音楽文化PART1 吹奏楽

2016-10-17 | 音楽

A Message Song - Pizzicato Five

学校に勤務していながら、というか逆に勤務しているからこそ見えないものがあるような気がする。

たとえば吹奏楽。ある程度の生徒数を保持する中学には、まずまちがいなく存在するのが吹奏楽部だ。通称ブラバンは、学校にとって、そして学校事務職員にとってきわめて自然なものとしてそこにある。

でも、これはしかしなかなか不思議な話ではないだろうか。音楽のひとつのジャンルにすぎない吹奏楽だけが、どうしてこんなに隆盛を誇っているのだろう。

そのあたりを知りたくて図書館から借りたのが「<戦後>の音楽文化」(戸ノ下達也編著 青弓社)だ。各事象についてとても冷静に解説してあるので、この本は当たりだった。

ここで、吹奏楽の現状はこう語られている。

「吹奏楽」
日本の吹奏楽は戦後、「アメリカにその範をとり、そして一気に抜き去った」音楽媒体だということである。戦後の復興時に一気に流入してきたアメリカ式の吹奏楽はあっという間に広まり、経済成長の勢いそのままに日本の吹奏楽は大きく発展した。そしていまや、演奏レベル、レパートリーの豊富さ、時代を切り開く先進性など、どれをとっても総合的にアメリカを圧倒的に上回っているどころか、世界のトップになったと言えるかもしれない。演奏レベルで、日本のアマチュア吹奏楽……特に中核となる中学生高校生たちのクォリティーの高さは、いまや世界中の吹奏楽関係者が認めるところである。

……すごいぞ日本の吹奏楽!と素直に喜べないのはなぜだろう。いや別に吹奏楽の出自が軍楽隊だからおかしいと主張したいわけではないし、器楽全体の進歩がその陰で犠牲になっているのではないかとつっぱって、じゃあ学校で弦楽器を用意できるのかと開き直られたら目も当てられない。

まず、なぜ日本の吹奏楽がこれほどまでに深化したのかを考えなければならないのではないか。もちろんそこでは、全日本吹奏楽連盟という存在を抜きには語れないだろう。以下次号

本日の一曲はピチカート・ファイブの「メッセージ・ソング」。「みんなのうた」でもおなじみ。ラブソングに聞こえるけれど、父親から息子へのメッセージなのね。ポップなアレンジの陰に“悠長な”ブラス。いいですなあ。野宮真貴と花田裕之を共演させようと考えたヤツは誰だ。最高じゃないか(笑)

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