ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

耐性人

2014年03月21日 | ガジ丸のお話

 耐性人誕生

 先々週参加した「種と農と食のお話会」ではTPPの問題も一つ提起された。豆腐などを買うと原材料名に「大豆(遺伝子組み換えでない)」と今は表示されているが、農産物が完全自由化されると「遺伝子組み換えでない」が表示されなくなる可能性がある。そうなると、我々は安全かどうか不明なものを知らずに食べることになる。
  遺伝子組み換え作物だけでなく、種子の段階でいろいろ化学処理された作物、収穫までの間にいろいろ化学処理(殺虫剤や除草剤を撒くなど)された作物も現在既に氾濫しているので、食の安全はこの先ますます厳しい状況になっていく。
 などといったことを講師の2人は話していた。
     

 「種と農と食のお話会」に参加するよう勧めてくれた友人のI女史、彼女は料理屋の女将であり、自ら料理して客に提供する立場であることから「食の安全」には深い関心を持っているようだ。「隣近所の農薬も無くなってくれるといいのにね」と私の畑の作物の心配もしてくれている。でも、じつは、私の畑は自然農法にこだわるが、隣近所の畑が除草剤撒こうが、殺虫剤撒こうが私は何の文句もない。それによって、私の畑にも風に乗って微量の薬剤が降りかかっているかもしれないが、それでも構わない。
 農夫としても人間としても、隣の人は私の大先輩だ。その人に文句を言えるほど私は農夫としての経験も知識もない。「自分が嫌だから」といって、「私の言う通りにしろ」なんて言えない。自分の畑で何をどう作るかはその人の自由である。

 同じことになるが、「種と農と食のお話会」の内容、例えば「市販の種は化学処理されていて安全ではない」といったことなど、大宜見で有機農業をやっているTさんも興味があるだろうと思い、先日、その旨電話した。Tさんはむろん興味を示し、その時の資料を郵送することになった。本題はそれで終わったが、話の中で「隣近所の農薬について私はさほど厳しくないですよ、隣人と仲良くすることの方がもっと大事と思っている」といったことを言うと、「そんなことでは安全な野菜はできない」と、いつになくきつい口調で意見された。「食の安全」について真摯に取り組んでいるんだなぁと思った。
 「食の安全」ももちろん大事だが、私はそれより優先するものがあると思っている。何よりも先ず、自由と平和。それから幸福。世の中が平和で、個人の自由が束縛されないのであれば、幸せは個人の裁量と努力で得ることができる。
     

  幸せの形はいろいろあると思うが、健康はその一つだと思う。健康のためには「安心安全」な食べ物が大いに役立つ。つまり、食の安全は健康のため→健康は幸せのため→幸せは自由と平和が保たれていれば掴むことができる、という順序になる。
 私の幸せのハードルは低い、元気で食っていければ良い。食うのも粗食小食だ。世界中の多くの人(特に飽食人種たち)が私と同レベルのハードルであれば、食料が不足することは無いはず。科学的処理(薬も遺伝子組み換えも)しない自然の、昔から伝わる種から生産される量の作物で人々は生きていけるかもしれない。
 しかし現実は、飽食人種たちの欲望は留まることなく続き、科学的処理された作物がさらに増えていくだろう。そして、そういった作物を食べ続ける人類は自然治癒力が衰え、生きる力が弱まって行くかもしれない。いや、あるいは・・・、

 耐性菌を広辞苑で引くと「ある薬物に対して強い耐性を有する細菌」とある。耐性を持たなかった細菌が生き延びるために変異してそうなったのだろう。であるならば、人間の細胞にも「生き延びるために変異する」力はあるはずだ。農薬のたくさんかかった野菜を食べ続けても、あるいは、遺伝子組み換え作物を一杯食べ続けても元気で生き続ける人間がそのうち出てくるはずだ。彼らはつまり、耐性人ということになる。
 例えば、花粉症なんて私が東京に住んでいた35年ほど前はちっとも耳にしない言葉だった。化学肥料で育った軟弱野菜を食べ続けて免疫細胞の衰えた人々が罹っているのだろうと思っている。でもしかし、軟弱野菜を食べ続けても次世代の人間に花粉症は減っているかもしれない。細胞が変異し花粉症に強い耐性人が誕生しているかもしれない。

 耐性人クーデター

 耐性人誕生は人類の進化といえる。自分で掘った落とし穴に自ら落ちて怪我をしているのが現代の人類なら、次世代の人類は、前世代の人類が掘った落とし穴に落ちたとしてもほとんど怪我しないような体になっている。
 前世代の落とし穴は様々な種類がある。食でいえば上述したように遺伝子組み換え、農薬、、化学肥料、科学処理された種などからできた作物。それらは知らず知らずのうちに人間の体を蝕み、病気という落とし穴に引きずり込んでいる。
 耐性人はそれら全てに耐性を持っているから、彼らにとってはさほど危険ではない。柔らかくて味の薄い野菜をどんどん消費していく。柔らかくて味の薄い野菜に不足しているビタミンやミネラルなどの栄養素はサプリメントで補う。それで彼らは健康な体を保っていける。「すげぇ!」と一般庶民は思ったが、「しまった!」と思う奴らもいた。

 思惑が外れたのは、農薬漬けや遺伝子組み換えなどの不健康野菜が世の中に蔓延るよう画策していた支配者階級の人々だ。彼らは、一般庶民には不健康野菜を食わしておきながら、自分達は雇いの農家に作らせている健康野菜を食っていた。
 彼らの思惑はこうだ。庶民の人口は減らないで欲しいが、長生きはして欲しくない、子供を産み、育て終わり、労働力としての価値も消えたらさっさと死んで欲しい。人口は減らないで欲しいのでそれを賄うだけの食料は生産する必要がある、で、遺伝子組み換え技術などによって大量生産できる作物を世に蔓延らせた。そして、その作物を食べ続けていったら長生きできない、70歳位でぽっくり死ぬようにも仕組んだ。なのに・・・。
     

  世界は、前世代人たちが滅びいく中、耐性人がどんどん増えていく。耐性人は元気だった。よく食べ、よく働き、そのうち政財界の実力者となるものも出てきた。耐性人にとって「健康野菜」と「不健康野菜」の区別は「健康」か「不健康」かでは無く、「非効率で値段が高い」と「効率的で安い」である。「効率的で安い」は経済的に優位で、政治的にも優位となる。数だけでなく力においても耐性人は前世代人の優位に立った。
 そしていつのまにか、世界の支配者層も耐性人が独占するようになる。自分たちだけが健康で長生きできるようにと思っていた旧支配者層たちであるが、その子供たちに耐性人が産まれることはなく、そのうちこの世から消え去ってしまった。この支配者層の交代劇を「耐性人の無血クーデター」と後の人々は語り伝えた・・・というお話でした。

  ちなみに、日本の江戸時代の隠れキリシタンみたいに、密かに「健康野菜」を自ら作り続け、自ら食べ続ける庶民の一派もあった。彼らにとって「健康野菜」と「不健康野菜」の区別は「健康」か「不健康」かというよりも、「美味しい」か「不味い」かである。
 彼らの中の一家族の、ある日の夕食の席、
 「母ちゃん、昨日、晋三くんの家で誕生会があったさー、その時に出されたサラダの野菜さー、トマトもレタスもキュウリもみんな変な味がしてさー、美味しくなかったよ。母ちゃんのサラダが一番だな、やっぱ。」と子供が言った。
 「昔ながらの野菜には栄養がたっぷりだからねぇ、食べても美味しいのよ。それよりも大事なのは、食べ物に感謝して、楽しく頂くこと。幸せを感じながら食べるとね、体も心も元気になるのよ。食べられる野菜たちも嬉しいと思うよ。」と母が応えた。
     

 記:2014.3.11 島乃ガジ丸 →ガジ丸のお話目次