ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

座禅では究極的に力が抜けて来れば眼は自然と半眼になることを確信する

2017-03-13 05:33:26 | 座禅

一昨日に、友人の1周忌を最後まで傍にいた息子さんに、天に還って行った瞬間の様子を、会食しながら聞きました。 

私は長い間、自宅で真っ暗闇の中で、1時間を深呼吸の要領で長く吐く呼吸、体の中へイメージで吐く呼吸に意識を集中しながら、静かに座っていた時には、眼のことは意識することはありませんでした。

座禅の素晴らしさを感じ、このような座禅会を、日常的に行っているお寺をネットで検索し、近くの稲城の臨済宗のお寺で、行っていることを知って、日曜日の朝に参禅させてもらうことになり、一月に一回通いました。

その時に和尚さんから、眼は半眼にしなさいと云われたのです。 それ以来、半眼にしなければならない理由などを、座禅中のふと浮かぶ雑念の中で、考えてみました。

結論的には、究極的に力が抜けて来ると、眼は自然と半眼になるのではないかと云うことです。 人が天に還る時には、下々のものが排出されると云うことを聞いていましたので、多分、目も半眼になるのではないかと感じたのです。

残念ながら私は、父の時も母の時にも、その時には立ち会っておりませんので、立ち会った方に訊きたいと思っていたのです。 一昨日に息子さんたちに確認したところ、眼は半眼であったとのことでした。

和尚さんが云うように意識して半眼にすると、残念ながら力が働いてしまうのです。 また目を瞑ろうとしても、眼を開けようとしても、力は必要なのです。 意識をあるものに一点に集中することによって、またある程度、時間をかけて心身の深層部までも含めて、力を抜くことが大切なのです。