思わぬ雪の朝になったですよ・・。みんな一同が困った・・・と、顔を曇らせて困惑した朝・・・。
なんで、こんな日に雪なの・・・。雪は本気で降り積む・・・。これでもか・・と降り積む・・・。
こんな日に降らなくても・・・・という日に・・雪が降る・・・。
でも、儀式は始められなくてはならない・・。
さっちゃんのひ孫にあたるなぎちゃんたちは大喜び・・。南国四国でこんな雪が降るなんて・・。
中学生になったはやて君も大はしゃぎで雪だるま作りに熱中・・。そりゃそうだ、思わぬお休みがプレゼントされて、しかも、こんな未曾有の大雪・・・。
こんな雪だるまがお迎えのお葬式・・・。さすが・・・さっちゃんのお葬式・・。破天荒だね。
あとの・・・生々しい写真は割愛。お葬式から火屋勤行、集骨、還骨勤行と一連のお作法も・・・私と、師匠と、兄弟子の三人で執行・・。無事に、母親・さっちゃんの葬儀は終わった・・・。
師匠からは、「浄華院釈玲眞信女」という法名が贈られた。
そんなこんなで無事にさっちゃんはお浄土に還って往ったという報告まで。
あたたかいおことばをいただいた皆さんに感謝です。一人一人にはあえてコメントしませんが、母・さっちゃんのしわわせな旅立ちであったことを報告してお礼まで。
ありがとうございました。
多分、幸せな終末だったと思うよ。
少し腰は痛かったが、後の事はせがれ夫婦がいろいろと世話をやいてくれた訳だしね。
ま、女手一つでここまでやって来た、ここまでして頂いたのだから、感謝、感謝やね。
お疲れ様。
とにかく、母の死は昨年から覚悟していましたし、そのためのスケジュールを、「地域包括支援センタ」などと打ち合わせをしながら進めてきましたので、完璧に予定通りです。
母の描いた「終末」を、介護のプロのけいこばぁの指示のもと、息子の三兄弟が交代で介護し、最後の看取りまでできました。
心肺停止後は、僧侶である私が母の遺志通りに、仏間の荘厳、葬儀の簡素化、迷信の排除など・・・。
どうにか、真宗僧侶のお葬式はできたかなぁと思ったことでした。
確かに大正末期から激動の昭和。とくに、15年から30年代・・・。母も農家の労働力として嫁にきたものの、花婿は戦地で戦闘中・・・。農作業の合間には竹槍訓練をやったと言うとりました。
復員してきた父との生活も波瀾万丈・・・。私たち子供三人を育て上げ、父の早世のあとは女手一つで稲作から畑作と働き、農閑期には道路工事の下手間とかで生活を支えてきた時代。
人生のほぼ八割は苦労の連続・・・。
平成16年の台風一過、人生が一転。生活は楽にはなったし、豊かにもなったけれど、そこからガンが芽生え・・・・
人生はそうしたものだろうね・・・。
じゃぁ、また。
お気落としなくお過ごしください。
しわくさんちには、母も二度ほどお邪魔しました。「いい人だった・・」と言うとりました。
母の死は覚悟しとりましたので、気落ちも落胆もありません。往生は確定です。大丈夫ですよ。
明日には温泉に入って、肩こりや腰の痛みを休ませてこようかと・・・。冷えたのが良くなかったのかも・・・。