アメリカ軍のカクテル
コーラは、私が子供の頃は、少なくとも私の周りでは人気ナンバーワンの清涼飲料水であった。部活でたっぷり汗をかいた後のコーラは格別であった。子供たちだけでなく、大人もコーラを飲んだ。大人たちは清涼飲料としてだけでなく、酒を割る水代わりとしても使った。泡盛やウィスキーにコーラを混ぜていた。
と、先週も書いたが、「泡盛やウィスキーにコーラを混ぜていた」を掘り下げて、復帰前、つまり、1972年以前のアメリカ軍施政下での酒の飲み方について。
おそらくだが、ウチナーンチュの南国気分は、子供の飲酒に対して大昔から甘かったと思われる。当時の大人たちも甘かった。宴会の席に子供がいると、「お前も飲むか?美味いぞー。」といたずらする。宴会の席にいることが好きだった私も、周囲の大人たち(父も含め、親戚のおじさんなど)からたびたび飲まされた。
飲まされた酒は泡盛のソーダ割りやコーラ割り。ソーダは概ねセブンアップ、またはベストソーダ。コーラは概ねコカコーラ以外のコーラ。コカコーラは当時10セント、ペプシやミスターやミッションコーラなど他のコーラは5セントだった。
当時の沖縄はウィスキーの値段が倭国に比べると安く、基地従業員だと基地内で売られている無関税のさらに安いウィスキーを手に入れることができた。基地従業員だった父もそういったものを入手していた。普段飲み用のジョニ赤(ジョニーヲーカー赤ラベル)クラスと、特別な時のジョニ黒クラスがそれぞれ2、3本ずつ、父の書斎の飾り棚に陳列されていた。高校生の頃、その1本を盗んで、仲間と飲み干した覚えがある。
大人たちがウィスキーをソーダやコーラで割って飲んでいるのを子供の頃から見ていたが、それがハイボールという名であることは大人になってから知った。ウチナーンチュの大人たちは、ハイボールなどという言葉を口にしていなかったと思う。家で飲み会があったりすると、「今日はハイボールでいくから」などと夫たちは言わなかった。妻たちは何も言われなくても酒と氷と共にソーダやコーラを出していたと思う。
「ウィスキーを飲みませんか?」という歌が流れて、美人女優がニッコリ笑って酒を勧めるコマーシャル、それがあってか、今、ハイボールは人気復活しているらしい。父や伯父たちの好きだったハイボールだが、私は、自分の意志ではほとんど飲んだことが無い。旨いとはあまり思わない。ウィスキーが良いウィスキーの場合は、それをソーダやコーラで割ろうとしたら、「てめぇ、何しやがる!」と怒鳴るかもしれない。
ちなみに、ハイボールを広辞苑で引くと、highballというスペルで、「ウィスキー・ジンなどをソーダ水などで割った飲料。多く氷を浮かべて飲む。本来、丈の高いグラスを用いるのでいう。」(全文引用)とのこと。
記:ガジ丸 2009.4.28 →沖縄の飲食目次