喫茶店の定番
私が初めて喫茶店に行ったのは、記憶は確かでは無いが、たぶん、小学校の4年から6年生の頃だと思う。このHPにたびたび出てくる別荘持ちの従姉に連れて行って貰ったと思う。私が小学校4、5年生なら彼女はまだ高校生である。その頃、彼女に海水浴に連れて行って貰ったことは良く覚えている。恩納村にあるムーンビーチに、彼女の友人たちと一緒であった。水着姿の女子高生と一緒に泳いだのであるが、あいにく、その頃の私は年上の女に興味が無かったので、彼女達がセクシーだったかどうかは全く記憶に無い。
まだアメリカ軍統治下にあった沖縄で、女子高生たちは元気だった。アメリカ文化は街に溢れていた。彼女達はコーラを飲み、ピザを食い、ハンバーガーなどをほおばった。アメリカ軍統治下にあった沖縄だが、しかし、街の文化の大方は日本である。日本と同じく不二家のパーラーがあり、日本のどこにでもあるような喫茶店があった。元気な女子高生達はパーラーでソフトクリームを食い、喫茶店で珈琲を飲んだ。
そんな元気な女子高生たちに喫茶店へ連れて行かれた少年が、「これは美味い。」と思い、以後、大好きになった食い物がある。スパゲティーである。スパゲティーは今でも好きで、麺類の中では蕎麦の次に好みのものとなっている。
ということで、喫茶店の食い物というと、サンドイッチを思い浮かべる人が多いかもしれないが、私はスパゲッティーとなる。そして、喫茶店のスパゲティーというと、当時は定番があった。定番は2種類あった。どこの喫茶店に行ってもたいていその2種類がおいてあり、その2種類以外のスパゲティーにお目にかかることは無かった。
2種類とはスパゲティーミートソースとスパゲティーナポリタン。私は中でもミートソースが好みであった。麺そのものも美味しかったし、ソースも美味かった。粉チーズも好きだったし、タバスコも大好きだった。お陰で、スパゲティー好き少年となった。
従姉の子供達が小学生から中学生の頃、よく彼らを映画に連れて行った。映画の帰りには喫茶店に寄ったりした。20年ほども前の話だが、その頃になるとボンゴレとかバジリコとかいう名前のスパゲティーが現れた。私はそれらも好きになった。
オジサンはデートすることも滅多に無いので、喫茶店に行くことは、今ではもう、2、3年に1回あるかどうかとなっている。2、3年に1回の喫茶店も、そこで食事することは無い。というわけで、喫茶店のスパゲティーを20年近く、私は食っていない。
金曜日の職場の2階が喫茶店となっていて、そこには毎週顔を出しているが、そこでも何か食べるということは無いので、今時の喫茶店にもスパゲティーミートソースやナポリタンがあるのかどうか不明であるが、まあ、あったとしても食べない。
スパゲティーはいつも自分で茹でて、自分好みのソースをかけて、家で食べている。ゴーヤースパゲティーやシマラッキョウスパゲティーを作り、生トマトでトマトソース、生バジルでバジルソースなども作ったりしている。
記:ガジ丸 2008.6.1 →沖縄の飲食目次
参考文献
『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行