事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

「ちゃんちゃら」 朝井まかて著 講談社文庫

2016-09-30 | 本と雑誌

朝井まかての小説は、その多くがお仕事小説でもあるようで、今回は庭師。

かつて桜金造が(家業の)造園業を手伝っていたとき、こんないい商売はないと「徹子の部屋」で語っていてひっくりかえって笑ったことがある。だって

「まあ、朝行って、まずはお茶をいただくじゃないですか。ちょいちょいっと枝を伐ったふりなんかしてるとまたお茶が出る。しばらくするとご飯、そしてまたお茶(笑)」

でもこの小説の造園業は哲学的ですらある。邪悪な枝ぶりが動き出したような悪役が出てきて危機一髪。そして……うん、やるなあ。

にしても、わたしも庭いじりがしたくてたまらなくなったんだけどこれは年齢のせいかしら。それとも一種の逃避?

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「宗教消滅」 島田裕巳著 ソフトバンク新書

2016-09-29 | 社会・経済

ミステリのような導入になっている。著者の島田裕巳は、大阪名物PL教団の花火大会を楽しみながら、しかしおかしなことに気づく。かつてよりずいぶんと花火のスケールが小さくなっていないか、と。

宗教学者である島田が、花火を見るまでPLの衰退を知らなかったはずはないので、ここは“うまい”オープニングということに。

わたしがもっと不思議だったのはPL学園の野球部だ。かつて桑田・清原(この人たちに東海大山形は毎回得点で7-29と大敗)、小早川、片岡、宮本慎也、前田健太、立浪、松井稼頭央らを輩出した超名門野球部が、いじめや暴行などの不祥事があったからといって、あっさりと廃部(休部、ということにはなっているが)になったのはどう考えても理解できなかった。

これもPL教団の衰退が影響しているらしい。全国の信者からの情報をもとに有望な選手をいち早く囲い込み、無償で三年間過ごさせるというシステムが機能しなくなっていたのである。

教団の信者は最盛期には200万人を超えていたが、現在はその半数以下、機関誌の発行部数は7万部というのだから衰退は歴然としている。

そして、新宗教における信者数の減少は、PL教団だけではなく、立正佼成会、霊友会など、かつて隆盛を誇った新宗教が、公的な数字ですら(正直な数字を出しているはずはないのに)信者数が半減しているのだ。

それでは公称800万人の信者を擁する創価学会はどうだろう。こちらも、どうやら苦しい状況にあるらしい。シナノ企画を擁して、「人間革命」や「八甲田山」に大動員をかけていた勢いは確かにない。それはいったいどうしてだろう。

寺院消滅」で、地方の寺が危機にあることは特集したが、新宗教は、その拡大の最大の要因となった「貧困」「病気」などが今もなおそこにあるにもかかわらず……

島田の立てた仮説は、資本主義が行き着くところまで行ってしまった以上、伝統的共同社会は存在しえず、したがって運動体としての宗教は意味を失いつつある……すごく勝手な解釈だけど、そんな感じかな。わたしはそれには納得していないんだけど、そちらはいずれまたの機会に。

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「ジニのパズル」 崔実(チェシル)著 講談社

2016-09-28 | 本と雑誌

この“革命の物語”を読めば、誰だって「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(J.D.サリンジャー)を連想するはず。在日三世で、日本語を母語として育ち、しかし小学校高学年で差別にさらされ、朝鮮学校に入学するジニという少女が主人公。

まず、この朝鮮学校の描写が(作者の経験だろう)圧倒的。生徒たちはチマ・チョゴリを着用し、金日成と金正日の肖像画が各教室にある、その事実に彼ら自身が何を考え、何を“感じていないか”。

クラスでひとりだけ朝鮮語が話せないジニ。そのためにクラス全体の学習が日本語で行われることになる。当然、ジニを白眼視するものもいて、彼女にとって朝鮮学校もまた安住の地ではないことがあらわになる。

そんなとき、北朝鮮が“飛翔体”を発射し、日本全体が怒りをあの国家に向ける。ジニは学校からの連絡がなく、他の生徒が体育着で登校しているのに、ひとりチマ・チョゴリで電車に乗ってしまい、ある事件に遭遇する……。

わたしたち日本人は、島国に育ち、まわりがすべて日本人であるという環境が自明のこととして暮らしている。だから異物(みずからが取り込んだにもかかわらず)を排除する輩が後を絶たない。要するに島国根性である。

しかし在日であり、朝鮮語が話せないジニの寄る辺なさ、哀しさは、“金日成と金正日の肖像画の存在に何の疑問もいだかない”朝鮮学校の生徒たちとの相克で倍加する。このままではジニに居場所はない。そこで彼女がとった行動が、自分のような子どもを救うためなのだとするあたり、ジニはホールデン・コールフィールドと同根なのだとやはり思える。彼らの地獄めぐりは、まだ終わらない。

群像新人賞受賞作。朝日新聞に全面広告を掲載するなど、講談社はこの作品に賭けてます。ヘイトスピーチとかをかましている連中に、ぜひ読んでほしい。あんたたちのやっていることは、安全な場所にいることを誇っているだけだ。

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検診2016

2016-09-27 | 健康・病気

2015年版はこちら

さあ恒例の検診結果大公開。うおおおなんということだ。軒並み数値が改善している!こんなことではいかん。壊滅的な数値でみなさんにお楽しみいただくというコンセプトが(笑)。ま、一般的に評価すればぼろぼろの結果ですけどね。



画像としてExcelをのっけることに今年初めて気がつきました。なーんだ。でもどうなんですかね。なんて色気のないテキスト(T_T)

2017年版につづく

 

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「すかたん」 朝井まかて著 講談社文庫

2016-09-26 | 本と雑誌

朝井まかて……どっかで聞いたことあるよな。タイトルが「すかたん」で、挿画が村上豊さんとくれば宮部みゆきっぽい時代小説なのかな、と読んでみた。

おお、これはなかなかけっこうな作品じゃないですか。江戸の男を大坂に飛びこませるルーティンの逆で、江戸っ子の未亡人を大坂の商家に奉公にださせた設定がうまい。

思い込みの激しい若旦那には困ったものだが、超ハッピーエンドになることを一瞬たりとも疑わせず、しかし展開がなかなか読めないあたり、この人はすごい作家なんじゃないの?あら、おととし直木賞をとったばかりの人でした。どうもすみません。

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真田丸 第三十八回「昌幸」

2016-09-25 | 大河ドラマ

第三十七回「信之」はこちら

今日はタイトルどおり真田昌幸(草刈正雄)の最期。九度山に蟄居させられてからの十年を一気に。

この大河をこれまでリードしてきたのは草刈正雄。誰だってそう思っている。あの美男なだけだった男が、古畑任三郎の神の回「ゲームの達人」を経由してここまでの役者になった。代表作を問われれば文句なく「真田丸です」と答えることができるのだ。もって瞑すべし。いや草刈さんは死んでないですけど。

前回の視聴率は17.3%と的中。昌幸だけでなく、本多忠勝(藤岡弘、)、加藤清正(新井浩文)までが退場。代わりに登場したのが大人になった秀頼(中川大志)。堂々たる偉丈夫。だからこそ家康があせるというのはわかりやすい。自分の息子(星野源)よりもよほど有望なので(笑)。

久しぶりに歴史オタク教師から関ヶ原総括が。特に今回まったく登場しない北政所(鈴木京香)がらみは参考になった。

・実子がいなかったことで、客観的な判断ができた人だった

・血族が秀吉のせいで不幸になっていくことで、より冷めた目で世の中を見た

・大恩ある織田家の様子を見ていて、平和のために権力が移ることに抵抗感がなかった

……なるほどなるほど。特に秀次の扱いで豊臣という存在を客体化し、それ以上に、本人の意向はどうあれ“そうあったのではないか”と徳川が煽ったというのはいかにも。

同じように床につきながら、妻の薫(高畑淳子)は信之(大泉洋)のもとで食欲ありあり。夫の昌幸は信繁(堺雅人)のもとで死んでゆく。長男が捨てざるをえなかった“幸”の字を受け継いでくれという運びは泣ける。そう来るかあ。だから二週つづけて人名がタイトルなんだね。

昌幸が信繁に託した策は驚天動地のもので、同時に現実的だ。十年かけて考えた策が、息子に受け継がれていく(微妙にねじれていくのだけれど)ことを確信しながら冥土に旅立ったのだ。総括すれば確かに晩年は恵まれなかったかもしれないけれど、この十年を「どう徳川を倒すか」だけに傾注。幸せな人生ではないでしょうか。

孫(彼もまた悲劇的な最期を迎える)に、いじめっ子への対策を授けて倒れる展開は、もちろん「ゴッドファーザー」のマーロン・ブランドを意識したのでしょう。すばらしい演技だった。草刈正雄のこれからに期待。今回は絶対に18%台!

第三十九回「歳月」につづく

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「官賊と幕臣たち」原田伊織著 毎日ワンズ

2016-09-24 | 本と雑誌



前作「明治維新という過ち」で、官軍の卑劣さを徹底的にぶったたいた原田は、しかし意外にも右翼の人。今回も長州の連中が天皇を「玉」として軽く政治利用していることに激怒している。それ、今も変わってませんから。

天皇陛下万歳と強要するその背後で、天皇の威光を自分の権威付けに徹底利用し、天皇自身の考えなどまったく忖度しない。

今回の生前退位云々についても、政治利用されることへの懸念から、今上みずからが摂政を拒否するなど、禁裏と政治の暗闘はつづいている。

しかしそれ以上に、戦国期における人身売買の記述にはびっくり。聖戦をうたう上杉謙信が特にひどかったというあたり、ほんとですかー。

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「超高速!参勤交代リターンズ」(2016 松竹)

2016-09-23 | 邦画

さすが地元庄内で撮られた映画だけあって、前作につづいて鶴岡まちキネは平日にもかかわらず(例によって振替休日に見ています)にぎわっている。全国的にも高稼働のようで、まずはめでたい。

おなじみの田畑は羽黒にあるスタジオセディックのもの。今回は謎の集団に荒らされてしまう。ある勢力(ばればれですけど)の陰謀で、湯長谷藩はふたたび窮地に陥り、藩主(佐々木蔵之介……思えば時代劇にぴったりの名前)や家来たち(寺脇康文、六角精児、西村雅彦、柄本時生、知念侑季)は全力疾走する破目になる。

どうしたって前作の二番煎じになってしまうわけなので、作り手たちは開き直って同じ構図でドラマを展開する。抜け忍(伊原剛志)のエピソードとかね。

でもこれ、時代劇ファンにとってありがたい話なのだと思う。予定調和けっこう。妙な新機軸はむしろ邪魔。水戸黄門が将軍職に恋々とするドラマがあったとして、あなた見たいですか。そんなファンに向けたサービスとして、いま朝ドラでチョー悪役をやっている(まだやってますか)古田新太に、とんでもない人物を演らせています。気持ちよさそうに桜吹雪を……あ、あれは北町の奉行だった。

前作よりもありがたいのは、深田恭子が今回は最初からめちゃめちゃ綺麗なこと。遊女から大名の側室になる戸惑いもかわいい。できればもう少し色っぽいシーンがあると……いかんいかん。そういう邪念はこのドラマに似つかわしくない。

この手のほのぼの時代劇が、年に1~2本はあってほしい。むかしなら明朗時代劇と称された感じの。今年は「殿、利息でござる!」があったし、去年のわたしのベストワンは「駆込み女と駆出し男」。この流れはおそらく「武士の家計簿」あたりから始まったんだろうけれど、わたし、好きです。

それに、一種のファンタジーとして描かなければ、柳生(あ、言っちゃった)の遣い手たちと闘う湯長谷藩のおとぼけ家来たちが、まったく傷つかないのは納得できないでしょう(助さん格さんが毎回瀕死の重傷を負うドラマがあったとして、あなた見たいですか)。

しかし吉宗を善玉にするために、清水義範の「尾張春風伝」、朝井まかての「御松茸騒動」に登場する尾張藩主、徳川宗春が単なる愚昧な殿様になっているのは納得できん!おっと、これも邪念かしら。

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「ディストラクション・ベイビーズ」(2016 東京テアトル)

2016-09-22 | 邦画

振替休日は映画。そう決めてはいるものの、さあ何を見よう。

鶴岡まちキネで朝8時台にスタートするのは「怒り」と「ディストラクション・ベイビーズ」か。迷うことなくディストラクションにする。決め手になったのは予告編。超豪華キャストをそろえ、俳優たちがみな号泣する「怒り」の予告は、正直しんどかった。二度三度と見るうちに、もう本編を見たような気にさえ。

その点、「ディストラクションベイビーズ」の予告はソリッドそのもの。並の暴力描写じゃない。キャストも、柳楽優弥、菅田(「共喰い」)将暉、小松(「バクマン」)菜奈、村上(村上淳とUAの息子)虹郎と、気になる若手がそろってる。やっぱり、こっちだよな。

でも、平日の朝からこの病んだ映画を選んだのはわたしだけ。最初っから最後まで観客はわたし一人でした。やっぱそうなるか(笑)。

なんの理由もなくまわりにケンカを売る男(柳楽)、それを煽り、大事件につなげてしまうお調子者(菅田)、彼らに拉致され、しかし最初に人を殺してしまうキャバ嬢(小松)。意味も動機もない、純粋な暴力が横溢する。

スクリーンのなかのケンカではなく、街の片隅で実際に行われているストリートファイトのように撮影されているので怖い怖い。しかも、殴る音が妙にくぐもっているのもリアル。

舞台となっている愛媛には警察はいないのか!というぐらいに握り拳以外の武器は慎重に排除され、ついに登場した警官の拳銃がどんな結果を呼ぶかは観客にまったく説明されない。

衣装の交換によって性格まで憑依する展開。ラストで、主人公が文字どおり脱皮していることを予感させて終了。

破壊的なベイビーズを、善と悪の両面からサポートするでんでん池松壮亮もすばらしい。心温まる場面皆無。でも、絶対のおすすめだ。真利子哲也監督メジャーデビュー作品。

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葛城事件その2

2016-09-20 | 邦画

PART1はこちら

それ以前から母は少なからず異常さが見えていた。ほとんど家事をせず、引きこもりの二男については、甘やかすだけ(つまりほとんどコミットしない)。夫に耐え切れなくなった彼女は家出する。

この、出て行った先のアパートのシーンは、追いつめられた家族の最後の場所であることが観客に理解できるようになっている。あたたかな色調のなかで、母と二男はやはりコンビニから買ってきたパスタを食べている。

そんな、まったく料理をつくらない母親が、息子たちに発する質問は哀しい。

「地球最後の日に、何が食べたい?あたしはおばあちゃんがつくったちらし寿司だなあ」

答えたがらない二男は、せかされてようやく答える。

「うな重。」

「えええ?」

「おれ、歯わるいし。」

そこへ父親が現れ、アパートの情景は文字通り暗転する。二男に手を上げないことを条件に家に戻る妻。そこには、さらなる地獄が待っていた。

二男が行うのは、ご想像のとおり無差別殺人だ。この映画は、どんな家族にだってその不幸は起こりうるのだと主張している。その主張に説得力がありすぎて(まったく他人事だと思える観客は幸福だ)、見終わって不安でいたたまれなくなる。

ナイフを持った二男は、殺戮の直前にキャバクラの呼びこみに声をかけられる。殺す相手としてその呼びこみを二男が見た、という判断もあるだろうが、その誘いにのっていたら、ひょっとしたら不幸な事件はなかったかも、とも思わせる。現実はあやふやで、家族という存在もまた危うい。

死刑執行の朝、二男が最後に口にしたものを聞いて、父親は何を考えたか。彼が最後に食べる冷やし中華もまた、壮絶にまずそうなのである。気力と体力が充実しているときに見ないと、弾き飛ばされそうな映画。ぜひに、とは言わない。でも、これもまた家族の映画だ。

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