ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

持たないエコ

2018年01月19日 | ガジ丸通信-環境・自然

 腰痛で畑仕事が進まなくて、「畑も辞めなきゃならない」と思って、その方向で今、畑のダンシャリをやっているが、後から後から要らぬ物が出てくる。
 実家の処分の際、家の中のあちらこちらに物がたくさん詰められていて、「何で父と母はこんなガラクタを取ってあるんだ、バカじゃないの」と思ったことを思い出す。
 そんなガラクタを「いつか使うかもしれない、想い出の品かもしれない」と思っていくつもの箱に詰めた。その頃既に畑(ナッピバル)を借りていて小屋も建てていたので、小屋の中にそれらの箱を保管していた。父母と同じように私も「いつか使うかも、何かの役に立つかも」とガラクタ集めをしていたのだ。父と母は少なくとも、後を見てくれる息子(私のこと)がいる。私にはそういう者がいない。周りの迷惑になるだけ。
 実家から持ち帰ったもの、自身で集めたものも含めそれらのガラクタをダンシャリしていると「バカじゃないの」と心空しくなっていく。「役に立たないものをたくさん集めて保管して、それを捨てる作業をしている、誰の役にも立たないことに多くの時間をかけているぜ、大バカ者だぜ俺は」と思う。そう思って年末年始は反省の日々となった。

 実は私は、前の前のアパートから前のアパートに越した際(2011年9月)、書籍やらCDやらレコードやらを大量に処分するなどダンシャリを行っている。ところが、前のアパートから今の住まいに越した際(2016年12月)は、写真や手紙やらをいくらか処分しただけで、ダンシャリと言えるほどのものはやらなかった。私には物を保管できる畑小屋という強い味方があったからだ。私の持っているガラクタは、畑小屋に「取り敢えず置いておけ、後で考えよう」となったわけである。
 既に、実家から「いつか使うかも、何かの役に立つかも」と持ってきた物も畑小屋に大量に保管していた。それらは「そのうち仕分けして、多くは処分しよう」と予定していたのだが、畑仕事に追われ・・・というか、ほとんど役に立たない物置き作りなどに時間を使い、雨にも台風にも夏の暑さにも負けて、ダンシャリは延期が続いていた。
     

 畑のダンシャリは去年(2017年)12月から始めた。やっている内に「役に立たないものをたくさん集めて保管して、そして今は、それを捨てる作業をしている、誰の役にも立たないことをやっているぜ、大バカ者だぜ俺は」となったわけ。
 畑だけでなく、借りている住まいのダンシャリも同時にやっている。今の住まいは家賃が前のアパートより1万円も高いのだが畑に近いからという理由で借りている。畑を辞めるので畑の近くにいる必要はなく、もっと安いアパートに引っ越す予定だ。そういうわけで部屋のダンシャリとなっている。これも時間がかかっている。
 部屋のダンシャリはレコード、CD、書籍、衣類、食器類などバッサリ切り捨て、写真や手紙葉書などの類もその多くを捨て、愛用だった(ほとんど弾いていないので愛用とは言えないかも)サンシン(三線:三味線のこと)も友人にあげた。それでもまだ、ダンシャリする対象は多くあると思われる。例えば、「いつか美女が自分の部屋に泊まりに来るかもしれない」と思って準備している寝具一式など。「そんなことねーよ」だ。
 必要以上に物を持たないこと買わないこと、これが実質的に、地球に優しい生き方になるのではないかと、やっと気付いたダンシャリに疲れている今日この頃。
     

 記:2018.1.19 島乃ガジ丸


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