ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

オジサン5人旅 3、佐世保編

2014年02月18日 | ガジ丸の旅日記

 10、権威に弱いJR

 有田駅から各駅で佐世保へ向かう。佐世保に4時に着くように、と考えて乗る予定にしていた各駅電車が10分ほど遅れた。この電車は早岐駅が終点で、早岐駅から佐世保行きに我々は乗り換えなければならない。ところが、早岐に着いた時は、既に佐世保行きは去った後。10分も遅れたのだから当然だが、遅れたのは我々のせいではない。JR九州のせいなのだ。次の佐世保行きまで30分以上待たなければならない。
 「時間に間に合わないじゃないか!どうしてくれるんだ!」と思ったが、JRはどうもしてくれなかった。
 我々と同じ様な境遇の、初老のスーツ姿の男が1人、駅員に食って掛かっていた。駅員はペコペコし、近くでは無かったので正確には聞き取れなかったが、どうやら次に来る特急電車に乗っても良いということになったらしかった。
 特急電車が来た。初老のスーツ姿が乗り込んだので、私は近くにいた別の駅員に、「電車が遅れたせいで時間に間に合わないのですが、この特急に乗ってもいいですか」と丁寧に訪ねた。駅員は大柄な口調で「特急料金300円を払えば、いいですよ」と答えた。「しかし、遅れたのはJRの責任じゃないですか」と言うと、この大柄な駅員は、遅れたことを謝りもせず、顔をそむけたまま「とにかく、300円を払えば乗れますよ」と言うのだ。私が丁寧にではなく、初老のスーツ姿と同じ様に怒り口調で文句を言ったら、駅員はどのような態度に出ただろうかと考えた。しかし、貧相なジーパン姿では、どうやっても見下されたであろう。昔の国鉄の名残だ。権威には弱いJRということなのだ。

 11、悲惨だったらしい佐世保組

 JRに少し腹を立てながら佐世保駅に着く。ハウステンボスで何があったか不明だが、迎えにきてくれるUTは遅れるとのこと。遅れた我々よりも、彼はさらに遅れたのだ。近くの衣料品店へ行き、薄手の上着を買う。いいかげんな情報のせいで、着ていた上着が汗で汚れていた。着替えが必要だったのだ。しばらくして迎えが来て、UT邸へ。
 駅から車で約10分、UTの住むマンションに着く。傍には稲荷神社があって、鬱蒼と樹が茂っている。UTによると、夜は真っ暗になって無気味らしい。祠は長い階段を上ったところにあるらしいが、怖いので、彼は1度も上ったことがないらしい。私から見るとそれほど不気味でもないのだが、心にやましいことがあると狐も怖いのであろう。
 部屋は2LDK、ベランダもあって、1人住まいには少し広い。掃除が大変だろう。台所は機能的できれい。冷蔵庫は小さい。台所がきれいで、冷蔵庫が小さいということは、ほとんど自炊をしていない証拠。UTに確かめると、「その通り」と答えた。
 佐世保組のうち、ZYは畳の上に座っていたが、あとの2人、MTとMMはベランダにいた。室内禁煙ということで、ベランダで煙草を吸っていた。煙草を吸いながらMMは、顔からダラダラ汗を垂らしていた。太っているせいだけでは無いようだった。
 「どうだった?ハウステンボスは」と訊くと
 「どうもこうもない!」と言って、この後、ハウステンボスでエライ目にあったと、ダラダラ汗を垂らしながら5分間くらいしゃべり続けた。
 ハウステンボスでの悲惨な話は、私は見ていないので詳しくは語れないが、MMの話を要約すると、UTに振り回されて、長い時間歩き続けて、疲れ果てて、結局、ハウステンボスのごく一部しか見られなくて、ワイン飲んで、チーズ食っただけだったとのこと。
 腹は立ったかもしれないが、しかし、こういうことが将来、思い出として残るのだ。我々が爺さんになった時、思い出すのはこういうことが多いのだ。爺さんになったMTやMMが、爺さんになったUTをつかまえて、お前、あの時はひどかったよなぁ、などと話題になったりするのだ。思い出作りができたと思って、UTに感謝してもいいくらいだ。ということで、お三人さん、少しは慰めになったでしょうか。

 12、佐世保に来た甲斐

 UT、ER、MM、GT、MT、ZY、私の7人で佐世保の夜に繰り出す。UTの選んだ店は、美味しくはあったが、別に佐世保でなくても、という店だった。佐世保の旨い物とか佐世保名物とかいったものでは無かった。佐世保に来た甲斐は無かった。
  二次会に行く。女の子のいる店がいいって言ったのはUTだったか、MMだったか覚えていないが、こんな店、沖縄にいっぱいあるじゃないか、しかも、沖縄の方がかわいい女がいるじゃないか、という店だった。なおかつ、オジサン達はカラオケを始めやがった。何でわざわざ佐世保まで来て、へたな歌を聞かされなければいけないんだ。と私は心の中で憤慨する。隣の女は、今年高校を卒業したばっかりだという18歳、佐世保の人間だというが、地元のことはよく知らないらしくて、何を聞いても首をかしげるばかり。お前は首振り人形かと、私は心の中で憤慨していたのであった。わざわざ佐世保まで来て。
 それでも、佐世保に来た甲斐も少しはあった。UTのチョンガー生活を見られたことは、そうたいしたことでもないが、ERと会って、話ができたのはうれしかった。特に、旨い日本酒が手に入るという情報は、それだけで、私を幸せにした。
 家に泊めてくれて、店の手配もしてくれて、あれこれプランを考えてくれて、暑苦しいオジサンたちをハウステンボスへ案内してくれて、いろいろ難儀してくれたUTに感謝はするが、佐世保に来た甲斐は、ERに会えたというくらいしか無かった。悪いけど。
     

 13、いびき合戦、ダントツ一位

 首振り人形のいた店から、寄り道せずにUT邸へ。ハウステンボスで買ってきたというチーズを肴に、同じくハウステンボスのワインを飲みながら、しばしユンタク。今日3度目の、ハウステンボスでいかに難儀したかという話を聞く。他人の不幸は何回聞いても面白い。その後、長崎の飲み屋でも、博多行きの特急電車の中でも聞いた。
  ERが、わざわざ大村の自宅から持ってきた2組の蒲団と、UT邸にあった2組の蒲団を敷き、足りない分は毛布を敷いたりして7人、仲良く寝る。
 私は、畳の上に薄いシーツのようなものを敷いた上に寝ていた。いつもベッドの上で寝ているので、畳の上の固さが不慣れで、背中が痛くて、何度か目を覚ました。目を覚ますと雷のような大いびきが聞こえる。疲れてはいるのに、酔ってもいるのに、すぐには寝られないほどの大音響だった。よく聞くと、いびきは3、4箇所から聞こえてくる。3、4人がいびきをかいている。しかし、1人のいびきがあんまり大きな音なものだから、他のいびきがかき消されて、すぐには気付かなかったのだ。
 大いびきの主は、見なくてもだいたい見当がついた。・・・そう、あの人です。
     

 記:ガジ丸 2003.10.18  →ガジ丸の旅日記目次