ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

寿司

2011年02月25日 | 沖縄の飲食:食べ物(料理)

 寿司作りに挑戦

 昨年(2010年)8月、実家から持ち帰った白米5キロを、半年後の1月になってやっと完食。粗食小食の私は米を週に2合しか食べないので、それだけかかった。
  1月24日に最後の白米を炊いた。通常は1回に2合を炊き、それを1日朝昼(晩飯は概ねイモ)の2食で、2日間4食で消費する。残っていた白米は3合半あった。これを2回に分けるかどうかちょっと悩んだが、一遍に炊いた。炊飯器は3合炊き、3合半だと溢れてしまうかもしれないと心配したが、溢れること無く無事炊き上がった。

 白米を食べ終わったら玄米食に戻る。朝昼玄米を食い、夜はイモを食う。それが私の本来の食生活であり、早くそうなることを望んでいた。しかし、白米は美味しい。最後の白米は「白米で無ければ 美味くないもの」を作ろうと考えていた。
 最後の白米を炊くであろう日は、何日も前に決めており、「白米で無ければ美味くないもの」もその時に決めていた。「玄米では不具合なもの」はすぐに思いついた。丼物、カレーライスなどもあったが、一等先に閃いたのは「寿司」。

 最後の白米を炊く数日前には、実家から寿司桶と巻き簾を取ってきてあり、準備はできている。炊いた日の夜、いつもより余分であった1合半のご飯を寿司桶に移し、酢飯を作る。米酢と砂糖を混ぜ合わせ、熱いご飯に振りかけ、素早くかき混ぜ る。私の家に白糖は無い、黒糖しかない、よって、出来上がった酢飯は茶色になった。
 色は違えど味は酢飯だ。問題は無い。それで巻き寿司を作る。1日目はエビの細巻き、2日目はマグロ(いわゆる鉄火巻き)とイカの細巻き、いずれも美味しく頂いた。
 若い頃、実家で親と同居していた頃、上述のような寿司作り道具があったので、握り寿司も巻き寿司も何度か作った経験がある。当然、最初は母に教えて貰った。で、今回の巻き寿司も、具が真ん中に無いという不手際もあったが、まあまあ成功した。

  私が子供の頃、寿司というと生魚の握りや巻きは全く思い浮かばなかった。沖縄に寿司屋が無かったというわけでは無かろう。回転寿司屋の無かった頃だ、寿司屋は「高い」ので親が連れて行ってくれなかったのだろう。それと、「三原のオバーから寿司貰ったから今日の晩御飯は寿司よー」ということが時々あった。その時の寿司は太巻きと稲荷寿司であった。なので、寿司と言えば、太巻きと稲荷のことしか浮かばなかった。
 
 三原のオバーとは、母方の祖母の姉妹で、確か戦争未亡人で、叔父(母の弟)が学生の頃下宿していた一時期を除いてずっと一人暮らしだった。太巻きと稲荷を自宅で作って、それをマチヤグヮー(商店)に卸して生計を立てていた。三原のオバーはとても優しい人で、誰からも好かれていた。私も好きだった。なので、盆正月だけでなく、会う機会は多かった。そんな折に、オバー手製の太巻きと稲荷を頂いていた。

  近所のマチヤグヮーにも太巻きと稲荷寿司はたいてい置いてあった。中学校や高校の近辺にある食堂にもそれらはあった。今でもスーパーへ行けば、総菜コーナーにそれらは置いてあり、法事の際に出される食事も太巻きと稲荷寿司である場合が多い。
 子供の頃よく食べた太巻きと稲荷だが、大人になってからは、「寿司食いたい」と思う時の寿司は握り寿司となり、太巻きと稲荷を食いたいなどとは思わない。自分でそれらを買うことも無い。前述の法事の際に出された場合でしか食べる機会は無い。握りは酒の肴になるが、太巻きも稲荷も酒の肴になりにくいという飲兵衛の理由による。

 ちなみに、寿司は当て字で、正確には鮨と書く。鮨とは、「魚介類を塩蔵して自然発酵させたもの。また、さらに飯を加えて発酵を促したもの」、または、「酢と調味料とを適宜にまぜ合わせた飯に、魚介類・野菜などを取り合わせたもの」(広辞苑)とのこと。
 
 
 
 

 記:2011.1.30 ガジ丸 →沖縄の飲食目次

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