1、序章
日本全国の都道府県のうち、私がまだ行ったことのない所は、私の記憶が正しければ青森、秋田、栃木、茨城、山梨、福井、三重、和歌山、徳島の9県となっている。それは2006年の秋以来変わっていない。それ以来他府県への旅をしていないからだ。いつかは全国制覇をしたいと思っているが、貧乏な今、それは当分無理だろうと諦めている。
全国制覇とは別に、離島の多い沖縄県の、その島々(人が住んでいる)の全てを訪ねたいとも思っている。離島巡りは倭国の旅に比べ旅費が概ね安く済むので、ちょこちょこ行けている。数年前に南北大東島へ、去年秋に八重山諸島の内未踏だった波照間島と、そのついでの与那国島、今年春には伊是名島、伊平屋島、粟国島を訪ねた。
「残すは宮古諸島だ、いつか行かねば」と思っていたら、埼玉在の友人Kからメールがあり、「9月に沖縄へ行きます、また厄介になります」とのこと。そして、「宮古諸島に行きましょう、旅費は負担します」ともあった。旅好きの私が、貧乏のせいで旅に出られないことを知って、Kがそれを哀れに思い、援助してくれると言う。前に八重山与那国の旅を一緒した時も、彼がだいぶ大目に負担してくれた。有難いことである。
というわけで、9月9日宮古諸島の旅へ出かけた。9月9日はオスプレイ配備反対を主題とする県民総決起大会のある日だ。大会へ不参加となった私にせめて意思表示をと家向かいの婆様が赤いリボン(大会のシンボルカラー)をくれた。それをバッグに結び、宮古島の他、池間島、伊良部島、多良間島なども巡る5泊6日オヤジ二人旅の始まり。
2、宮古島(1泊目)
1)海
9月9日、10時45分那覇発11時30分宮古着の飛行機に乗る。初めての宮古島、飛行機が着陸のため降下する時に思ったのが「何とも平たい島だこと」であり、「何ともきれいな海だこと」という印象だった。どちらも行く前から知ってはいたが。
平たい島なので猛毒蛇ハブがいない(海面上昇の際死滅したという説がある)、ハブがいなければ森の中、藪の中へどんどん入って行ける。私にとっては好都合。きれいな海なのでダイバー客が多い、ダイバー客が多いのは民宿に泊まった時に知った。宿の人たちと何人も話をしたが、「潜らないの?オッサン二人で宮古に何しに来たの?」だった。私は海より山に興味があり、友人のKは泳げないので海に興味が無い。
2)人頭税石
偶然だが、宮古諸島の旅へ出る1ヶ月ほど前に、沖縄産漫画『島燃ゆ』を図書館から借りて私は読んでいた。『島燃ゆ』は宮古島の人頭税廃止運動をテーマにした物語で、その感想を『島燃ゆ』というタイトルで書き、2012年8月24日にアップしている。その中で、人頭税について(私らしく)大雑把に説明している。そのまま引用すると、
『沖縄大百科事典』に沖縄での人頭税(ニントウゼイと読む)が詳しく載っている。大雑把にまとめると、「起源は定かでないが、薩摩侵入(1607年)から20年ほど後ではないか、廃止年は1903年。13歳から50歳までの男女に課せられ、個人の能力、土地の能力、天災などを考慮しない税制」となる。
怪我や病気で動けなくなっても、台風や干ばつで不作であってもお構い無しの過酷な税だ。「そのうえに在地役人のなかには・・・収奪をかさね」たこともあり、宮古では「赤子の圧殺、堕胎などの間引きをはじめ・・・」などとある。元々過酷な税制の上、在地役人(ウチナーンチュだ)に悪い奴らがいて、悲惨なことが起きたのである。
その記事には添付写真として、前年旅した与那国島のクブラバリを載せている。その写真には「久部良バリは3mほどの幅がある深い岩の裂け目で、ここから落ちると死は免れない。(人頭税を免れるための)人減らしで妊婦にここを飛ばせた。飛び越えられても流産するものもあったようだ。」(()内の注釈は今回記述)と説明を添えてある。
『島燃ゆ』の舞台となった宮古島には「人頭税石」なるものが存在することを旅の前に読んだガイドブックで知った。ガイドブックによると「この石の高さに達すると課税の対象になった」らしい。『島燃ゆ』を紹介したからにはぜひともその人頭税石を見て、写真を撮らねばと思い、訪れた。しかし、石の傍にあった説明文によると、「この石の高さに達すると課税の対象になった」は一説であり、事実かどうかは定かでないようだ。
3)懐かしい景色
初日の宿は宮古島市平良(元の平良市)、中心街にある宮古第一ホテル。普通のよくあるビジネスホテル、可も無く不可も無いので部屋や朝食のバイキングについては特に感想は無い。ただ、チェックイン時間の2時間も前だったが「掃除終わってるから」と部屋を使わせてくれた。親切なのか南の島のテキトー気分なのか、いずれにせよ助かった。
部屋に荷物を置いて、小さなバッグにノートやカメラを入れて、Kと一緒に平良市街の散歩に出る。途中、個人(宮古島出身の女流画家)の美術館があり、Kはそれに興味を持ったが、私は市場を見たかったのでそこでKと別行動となる。
Kと別れた後、港近くの公設市場を覗くが、日曜日でほとんどが休みだった。港へ行って伊良部島への船便の時刻表を確認し、上記の人頭税石を見に行った。そこから、その他の史跡、文化財などを見て回ったが、それらについては特に感想は無い。
ホテルの近くに個人経営の小さなスーパーがあり、今が旬の落花生など土地の産物が並んでいた。後で沖縄にもある大手のスーパーも覗いてみた。そこの品揃えは沖縄のそれとほとんど変わらずつまらなかったが、小さなスーパーは地域性があって良かった。
人頭税石からその小さなスーパーへ行く途中に洋装店と鮮魚店を見つけた。私が高校生の頃まではどちらも家の近所にあったが、今はもう少なくとも私の生活する周辺では見られないもの。小さなスーパーと共に懐かしい景色であった。
4)忙しい飲み屋
夕方、Kと飲みに出る。民謡(特に宮古民謡)のライブがある酒場で飲む予定であり、そのような店も午後の散歩の時に見つけていた。店は平良(ひらら)の中心街にあり、上演開始時間は7時半、それまでまだ1時間余あったが、想定の範囲内。その前に別の店で軽く一杯と思って、予めホテルの人に「魚の美味しい店」を訊いていた。
ホテルの従業員が「魚が美味しい」と勧めた店は『海王丸』という名。ホテルの従業員の舌は確かなようで、久々に美味い刺身を食った。写真を撮るのを忘れたが、マグロ、アカマチ、タマンなどいずれも宮古島近海で獲れたという新鮮なもの。
Kが「ぜひ食べたい」と頼んだ魚のバター焼き、沖縄の海産物料理店ではお馴染みの人気メニュー。魚は日によって違うようだが、その日の魚はタマン、タマンは高級魚だ、刺身でも美味しい魚。それをバターで焼く。美味しかった。
魚のバター焼き、注文してから出てくるまで長い時間がかかった(お陰で民謡ライブを諦めなければならなかった)。「バターの風味が中まで染み込むようにじっくり焼くから時間がかかる」と店の主人が言い訳したが、確かにそれもあって美味いバター焼きになっているのであろうが、遅くなったのはおそらくそれだけのせいではない。
その店はビール頼んでも出てくるのが遅かった。そもそも何かを注文するのにもすぐにはできなかった。何故か、店内は40~50席あり、その時も30人ばかりの客がいたのだが、店のフロアー係はたったの一人だった。一人ではとても30人は捌けない。厨房も亭主と女将さんの二人だけ、亭主と女将さんも時々料理を運んでいた。
会計の時、女将さんに訊いた。
「こんなに人気のある店ならフロアーにあと2人は必要でしょう?」
「バイト雇ってもあまりの忙しさに辞めてしまうのよ」と女将さんは言い、「私は中で焼き物など料理しながら、テーブルに料理を運んだり、こうやってレジもやる。忙しくて大変なのよ。」と愚痴をこぼした。確かに女将さんは疲れた顔をしていた。「頑張って、料理はとても美味しかったよ」と思わず激励してあげた。
5)宮古島情報:沖縄県離島情報サイトから抜粋
宮古島は沖縄本島から南西に約300km、東京から約2000km、北緯24~25度、統計125~126度に位置し、大小6つの島(宮古島、池間島、来間島、伊良部島、下地島、大神島)で構成されています。宮古島市の総面積は204平方km、人口約55000人で、人口の大部分は平良地区に集中しています。
3、多良間島(2泊目)
1)緑豊かな島
翌9月10日、宮古島空港9時25分発の飛行機に乗り、空路多良間島へ。
多良間島は小さな島だ。飛行機も小さなプロペラ機である。私はジェット機よりこっちの方が好き。ジェット機は一所懸命飛んでいるように感じるが、プロペラ機は楽に飛んでいるように感じ、何か安心感がある。たとえ故障してプロペラが止まっても、グライダーのように飛んでくれ、ゆったりと無事に着陸できるような気がする。
空から見る多良間島はほとんど緑の島であった。後で調べると畑と牧場がたくさんあって、集落は少しだけだった。畑のほとんどはサトウキビ畑とのこと。
2)まもる君
多良間空港に着いたのは午前10時頃、多良間は雨が降っていた。同行のKは村経営の有料マイクロバスに乗ってさっさと宿へ向かった。私は11時まで空港に足止め、雨が上がるのを待って歩く。海岸沿いの道を宿方面へ向かう。多良間島の風を感じる。
空港を出てすぐの交差点で有名人を見る。写真では良く見ているが、実物は昨日の宮古島で初めて見た。それがこの多良間島でも住人の安全を見守っていた。名前を宮古島まもる君というのだが、多良間島を見守っているのは多良間島まもる君と言うのだろうか?宿へ着いたら訊いてみようと思ったのだが忘れて、不明のまま。
途中、白い砂浜の広がる浜辺で一休み、展望台で一休みなどしてのんびり歩く。野原に放たれているヤギをたくさん見る。どうやら、多良間の人はヤギが好き(もちろん、食べ物として)なようである。村の主産業はサトウキビ生産と畜産業で肉牛の飼育も盛ん、ということで、牛とも何度か遭遇した。もう1つ、珍しいものにも出会った。ヤシガニ。野生のヤシガニを見たのは、私はたぶん初めて。小さいのでまだ子供だと思われた。
3)八月踊り
ぶらぶら歩いていると史跡らしき構造物に出会う。「土原ウガン」と名前がある。ウガンとは沖縄島でも同じ発音で「御願」と書き、神へ祈る場所の意。後で調べると、多良間の重要な行事「八月踊り」の舞台になるとのこと。「八月踊り」とは「旧8月8日に行われる伝統芸能、国の重要無形文化財に指定されている」とのこと。
4)見つからない村花
事前に読んだガイドブックで多良間村の村花がベニバナ(紅花)であることを知っていて、「紅花って有名な染料だ、サンフラワー油の原料だ」と思って、「ぜひ、実物にお会いしたい」と歩きながら探してみたが、見つからない。「村の花だ、役場へ行けば、そこの庭にはあるはず」と多良間村役場を訪ねた。何人かに訊いたが「分からない」、「たぶん、あの人なら分かるかもしれないが、今不在」などとなって、結局、ベニバナの在処は不明のまま、その後も歩きながら探してみたが会うことはできなかった。
ちなみにベニバナは、「キク科の一年草。小アジア・エジプト原産の染料・油料用植物。高さ30~90センチメートル。夏、紅黄色のアザミに似た頭状花をつける。・・・古くは花冠を採集して染料や紅を作った」(広辞苑)のこと。紅って口紅の紅であろう。
5)多良間シュンカニ
宿に着いたのは4時頃、チェックインしてすぐにまた散歩に出る。宿へ着く前に「多良間シュンカニ大会」というポスターを見ていた。シュンカニは初めて目にする言葉だが、想像はつく。ウチナーグチ(沖縄語)でいうところのションガネーであろう。ションガネーは「しょうがない」という意味であることをラジオの民謡番組かなんかで聞いた覚えがある。であるが、沖縄語辞典に記載がないので正確には不明。
ションガネーというと「与那国ションガネー」という民謡が有名。沖縄では「与那国ションガネー」と発音され、表記されるが、地元与那国では「与那国スンカニ」となる。歌詞の内容は「多良間シュンカニ」も含め、ウヤンマー(各離島に派遣される首里役人の現地妻のこと、各離島にいた)の悲しみを描いたもので、似たようなものだと思われる。詳しく書くと長くなるので民謡「ションガネー」については別項で。
多良間では「多良間シュンカニ」と発音され、表記されているが、「多良間ションガネー」という題の沖縄芝居もあり、これもウヤンマーの悲哀を描いたもの。
6)気さくな民宿
宿に戻ったのは5時半頃、宿の庭にあった椅子に腰かけ夕涼みする。途中で買ったビールを飲みながら旅日記を書いていると、庭の奥、といっても私が座っている場所から10mと離れていないが、そこにテーブルがあって3人のオジサンと1人のオバサンがユンタクしていて、その内の1人から「一緒にどうか?」と声がかかった。人懐こい性格ではない私だが、人と話するのは嫌いじゃないので、すぐに合流する。
互いに自己紹介する。4人は、70代と思われる男性がこの宿のご主人、60歳位の男性は近所の人でご主人の友人、50代と思われる夫婦は別の宿に宿泊していて、兵庫県からの旅行客。「別の宿の客が何故?」と訊くと、60歳位の男性が生業としているシュノーケリングツアーに参加し、彼の友人である御主人を紹介され、そんなこんなの繋がりで宴会となっているとのこと。60歳男性はまた、那覇から7年前に多良間島に移住して、海の案内の仕事をしているということも語ってくれた。
楽しい話を聞いている途中、宿の女将さんから「夕食準備できたよ」と声がかかって、私は1人中座する。美味しい食事を全部食べて腹いっぱいになって、すぐにまた、庭のテーブルに戻る。部屋でボーっとしている同行のKに「外で一緒にどうだ?」と声をかけると、「何でもっと早く声をかけないんだ!」と怒る。「何言ってんだこいつ、参加したければ自分の意思で参加すりゃあいいだろうが」と思ったのだが、まあ、ともかく、その後はKも加わって6人で楽しい宴会となる。気さくな民宿であった。私は大満足。
7)古き良き時代のカフェ
ぐっすりたっぷり眠って9月11日、朝6時半頃起きる。ぐっすりたっぷり眠っているが、昨夜飲み過ぎたのだろうちょっと二日酔い。7時半に朝飯食って、8時過ぎに散歩へ出る。朝飯も美味しくて全部食べたので腹が重い、畑道を港に向かってのんびり歩く。9時過ぎには宿に戻って、準備して、バスに乗って空港へ。散歩しても消化が進まないのか腹は重いまま、元気が出ない。空港でコーヒーを飲んで、後はボーっと出発を待つ。
コーヒーを飲んだのは空港内の喫茶店。名前が「ヘミングウェイ」とカッコいい。『老人と海』の作者であるあのヘミングウェー、喫茶店では無く珈琲屋とあった。マスターは初老の紳士、ハードボイルドとダンディズムという言葉が似合っていた。
10時15分発、多良間島から宮古島への飛行機に乗る。
8)多良間島情報:沖縄県離島情報サイトから抜粋
多良間島は、宮古島と石垣島のほぼ中間に位置し、亜熱帯気候に属した楕円形の島で、約8km離れた水納島とともに多良間村に属します。
北側に標高約30mの八重山遠見台があるものの、全体的には平坦な地形をなし、島のほとんどが耕作地として利用され、農作物や家屋を守るフクギ並木とともに豊かな緑をたたえています。
ちなみに、今回訪れることはできなかったが、多良間島のすぐ近くにある水納島についても同サイトに紹介されている。
水納島は、多良間島の北約8㎞の海上に浮かぶサツマイモ形をした亜熱帯気候の小さな島です。
昔は集落があり、大勢の住民が漁業を中心に生活していましたが、人口の減少が進んだ結果、平成24年(2013年)3月現在、5人が暮らすのみとなっています。
美しい自然が残る水納島へは定期船がありませんが、多良間島からチャーター船で渡ることができます。
とのこと。
記:2017.3.4 ガジ丸 →ガジ丸の日常目次