愛のワイン
先方は私のことをちょっと親切な足短かオジサンとしか思っていないかもしれないが、私は彼女のことを親しい友達と思っている22歳の可愛いAが、今年の正月、我が家へやってきた。正月二日の夕方のこと。
Aはただいまバーテン修行中。将来は自分の店を持ちたいとのことで頑張っている。そんな彼女に私が持っている美味しい酒を味見させてやろうと思って招待した。若い美女を一人、部屋の中に入れるのは危険かもしれないと思い、彼女の母親もついでに招待した。
いや、オバサンを招待したのは、じつは、全くの”ついで”ということでは無い。Aに美味い酒を飲んでもらうということが第一ではあったが、私の部屋にある最も古いワインを、Aの母親であるKに飲んでもらうことも、もう一つの目的としてあった。
私の部屋には常時、7~9本のワインがストックされている。台所の流し台の下に棚を設けて、そこにそれらのワインをストックしてある。日常用の安いワインが2~3本、料理に使い、たまには飲みもする白ワインが1本、ワインに合う旨い肴が手に入った時などに飲む2000~3000円クラスのワインが2~3本、そして今、姉からの貰い物であるとても(私にすれば)高いワインが2本、その棚に眠っている。
現在、棚には9本のワインがあるが、棚以外の場所に1本、別のワインがあった。そのワインが私の部屋にある最も古いワインで、押入れの中に、古新聞でくるまれたまま長い間忘れられていたもの。22歳の可愛いAがバーテンになるということを聞いて、バーテンからソムリエを連想し、Aの母親のKが頭に浮かび、その昔、Kから貰ったワインが押入れにあることを思い出したのである。
そのワインはポルトガルのもの。ラベルにはDAOと書かれてあり、それが品名であろうと想像できるが、どうもポルトガル語のようなので、他の文字は読めない。ただ、1985という数字があって、それが製造年であろうということは判る。作られてから21年ほど経っている。Aより1つだけ年下のワインということである。
1985年に、まだ1歳のAを放ったらかしてKはヨーロッパ旅行へ出かけた。ワインはその時の私への土産である。実家から現在のアパートに引越しする際、持ってきて、押入れの奥にしまいこんで、すっかり忘れてしまったワイン。ワインを包んでいた新聞紙から、私が引っ越した日が判明した。1994年の12月30日。私は私でまた、引っ越したばかりの部屋を放ったらかして、翌日からアメリカ旅行へ出かけた。
そんなこんなの思い出を思い出しながら、1985年のワインを飲む。Aは1杯だけ飲み、Kはグラスに半分を残した。「変な味がする」とのことであった。しかし、私にすれば、いつも飲んでいる安いワインよりは美味しいものであった。ただ、ワインというものは古ければ良いというものでは無いな、という感想を持った。21年の月日が経っていても、1000円か2000円で買えるチリワインとドッコイドッコイなのであった。
記:ガジ丸 2007.1.3 →沖縄の飲食目次
参考文献
『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行