焼いても美味しい
私は月に3、4回しかパンを食わないが、パン食が1年間続いても、その間、米が食えなくても平気である。パンは、私の感性では十分に米の代わりを果たしてくれる。
私は月に10回ほど麺類を食うが、麺類はしかし、米を1年間ずっと我慢して主食にはできない。麺類は米やパンほど、胃袋にとって普通食ではないようである。
麺類はでも、毎日3食出されるので無ければ、とても美味しいと思う。「沖縄ソバ」の頁でも書いたが、私は麺の中でも蕎麦は大好き。蕎麦は朝でも昼でも夜でも良し。酒の肴にもなる。その次にはウドン、ソーメン、スパゲッティーとくる。
ウチナーンチュでありながら私は、沖縄ソバを、麺類の中ではさほど旨いものとは思っていない。しかし、焼きソバになると話は別である。そう頻繁には食わないが、まあ、年に5、6回ほどしか作らないが、沖縄ソバで作った焼きソバはとても旨いと思う。
焼きソバといえば屋台のソース味の焼きソバを、倭人のほとんどは、そして、ウチナーンチュの若者の多くは思い浮かべるであろうが、私と同じくらいの年代、中年のウチナーンチュにとっての焼きソバは、沖縄ソバを使った焼きソバが焼きソバである。屋台のよりも、あるいはUFOよりも先に沖縄ソバの焼きソバが目に浮かぶ。
中学、高校の頃、学校近くの食堂にあった焼きソバは、倭人は驚くかもしれないが、ケチャップ味の焼きソバが多かった。当時(今でもあるか)、喫茶店のメニューの定番であったスパゲッティーナポリタンの真似である。私はどちらかというとしょうゆ味が好みであったが、ソース味もケチャップ味も、昔も今も私には、何の違和感も無い。
ケチャップ味の焼きソバがあるということは、じつは、沖縄ソバを焼きソバにして食うという習慣が、それまで(米軍が進駐して、アメリカ文化を伝えるまで)おそらく無かったのであろう。つまり、沖縄焼きソバは沖縄の伝統食では無い。しかしながら、沖縄の、どこのスーパーでも必ず多種類、多量に置いてある沖縄ソバの生麺は、焼きソバに調理するのに向いていると私は思う。どれもが茹でられた後、油が絡まされている。麺同士がくっつかないようにということである。その油が、フライパンで炒める時に有効に働く。カリッとした歯触りの焼きソバができ、また、汁気を少し加えれば、ふんわりした歯触りにも仕上げることができる。私は好きである沖縄ソバの焼きソバだが、しかし、あまりメジャーでは無い。どうも、私の舌は、一般的ではないようだ。
記:ガジ丸 2005.10.7 →沖縄の飲食目次