まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

こおろぎに 今日の日記を せかされる

2016年08月27日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響により概ね曇りで、昼前にかけて雨の降る所があった。気温は25.7度から29.3度、湿度は90%から72%、風は1mから3mの北東の風が少しばかり。明日の28日は、気圧の谷や湿った空気の影響により曇りで、夜遅くには雨が降り、雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 で、ご案内の通り、仁尾町の埋め墓を探す旅にようやく出かけることになった。その途中にあった、詫間海軍航空隊跡のモニュメントである。太平洋戦争開戦とともに、航空要員の大量養成を図るために、実用機を用いた実機練習航空隊を急造した。1943年(昭和18年)2月には、横須賀鎮守府と呉鎮守府が統率する3個練習連合航空隊を統括する「連合練習航空総隊」が編制された。この一連の増強計画の中に、呉鎮守府第12連合航空隊所属の水上機実機練習航空隊の一つとして、香川県三豊郡詫間に設置されたのが詫間空である。詫間空では12機の水上偵察機とともに、48機もの練習飛行艇を備え、飛行艇搭乗員の重要な養成施設となった。

 

 その敷地跡は工場群や香川工専詫間キャンパスになっているが、山側には今もこうした設備が残されている。

 

 その先にあるのが、船越地区の両墓制である。手前側の自然石が埋め墓、向こう側の石碑が参り墓である。埋め墓は肉体を埋めた場所で俗界、参り墓が魂をまつる場所で聖界となっている。

 

 三豊市に属する詫間町から荘内半島をぐるりと回って来て、仁尾町家の浦集落にやってきた。まず案内標識に従って、「円明院」という真言宗のお寺さんで、薬師如来を本尊とするこのお寺は、静かな山あいにたたずむ落ち着いた雰囲気のお寺。

 

 境内の裏庭には昭和52年に建てられたパゴダ(仏舎利塔)があり、中にはタイ国から贈られた釈迦涅槃像が安置されている。

 

 パゴダの正面にはカギが掛けられておらず、簡単に扉が開いた。パゴダの中には、タイ国のワットバクナム寺から贈られた等身大の釈迦涅槃像が安置されている。思わずに合掌礼拝お念仏・・・。南無阿弥陀仏 南無釈迦牟尼仏。

 

 お寺の境内の外の墓地にあるのが「拝み墓」「参り墓」と呼ばれたお墓群である。

 

 

 そして、こちらが海岸近くにある「埋め墓」である。

 

 風で砂が流されないように、防風ネットを張ってはあるが、だんだんと砂が流れて形が崩れていくようである。お参りに来ていたおばあさんにお話を伺うと、もう、この墓地は使われていないのだという。でも、当番制で、このお墓を守っているのだという。今はもう、火葬にされて、山のお寺の墓地に納骨されるのだそうだ。

 

 帰り道、この「仁尾城跡」という「覚城院」に立ち寄ってみた。ここにお「城」があったということを「覚えて」おく・・・という意味の「覚城院」であるという。

 

 こうしてみると、全く、ここはお城であったことがすぐに見てわかる。

 

 で、そのお城が落ちた時が雛祭りの旧暦三月三日であったことから、この町ではひなまつりをしなくなり、八朔の八月朔日の男の子のお祭りと同時に「仁尾八朔まつり」が行われているのだそうだ。

 

 お寺のさらに上には軍人墓地があるが、実にその数、499柱。日清日露から先の太平洋戦争までの殉国者を平等に対等に安置していて、「全国無比」であるという。

 

 今日の掲示板はこれ。「ありがとうと心から喜べぬ ごめんなさいと心から恥じることもできぬ 今日も如来のご苦労が身に染みる」というもの。これまた、どなたの言葉かは分からないのだが、なんと強情な私たちであることか。なんと傲慢な私たちであることか。それでも親である如来は私たちを「いとおしい」「いとおしい」と見守っているのである。そんな親心を知っていながら、それでもまだすなおになれぬ私たちであることか。

 

じゃぁ、また、明日、きっと、あえるといいね。


この暑さ そうであったと 原爆忌

2016年08月06日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。高温が予想され、熱中症の危険が特に高くなるとかで、高温注意報が出されていた。気温は26.4度から33.3度、湿度は92%から71%、風は0mから2mの東北東の風が少しばかり。明日の7日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れるけれど、午後は大気の状態が不安定となるため、雨や雷雨となる所がある見込みらしい。

 

 今日は遍路札で一緒に作業されている中島先生が、どうしても出席できないので代理聴講してきて欲しい・・と頼まれて、高松市国分寺町にある「讃岐国分寺跡資料館」にやってきた。

 

 ここは、奈良時代に聖武天皇が全国に建てた「讃岐国分寺」跡の資料を展示してある施設で、現在の四国霊場80番札所の国分寺とは全く関係がない。

 

 こうして、旧国分寺跡から発掘された瓦や「セン」と呼ばれるレンガ状のものなど多種多様な資料が展示されている。

 

 こうした瓦類とか・・・

  

 近くには、復元された僧坊もあって見学できるが、今日は暑いのでそちらは遠慮した。

 

 「とにかく、中島の代理で聞いて来て・・・」と言われただけで、どんな先生の、どんなお話なのかわからないで来たのだから始末が悪い。このセンセ、どこかで見たことあるし、この話し方、なんか、クセがあって聞いたことあるなぁ・・と聞いていたが。

 

 あ・・・、おへんろつかさ養成講座で遍路道にある石造物の講義を担当している「片桐孝浩」さんか・・・。香川県の文化財担当の方である。

 

 で、今日は、「讃岐国分寺跡資料館友の会」の行事として、「四国遍路の調査から見えてきたもの」という講題で、世界遺産登録に向けた四国遍路調査から見えたもの・・についてお話された。私は世界遺産登録はちと、ムリなんじゃないかなぁとはいつも思っている。

 

 で、私が聞こうとしたものがこれ。讃岐にある四国霊場の67番札所大興寺には大師堂が二つある。一つは当然、弘法大師をおまつりする大師堂だが、右側には天台宗第三祖智頸(ケンが出ない)を祀ってあるが、その木造座像内部にネズミが引き込んだと思われる納め札である。

 

 ネズミが噛みきったような小片が多く、1,424枚もの納め札になったという。そこには江戸時代後期の文政9年、弘化2年を含むが、多くは明治13年から明治41年の明治ブームのものであったという。出身者は四国4県と広島・岡山などの山陽圏、兵庫・大阪などの近畿圏が多かったという。一般的な数字だなと思った。

 

 その大興寺の成り立ちとか、遍路の記載された過去帳の話とか六十六部廻国者の話とかもあったが、遍路札以外には興味がないので聞き流してしまった。

 

 今日は8月6日、広島原爆忌の日である。朝、ラジオで、慰霊祭の様子を聞きながらやってきた。

 

  今日の掲示板はこれ。「忘れざる ことが供養や 原爆忌」。原爆を、被爆を、戦争体験を風化させることなく伝えていくことこそが、先人への礼儀であり、供養であるというのである。今年で71回目の原爆の日、私の記憶も風化しつつあるが、若い頃の広島の暑い一日を改めて思い出しながら黙祷をした。首相として初めて佐藤栄作さんが広島に来て、原爆資料館を見学したが、資料館を出てきた首相を一目見ようと、みんなが出口に殺到した。私もみんなに押されて、その中に押し込まれた。佐藤栄作さんの顔が引きつったのを鮮明に覚えている。「動くな!逮捕されるぞ!」と誰かが叫んで、流れが止まって、その集団は静かに静かに解散した。あたりは何事もなかったように平静にもどったことを思い出した。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


少しずつ ヒグラシの声が 多くなる

2016年08月03日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、午後は大気の状態が不安定となるため、雨や雷雨となる所があるらしいのだが、今のところは雨も雷雨もない。気温は25.4度から32.7度、湿度は94%から59%、風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。明日の4日も引き続き高気圧に覆われて概ね晴れるらしいが、午後は大気の状態が不安定となるため、雨や雷雨となる所がある見込みなのだとか。

 

 さて、あそこで県道の防災工事とかをやっていて、切り取った赤土をダンプカーで運び出しているのだが、このカーブの向こう側に土建屋さんの作業場がある。そこでダンプカーを転回しているのだが、そのときの粉じんが舞い上がって自家用車や洗濯物を汚しているらしい。

 

 前にも一度、役所宛に苦情を申し入れてあるが、「散水します」ということだったが、この夏場だ。散水したってすぐに乾いてしまう。そこで昨夜にまた役所宛にクレームとしてメールで連絡した。

 

 すると、そこでは転回しておらず、上のダムか、下の三叉路でユーターンしているとの返事が。そんな筈はないやろ・・・。昨年の自治会長はどない、してはったんやろうか。

 

 で、今月20日の歴史講座用のスライドを作っている。

 

 草創の会・・・というのも全国各地にあるらしいが、香川の場合は、こんな本を作っていた。この時に「咸臨丸と塩飽諸島」ということで記事を書いたことがあって、今回の講演会への出講のご縁を頂いたという訳である。

 

 向こうさんの希望では「咸臨丸についての裏話」ということだったが、それも何年か前に皆さんの前でやったことがある。そこで、今回は「開陽丸や榎本武揚」なんかを交えた話にしようと思いつつ、やはり、讃岐の人を・・・ということで、古川庄八・阪次郎のお話になった。

 

 古川庄三の部分はほぼ修正も追加もできたが、今度は阪次郎さんの番になった。

 

 古川阪次郎といえば「笹子トンネル」である。しかしのかかし、「笹子トンネル」といえば「天井板崩落事故」ばかりが出て来る。

 

 四年前の2012年のことだった。

 

 この中央本線の笹子トンネルは明治29年に着工して、6年後の35年11月に完成し、翌36年2月に開通したトンネル。海岸線は敵の艦船や飛行機の標的になるからと山間部を走らせたものだという。

 

 伊藤博文の揮毫になる「因地利」の扁額である。東坑口にある。

 

 西坑口にある山県有朋の揮毫になった「代天工」の扁額である。時代を象徴するトンネルであった。

 

 そういうことをえっちらおっちらとやっていた訳だ。

 

 昨夜は激しい雷雨があったが、セミも空気を読みながら、アブラゼミからツクツクボウシになってきたし、最近は朝の四時からカナカナカナ・・・とヒグラシが鳴いている。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きるということは 思い通りにならないということが はっきりとわかることです」というもの。いつも赤松先生のお寺にあったもの。この思い通りにならないからこそ、人は苦しみ、悩み、怒り、泣き、わめいて、暮らすのだ。それが「生きること」だからである。そのことをはっきりとわかれば、悩みも怒りも悲しみもそねみもやわらかくなるというのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


蝉さえも 無言で耐える 峯の寺

2016年08月02日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は湿った空気の影響で概ね曇りで、夕方から夜のはじめ頃まで雨の降る所があるらしい。高温が予想され、熱中症の危険が特に高くなる見込みなんだとか。暑さを避け、水分をこまめに補給するなど、充分な対策をとるように注意している。気温は25.5度から33.2度、湿度は96%から68%、風は0mから2mの北西の風が少しばかり。明日の3日は高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 朝方におしめり程度の雨がふったらしい。今日の空気も蒸し暑い重い空気が漂っていて、メガネやデジカメのレンズが曇る。

 

 遍路札の論文もできたし、報告書の原稿も出来上がったので、参考資料を返却するために、香川県立図書館にやってきた。相変わらずここのクマゼミは賑やかだ。まるで降るように蝉の声が充満している。

 

 今回は趣向を変えて「郷土コーナー」へやってきた。

 

 こういう本を選んでみたが、山口嘉治郎や古川阪次郎の記事は少ない。図書館の検索機で調べてみたら・・・

 

 古川阪次郎で検索しても、山口嘉治郎で検索しても、これ一個しか出てこない。

 

 国立国会図書館で調べても、この本しか出て来ない。

 

 グーグルで検索しても出てくるのは私のHP・・・。

 

 古川阪次郎も、

 

 山口嘉治郎も、私の情報が一番多いらしい。はてさて、どうしたもんじゃろかいのぉ~。

 

 古川庄八で40分、古川阪次郎で30分、山口嘉治郎で20分の計算だが、どうやって時間の水増しをするか・・・だ。

 

 阪次郎の日露戦争での203高地奪還作戦をゆっくりと説明しても時間が余る。

 

 山口嘉治郎の「興亜中学」の情報量も多くが削除されてしまっていて探しようがない。

 

 今日の掲示板はこれ。「口が濁れば愚痴になり 徳が濁れば毒になる」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。意思が濁れば意地になり、口が濁れば愚痴になり 徳が濁れば毒になる。ああ、意地になってたな。意地にとらわれて、ちっとも子ども達のことを考えていなかった。子ども達のためのつもりの言葉が、いつの間にか愚痴ばかりになっていた。知らぬうちに心が濁ってしまっていたんだ。徳のつもりが独りよがりになっていた。独りよがりの人生観・教育観なんて、子ども達にとってみればはき出すしかない毒にすぎないじゃないか。でも、「ダメ」も濁りがこれれば「タメ」になる。子供を思っての「ダメ」も、濁りがとれれば「タメ」になる。親だって父親だって、もちろん先生だって、ダメ、ダメと言わずに、こどもの「タメ」になるような言葉を用意したいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


たんぽぽに 明日の一歩を 確かめる

2016年02月16日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は冬型の気圧配置となっており、日中は概ね晴れるけれど、夜は寒気の影響で雲が広がり、雪や雨の降る所があるらしい。気温は1度から7度、湿度は72%から60%、風は1mから5mの西の風が強くて寒かった。明日の17日は、冬型の気圧配置は次第に緩むけれど、寒気の影響で雲が広がりやすく、朝まで雪や雨の降る所がある見込みらしい。

 

 恒例の火曜日はここに出勤。さぬき市前山にある「前山地区活性化センター」という建物。ここに「おへんろ交流サロン」があり、「おへんろ資料展示室」がある。

 

 まずは、女性会員さんたちに、展示ケースの硝子拭きをお願いする。永年のほこりや脂などがしみついているので、それをまずもってお掃除しておいていただく。

 

 一方、こちらではどのように並べるかを実際にやってみて考える。その時に大切なのは、納め札が迷子になってしまう恐れがあること。台帳付きのファイルから出してしまうと、どこの誰のものかがわからなくなってしまう。そこで、裏側に番号を記入して貼り付けることになった。

 

 この白い板は展示ケースの底板。そこに並べてみて、何枚が並ぶのか、どういう順番で並べるのか・・・などを考えてみる。

 

 展示ケースの掃除が終わったようなので、私の調べた物を並べてみた・・・。

 

 これは仮置き状態。最後の最後でないと、ファイルからは出せない。出したら迷子になってしまいそう。

 

 で、実際に置いてみた。すると、訳文の白い用紙の文字が小さい・・という意見が出た。真ん中の主題分は「MS-P明朝太字の16ポイント、左右の文字は同字体の12ポイントと決めたが、2ポイントずつあげることになった。またしても、100枚を作り直しになった。

 

 A4用紙に5枚の納札分を打ってある。だから20枚の用紙が必要になる。14枚目で眼が痛くなってきた。ドライアイが進んできたようだ。今日はここまでにしておこう。

 

 こういう形で、

 

 こういう形になる。これだと年配者でも読めると思う・・・。

 

  このおへんろ交流サロンの前には、「道の駅ながお」があるのだが、塩江方面、徳島方面から下りてくる車の屋根には白い雪が乗っていた。このあたりには積雪はないのだけれど、10センチもの雪を乗せて、どこから来たんだろうかなぁと思ったことだった。

 

 作業中にも粉雪が舞い落ちてきていたが、あっという間に溶けて流れて消えて行った。

 

 今日の掲示板はこれ。「こんなはずではなかった と言って終わるか これでよかったと言える人生にするか それが仏法」というもの。いつもの赤松先生のお寺にあった言葉から。人は死に直面して、はじめて過去の自分の無意味な生き方に気がつくのである。それまでの自分は、家族を守るため、お金を貯めるために生きてきて、「幸せ」 という夢想を埋めるためのものでしかなかった。自分で生きていなかったということに気がつくのである。「こんなはずではなかった・・・」その思いは、「自 分だけは大丈夫」だと思い込んでいるために起こるのではないのか。そんな私たちに対して、すべての物事は必ず移り変わるということを、仏教では「無常」と 教えてくれているのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


水仙は 泣く場所もなく 立ち尽くす

2016年02月03日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、ときおり気圧の谷や寒気の影響で雲が広がってきたりもした。気温は3度から9度、湿度は86%から58%、風は1mの北北東から西の風が少しばかり。明日の4日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 仕事部屋のエアコンは寒いと動作しないのか暖房にならない。そこで、リビングで暖かくなるまで、納め札の「訳文」を作ってみた。

 

 小学生の頃から「漢文」や「古文」も「習字」も苦手なほうだった。まさに「六十の手習い」正確には「六十七の手習い」で、見よう見まねでやっているが、なかなかにしんどい作業である。

 

 特に、こういう筆文字やくずし字はさっぱりである。

 

 10時になったから、さぬき市立志度図書館にやって来た。先週に借りた本はスキャナーで読み込んだし、興味のないところは割愛したし。

 

 これまでは、こういう図書館は小馬鹿にして、県立図書館ばかりを利用してきたのだが、ここにはここなりの目線の違った本があって、それなりに「へぇ・・・」というような本がある。

 

 で、今日は、こういう本を選んできた。で、この「NHK気になることば」という本が気に入った。だから、早速にamazon.comで中古本を探したら、またしても「1円」という本が見つかった。1円で商売になるのかしらん。

 

 「へぇ・・・、そういうことだったんだ・・・」というような言葉がいっぱい。知って使っているつもりだったけど、そういう意味じゃなかったのか・・・みたいなこともいっぱい。「豆腐の一丁とパンツの一丁は同じか同じでないのか」、「一頭と一匹はどうやって分けるのか」みたいな・・・。

 

 こういう本も楽しいかなぁと思ったが、案外と楽しくなかった。ま、気に入ったものは記録に残しておいた。たとえば・・・

 

 これは「咸臨丸」らしい。なんか、イメージが違うんだけれど・・。

 

 これは、オランダへ留学した「山下岩吉」さんらしい。まぁ、こういうものは、私のパソコンの「倉庫」に保管しておくことにする。

 

 これも、わくわくしながらページをめくったけれど、収穫はなし。幕末~明治初期って、なんか、雑然としている感じ。武士も武士らしくない。映画やテレビドラマの影響なんだろうか。あんなにはカッコよくないんだな。

 

 午後からも、納め札の「訳文」を作っていた。

 

 暦の上では、今日までで冬はおしまい。明日からは「春」になるらしいが、自然はそんなにはっきりと切り替えはできない。私たちはカレンダーを破り捨てたらおしまいなんだけれど、季節は簡単には移り変われない。テレビやラジオでは、「節分」だ、「豆まき」だ、「恵方巻き」だと騒がしいが、田舎の一軒家には何の変化も何の影響もない。

 

 今日の掲示板はこれ。「鬼も福も腹の内」というもの。京都府福知山市三和町の大原神社は「鬼は内、福は外」 、千葉県成田市の成田山新勝寺は「福は内」、奈良県の蔵王寺は「福は内、鬼も内」、岐阜県可児郡御嵩町の鬼岩福鬼まつりでは「鬼は内」、埼玉県比企郡嵐山町の鬼鎮神社では「福は内、鬼は内、悪魔は外」などと、豆まきの言葉はさまざまだが、そういうことではなくて、鬼も福もともに、この私の腹の中にある・・・ということ。善も悪も、地獄も極楽も、ともに、この私の胸の内にあるということ。追い出しても追い出しても、こころの鬼はまた、生まれ出てくるものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


ようやくに セミの啼かない 頃となり

2015年09月01日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は山陰沖を北上する前線の影響で雨が降り、雷を伴って激しく降っている所があったし、夕方まで雷を伴い激しく降る所があるらしい。気温は22度から27度、湿度は94%から72%、降雨量は0mm~9mm/h、風は1mから6mと、まるで台風禍と思うような雨も降ったり止んだりしていた。明日の2日は、引き続き、前線や暖かく湿った空気の影響で雨が降りやすく、雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 晴れているかと思えば、いきなりの暴風雨のような激しい雨になったり、雷が鳴ったり、晴れてみたりと慌ただしいことだった。

  

 そんな雨の中、一ヶ月ぶりにさぬき市前山地区にある「おへんろ交流サロン」にやってきた。実は8月いっぱいはお休みをさせていただいていたのだった。その8月も終わったので、いつまでも夏休み気分ではいられないと、気分一新して、ここにやってきたもの。

 

 で、いつものメンバーと一緒に「俵札調査」の継続である。俵に納められていたお遍路さんの「納め札」を整理し、押し伸ばし、ファイルに挟んで、番号をつけて整理していく。この右手奥では、それをデジタルカメラで画像ファイルとしてデジタル化して格納している。

 

 それを、渡邊会長が解読する。「納め札一枚、手書き、徳島県、名西郡、明治四十二年、仁木トミ、鉛筆書き・・・」

 

 それを、私がエクセル・シートに入力して行くという作業・・・。これを、午前9時過ぎから11時半過ぎまで継続する。時間が来れば、片付けをして掃除をして、会場を元の位置に戻して休憩、お茶をして12時前に解散となる。

 

 「門前の小僧習わぬ経を読む」というが、「これ・・・なんだろうか・・」と、会長がときおり、首をかしげる。私が横からのぞき込んで・・「神前村(かんざきむら)の「権座(ごんざ)」さん・・・などと言う。「え・・・、ホンマかぁ・・・」と、言いながら、そういうことになってしまう。「習うよりも慣れろ」だな・・・とは最近になって思うことである。妙な筆文字がわずかながらだが、読めるようになってきた。

 

 こういう、「梵字」だとか、

 

 こういう「くずし字」だとかが、僅かながらだが「見える」ようになってきた。不思議なものだなぁと思う。まだまだ、会長さんや藤井洋一先生のようには読めないけれど。

  

 で、今日はお天気が悪いからということで、11時半で帰らせていただいた。で、その足で、高松市林町にある「香川県立図書館」にやってきた。先週に借りた本を返却して、新しく三冊の本を借りた。

 

 この三冊である。いずれも、これまでに何回も何回も借りている本である。この本の中に、昨日も探していた、「間嶋正市先生」の記事がある。だから、しっかりと、スキャニングをした筈なのに、HDDのどこを探してもデータがない。だから、またしても、これらの本を借りてきたと云う訳だ。

 

 すると、今まで見たことのない記事が飛び込んできた。間嶋先生が入った頃の「大川中学校」というのは、うちのお寺の「勝覚寺」で授業が行われた・・・という記事だった。昔、お寺で授業が行われていた・・・という話は聞いたことがあったが、間嶋先生が勝覚寺で勉強していたとは初耳だ。そのあたりも整理をしておかなければ・・・と、思ったことだった。

 

 こちらの本は、小学生用の本だから、読みやすくて理解しやすい。この中身もスキャニングをした筈なんだが、データはどこにもなかった。作業が終われば削除してしまったのかも知れない。HDDなんぞは、月に一度程度でバックアップを取ってあるので、左右いずれのHDDにも、同じデータが残っている筈なんだが、どちらにもないというのは不思議なことだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「拝む手が とがる世間の 角をとる」というもの。同じ町内の善楽寺さんにあったもの。インド人やネパール人の挨拶は「ナマステー」という合掌である。「ナマス」は敬礼する、「テー」はあなたに・・・ということ。私たちの「南無」は、この「ナマステー」からきたものだという。「右ほとけ 左は我と合わす手の 中ぞゆかしき 南無の一声」とも言って、右手はほとけさま、左は私たち。その両方が一つになって一瞬でもおだやかなこころになってくれればいいがなぁと思うことである。いじめだ、自殺だ、暴力だ、竹島だ、国旗だ、拉致だ、尖閣諸島だ、安保法制だ、再稼働だ・・・とがってばかりいる現代。拝む手で、幾分かでもいいから、角がとれたらいいなぁと思う・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


咲いて散る 盆の花火の 色の跡

2015年08月14日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨や雷雨となっている所があった。気温は24度から33度、朝方は肌寒さを覚えたものだった。湿度は90%から54%、風は1mから4mの北北西の風が少しばかり。明日の15日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 昨夜はいきなり激しい雨が降ったり雷鳴が轟いたりと賑やかなことだった。そのたんびに窓を閉めたり開けたり、洗濯物を取り込んだり広げたり・・・。

 

 そうそう、昨夜は奥方と二人でひっそりとお盆勤めをしたことだった。

 

 さて、恒例の資料館巡りはここになった。さぬき市志度にある「平賀源内記念館」である。現在の志度(旧志度町)で生まれた江戸時代の奇才、平賀源内は発明の才に富み、洒脱の気風があり、エレキテルの復元、本草学の著書、戯作浄瑠璃を発表したり、西洋画や源内焼を広めたりと天才的な業績を残している。

 

 その源内が残した発明品や著作は、「平賀源内記念館」に陳列されている。この記念館は、これまで源内に関する資料を展示していた平賀源内先生遺品館が手狭であったことから、近隣にあった旧銀行の建物を改装し、名称を変え、平成21年3月に移転・新装オープンしたものである。

 

 展示されているものは貴重なもの(当然だが)のようで、「撮影禁止」である。

 

 これが、ぜひとも見ておきたかった「物類品隲(ひんしつ)」である。でも、手の届かないショーケースの中にある。

  

 この本の中に、この絵の「原画」があるので、どうしても見たいものである。

 

 が、ここでは、このページは開いていなかった。

 

 一般の方は、どうしても、「平賀源内」と言えば「エレキテル」ということになるらしい。このおじさんが操作しているのが、そのエレキテルで、蛍光灯が一瞬だけピカリと光る・・・。

 

 で、500円の入館料を支払うと、記念館と、この、源内先生旧宅と薬草園の入園料金がセットになっている。本来は、こちらが、「平賀源内遺品館」だった。

 

 最初の頃は、この「遺品館」で展示が行われていたのだが、資料が多くなりすぎて、次には、隣の「生家跡」が資料館になっていた。薬草園もその頃から整備されていた。それが、近年になって、新しく「記念館」として再スタートした。

 

 源内は妹にこの家を任せ、妹は婿と一緒に「酢屋」を始めたらしい。その作業場が生家の土間として残されており、それらを一時保管した蔵があったが、その蔵の跡を後世になって薬草園にしたらしい。

 

 生家脇に立つ平賀源内の銅像である。作は「小倉右一郎」。

 

 源内さんのお墓は、四国霊場86番札所志度寺門前の「自性院」の境内にある。

 

 今日の掲示板はこれ。「千万(ちよろず)のいのちの上にさづかれし 平らけき世を生くる悲しさ」という大谷嬉子元西本願寺お裏方さまのお歌から。

      「海をよごし
       川をよごし
      空をよごし
       あさましい人間 
      然し地球は
       このあさましい人間を抱いて
      悠悠自転している」

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


雲湧いて 空を見上げる アイス菓子

2015年08月11日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は26度から34度、湿度は96%から54%、風は2mから3mの南南西の風が少しばかり。明日の12日は、気圧の谷や暖かく湿った空気の影響で雲が広がりやすく、夜は雨の降る所がある見込みなのだとか・・・。

 

 今日は町内にある「雨滝自然科学館」という所に行ってきた。雨滝山南山腹の森林浴公園内にあって、自然の中で文化・自然が学べる体験型環境学習施設なのだという。室内外で自由に活動できるので、子供たちが主体的に五感を使い、楽しく遊びながら歴史や文化などを学ぶことができるというのだが、私に言わせれば、自然科学の楽しいガラクタ箱。

 

 玄関先にいるのがこれ。「白いナマコ」。近くの海で採れたものを寄贈してもらったらしい。突然変異で白くなっただけのものらしいが、珍しいものだとか。

 

 このチラシを見かけたものだから、これは珍しいじゃないか・・ということでやってきたというわけ。讃岐の国ではアンモナイトは見つからないし、採取はできない。若い頃には淡路島の北端あたりまで行って探し回ったが見つからなかった。

 

 これらのアンモナイトは、北海道からお借りしたものらしい。大きいものだと、直径50センチ以上もある丸太のようなものから、小さい物はボタンのような小さいものまで。

 

 これは化石をクリーニングしたもの。まるで金属工芸品のように見えるが、アンモナイトの化石である。

 

 実に、大小さまざま・・・。形も姿もさまざま・・・。

 

 これらは、スプリングみたいな「異常巻き」で、きれいな巻き貝になる以前のものらしい。

 

 で、生きていたころには、このような形をしていたらしい。まるでタコやイカの先祖がヤドカリのように住んでいたらしい。オウム貝も、この仲間らしい。

 

 今日は、「夏休み親子教室」ということで、10人ほどの子供さんが化石発掘の実習をやっていた。

 

 で、昨日は「アイス最中」を食べてベタベタになったので、今日はベタベタにならない、アイスキャンディーの「ガリガリ君」に挑戦してみた。

 

  今日は早く早く・・・という気持ちで食べたので、崩れることもなく、氷が溶けることなく見事に食べた。1本当たり・・・とあったが、こんなもの1本下げてお店まで行くのも面倒臭いので捨ててしまった。子供の頃ならば、鬼の首でも取ったみたいにはしゃいで飛び出すのだろうけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。いつもの赤松先生のお寺にあった掲示板から。「九条もて 平和維持せよ 敗戦忌」というもの。どこのどなたの句か存じ上げないが、賛成、反対の議論のある「安保法制」をじっくりと考えてみなければならない夏である。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


夏が来た 空一杯の 伸びやかさ

2015年05月19日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は前線の影響で雲が広がっていたが、昼過ぎからは高気圧に覆われて晴れてきた。気温は19度から28度、湿度は96%から56%、風は1mから4mの北北東の風が吹いたらしいが気が付かなかった。明日の20日は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。

 

 朝方は激しい雨が降ってきたので、今朝の迷犬ごんの散歩はやめにした。犬だって犬小屋で丸くなって寝ている。

 

 今日から、また、新しいお仕事ができた。できた・・・と言ってもボランティアだからお金にはならない。午前9時に、さぬき市前山にある「おへんろ交流サロン」に集合して、ここでのお仕事になる。

 

 四国の名家には、このようなものがある。これは「俵札」と呼ばれるもので、お遍路さんにお接待した代わりに「納め札」を頂いて、このようなミニ俵に詰めて天井裏に吊してあった。こうしておけば火事などの災難に遭わなかったとか言う。「とか言う」のであって、決して火事に遭わないという保証はどこにもない。

 

 こうして、屋根裏の梁や棟木に結んであったのだという。中央の俵がこれ。さぬき市長行の「飯田家」の調査は、ほぼ終わった。現在はさぬき市志度の「田淵家」のものを調査中・・。

 

 ハッキリ言って、ゴミの山・・・。でも、必要な人にとっては、これは「宝の山」。小さな紙くずが貴重な発見になるやも知れないのだ。

 

 例えばこれ。わらくずのようなもので、何気なく捨ててしまいそうになるが・・・。

 

 おそる、おそる・・開いてみると・・・。文久三年三月の「納め札」であることが判明した。文化文政あたりから明治あたりのものが多い・・。

 

 何も書かれていない和紙でも捨ててはいけない。カタツムリや虫の死骸以外は、最後の最後まで捨てられない。

 

 領収書、借用書、完納書、伊勢ごよみ、日記、水利表・・・実にさまざまな書類も入っている。こどもの手習いまで入っている。その中から、丹念に、「納め札」「護符」を探し出していく。

 

 こちらでは、その完全な「納め札」をファイルにして、どこの誰が、いつ、納めたものかを整理票に記入していく。

 

 こちらの先生は、それをデジタル画像に落としていく。これが電子データーに格納される。

 

 こうした、納め札が5万枚・・・。今年の秋までには、一応の目途をつけて、来春からの展示会につなげたいと、一同は張り切っている。

 

 最後に、会長から、そういう方針が話されて、毎週、火曜日には、こういう作業を連続して続けていくことになる。

 

 今日の掲示板はこれ。「一人では何も出来ないが 一人から始めなければ何も出来ない」というもの。ボランティアや支援も、すべて一人から始まることが多い。一人の力が集まって、大きな力になって行くもの。その一人が始めなければ確かに何も出来ない。私一人くらいが協力しなくても・・・と、これまではそっぽを向いていたけれど、私が誰かの役に立ちたいと思うことからはじめたいな・・・と思いながら、今日からの参加になった。今日は、78枚の江戸時代の納め札を探し当てた・・・と、ブログには記しておこう。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


夏らしく 装っている 山河あり

2015年05月17日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は13度から24度、湿度は94%から30%、風は3mから1mの北北東の風が少し・・。明日の18日は、西日本に進んでくる前線の影響で雲が広がり、昼過ぎから雨となる見込みらしい。

 

 昨晩も、足の痛みと利尿剤の影響で1時間ごとのトイレに起きるのとで安眠はできなかった。上を向いても痛い・・、右を向いても痛い・・・左を向いても痛い・・と言いつつ、いつしか寝てしまっていて、トイレに行こうとして・・「ビクン!」と痛んで動けない・・。歩き出すのにしばらくかかる、トイレに座れない、立ち上がれない・・・そういうことを一晩中やっていた。

 

 来月の講演会のことで、「違うお話も用意しておくかなぁ・・・」ということで、またしても、香川県立図書館にやってきた。ここのアキニレの若葉がきれいになっていた。やがてにはセミがやかましく鳴く時期になる。

 

 今日は日曜日だから、中学生や高校生が多かった。それも、スマホ片手に騒がしい・・・。これからのおとなはガラケーが人気なんだぞ・・・。

 

 で、向山周慶の追加資料を探したり、新しいキャラクターを考えたりとするために、この本を借りてきた。

 

 ほかにも、このような本なども・・。しかしのかかし、経営者用のセミナーで取り上げるのだから・・ということで、どのような人がいいもんだか・・。考えたあげくに、次に取り上げるのが・・・。

 

 わが町内の先駆者、「軒原庄蔵」である。さぬき市にも有名人はたんといる。たんといるのだが、それでいて、あんまり有名ではない人。ということで、この人についても、資料を用意することにした。

 

 軒原庄蔵は、掛け井手という水路では水漏れがするので、山の下を掘って通水するという特殊な工法を考え出して穴を掘った。それが、この「みろく石穴」である。この工法は、あの、満濃池の放水路にも採用されている。

 

 さて、この右足だが、赤く腫れ上がっている。足の後ろ側に痛みが出る。こんなに痛みの出る虫・・・と言えば、ムカデなんじゃろうか・・・。水平に歩くのはなんともないが、階段の上下が辛い・・・。

 

 そうそう、講演会用の配付資料の第一案ができた。ま、たたき台としては、こんなもんだ。

 

 と、こういうお話に仕上げるつもり・・・。

 

 お天気のいい日曜日だというのに、相変わらずのデスクワーク三昧の一日になった。

 

 今日の掲示板はこれ。「幸も不幸も存在しない」という極めてシンプルなもの。「幸」も「不幸」も存在しない。それは他人が決めることでも外的なもので決まるのでもなく、その人自身の「心」が決めているのである。悲しみや苦しみは、実は現象のとらえ方によって、「幸せ」になってしまうことがある。そういう場合は、「悲しい」「苦しい」と言っていた現象が、幻になってしまい、「悲しく」「苦しい」現象が消えてしまったりする。妻がいる幸せ。独身でいる幸せ。幸せは、その人にのみ帰属するものであり、幸せが見つからないと言っている人は、幸せを感じる心を動かしていないだけかも知れない。事実や現象はひとつ。ただ、それを受け止める側の「心」がその現象の価値を決めているのだ。「とらえ方」の違い一つで、目の前の現象は「幸」にも「不幸」にもなる、ということのようである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


侘び助に 世のあれこれを 聞いてみる

2015年03月23日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れてはいたが、寒気の影響で雲の広がっている時間帯が多かった。気温は6度から11度、湿度は73%から46%、風は3mから5mの北北西の風が吹き荒れていたが、もう、寒くはなくなった。ただ、体感的に昨日が暑いくらいだったから今日は肌寒さを感じたことだった。明日の24日は、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がりやすい見込みらしい。 

 

 朝の間、集会場脇のゴミステーション用のネットが壊れていたので修理をしてきた。最近は大工仕事もすることが少なくなって、釘を探したら釘がない。ねじ釘を使おうと思うと、「インパクトドライバーのバッテリーが充電できていない・・ということで「へとちまとち」。「へとち、まとち」ってわかるだろうか。思うようにならないというか、やろうとするんだけどタイミング悪く意図しない結果になるみたいなことをいう、香川の一部の地区の方言である。

 

 いつもは、火曜日に県立図書館に寄ってから、ここに来るのだが、ここのうどん屋さんが火曜日が定休日なのである。だから、今日は月曜日にやってきた。ここは高松市仏生山町にある「仏生山法然寺」である。

 

 こちらが本堂である。寺務所で拝観をお願いして拝観料350円を納める。そして書院玄関から上げていただいて拝観させていただく。

 

 これは・・・「骨仏」さまである。ここには多くの方が納骨をされる。その遺骨で作られた仏様で、すでに七体の骨仏さまが完成している。

 

 こちらは本堂の本尊阿弥陀如来さま。上品下生の印を結び、右足を少し踏み出した「来迎阿弥陀如来像」だと言われている。

 

 向かって右側が法然上人、左が親鸞聖人像であり、外にも善導大師像も安置されている。

 

 本堂を過ぎて更に進むと納骨堂があるが、その前にあるものも、「骨仏」である。

 

 さらに進むと「三仏堂」に入る。そこにずらりと並んでいるのが、前歴代住職像である。

 

 そしてここが三仏堂で、阿弥陀三尊の前にはお釈迦さんの涅槃像があって、釈尊の死を嘆き悲しむ僧侶やいろいろな動物たちが集まっている。

 

 昔は信者さんが、この涅槃像を撫でていたらしく、このお釈迦さんは生きているように目を見開いている。そばで見るとぞっとするようなお顔である。肘のあたりもぴかぴかになっている。胸の卍の部分には、初代藩主松平重公のお母さんの遺髪が収められているとかと聞いたことがある。

 

 天上からはお釈迦様のお母さん、マーヤ夫人が薬を持ってやって来たが届かなかった・・・という話も子供のころに聞いた気がする。

 

 午後からは、寺院名鑑・神社名鑑用の本の読み込みを完了させた。いよいよ、明日には借りて来た本を返却する予定。

 

 でも、さぬき市五町の、100近い寺院と500近い神社を探して走るのは大変なことだ。これは何年もかかる作業だなぁと思ったことだった。

  

 とりあえずは、基礎資料集めができた・・・というところで小休止。

 

 今日の掲示板はこれ。「「一歩を踏み出す」 そして「諦めない」ということが、私の生きる姿勢です」という、登山家・栗城史多さんの言葉から。「山登りでは1歩を踏み出さないと頂上にはいけません。登山に限らず、地上のいろいろなチャレンジにおいても、「できる」「できない」と考える前に、まずはやってみることが大切だと思うんです。私がエベレストを登頂できずに下山して帰ってくると、周りからは「失敗した」って言われるんです。でもそれはちょっと違います。成功の反対は失敗ではなく、本当の失敗とは「何もしないこと」です。」と、栗城史多さんの“終わりなき頂上への挑戦”には書かれてあった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


侘び助が 明日の予定を のぞき込む

2015年03月13日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、夜は気圧の谷の接近で雲が広がり、夜遅くには雨の降る所があるらしい。明日の14日は、気圧の谷や湿った空気の影響で、明け方まで雨が降り、雷を伴う所がある見込みだとか。昼前からは高気圧に覆われて、次第に晴れるということだ。

  

 今日は天気がいいので、塩飽本島の小坂や泊地区を訪ねてみたいと考えていたのだが、奥方が「ダメよダメダメ。」と仰る。私が働いているのに、あなたが遊ぶのは不公平だと仰る。行くのならば一緒でないといけないと言うのだ。こういうことは最近になって言い出したこと。

 

 というので、仕方なく「塩飽小坂小誌」の続きで、今日は「丸亀市史」や、吉田先生の「塩飽史」をひもといてみた。丸亀市は通り一遍の史実らしいことを書いてある。

 

 吉田先生のは少し変わっている。土佐海援隊が塩飽人名の島を占領しようと、小坂の住民に働きかけた・・・というもので、目の付け所が違うなぁと思った。お話としては面白いかも知れないなぁと思ったが、史実としてはどうだろうか。

 

 これは、塩飽に残されている「塩飽検地之事」という朱印状で、「折り紙」という書状。田方屋敷方 のところで上下に折ってある。公的書類は、こうした「折り紙」であった。吉田先生の本の中には「切り紙を持たせ・・・」とか、「切り紙相違し・・」とある。今、切り紙や折り紙を検索しても紙で遊ぶ折り紙細工や切り紙細工しか出て来ない。切り紙とは普通の用紙に書かれた文書や手紙などである。

 

 ということで、「塩飽小坂小誌」の現代語訳が終わった。ま、誤字や下手な解釈はあるだろうが、それはこれからチェックするが、関係するものを印刷して並べてみた。

 

 そうすれば、このような本になる。一応、前書き、目次、現代語訳、原文、参考資料、あとがき、参考文書、奥書、裏表紙・・と、本らしい体裁は出来上がった。あとは、適宜に画像や資料、注釈なんぞを追加していく。

 

 これで大きな峠を越えた感触。表から眺めてみたり、裏から眺めてみたり・・・。

 

 今日も「木村食堂」のおうどん。外でもおうどん、家でもおうどんというのは少しうんざりするが、「働いていないんでしょ」と言われると・・・仕方が無い。

 

 今日は天気がいいものだから、わが家の前の畑には野猿が十数匹、悠々と歩いている。ジェット花火を発射すると一目散に山の中に逃げ込むが、花火くらいでは撃退はできない。すぐにまた、小猿などを引き連れて、ぞろぞろと、そのあたりを徘徊するのである。

 

 夕方の散歩に行くと、迷犬ごんが動かない。こんなところでどうしたんだろうかと、ふと目をやれば・・・。

 

 またしても、この捕獲器に親子(母子)のサルが入っている。この母親の首にはセンサーが取り付けられている。と、言うことは、一度はオリに入って捕まっているのだ。一度、学習したら身にしみたはずなのに、なんともはや、目の前のエサを見ると、食べ物が優先するのだろうか。この捕獲器は三月末日には撤去されることになっている。

 

 今日の掲示板はこれ。「何千ものろうそくは一本のろうそくで灯すことができる。それでろうそくの命が短くなることはない。幸福も分かち合って減ることはない」という仏陀の言葉から。お釈迦様の時代にろうそくがあったんだろうかと素朴な疑問を感じたが、なにがしかの灯りははあった筈。そのあかりは一つの灯りで灯すことができたのだろう。ろうそくの命はだんだんと短くなるのだろうし、なたね油も少しずつは少なくなって行くようにも思えるのだけれど。それでも、幸福は分かち合っても減ることはないのだと思った。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。 


花寒の 畑に手を振る 人がいる

2015年03月12日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れてたが、寒気の影響で雲が広がり、雨や雪の降っている所があった。気温は4度から11度、湿度は60%から42%、風は2mから5mの西北西の風が一時は吹き荒れていたが寒くはなかった。明日の13日は、高気圧に覆われて晴れるらしいが、午後は気圧の谷の接近で次第に雲が広がり、夜遅くには雨や雷雨となる見込みらしい。

  

 春らしい陽気の日がやってきたと思うと、急に真冬のような寒さに戻ったりするような毎日で、関西では、12日の奈良のお水取りが終わらないと春がやって来ないと言い伝えられてきたように、暑さ寒さも彼岸までとか、「毎年よ彼岸の入りの寒いのは」などとも言われて、気温の不安定さを感じるこの月である。

 

 ふと、思いつきで始めたこの作業、カナ旧字体混じり文の入力は終わって、いよいよ、現代語訳の文章変換に入った。そして、今日はいよいよ目玉とも言うべき「小坂騒動」の部分の現代語訳に入った。

 

 カナ旧字体文書を、一文字ずつ、現代語のひらがな混じり文に変換していくのも面倒な作業。この画面だと、下は旧字体のカナ混じり文だが、上段はこれをひらがな混じり現代語訳になっている。

 

 この先生の原稿は、単にひらがな交じり文に書き直したもの。文体は昔のままだから、あまり参考にはならないが、旧字体の意味などを書いてくれているので利用させていただいている。

 

 こちらでは、関連画像の収集とか、参考資料の収集をやっている。ま、いろんなものが集まってきて、「ならば、こういう本にまとめたい」というような意識になってくる。今のところは、どんな本にまとまるかは未定。でも、今月の25日の県立病院予約診察日までには、一応の形にまとめたい。

 

 というのも、それ以降に歯医者さんに行って抜歯をしてもらうので、その時に、この現代語訳の本を製本して届けたいと考えているからである。この「小坂小誌」は、その歯医者さんの叔父さんが書いたものだからである。

 

 今日のお昼はここになった。今日は奥方が洋裁のお勉強に出かけたので、やむなくここにやって来た。さぬき市造田宮西にある「溜うどん」というプチセルフのお店である。

 

 内部は古民家というか、元醤油工場を改築したとかと聞いた。ここも常連さんの多いお店で、いつも駐車場はいっぱいになっている。

 

 これは「引き違い戸」の裏に書かれた絵らしい。

 

 ということで、相も変わらず、「溜うどん小」で350円。少しは違ったもの、変わったものを注文すればいいのに、面倒くさいもので、こればっかりを食べている。

 

 午後からも引き続いて「小坂小誌」の解読作業。小坂騒動で、この小坂集落は焼き討ちにあって、全ての家が燃えてしまったという。そして、非戦闘員の老人婦人子どもなど480人が捕縛され勤番所の軒先の柱やら庭木などに繋がれて、あわや全員毒殺・・・というところにやってきたのが宮地彦三郎ら海援隊の人たちだったというお話。

 

 明治元年正月の話だというから、間もなく150年も昔の話。さてさて、どんな形の本になるだろうか。

 

 今日の掲示板はこれ。「自信とは自分を信じることじゃない。自分のしてきたことを信じることだ。」というもの。誰の言葉だかはわからないが、確かにそうだなぁと頷いたことば。仕事とか、研究とか、講演だとか、自分のやってきたことに頷けるときこそが「自信」だなぁと思ったことが何度もあった。「そうだよ、そうだよ。自信とは自分を信じることじゃない。自分のしてきたことを信じることだ。うん。」

  

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


水仙に 世のあれこれを 訊いてみる

2015年01月22日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は四国の南岸を東に進む低気圧の影響で雲が広がり、東部を中心に雨の降っている所があった。気温は6度から10度、湿度は95%から80%、風は2mから4mの西北西の風が少し。明日の23日は、冬型の気圧配置となるため雲が広がりやすく、明け方までは雨や雷雨となる所がある見込みらしい。

  

 眼の手術をしてから、あんまり眼を使うと疲れるもので、ついつい、午後の8時か9時には寝てしまう。奥方は7時前から寝てしまっている。だから、朝は6時とかに眼が覚めるが、あたりはまだまだ真っ暗・・・。でも、起き出してパソコンを立ち上げてメール・チェックやらブログ巡りなんぞをやっている。

 

 その間に、いつしか明るくなってくる。そうなってくると、そろそろとお仕事・・・。

 

 山頭火の句碑集が一段落したので、これまた、昨年夏から中止していた「おへんろ文化研究」の「四国遍路の闇と影」についての編集開始。ともかく、左目の白内障が進んでいた時期には、細かな編集作業はつらかったのだ。

 

 午前8時半になったら雨の中をお出かけして、またしても、香川県立図書館にやってきた。

 

 図書館に着いたのは10時過ぎだから、まだまだお客さんは少ない。実に静かな館内であった。

 

 今回はまたしても四国遍路の参考書。これらも何度も何度も借りている本だが、やっぱり、手元にあると心強い本である。

 

 で、朝昼兼用で、11時過ぎに、ここ、たもや林店に入った。ここもお客さんは数えるほど。こんな中途半端な時間におうどんを食べる人は多くはない。

 

 今日はしっぽくうどんの小。と、言っても、かけうどんみたいにどんぶりにうどん一玉を入れてくれる。それを自分でテボで温めて会計に行く。そこで会計を済ませると、別の容器に温めた具材を入れてくれるので、それを自分で麺の上に載せて、あとはフリートッピング。訳のわからんうどんになった。

 

 家にもどると、午前中の作業の続きに入る。今回の研究は、四国遍路の影の部分の「病気遍路」とか「職業遍路」となって、死ぬまで四国を巡り続けなければならなかった人たちのお話。昔の修行僧や聖たちは「托鉢」や「行乞」をしながら山野を歩き巡って修行した。それが、「お接待」という形になり、そのお接待で生きた人たち・・・。そういう闇の部分とかを切り出す作業。

 

 昨年から今年は「四国霊場開創1200年」ということで、各地でイベントや講演会や資料展なども行われてきたし、本尊の開帳とかも各札所で行われているが、その根底で、四国遍路を支えてきた民衆の力・・・というものを書き残しておきたいと考えている。

 

 すでに120ページほどの基礎資料は集まっているので、それらの整理や編集、画像の組み込みや、主題論文の執筆などが残っている。本来は昨年12月の発行予定だったのだが、眼の不調で頓挫していたもの。

 

 「晴耕雨読」ではないが、晴れた日には現地調査、雨の日は資料整理やら編集作業をやっていく一年になる予感。

 

 今日の掲示板はこれ。「失敗する可能性もたくさんあるけれども、まずはやってみなければ何も始まらない」という新浪剛史さんの言葉から。新浪剛史(にいなみたけし)さんは、日本の企業経営者。サントリーホールディングス株式会社代表取締役社長、元株式会社ローソン取締役社長及び会長。 弟は埼玉医科大学教授の新浪博士である。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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