まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

水仙の 花の白さや 峠道

2017年01月20日 | 日常・・ありのまま。

 さぬき市地方は気圧の谷や寒気の影響で概ね曇りで、時々雨や雪が降り、雷を伴う所があったらしい。気温は3.8度から10.8度、湿度は86%から62%、風は2mから9mの西南西の風が一時は強かった。明日の21日は、気圧の谷や寒気の影響で概ね曇りで、明け方にかけて雪や雨の降る所があるらしい。雷を伴う所もある見込みなのだとか。

 

 今日は大寒だとか。南国讃岐も冷たい朝になった。朝から冷たいが降る中を、奥方が携帯電話を忘れたからと言うので事務所まで届けに行って来た。車に乗り降りするだけで、しっかりと濡れた。

 

 つかさの会の会長から、島のお大師まいりのチラシの修正が入ったので、直して再送しようとすると、エラーが出て、端末を代えて再送したりと、なかなかにスムーズにはいかないお年頃になった。私が老化したのか、端末が陳腐化したものなのか・・・。

 

 さて、一昨日、塩飽広島に帰った時、自治会長さんにお会いしたのだが、「英国士官レキ氏没後150周年記念イベント」をどうするかという提案を受けた。明治元年(1868)年12月20日に死亡したのだから、来年の2018年が150周年になる。もう、来年なのに、骨格もプランもできていないし、やろうという機運もないし、空気もないという。もちろん、資金もないし、浄財もない。

 

 昨年の12月に、丸亀市で病没したロシア兵士の慰霊祭があって、新聞やテレビで放送されていた。だとしたら、英国士官の慰霊祭ならば、堂々とやればいいじゃないですか。と、答えたが。

 

 こんな立派なものやなくても、やれると思うのだが、誰がレーダーで、どうするのかということを考えないといけない時期だと思うのだが。

 

 こんな、陸軍墓地というのがあることも知らなかった。一度、訪問したいものである。

 

 雨は降ったりやんだりを繰り返し、空も暗くなったり明るくなったりを繰り返している。先ほどは大きな雷鳴でどきっとした。そんな不安定な天候だった。

 

 さて、昨日のこの本である。ここに出てくるのは、浄土真宗の寺院で、真宗大谷派(東本願寺)の末寺の「松江山 宝泉院 明圓寺」さん。鞆の浦の中心を抜け、石畳を上ると明圓寺はあるらしい。現在は鞆の浦にあるが、天文年間(1532~1554年)山田村に創建されたと伝えられている。

 

 元は天台宗であったが、2代目が山南 光照寺の明光上人に化導され、歴仁元年(1238年)に真宗に改宗した。文明年代末期(1486年頃)山田村の豪族から日蓮宗に改宗を迫られたが改宗せず、室町末期(1570~1580年)に鞆の浦に移転した。

 

 戦国時代末期にあった織田信長と本願寺の戦い(石山合戦)では、住職の長存が備後門徒を集め、「進者往生極楽、退者無間地獄」の旗を掲げて奮戦し、その後は東本願寺設立にも尽力した。「松江山明圓寺」の寺号はこれらの功績により、顕如上人の長子教如上人から授けられたものだという。

 

 鞆の浦にもお邪魔したが、そういうお話は聞かなかった。また、いつか、訪れてみたい所である。

 

 一月も20日になったので、一月分の活動記録も整理しておいた。今夜あたりから明日の朝にかけても天候は荒れるらしい。

 

 今日の掲示板はこれ。「寒しばれ 暦の上で大寒の こえを聞いたら 春あと少し」というもの。遙か昔の小学校の時、「寒い」を使った言葉で思いつくもの」という先生の問いに「大寒!」というと、「代官は違います!」と云われて悔しい思いをしたのを思い出した・・・。今日から立春(2月4日)までが大寒。この時期さえ過ぎれば・・・あとは、春の足音を待つばかり・・・とは言うものの、これからが冬本番。三月に入るまでは春は遠い・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

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このままに 暮れて明日は 冬の空

2017年01月19日 | 日常・・ありのまま。

 

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇っていた。気温は5.6度から10.2度、湿度は90%から62%、風は1mから2mの北北東の風が少しばかり。明日の20日は、気圧の谷や寒気の影響で曇り、朝から雨や雪の降る所がある見込みらしい。

 

 香川県立図書館で借りていた二冊の本が、返却期日が昨日までであったことに気づいて、またしても、ここにやってきた。この前にここに来たときにはすっかりと忘れていたみたい・・・。痴呆が進行しとるのか、はたまた老化現象なのか・・・。

 

 落ち葉の季節も終わったようで、きれいな通路になっていた。毎日毎日、ここをお掃除している人たちも、お仕事とはいえ、大変なことだ。私など三日もすればやめてしまうに違いない。

 

 返却所で、「遅れてすみません」と言うと、顔なじみのおばさんがニコっとほほえんで黙って受け取ってくれた。

 

 で、またしても五冊の本を借りた。民俗に関するものだった。「両墓制」と、「島遍路」「娘遍路」の資料を探している。どうにも「おへんろつかさの会」の会長からのオーダーがまだ、まとまらない。

 

 伊吹には両墓制も娘遍路もあったのに、そういう記述は一切ない。記録することでもなかったんだろうか。

 

 これは先日かに見た、市原輝士さんの民俗フィールドノートである。得意な絵を差し挟みながらの民俗のお話である。

 

 これも、両墓制や島四国、娘遍路の話題でもないか・・と借りてきたのだが、この中に「親鸞聖人」が出てきたのには驚いた。毛利水軍が本願寺を応援したのは勉強していたが、村上水軍も一向一揆に関係していたのだろうか。

 

 斜め読みだが、こういうのぼりが出ている。今夜にでも読んでみなければ・・。

 

 で、気になる部分は、電子メモ化して保存しておく。

 

 コピーしておくと、どこに保管したのか、どこに挟んだのかわからなくなるし、電子化しても、どこに保存したのか忘れてしまって役に立たないことも多くなった。ま、忘れても実害は何もない。どうせ、この世のことだから・・・。

 

 今日は「119番の日」なのか。今日は19日ということで、さぬき市からの広報が届けられた。これを10戸分に分類して、それぞれの家庭へ届けるのが、自治会長のお役目の一つ。その際に、お年寄りの安否確認も行ったり、空き家に侵入者がいないかなどの確認も行っている。この表紙は、四国霊場87番札所、長尾寺さんでの「大鏡餅運搬競争」。土台の三宝と合わせて180キロの大鏡餅を運ぶ競技で、この方は58.8mを運んで7年連続8度目の優勝した。

 

 本当は明日の20日に配ればいいのだが、明日に何がおこるかわからない。今日できることは、今日中に片付けておきたいものである。

 

 今日の掲示板はこれ。「まぁ よく考えたら べつにあわてることもないのでした」というもの。私たちは常に時間に追い立てられているように、あれもしなくては・・・、これもやらなくては・・・と、あれこれと走り回っている。やれ、自分史だ、やれ、終活だ、断捨離だ、遺品整理だ・・・と。最近は、パソコンやクラウドなどに保存されている画像や文書やデータの整理までとやかく言われるようになった。でも、まぁ、よく考えたら 別にあわてることもないのである。やがてには、どうにか、なってしまうものなのだから。と、言いつつ、お風呂を沸かすのをすっかりと忘れている私だった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

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寝坊して 少しは元気な 霜をみる

2017年01月18日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、気圧の谷の影響で昼過ぎから曇り、夜遅くには雨か雪が降る所があるらしい。気温は0.1度から11.3度、湿度は90%から61%、風は0mから1mの西南西の風が少しばかり。穏やかな一日になった。明日の19日は、気圧の谷や寒気の影響で概ね曇りで、未明に雨が降るらしいし、山地では雪の混じる所がある見込みらしい。

 

 今日は南国四国でも冷たい朝になった。あたりは大霜で白く輝いていた。こんな日は日中は暖かくなるとおばあちゃんが教えてくれた。

 

 野菜用の水桶にも、久しぶりに氷がみられた。昨年は暑い夏になったが、今年も、こんなに暖かいのだから暑くなるのだろうか。

 

 さて、この時期、恒例で島の家に帰ることにした。9時過ぎに我が家を出て、丸亀港についたのは10時半。近くのコンビニでお弁当を買った。

 

 11時10分発の高速艇に乗って、丸亀市広島町江の浦の我が家に向かう。大きな荷物を持ったお年寄りは病院帰りに食材を買って島に戻る。

 

 海上15分で、広島町の江の浦港に着く。すると、我が愛車がこんなことに。仕方がないから歩いて行くことにした。徒歩で10分ほどで我が家に着いた。

 

 これが我が家の表札である。「暁光庵」と刻んである。千葉の友人・高橋先生の彫刻になるもの。文字は家内の親父さん、元昭さんの撰文である。

 

 今日の目的は、この郵便物。

 

 一番、必要なものがこれ。医療費控除の際に必要になる「源泉徴収票」である。これがないと、受け付けてくれないことがある。後は、浄化槽の法定検査申込書。これも大切な書類。あと、年賀状が三通。この三人は、いくら言っても、島の家に送り続けてくる。

 

 それと、昨夜、自称・大学教授の男性から、「先生の御本がどうしてもほしくて、ほうぼうを探し回って、お電話した次第です。近日中にぜひともお会いして、先生の著書をわけていただきたいのですが・・」という電話が・・・。それで、この本を取りに来たという訳。茂浦の「ひるねこ」や青木の天野商店でも私のことを聞いてきたとおっしゃる。多くの場合、本を渡したら、あとは全くの行方知れずの連絡とれず・・という人が多い。

 

 弁当を食べて、歩いて港まで戻って、車のタイヤ交換をするつもりだったのに、フェリーボートが慌ただしく動き出して、トラックやゴミ収集車などを積み込んでいる。気分的にせかされて、私もフェリーに乗ってしまった。また、近日中にタイや交換に行かなくてはならない・・・。

 

 ここはいまだに「硬券」の乗船券である。

 

 12時55分発のしわく丸に乗って島を出た。すると、江の浦の自治会長さんが乗ってきて、しばらく情報交換。島に竹を植えて、楽器にするとかという人が移住希望だとか。いろんな人が島にはやってくるようだ。

 

  今日の掲示板はこれ。「乗れば人 歩けば車 邪魔になり」というもの。狭い道で自動車と出くわした時、自分が徒歩だったので、道を譲ると、あいさつもなく走りさった時、「なんてやつだ。本当に車は邪魔なものだ」と腹を立てる だろう。かと思えば、自動車で出かけたが、遅刻しそうになった。ところが、狭い道の真ん中をご老人が悠然と歩いている。どうやらこちらには全く気 がつかない様子だ。クラクションを鳴らしてびっくりさせてもと思い、結局イライラしながら後ろを付いていった。内心は「まったく邪魔だ、もう少し気をつけ て歩いたらいいのに」と腹を立てるだろう。とにかく、我々は「自分以外は全て邪魔」・・・なのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

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志ん生さん 思い出しつつ 霜の朝

2017年01月17日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、気圧の谷の影響で夕方から雲が広がってきた。気温は3.0度から8.7度、湿度は90%から61%、風は2mから63mの西北西の風が少しばかり。明日の18日は高気圧に覆われて晴れるけれど、気圧の谷の影響で夕方から雲が広がる見込みらしい。(tenki.jpより)

 

 時の流れは速いもので、お正月だと騒いでいたら、早くも1月の17日になっている。速いといえば、神戸淡路大震災から22年の年月が過ぎて行った。

 

 ということで、今日は「防災とボランティアの日」。そして、15日からの「防災とボランティア週間」の最中でもある。我が家も平成16年10月の台風災害で我が家を失い、多くの災害ボランティアさんのお世話になった。できることからコツコツとお返しをしていきたいものだと改めて感じたことだった。

 

 さて、久々の前山活性化センターへの出勤である。さすがに今日は歩き遍路さんの姿は見えなかった。

 

 そろそろと、俵札のまとめとして、遍路札以外の内容物の展示準備に入ってきた。数多い俵に納められた紙くずの中から、「これは・・」と思うようなものを選び出して選別する段階である。

 

 中には、「これは何だろうか・・・」というものが多い。掛け軸には違いないのだが、どこに掛けたものだろうか」とか、「これは何を意味するものだろうか・・」とか・・・。

 

 真言宗のお坊さん、この弘法大師さんの頭上にあるものは何ですか。光明真言ではないか・・という説もあり、空海さんのお母さん、玉依姫ではないかという説もあり。

 

 こういうお姿をしているお方なのですが・・・。

 

 これは、梅の紋所があるお方・・・といえば、菅原道真公だと思うのだが・・・。

 

 「我たのむ 人をむなしくなすなれば てんが下りて名をやながさん」と読むのだろうか。

 

 これも問題になったもの。現在は「由加山蓮台寺」らしくて、「瑜伽大権現」は、「由加山蓮台寺」ということになっているらしい。しかしのかかし、この絵では、鳥居があり、本殿という文字も見える。神仏混淆だったのが、寺院として分離独立したんだろうか。

 

 午後からは、会長の校正を経た原稿を修正して、確認してメールで送信しておいた。

 

 本島・長徳寺の住職さんのご指導で、9時の臨時便に乗るように予定変更したスケジュール表もできた。JR高徳線、讃岐津田駅発が6時57分設定もOKが出た。これらを役員会で承認されたら、実施OKになる。

 

 ふぅ・・。これで宿題の一つが終わった。あとは、「娘遍路」の冊子作成という大きな宿題が残っている。これは資料が少ないので枚数が上がらない。

 

 今日の掲示板はこれ。「物事はうれしい前に決まって 心配事やら悲しいことがあるんです」というもの。町内の善楽寺さんの掲示板にあったもの。

 物事ってえものは、うれしい前にはきまって、
 心配事や悲しいことがあるんです。
 心配事や悲しいことから、
 うれしいことが生まれてくるもんですナ

 という「なめくじ艦隊」からの言葉。「なめくじ艦隊」ー志ん生半生記は古今亭志ん生さんの著作。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

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あちこちに 小さな小さな 雪だるま

2017年01月16日 | 日常・・ありのまま。

 さぬき市地方は冬型の気圧配置となっているため、概ね曇りで、雪や雨の降っている所があった。気温は2.9度から8.1度、湿度は92%から56%、風は3mから6mの北西の風が冷たかった。明日の17日は、高気圧に覆われて晴れるけれど、気圧の谷の影響で昼過ぎから曇る見込みらしい。

 

 朝方は小雨も降っていたし、曇ってもいたので、少しばかり山手に入ってみた。さぬき市南部の前山地区から多和地区に行くと、道端にこういう雪が残されている。四国霊場88番札所の大窪字周辺は少しばかり雪が降ったらしい。

 

 お遍路さんが雪で遊んだものだろうか。さぬきで雪は珍しい。それでも、40年前くらいにはこのあたりは雪は多くて、電話線着氷で雪の重みで硬電線が切れることがよくあった。

 

 車も動けなくなって、電話線をかついで、膝ほどもある雪の中を歩いて昇ったことがある。もう、遠い思い出になった。それから考えると、雪の量はすっかりと減った。

 

 さて、今日は、宿題である「塩飽本島お大師まいり」のチラシを形にしないといけないのだが、メインのノートPCが動かなくなって作業は頓挫。仕方なく、デスクトップPCでの作業になると、やれ、プロダクトキーを入力せよとか、バージョンアップせよとかうるさい。

 

 そこで、パワーポイントを使うのをやめて、ワードでの作業になった。論文だの報告分だとかは得意なのだが、どうにもパンフレットやチラシはデザイン的に苦手なのだ。ああだ、こうだと試行錯誤して、

 

 で、一応、こういうものにまとめてみた。バランスが悪いのは、あえて、作為的に変化をつけただけ。明日、会長や役員さんの意見を聞いて修正するんだろう。

 

 10:40分発のフェリーでは遅いので、9:00のフェリーに乗るように・・と、島のお寺の住職さんに指導されたので、時間表を検索すると、なんだかよくわからないものばかりが出てくる。こんなんじゃダメじゃん・・と、本屋さんに行ってきた。

 

 すると、分厚い時刻表しか置いていない。昔は山のように時刻表があって、小さいものや、薄いものもあったと思うのに、こんなものしか置いていない。売れないんだろうな。それにしても千円以上もするのでやめて帰った。

 

 それであれこれとやっていたら、思うような時刻表が出てきた。これで、一応のプランはできた。明日、会長への報告とプレゼンはできる。

 

 このお大師まいりの時には、こうした仏像や寺宝なども公開されるので、こういう見学も必須事項となる。これは東光寺の薬師如来坐像で重文指定である。後ろの不動明王立像や毘沙門天立像、釈迦如来坐像も必見である。

 

 小坂にある阿弥陀寺の名号石や法然上人の持念仏や木鉦なども拝観できる。

 

 これは、島の政治を取り仕切った人名年寄宮本家のお墓である。こういうものも見ながら、島を歩いていただくことにする。

 

 今日、ふと見ると、はやくもチューリップの芽がでてきている。こんなに寒いのに大丈夫なのかしらん。

 

 今日の掲示板はこれ。「知らないことがあっても落ち込まない。 知らないから、調べてみる。 できないからやってみる。 行ったことがないから言ってみる。そういう選択もある。」というもの。秋山裕美さんの「そっと心にささやく元気が出る50の言葉」から。そして、「名言コツコツ」さんからの言葉。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

 

 

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やさしさを そのままにして 寒椿

2017年01月15日 | 日常・・ありのまま。

 さぬき市地方は強い冬型の気圧配置となっており、概ね曇りで、雪の降っている所があった。気温は今季最低の0.9度から5.8度、湿度は80%から56%、風は5mから7mの西北西の風が一時は強かった。明日の16日は冬型の気圧配置が続くため、曇りで朝は雪が降り、雷を伴う所があるらしい。

 

 空気が冷たいので、集落内パトロールはお休みにした。日曜日なんだからいいだろう。奥方は三日ほど神戸へ出張していたせいで、今日は日曜出勤になった。いうちゃいけないが「いのち」というなまものを預かっているだけに緊張感は半端ない。

 

 今朝はようやくにして、氷らしい氷を見ることができたが、とりたてて嬉しい訳ではない。

 

 私は暇つぶしということで図書館にやってきているもので、読みたい本とか調べたいことがあるわけではない。本当はそういう本があればいいのだが、なかなかに、そういう本には出合わない。

 

 最近は、ここで本当に欲しい本とか参考になる本はなくなった。だから、自分で調べて本を作っているのだろうと思う。本屋にはない本を作る。それが、「まほろば工房」なんだと思っている。

 

 よく、「一年の計は元旦にあり」と言い伝えられてきたけれど、今年の私の目標や計画はない。ただ、民生児童委員の会議や研修や動員をコツコツとこなしていきたいし、おへんろつかさの会の会長からのオーダーをコツコツとこなすだけだし、所属寺院からのお仕事もコツコツとこなしていくと、結構、カレンダーは真っ赤に染まってしまうはず。

 

 この本も何度も借りている本である。それなのに、なぜか手に取ってしまって後悔するのである。

 

 ページを開いてみて・・「あ・・・見たことがある・・」でおしまい。こういうことが最近はすごく多くなった。

 

 昨日、宅配便で届いた胃腸薬。奥方の父上が大好きで、ずっと愛用していた。これには、4,200粒が入っている。この薬は1回に20粒ずつ飲むのだが、それだと、210回分になる。ちなみに、お値段は1粒が1円という計算になるらしい。

 

 図書館の帰りにこれも買ってきた。だんだんと薬代が高くなるお年頃である。だんだんと涙の量が少なくなって眼球がカサカサする感じ。この前、眼科の前に行ってみたら、多くの人が並んで待っているので戻ってきた。待つのは大の苦手なのだ。白内障も進んできているのだけれど。

 

 つかさの会長からのオーダーの「ちらし作り」は全く進んでいない。アイディアさえ出てこないのだから仕方がない。明日、一日考えてみないと、明後日の火曜日が提出日。「急がなきゃ遅れるわ~お仕事しなくちゃ」

 

 午後からは晴れていい天気にはなったけれど、風が強くて厳しかったので、午後からは引きこもり状態。早めにブログを書いていたのだが、何かのはずみでデータが消えてしまった。普通は「バックアップ機能」があってすぐに復旧できるのに、今日は西風に吹き飛ばされたみたいにどこかに消えた・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「庄松いわく また生えにゃよいがのう 角があるまんまと聞こえなんだか」という、小砂説教所跡にあったお皿の言葉から。京都から名僧と評判の御使僧が来られたので、庄松さんもお参りしていた。すると、お説教を聞いていた隣の人が、涙を流して「いやぁ、今日のお説教はありが たかった。おかげで日頃の邪見の角が折れたわいなぁ・・」とつぶやきながらお念仏するのを、そばで聞いていた庄松さんの一言。「また、生えにゃよいが のぉ。わしは角があるままのお助けと聞いたがのぁ」と・・。「煩悩を断ぜずして涅槃を得る」という他力の大悲におまかせしてみると、悪業煩悩の角があるま まお助けに預かっている悦びがある。凡夫のままに救われていく世界を庄松さんは感得されていたのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

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蠟梅は 凛とせずして 漫とする

2017年01月14日 | 日常・・ありのまま。

 さぬき市地方は、冬型の気圧配置となっており、概ね曇りで、雪や雨の降っている所があったし、夜には雪が降るらしい。気温は4.0度から5.6度、湿度は74%から58%、風は7mから11mの西北西の風が強かった。明日の15日は、強い冬型の気圧配置が続くため、概ね曇りだが雪が降り、夕方まで雷を伴う所があるらしい。

 

 ようやくに我が家の蓮池に薄氷が張っていた。いつもならば1Cm以上にもなるのに、今年は今日が初めてだった。

 

 朝方は風も弱くいい天気だったので、担当地区のパトロールに出た。このおじさんに、このポストのことを聞いてみた。「犬が噛むんやが。ほんで、ここに持ってきたんや」とおっしゃる。よくよく聞いてみたら、飼い犬が郵便屋さんにかみついて困るので、郵便受けをここに持ってきて設置したということらしい。この本体は、「なんでも屋」というリサイクルショップみたいな所で買ったものらしい。

 

 この寒空にはだしで歩いている少女を見かけた。噂には聞いていたが、少女と話すのは初めてだ。「うち、浜田恵造を知っとるんで・・」という。「おじさんも知っとるで、県知事さんやろ。でも、向こうはおじさんを知らんやろな・・」「うち、救急車やパトカーにも乗ったんで・・」ともいう。「おじさんも乗ったこと、あるで・・。ほいでも、はだしはあかんで・・・。おうちに帰って靴をはいておいで・・」などと変な会話。

 

 この人がおうちに入るまで見届けていた。こういうのも、お仕事のうちなんかなぁ・・とぼんやりと考えていた。「活動記録」に該当項目があるかしらん。しかしのかかし、不思議な娘さんである。

 

  やがてのことに空が曇り、風が強くなったのでデスクワークをすることにした。風が強くなって散歩どころではなくなったからだ。その合間に、来週のご法事の檀家さんちを確認してきた。駐車場とか駐車スペースがあるかなどと。

  

  冬の風物詩ともいえる吊り大根。我が家からすれば夢のような光景である。今年はサルがやってこないなぁとのんびりと構えていたら、成長して食べごろになると一斉攻撃されてしまった。そこまで考えているのかサル軍団は・・・。

 

 さて、「おへんろつかさの会」の会長から、来年度の活動予定で、「瀬戸内海の島四国」探訪ということで、「塩飽本島(ほんじま)のお大師まいり」を予定しているが、そのパンフレットを作れ・・・というオーダーがきている。

 

 これは昨年のものだが、これはあっさりしすぎだろうか。こういうセンスは全くない。そこで、島のお友達にお手紙を書いたのだが、一般的なものばかり。

 

 ここは、「旧暦三月四日」がお大師まいりの日になっている。今年は三月三十一日の金曜日である。平日でもあり、ここも過疎と高齢化で「おせったい」の数も減ってきているらしい。だから、午前中が勝負で、午後になれば、おせったいはなくなるのだという。

 

 いくら、島四国体験だというても、お接待もないのではつまらない。しかしのかかし、さぬき市からJRを使って丸亀まで移動し、島に渡るとなると時間設定がむつかしい。これまた、会長に相談のことだ。

 

 この前のWindows10の更新以降、ノートPCが動かなくなってしまった。だから、昨日と今日は旧式のデスクトップPCでの更新になっている。これがまた、動作が遅いのだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「今日は 私の残りの人生の 最初の日」というもの。これ、アメリカン・ビューティーという映画で使われた、有名な名ゼリフらしい。ロビン・シーガーという人の書いた本のタイトルがこれ。「したこと」は悔やまず、「しなかったこと」を後悔しよう。できると信じたことは必ずできるから・・というサブタイトルがあった・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

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薄氷 割る人もなく 手水鉢

2017年01月13日 | 日常・・ありのまま。

 さぬき市地方は冬型の気圧配置となっているため、概ね晴れていた。気温は6.0度から8.2度、湿度は79%から55%。風は6mから8mの西の風が冷たく厳しかった。明日の14日は、冬型の気圧配置が強まるため概ね曇りで、夜遅くには雪が降る見込らしい。

 

 朝方は風が冷たかったので、デスクワークになった。寒いときに集落内パトロールをやっていて風邪でもひいたら肺炎になりそうな気がしたもので。

 

 で、昨日、病院とか薬局からの領収書をいただいて、「あ、そうか・・」と思って、気が早いけれど「医療費控除」の準備をすることにした。奥方と私の分の領収書を整理して、パソコンからの出力用紙の裏に張り付けて整理する。

 

 病院と薬局に分類して整理して貼り付けていく。

 

 それを家計簿ソフトを利用して投入して記録する。毎年、こうして整理をしている。

 

 奥方は両方で3万円ちょっとだが、私は検査入院したことや、高価な利尿剤を服用しているから、44万4800円ほどになった。合計で47万5千円ほどになる。医療費ばかりが高くなるなぁ。

 

 10時過ぎからは担当地区内パトロールに出かけた。まだ、お会いできていないおばあさんが三人ほどいる。訪ねて行っても誰も出てこないので、ご近所で確認したら、耳が遠いとか、けがをして寝ているとか・・。

 

 手持ちの資料にいないはずのご婦人がいるので、自治会長さんに確認すると、奥さんのお母さんを引き取っているのだとか・・。資料だけではわからない事情が見えてくる。

 

 午後からは、またしても思い出したように庄松同行のお墓に行ってきた。ここを、正式にはどう呼ぶのか確かめたことはない。「庄松同行墓所」とも、「正真同行墓所」とも「小砂説教所跡」とも、「正真講本部」とも呼んできた。

 

 庄松が臨終の床についた時、生涯独身であったため、一人で寝ていた。そこへ同行の市蔵が見舞いにやってきて、市蔵は庄松に「同行らと相談したんだが、お前 が死んだら、墓を建ててやるから、あとのことは心配するなよ」と言った。すると庄松は、「おらは石の下にはおらんぞ」と答えたと言う。既に阿弥陀仏の本願 に救われている身なので、墓石の中ではなく、浄土に生まれることを確信する中から発せられた言葉だと言えよう。

 

 しかし、現実にはこんなお墓が建っている。これは「報恩感謝」のお墓なのである。御恩報謝の念仏と同じである。供養のためではない。石碑には「庄松同行の墓」とあり、「釈正真信士墓」と刻まれている。 没年は明治四年三月四日と刻まれており、他面には、大同行 俗称 谷口庄松 丹生村 と刻まれている。

 

 これが、小砂説教所の内部である。正面には本尊阿弥陀如来立像。ここで、皆さん、合掌礼拝・読経される。あと、左三間は庄松さん関連の品物が展示をされている。詳しくはここにお参りしてご覧あれ。

 

 こういうものもある。ご勧章「聖人一流章」を上下逆にして、文字の読めない庄松さんが読んでいる図である。庄松さんは文字や本を読むのではなく、こころで「ほとけさまの願い」を頂くのである。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生 初の今日であり 今である」という、町内の善楽寺さんの掲示板にあった言葉から。よく見かける言葉だけれど、どこの誰の言葉かわからなかった。私たちは、当たり前のように生きているのだけれど、「今」という一瞬は「今」でしかないし、「今日」という時間はまるきり人生で初めての「今日」であって、もう、二度と今日という日はやって来ない。その今日という日の積み重ねが、この私の「人生」となる。それだから、今日、出来ることは今日にやっておきたいものだし、今日、見ておきたいものは、ぜひとも今日に見ておきたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

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冬の川 過去を流して 音もなく

2017年01月12日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は冬型の気圧配置となり、概ね曇っていた。気温は5.2度から9.7度、湿度は74%から62%、風は5mから7mの西の風が強かった。明日の13日は、引き続き冬型の気圧配置となり、寒気の影響で概ね曇る見込みらしい。

 

 今日は月に一度の予約診察日となっている。予約時間として10時となっているので、9時半過ぎに病院に着いた。

 

 10時に生理検査室で心臓エコーの検査があった。およそ10分程度の検査だった。

 

 こういう検査が年に二回ほどある。別に痛くもかゆくもない退屈な検査である。その後、すぐに血液検査があって、採血と検尿検査。これらもすぐに終わって内科の受付に行くと、「今日は混んでいますので、1時間半くらいお待ち下さい」とのこと。仕方がないから、そのあたりをドライブしてきた。

 

 ドライブたって、今の時期だから見るようなものは何一つない。

 

 で、ドクターの診察になったのは12時少し前。心臓エコーの検査があると、いつも、「心臓が大きい」と言われる。壁が厚いとも言われる。これは先天性のものだと言われていて、私がどうこうできる問題ではない。大きくて壁が厚いから心臓の収縮ができにくて不整脈になるという。生まれつきだから仕方がない。

 

 先月の宿題だったこの「慢性心不全手帳」だが、いかにも面倒でやめてしまった。

 

 手帳と同じような内容をパソコンで処理している。エクセルシートでの管理である。

 

 これをA3版用紙に印刷して持参したら、すぐに看護師さんが電子データに読み込んで処理した。それを私の電子カルテに貼り付けるのか・・・。

 

 こうして見る限り、そんなに多くの患者さんではないのだが、今日の診察は混雑していた。だからと言って、丁寧な診察というふうでもなかった。

 

 いつもように薬局で準備してもらったが、毎月のようにため息が出る。

 

 今月も診察検査代が6,170円に薬代が34,710円、合計で 40,880円にもなった。

 

 毎月、毎月、これだけの薬だが、これでおなかがおきたことは一度もない。

 

 家にもどると、今日も数匹の猿が残ったダイコンやカブにかぶりついている。爆竹で追い払って、迷犬ごんを畑の中に放しておいたのだが、サルがやってきても素知らぬ顔で昼寝を決め込んでいる。ジェット花火を打ち上げようとしたら、風が強くてライターの火が消えてしまう。全く、へとちまとちなことばかり。

 

 今日の掲示板はこれ。「米寿も二十歳も一度だけ 人生初事ばかりなり」というもんで、今日の赤松先生のお寺の掲示板から。これは、「米寿もはたちも一度だけ 人生初事ばかりなり 誰も現役 今が旬」という「佐々木安徳」先生のお歌から。生まれた時も一度だけ、一年生も一度だけ、成人式も一度だけ。人生は初めてのことばかり。初体験のことばかり。みんな、誰でもが現役で、みんな誰でも今が旬なのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

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冬戯れて 身動きもせぬ 達磨かな

2017年01月11日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は冬型の気圧配置となっているため概ね曇りで、一時的に晴れてたりした。気温は6.1度から10.3度、湿度は71%から61%、風は4mから7mの西の風が強かった。明日の12日も、引き続き冬型の気圧配置となるため、概ね曇る見込みらしい。

 

 最近、サルが集団でひなたぼっこをやっている・・・と眺めていたら、私の留守の間に、奥方の野菜畑を荒らしていた。

 

 ダイコンやカブなんぞを食べ散らかしている。

 

 白菜だって、おいしいところを抱えて持ち去っている。奥方は怒り心頭して、「ダイコン・カブなどを全部収穫しておいて!!」と、言い残してお仕事に出かけて行った。このあたりでは、野菜作りは諦めているのに、うちの奥方だけは、「野菜は高いのよ」と言いながら野菜づくりをやっている。

 

 で、今日は民児協の定例会だというので、さぬき市役所大川支所へやってきたが、9時半になっても誰も来ない・・。よくよく予定表を確認してみたら、13時半からの会合だった。

 

 明日から、利用者さんの移動のための手続きで神戸に出張するという奥方が、「お土産にするから、ムレのハマカワでカキを2Kg買っておいて・・・」とメモしてあったので、そういうお店を検索してお店を訪ねたら、11時開店と書いてある。こりゃぁダメだ・・・。

 

 どうやって、1時間あまりを過ごそうか・・・と言うことで、志度寺さんに寄ってみたが、見慣れすぎたお寺だから楽しくもない。今の時期だからお遍路さんも少ないし、風が冷たいばかり。ホームセンターとかスーパーマーケットを歩き回って、11時が来た。

 

 ここは、カキ焼き・カキ飯2時間食べ放題のお店らしい。奥方が年末にここでカキを買ったらしい。それでおいしかったので、お土産にしたいらしい。

 

 今日はそういうのじゃなくて、お土産用のカキである。

 

 こういう箱を二個で3,000円だった。それにしても、「へとちまとち」な午前中になった。」。「へとちまとち」というのは、思うようにならないというか、やろうとするのだけれど、どうにもうまくいかず、全く、意図しない結果になるみたいなことを言う、讃岐弁である。

 

 お昼から、今度こそと大川支所にやってきた。

 

 こういうメンバーが集まっての定例会。

 

 とにかく、お役所からの書類や資料が多い・・・。今日は、この資金援助のお話だったが、お金を借りてもいずれは返さないといけないのならば、リスクの先送りだなぁと思った。しかしのかかし、情報量の多さと動員要請の多さに困惑気味。

 

 今日の掲示板はこれ。「踏まれても 根強くしのべ 福寿草 やがて花咲く 春は来るなり」というもの。誰の歌かは不詳。他人の無礼や侮辱に対して、直ちに怒りを発し、為めに己を忘れるのは、小丈夫(しょうじょうぶ)の所為である。小丈夫の前途には、決して花咲く春はない。短慮一刻のひととなりを以てして、よく大事業を成し得た者は、古今東西、一人としてありはしない。また、歌自体にも様々なバリエーションが見受けられる。
(例)踏まれても根強く生きよ道芝のやがて花咲く春も来るらん
   踏まれても根強くしのべ道芝のやがて花咲く春もくるらん
   踏まれても根強く生きよ道芝のやがて花咲く春もくるらん
   踏まるとも根強く生きる道草のやがて花咲く春も来るらん
   踏まれても根強く忍べ道芝のやがて花咲く春は来ぬべし     etc

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

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一日が あっという間だ やぶ椿

2017年01月10日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は6.0度から12.8度、湿度は76%から58%、風は3mから6mの西の風が一時は強かった。明日の11日は、寒気の影響で概ね曇る見込みらしい。

 

 朝は大霜だったものですぐに暖かくなって霜はすぐに消えてしまった。ここ二三日、雨が続いたもので担当区域のパトロールができていなかった。それがすぐさま体重計に表示されるから困る困る。

 

 今日は郵便局まで歩いて行って、戻って来るコースを取った。郵便物二通を郵便局から投函した。もう、年賀状の届く期間は終わったみたい。

 

 これからは「寒中見舞い」の時期だろうか。

 

 元松尾小学校の正門。子どものいない小学校跡は怖いくらいにひっそりとしている。この建物をどうするんだろうか・・・。

 

 新年の挨拶を兼ねながらパトロール。姿が見えないと思えば施設に入っていたり、入院していたりする。

 

 その後、先日の「山の神さん」ののぼりの撤収。日曜・月曜と雨だったので、そのままにしておいた。今日の午前中になるとすっかりと乾いていたので片付けた。ついでにお賽銭も片付けた。

 

 数百円にしかならないお賽銭だが、サルが持って行かないとも限らないので、JA(農協)さんへ行って入金し、記帳してもらった。

 

 ついでに来期の自治会長さん用の「名義変更届け」の用紙をもらってきた。毎年、自治会長が変わると「代表名」が変わるので変更届けが必要になる。これらが面倒なのだ。

 

 その後、集会場へ行って、こののぼりとポールを返納しておく。

 

 瞬間湯沸かし器の乾電池切れだったのも、電池交換しておいたし、

 

 カーテン留め具が外れていたので、それも両面テープを貼り直して修理したし、

 

 今年用のカレンダーにも交換しておいた。

 

 天気がいいから、サルたちもひなたぼっこをやっている。ここらはやがて「サルの惑星」になるぞ。

 

 今日の掲示板はこれ。「「寒いね」と話しかければ「寒いね」とこたえる人のいるあたたかさ」という俵万智さんの短歌である。人生、それなりに長い年月を生きていると、どうでもいいことに有り難さを感じたり、当たり前のことに優しさを感じたり、求めてもいなかったことに恋焦がれたりするものである。寒い時に、「寒いね。」って同意してくれる人がいることって、とても素敵なことだし、有り難いことだとおもう。どんなささいなことでも、同意して、共感して、肯定してくれる人がそばにいるっていうのは、ありがたいことなぁと思う今日、このごろである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

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生かされて 臘梅の黄に 安堵する

2017年01月09日 | 今日はすっかりとアートの世界

 さぬき市地方は、気圧の谷や寒気の影響で概ね曇り、昼過ぎまで雨の降る所があった。午後からは晴れてきて明るくなった。気温は7.9度から11.8度、湿度は92%から、風は3mから6mの西の風が一時強く、香川県下には強風警報と波浪警報が発令された。明日の10日は、引き続き冬型の気圧配置となるが、概ね晴れる見込みらしい。

 

 この前から、集会場の横にこんな車が停まっている。で、今日はとうとう自治会の会員さんからクレームが来たので、県道の防災工事をやっている業者さんに注意をして、すぐに、この車を移動させた。着工挨拶もせずにやりたい放題の業者である。

 

 で、今日は休日だというので、坂出市番の州まで足を伸ばしてきた。正確には坂出市沙弥島字南通というらしい。そこにある「香川県立東山魁夷せとうち美術館」である。ここも香川県発行の「長寿手帳」を提示すれば無料で見学できる。

 

 2016年度第三期ーマ作品展ということで、一階が「風景歳時記 都の彩」というテーマである。

 

 館内はこんな感じ。ネットからの画像である。もちろん、館内は撮影禁止。一階では、春夏秋冬の風情を雅びやかに書き留めた、京都を取材地とした作品18点を見せてくれる。

 

 フライヤーにもあるこの絵は、「秋彩」というリトグラフで、京都の街の東側に位置する比叡山の山並みを描いた作品。夜明けの柔らかな光のなかで、白く桜の木々が浮び上る。なだらかな稜線を描く山の重なりや、遠くなるほど薄くなる色調には優美さが漂い、平安の昔から変わらないであろう「春はあけぼの…」の情景に、日本の美の源泉をみる。

 

 二階展示室では、スケッチや下図を中心に、日本画の制作過程を紹介しながら展示している(18点)。実際の風景と向き合った丁寧なスケッチや、入念な構図の検討を重ねた下図など、公開される機会の少ない貴重な資料である。それらは、描き直しには不向きな繊細な日本画の素材技法を以て、濁りや迷いのない画面を作り上げる魁夷の、全身全霊を傾けて行ったひたむきな作品への道程と言えよう。

 

 小さなスケッチから、「大下図」と呼ばれる下絵を経て、実際の絵となり、それが木版画やリトグラフへと展開していく。これは、「渓音」という木版画である。

 

 大下図は、日本画の完成作品と同じサイズで描く下図のこと。あらかじめ小さなサイズで十分に構図を練った後、大下図で確定する輪郭線を本紙に写して日本画の本画制作、彩色の過程が始まる。

 

 午後からは自治会の事務仕事。主なお仕事も終わったようなので、事務引き継ぎの書類や会計書類などを整備しておく。自治会総会は三月末なのだが、できることからコツコツと。

 

 活動報告書や次期当番表、会計報告なども整備しておいた。

 

 最近の時の早さには驚くばかり。この前にお正月を迎えたと思えば、早くも明日は10日。本当に「できることからコツコツと・・」だと思うばかり。

 

 今日の掲示板はこれ。「あらたまの年のはじめは祝うとも 南無阿弥陀仏のこころわするな」という蓮如上人のお言葉。時期が少し遅くなったけれど、お正月でうかれる気持ちをひきしめるように、蓮如上人は仰せになったのかもしれない。そしてまた、新年こそ、お念仏の始まりだよと云うとるのかも知れない・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

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一つずつ 答えの見える 冬の雨

2017年01月08日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は、低気圧の影響で一日中雨が降っていた。気温は6.4度から9.6度、湿度は85%から90%、降雨量は0mm/hから2mm/h、風は2mから4mの東北東の風が少しばかり。明日の9日は、冬型の気圧配置となるため概ね曇りで、朝から昼過ぎにかけて雨の降る所がある見込みらしい。

 

 この集落の取り決めで、山の神、地の神さんの出事は、午前7時からで、祭礼は15時から・・ということになっている。ところが今の時期の日の出は7時過ぎ。それに今朝は雨だから薄暗い・・。

 

 ところが、ここの人たちは、7時と言うと、6時半から雨具を着てお掃除をやっている。「こんな日に・・・」と、7時前に行くと、もう、あらかた掃除は終わっている。私が注連縄や御幣を持って行くと、それを待っていたかのように取り付けておしまいになった。

 

 7時15分にはお掃除も終わった・・・。

 

 簡単な朝食を食べて8時過ぎに、いつもの「おへんろ交流サロン」に着いた。

 

 今日は「おへんろつかさ養成講座」の最終講義と閉講式の行われる日。私たちは駐車場係。

 

 堀尾育成担当理事から挨拶があったあと・・・

 

 香川大学教授の大賀睦夫先生から「お遍路体験記にみる四国遍路」と題して心理学面から四国遍路を分析してお話下さった。お遍路を「女性性」「男性性」という見方からの講義だった。

 

 二コマ目は、同じく香川大学教授の稲田道彦先生から「真念の書いた四国徧礼道指南」という講題で、四国遍路の歴史的な変換点や真念の業績、さぬき市の遍路道の記述などについてのお話だった。

 

 この日の受講生は20名ほど。皆さん、熱心に講義に耳を傾けていた。

 

 その後、閉講式が行われ、受講生に修了証が授与され、記念撮影が行われた。その後、おへんろつかさの会から、活動の様子や勧誘が行われ、意見交換会と行事は続いた。

 

 私は「おへんろつかさの会公式ホームページ」の最終更新。今日の講義で、おへんろつかさの会の28年度の全行事が終わったことになる。

 

 その後、わが家を建ててくれた建築業者さんと、ウッドデッキやベランダの保守・修理などの打ち合わせをやっておく。その後、14時からは集落の「山の神さん」の例祭に参加する。

 

 昨年の夏にエアコンが盗難に遭って暖房ができないので、灯油を持って行ったのはいいが、石油ストーブが古くなっていて点火できない。湯沸かし器を使おうとすると乾電池が古くなっていてお湯が沸かない・・・などと「いんぐりもんぐり」。急ぐときに間に合わないってことはいくらもいくらもあることだ。

 

 例祭たって、パンとお茶だけでの井戸端会議。メインになるのはサルの被害やイノシシの被害のことばかり。神さんや政治経済の話など全く出ない。15時から16時の1時間、女性たちはサルやイノシシの話に夢中だが、男性陣は聞くばかりで話の輪には入れない。

 

 今日の掲示板はこれ。「見えている空は大きいけれど、もっと大きいのは見えていない空」というもの。野田さんという方の言葉だと思っているが、私たちの見ている物はほんのわずかな世界のこと。苦しいときや悩んでいるとき、自分の見える世界はものすごく不幸でいっぱいのような気がする。世界中の苦しみや悲しみを、総て私一人が背負っているような気がする。でも、そこを乗り越えてみたら、もっとゆたかで明るい世界が広がっている。まるで、雨の日に飛行機に乗って飛び出したときのように。雨雲の上には蒼くて広い世界がどこまでも広がっているように・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

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先行きが おぼろで見えない 霜の朝

2017年01月07日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷や湿った空気の影響で午後から曇ってきた。気温は3.1度から10.4度、湿度は94%から72%。風は1mから3mの東北東の風が冷たくなってきた。明日の8日は、低気圧が四国沖を東北東に進すむため雨が降るが、昼過ぎからは曇りとなるらしい。

 

 朝方はすっきりと晴れて風もなくいい天気だったので、恒例の集落内パトロール散歩をやってきた。相変わらずサルの軍団が水田の落ち穂拾いをやっていて賑やかだった。

 

 最近、仏生山法然寺の記事がなかった。もっぱら遍路札や俵札のことばかりだった。ということで、これまでに調べたことを幾つか書き残しておこうと思う。仏生山法然寺の参道である。真ん中あたりに火災で焼失した「二尊堂」があった。その先に見えるのが「文殊楼」。その背後にあるのが「般若台」である。

 

 徳川御三家の一つ、水戸本家から讃岐に入府した「松平頼重公」が第一代高松藩主となった。そこで、この香川郡百相(もまい)村の「雄山」山頂に「松平家墓所」を作った。高松城から南に一直線で、その距離は8.5Km。有事の際の「詰めの城」となる場所だった。法然寺は、その墓守番で、菩提寺となった。

 

 これが、松平家墓所、般若台の図面である。4300平方mの敷地に204基のお墓が並んでいる。

 

 その右部分であるが、来迎堂の真後ろにあるのが、初代松平頼重公のお墓である。最後の最後のとき、この墓前で切腹自刃するということを聞いたが、ここで自刃した藩主はいない。

 

 これが、般若台に入る唯一の門で、「般若門」と呼ばれている。私が若い頃には自由に出入りできたが、近年は硬く施錠されていて入ることはできなくなった。

 

 これが、初代頼重公のお墓と、左に見えるのが三代頼豊公のお墓である。二代賴常公、九代賴恕(よりひろ)の二人は儒教方式のため、さぬき市の霊芝寺に埋葬されている。

 

 これが三代頼豊公のお墓、その向こうに初代頼重公のお墓。玉垣のないものは子どもや家臣などのお墓らしい。

 

 この般若台の真ん中、しかも一番高いところにあるのが「祖師上人塔」で、浄土宗開祖の法然上人をおまつりしてある。

 

 このように、般若台には累々と、正室・側室、子どもなどのお墓が、北の高松城を向いて建てられている。

 

 このように玉垣のあるものは藩主のお墓である。資料は香川県ミュージアム発行の「高松藩主松平家墓所調査報告書」を参考にさせていただいた。

 

 讃岐高松藩の第十一代藩主松平頼聰(よりとし)の墓と遺骨が先年、東京の谷中霊園から高松市の法然寺にある松平家墓所に移転された。頼聰は幕末の動乱期に家督を継いだ最後の藩主で、明治二年の版籍奉還で高松藩知事に任じられていたが、のち東京に移住し、東京で没した。

 

 この夫妻のお墓が解体され、二千個の石材がトラックで運ばれて般若台に納められたのは2015年3月のことだった。

 

 今日の掲示板はこれ。。「先のことは誰にも分からない でも、今できることを即実行・継続 これが将来を開く」というもの。先のことは誰にも分からないもの。だから、今できることを即実行し、継続する。それはそれでいいことなんだけれども、それが将来を開くかどうかは・・・「先のことは誰にも分からない」のだ・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

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冬晴れに 出会ってみたい 人がいる

2017年01月06日 | 今日はすっかりとアートの世界

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は4.4度から9.5度、湿度は76%から70%。風は1mから3mの北東の風が少しばかり。明日の7日は、高気圧に覆われて晴れるけれど、気圧の谷や湿った空気の影響で夜は次第に雲が広がる見込みなのだとか。

 

 注連縄などの準備ができたので、すっきりとした気持ちでここにやってきた。高松市香南町にある「香南歴史民俗郷土館」で、「屋嶋城(やしまのき)のものがたり」という展示をやっていると聞いたのである。

 

 白村江(はくすきのえ)の戦いの後、中大兄皇子は、唐・新羅の連合軍の侵攻に備え、国を守るために、北部九州から瀬戸内海にかけて城を築かせた。その一つが「屋嶋城(やしまのき)」だった。日本書紀にも「讃吉國山田郡に屋嶋城、対馬國に金田城を築く」という記述がある。

 

 しかし、連合軍の侵攻はなく、城は見捨てられ忘れられ元の山野に戻ってしまった。「確かに屋嶋城はある筈・・」と、一人の郷土史家・平岡岩夫が屋島中を歩き回って、ついに、この石積みを見つけ出した。平成10年のことだった。

 

 かつて「幻の城」とされていた屋嶋城が復元されたのは平成28年だった。しかし、これは広大な屋嶋城のほんの一部に過ぎない。屋嶋城は「幻の城」から「謎の城」と呼ばれるようになった。

 

 ここからは坂出市の「城山城(きやまのき)が見える。城山からの「のろし」をここから確認したのであろうか。

 

 香南町から国道193号線を南下して高松市塩江(しおのえ)町に入る。ここには、高松市塩江美術館がある。

 

 ここで、「生誕100年市原輝士-伝承-展」が行われている。香川県で生まれ育った市原輝士(1916 - 1996)。地元で教職に携わりながら、郷土史家として香川県内をはじめ、四国地方の民家や民俗を研究していた。また高松市史の編纂などにも携わり、数々の功績を遺している。

 

 市原輝士先生と言えば郷土史家か民俗学者かと思って居たが、ここに来て、初めて先生の素顔を知った。

 

 私が若い頃に読みふけったこの本も市原先生の本だった。

 

 ところが、こうした民家や民俗風習などをスケッチし、水彩画で描いて残しているのである。若い高松工芸高校の頃からのスケッチも残されていた。

 

 今はもう、見られなくなった昔の生活。昔の台所やかまどの絵。先生は、民家や民俗を求めて東北など各地を訪ねて歩き、それらを克明に絵として残されている。

 

 市原輝士先生の生誕100年、没後20年を迎えた今年、ご家族の協力をいただいて、その足跡と人物像を残された資料などを通して紹介している展覧会である。

 

 午後からの恒例の集落内パトロール散歩。県道の防災工事の真上でひなたぼっこをしているサル軍団・・・。すぐ下では重機がうなりダンプカーが走り回っているのを高見の見物。

 

 今日の掲示板はこれ。「生かさるる いのち尊し けさの春」という、町内の善楽寺にあったもので「中村久子」さんの句である。中村久子さんは、1897年、飛騨の高山で誕生し、三歳のとき突発性脱疽に罹り、両手両足を無くされた。中村さんは、その障がいの事実を真正面に引き受けて、人権意識が未成熟で障がい者への差別の厳しい、生きていくのも非常に困難な時代を、女性として、母として、そして何よりも一人の人間として72年の生涯を生き抜かれた。晩年詠まれた「手足なき身にしあれども生かさるる今のいのちはたふとかりけり」に、自己の「身の事実」を機縁として、真実の世界に目覚 めていくという、中村さんの心の軌跡が窺える。 春は、全ての「いのち」をはぐくみ、育てる自然の営みの尊さをひとしお輝かせて見せてくれる。中村さんは、その中に生をうけ、生かされている自らに気づか され、その事実によろこばれたことと思われた。目覚めるたびに今朝も生きているとの確認は、生かされていることの体感であり、実感であったのであろう。そ の体感が苦難の中を精一杯生きる力となったものと思われる。 「今日のことば(句)」は、新しい春を迎え、あらためて人間の存在の真実を考えさせてくれる ものであろう。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

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