ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

劣悪コンクリート

2011年01月07日 | 沖縄04行事祭り・生活風習・言葉

 高校卒業後、一年間浪人して翌年の春、大学受験のために上京した。沖縄島を離れたのは高校の頃、近くの慶良間諸島、ちょっと離れた久米島などへ行っているが、沖縄県を離れたのはこの時が初めて。飛行機に乗るのも初めてのことであった。
 それまで、テレビや映画で、映像としては見ているが、生では初めてのものをいくつか目にし、感動したのを覚えている。最初に上空から見る沖縄の海、そして眼下の雲海、それから、飛行機が羽田へ向かって降下していく時に見えた倭国の建物。
 映画『ゴジラ』でゴジラが、テレビ『ウルトラマン』で怪獣達が、蹴散らし、踏み潰していくおもちゃのような建物がそこにあった。怪獣に踏まれてベチャっと潰れる建物がそこにあった。「あー、あれは、それほど大げさではなかったんだ。」と納得する。
 沖縄の建物はコンクリート造りが多い。私が『ウルトラマン』を観ていた小学校の頃でも多くがそうであった。コンクリートは、いくら怪獣が踏んづけたとしても、ガラガラ、ボロボロと崩れ落ちるだけで、ベッチャとはなるまい。なので、怪獣達によって建物がベチャっとなるシーン、沖縄の少年にはなかなか想像しにくいのであった。

  私が小学校1年までは、我が家はトタン屋根の木造、しかも借家、それも我が家代々の土地から離れた場所にあった。が、私が2年になった頃、道楽者の祖父から家長の座を譲り受けた働き者の父は、コンクリートブロック造りの家を、我が家代々の土地にあたる今の場所に新築した。さほど大きくは無いが、2階建ての、まあまあ立派な家。
 その頃、父はまだ三十歳を過ぎたばかり。働かない両親と、働かない子供3人をコンクリートの家に住まわせ、養った。もちろん、母の力はさらに大きい。職業婦人として忙しく働いて家計を助け、その上、両親、夫、子供の面倒をみた。
  そうやって夫婦二人、奮闘努力して建てたコンクリート造りマイホームはしかし、建ててからすぐ(1年後か2年後か、はっきり覚えていないが)に雨漏りがした。
 2階は半分が室内で、半分はベランダとなっている。大雨が降ると、そのベランダのコンクリートの床から水が漏れ、1階に滴り落ちた。
 コンクリートから水が漏れるのは、コンクリートの質が悪い、コンクリートを施工する際の業者の腕が未熟だった、などの原因が考えられるが、父と母の努力の結晶であるその家も、20年持たずして建替えられたので、今となっては調べようも無 い。

 1972年に沖縄が祖国(倭国が琉球の祖国かどうかについては異論もあるが、一般的にはそう思われている)復帰して、1975年には一大イベントである沖縄海洋博覧会が開催された。その頃、海洋博をあてこんで(ホテルなど)沖縄は建設ラッシュとなった。ちゃんと調べてはいないので確かなことは言えないが、噂では、その頃建てられた個人のコンクリート造り建物はコンクリートの質が劣悪とのことである。
 建設ラッシュで、コンクリートの原料の一つである砂が間に合わない。で、海砂を、洗わずにそのまま用いたらしい。コンクリートに塩分が含まれていると鉄筋が錆びる。鉄筋は錆びると太る。太ると周りのコンクリートが割れる。終いには、崩れ落ちる。
 劣悪コンクリートを用いたらしい建物は、今でも見かける。何しろ、築40年ほどは経っていると思われる、私の現在の住まいであるアパートがそうである。
     
     
     

 記:ガジ丸 2009.2.21 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行