ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

オジサン5人旅 4、長崎編

2014年02月18日 | ガジ丸の旅日記

 14、快適でない鉄道の旅

 旅の疲れと、二日酔いと、いびきのせい(私もいびきをかくので非難はできない)による寝不足で、朝、身も心もだるい。だらだら寝て、だらだら起きて、だらだらする。
 MMは朝から元気。ビールを飲み、味噌汁を飲み、大量のパンを食い、チーズを食い、クラッカーを食い、コーヒーを飲み、煙草を吸う。とてもオジサンとは思えない。ずいぶん丈夫な消化器官をお持ちのようだ。よし!っと、私も気合入れる。
 佐世保駅まで全員出て、電車の出発時間までユンタクしたり買物したりする。私はスーパーの総菜屋で揚げ物数種を買い、地酒の4合瓶を買い、ビールを1缶買う。「向かい合って飲み食いする鉄道の旅パート2」を始めるつもりだった。今日、沖縄へ帰るZYと、地元のUTとはここでお別れ。ZYの飛行機は最終便なので、時間はたっぷり。2人はこの後、なぜかボーリングとのこと。「?何で?」と私は不思議に思いつつサヨナラ。
 UTお勧めの電車は、シーサイドライナーという名の、佐世保から長崎まで主に湾岸を走る電車だった。名前からしてカッコいいし、速そうだし、新しそうだし、何より慣れているUTのお勧めだ。「これしか無い!」と言っていたほどのお勧めだ。期待した。
 ホームに停車していた青い電車は、ただの2両編成の、古い形式の、古ぼけたちゃっちい電車だったので、オジサン4人とも「これじゃ無いんじゃないの?」と戸惑った。大村に住むERが「これ」というので、何か釈然としないまま電車に乗る。電車は2両とも禁煙車。周りの雰囲気からして、おそらく通勤、通学用の普通の快速電車のようであった。なもんで、飲み食いがし辛い。シートも狭くて固くて、電車の揺れも激しいものだから尻が痛い。酒は飲めないし、ガタガタ煩いし、尻は痛いし、快適でない鉄道の旅になってしまった。唯一の救いは景色が良かったくらい。途中、ERの家を見ることができた。
 後で、ERに訊いたら、「ハウステンボス号」という新しい快適な電車もあるとのことであった。わざわざ古い電車を選んだのは、情緒を楽しんで欲しいというUTの、友人を思う心優しい計らいであったのかもしれない。

 15、欲望を満足させる手段

 快適でない鉄道の旅から開放されて、長崎駅に着いたのは午後1時頃。ホテルに荷物を預けて、路面電車に乗り平和公園、原爆資料館などを見学する。
 私たち沖縄人は、小さい頃から沖縄戦の悲惨さを教わってきた。学校の先生だけでなく、親や親戚や、あるいは地元のテレビ局で放送される番組などを通してだ。だから私は、沖縄戦がいかに悲惨であったかということが、まるで実際に体験したかのように心に刷り込まれている。去年の8月、たまたま観ていたテレビに広島の原爆ドームが映っていた。「俺は沖縄戦の悲惨は知っているけれど広島や長崎の悲惨を知らない」ことに気付いた。「原爆ドームを観に行こう」と思いつき、去年の秋、広島へ行った。広島で原爆資料館を見学しながら、「これは、もう一箇所の被災地へも行かねば」と思い、で、長崎。
 今回の旅の目的は、名目上は「淋しい思いをしているかもしれないUTに会いに行こう」であったが、事実上は「オジサン同士飲み食い旅」であり、私は密かに「長崎の悲惨を知ろう旅」であった。そして、知ったのは悲惨だけでなく、悪魔の欲望でもあった。
 原爆を落とすと何人の人が死ぬか、どのように死ぬか、などを知りたがっている人々が存在した。机上の計算が正確かどうか実験したがっている人々が存在した。それらの人々の欲望を満足させる手段として、広島、長崎の悲劇が起きた、ようなのだ。

 16、友情の深さ

  ERは今、IRといい、長崎県の長崎空港に近い大村市に家族と住んでいる。大村から佐世保までは、およそ那覇から名護までの距離、その距離を、2組の蒲団とビールやおつまみを積んで、娘の運転する車でやってきた。
 娘は、親の良いところばかりを遺伝したような美人の女子大生、21歳。その歳には過ぎるほどの感性の持ち主のようで、オジサン6人がいる部屋に自然に溶け込み、何の違和感も無く穏やかな雰囲気で、オジサンたちに話を合わせてくれた。
 そんな、できた娘を産んで育てた賢母は、佐世保の夕方から長崎の夜遅くまで我々に付き合ってくれた。いや、付き合ってくれたのではなく、世話をしてくれたと言った方が正しかろう。楽しい時間を過ごせた。そして、深い友情を感じた。感謝、感謝。
     

 17、この旅一番の美味

 1次会が終わって、長崎駅でIRを見送って、2次会場所を探す。既に10時を過ぎていた。GTが目を付けていたというホテルの近くの料理屋へ行く。閉店。ホテルの人に飲み屋を紹介してもらう。すぐ目と鼻の先に1件あるという。そこに決める。が、MMがぐずる。「かわいい女の子のいる店を紹介して」とホテルの人に頼み、そのホテルの人が馴染にしているという、かわいい女の子のいる店を教えてもらう。
  「そこへ行こう」というMMの言葉を無視して、近くの居酒屋へ行く。Nという名の店は、閉りかけていた。MM、喜ぶ。「さっき紹介して貰った店に行こう」というのをまたも無視して、「終りですか」と訊いた。人の良さそうな初老のオヤジさんは、「いや、いいよ。そんなに長くならなければ」とニコニコして言う。で、入った。
 店には馴染らしい客、我々よりいくつか年上の男が1人。そして、昔はとても可愛かったであろう、今でも可愛い感じの女将さんがいた。3人とも気さくに話し掛けてくれる。楽しい長崎の夜となった。女将さんが作ってくれた魚の味噌汁が旨かった。GTとMTが頼んだのを少し味見させてもらったのだ。この旅一番の美味、といってもよかった。
     

 18、オジサン1人、暴走する

 居酒屋Nに入ってから、MMがやけにはしゃいでるのが気になった。後でMTから聞いたところによると、MMは既に1次会の終わり頃から酔っていて、IRに失礼なことを言っていたらしい。危険水域を越えていたらしい。確かに、Nのオヤジさんと客に向かって、「飲みに行きましょう。店を紹介して」などとしきりに喚いていた。
 翌朝7時、食堂に朝食を食いに行ったらMMが既に座っていた。ホテルに帰ったのは4時だったらしい。元気というか無謀というか、やれやれ、だ。長崎の夜を、彼は暴走して、気付いたら財布の中には5千円しか残ってないとのこと。ホントに、やれやれ、だ。

 19、とても快適な鉄道の旅

 最終日、歌にあった通り長崎は、やはり雨だった。昨夜からポツポツ降ってはいたが、この日は本降り。ホテルで200円の傘を買い、長崎駅へ歩いていく。
 駅で土産物などの買物を済ませ、電車の中で食うための肴を買って、博多駅行き特急白いかもめ号に乗る。かもめ号は、シーサイドライナーとは雲泥の差、みどり号よりも格上。フローリングの床に黒いレザーのシート。ゆったりとした広さにクッションも良い。
 ビールを飲み、春巻を食い、シーサイドライナーで飲む予定だった日本酒を開ける。煮しめた高野豆腐を食い、日本酒を飲む。イカの煮物を食い、日本酒を飲む。快適な鉄道の旅ができた。隣のMMに酒を勧めた。鉄の胃袋もさすがに疲れたらしく、酒はほんの少し口をつけただけ、自分で買った弁当も、ちょっと箸をつけただけ。人間だったのね。

 20、鈴木亜紀を探して

 博多に着いて、模合用の食材の買出し。ふぐ刺し4~5人前を2皿、ふぐちり4~5人前を2皿購入し、宅配を頼む。それから酒、4合瓶3本を買う。
 飛行機の時間まで余裕があったので、それまで各自、自由行動。MTとCDショップへ行くが、1件目の店でMTとはぐれる。あとは1人で別のCDショップ、本屋など数件をまわる。探していたのは鈴木亜紀のCD、ウッディーアレンのDVD「カイロの紫のバラ」など、どちらも見付からなかった。本屋でも探し物は見付からなかった。
 そうこうしているうちに時間が過ぎて、MT、MMとの待ち合わせ場所に10分ほど遅れた。MMも私と同じくらい遅れた。待ち合わせ場所を探すのに手間取ったらしい。空港でのGTとの待ち合わせ時間にも遅れた。でも、この日は平日。混んではいない。手続はすぐに済ますことができて、今回は走ることなく待合室へ着けたのだった。

 21、肩に食い込む日本酒4本

 かもめ号の中で皆で飲もうとした日本酒は、私が半分飲んだだけで、半分は残っていてバッグの中にあった。それに加えて模合用の3本とその他の土産類がバックの中に入っている。バッグの重さが肩に食い込んだ。行きはヨイヨイ、帰りはヒーコラの旅となった。

 22、ティサジのお返しに

  旧く琉球では、旅発つ恋人にティサジ(ウチナーグチで手拭いのこと)を贈ったのだそうだ。「無事に帰ってね」という愛情表現だ。オジサン5人は旅立つ前にIさんからティサジを頂いた。ティサジは佐世保に住むUTの分まであった。嬉しいことだ。
 ティサジのお返しに、男は女に何をあげたんだっけ。ジーファ(かんざし)だっけ。ティサジのお返しに、オジサン6人はIさんのための土産を買いはしたが、それは慣習にのっとたものではない。ティサジでもジーファでもない。福岡名物、辛子明太子だった。情緒の無いオジサンたちだった。でも、私は別にIさん用の土産を買ってある。有田で買った少し情緒のある品物。こんなことで好感度の点数を稼ぐわけだ。ずるい奴です。
     

 23、旅の収穫は、想い出

 那覇空港に着いて、GTの提案で、「福岡、長崎オジサン5人旅」の無事終了の祝杯をあげることになった。場所は空港ビルの4階、キリンビールの店。終わってみれば、あっという間の3泊4日。楽しかったこと一杯、そうでないこと少しあった旅だった。予定していたことは半分もできなかった。福岡で山頭火のラーメン、カロのうろんを食うはずだったことも忘れてしまっていた。それでも、とても楽しい旅だったのだ。乾杯。

 以上、オジサン5人旅終わり

 記:ガジ丸 2003.10.18  →ガジ丸の旅日記目次