まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

梅雨もまた 旅の土産と してみたい

2015年06月10日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れてはいたが、気圧の谷や湿った空気の影響で雲の広がっている所があった。気温は18度から25度、湿度は88%から46%、風は1mから2mの南南西の風が少しばかり・・・。明日の11日は、四国の南海上に停滞している梅雨前線が北上するため、雲が広がり雨が降りやすい見込みらしい。

 

 この前から、「おへんろつかさの会」のホームページを担当しているが、そのトップ・ページのタイトル写真がいまだに桜の下を歩くお遍路さんの写真のまんまである。

 

 いつまでも、それではおかしいやろ・・ということで、夏の大窪寺あたりの画像が欲しいと思って出かけようとした。すると、奥方が、「そんな、勝手なことはやめて頂戴!!」と仰る。だって、おかみさんはピアノの練習でしょ。「ピアノは午前中で終わるの!!」だって・・・。

 

 結局の薬局で、お昼まで待たされて、しかも、おとなりのおばさままで連れて大窪寺へ行くのだという。<それは、無理やでぇ・・・>と思ったけれど、言い出したら聞かないのだから仕方が無い。

 

 大窪寺の門前にある「八十八庵(やそばあん)」に着いたのが11時58分。すぐにおうどんを注文した。今日は夏だから「団蔵うどん」を三人分頼んだら、「ここへ来たら、打ち込みうどんでしょう・・」などと通ぶって、奥方は打ち込みうどんを頼んでしまった。

 

 案の定・・・「熱い・・・」「あつい・・・」を連発して・・30分以上もおうどんと格闘していた。私はものの数分でざるうどんの「団蔵」を食べてしまって、境内の写真撮影を済ませて戻って来たのに、まだ、食べてはる・・・。「だから、云ったじゃないの・・・」

 

 今日のメインはこれ・・・。あじさい園の見学である。

 

 三人分の「無料入園券」を頂いて、裏山のアジサイ園に向かうが、おばさま二人はゆっくり・・・ゆっくり・・・。まるで、でんでん虫の行進みたいなものだ。

 

 ここが入り口のゲートである。入園は無料だけれど、入園券が必要。ま、整理券みたいなものだろうか。八十八庵で申し出たら、人数分の入園券を渡してくれる。むろん、おうどんを食べなくても、お土産をかわなくても大丈夫。大丈夫だけれど、おうどんも食べず、おみやげも買わずに、「入園券をくださいな」というのは、ちと、言いづらい。

 

 お店からあじさい園までは500mほどもあるだろうか。細くてなだらかな山道を右に左に進んでいくと、「入園券入れ」がある。

 

 お店の説明では、「入園者を確認するために入園券を入れてください」となっているが、入園者は、この数倍はいるような気がする・・・。

 

 とにかく、山いっぱいにあじさいの群れ・・・。人間様が、あんなに小さく見える・・・。

 

 お遍路さんも歩いて居るし、老人会らしい一団も歩いて居る。「新聞で見た」とか、「テレビで見たのはどこやろか・・」という人たちもいる。「まつたけはどこやろ・・」というトンチンカンなお方もおいでになる。

 

 ここの見頃は、この週末か、来週の半ば頃かなぁと云うていた。ま、あじさいの本数では、この近辺では随一かもしれない。奥方とおとなりのおばさまは足が痛くなった・・と、早めに寝てしまったということだった。だから、云わないことじゃない。

 

 今日の掲示板はこれ。「あすのことを思い煩ってはならない。あすのことは、あす煩えばよい。その日の苦労は、その日だけで十分である。」という、『新約聖書』マタイによる福音書第6章からの言葉らしい。私達人間はいろいろな悩みを抱えながら生きている。しかし、過ぎ去った出来事をいつまでも悔やんだり、遠い未来を思い煩ったりするうちに、大切な現在を見失ってしまうことがある。

 それゆえ、あなたがたに言っておく。命のために何を食べ、何を飲もうか、また体のために何を着ようかと、思い煩(わずら)ってはならない。命は食べ物にまさり、体は着る物にまさっているではないか。

 空の鳥をみなさい。種をまくことも刈り入れることもせず、また倉に納めることもしない。それなのにあなたがたの天の父は、これを養ってくださるのである。あなたがたは鳥よりもはるかにすぐれているではないか。

 あなたがたが思い煩ったからといって、寿命を一刻でも延ばすことができるだろうか。着る物のことをなぜ思い煩(わずら)うのか。野のゆりがどのように育つかをよく見なさい。ほねおることも、紡ぐこともしない。あなたがたに言っておく。栄華をきわめたソロモン王でさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

 きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草をさえ、神はこのように装ってくださるのだから、ましてあなたがたに対しては、なおさらのことではないか。

 だから、あなたがたは、『何を食べようか』、『何を飲もうか』、『何を着ようか』と思い煩ってはならない。あなたがたの天の父は、これらのものが皆、必要であることを知っておられる。

 まず、神の国とそのみ旨(むね)を行う生活を求めなさい。そうすれば、これらのものも皆、加えて、あなたがたに与えられるであろう。

 だから、あすのことを思い煩ってはならない。あすのことは、あす思い煩えばよい。その日の苦労は、その日だけで十分である。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。



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