ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

平泉の旅2004秋

2014年02月18日 | ガジ丸の旅日記

 1、スズカケノミチ
 平泉と言えば藤原氏、学校の勉強が嫌いだった私だが、日本史はまあまあ好きだったので、そのくらいは知っている。中尊寺という有名な寺があることも知っていたが、ガイドブックにあった毛越寺は知らなかった。「モウエツジ?有名なんだ、中尊寺から近いな、ついでに行ってみよう」となった。ちなみに、モウエツジでは無く、モウツジ、またはモウツウジと正確には読む。毛越寺を知らない程度の日本史好きである。

  毛越寺を観て、そこから歩いて中尊寺へ向かうことにする。で、先ずは毛越寺、庭がきれいであったという感想しかなかった。中尊寺へ向かう。毛越寺を出て山道へ向かうために左に折れる、と、その角に立て札があった。「鈴懸の道 昔、修験者が金峰山に入峰の節、ここで鈴懸をつけたと伝えられ、・・・云々」とある。
 「スズカケノミチと言えば"鈴懸の径"だろう。灰田勝彦だろう。スズカケノキの並木道だろう。修験者?金峰山?鈴懸をつける?・・・何だそれ」と思った。
     

   鈴懸の径  唄:灰田勝彦
 友と語らん 鈴懸の径
 通いなれたる まなびやの街
 やさしの小鈴 葉かげに鳴れば
 夢はかえるよ 鈴懸の径

 スズカケノミチと言えばこの曲(歌詞は知らなかった)しか思い浮かばなかった私は、毛越寺の立て札の「鈴懸の道」が気になって、旅から帰ってすぐに調べた。広辞苑。

 すずかけ(篠懸・鈴掛)
 修験者が衣の上に着る麻の衣。深山の篠の露を防ぐためのものという。

とある。なるほど、立て札にあった「鈴懸をつけた」の「つけた」は「着けた」で、鈴懸は衣のことだったのだ。となると、スズカケノキのスズカケが気になる。広辞苑。

 すずかけのき(篠懸の木)
 スズカケノキ科の落葉高木。普通、属の学名プラタナスで呼ばれる。高さ約10メートル。小アジア原産。庭園樹として栽培。(中略)春、葉のつけ根に淡黄緑色の花を頭状につけ、晩秋、長い柄の先に球形の果実を下垂するのでこの名がある。材は器具用。街路樹には本種とアメリカスズカケノキとの雑種モミジバスズカケが多く使われる。

とある。しかし、最も知りたいところの名の由来がはっきりしない。「長い柄の先に球形の果実を下垂するのでこの名がある。」と書いてあるが、「長い柄の先に球形の果実を下垂」したら何で鈴懸なの?なのだ。で、スズカケノキの写真を探して、見た。
 どうやら、長い柄の先に球形の果実を下垂している様が、球形の果実が鈴で、長い柄がそれを吊るしている紐に見えるらしいのだ。確かに、そのように見えないことは無い。

  毛越寺の鈴懸の道は100mに満たない道。修験者がどーのこーのはよく解らなかったので、道沿いに植わっている木がスズカケノキ(写真撮っておけば良かった)だろうと思い込むことにして、ジャズナンバーでもある灰田勝彦の『鈴懸の径』をハミングしながら私は歩いた。鈴懸の道が終わって上り坂になってもしばらくハミングは続いた、・・・200mくらいまでは続いた。しかし、平均勾配10度くらいの坂は、その先を見ると、まだずっとずっと続いていそうで、既に息を切らしているオジサンにとっては、「先は長いぜ、息が続かないぜ」と、とてもハミングどころではなくなった。
     

 2、奥の心細い道

 毛越寺を一回りした後、案内所に行って「ここから中尊寺まで歩いて行きたい。それも、山道を通って行きたい。どのように行けばいいですか」と道を訊ねた。「お勧めはできないんですが」と案内所の女性は断って、パンフレットにある簡略図を見せながら山道の道順を説明した。彼女の話が一通り終わった後、
 「お勧めできないというのは、どういう意味ですか」と訊くと
 「ニュースでやっている通り、最近、熊が出るんです」と答える。それを聞いて私は「止めよう」とは微塵も思わなかった。お勧めはできないけれど、それでも道順を教えるってことは、熊に遭遇する確率はさほど高くは無いってことだろうと踏んだのだ。ある日、森の中、熊さんに、出会うのは、3億円の宝くじに当たるくらいの確率であろう。3億円どころか、3千円を超える宝くじにさえ当たったことの無い私は、熊に出会う確率は限りなくゼロに近いと判断した。

 鈴懸の道(別項)を100mほど歩き、左折する。坂道を登る。しばらくは民家もポツポツとある舗装された道路。5分に1台くらいは対面から、または後方から車が行き交う何の不安も無い道。その道を登りきった峠から少し下ったところの右手に山道の入口があると聞いていた。
  歩き始めて1時間弱、峠に着いた。展望台があったので一服しようと思い、そこへ向かう。展望台の入口付近に目立つ看板が立っていた。仁王立ちした恐ろしげな表情の熊のイラストを背景に「注意 熊出没」という文字が書かれていた。いることはいるんだと少し不安を感じる。
 展望台からは広く平地の景色が見渡せた。稲が刈り取られた後の田園風景、その後ろに連なる山の稜線、いずれも沖縄では見られない。涼しい風の中、ペットボトルのお茶を飲み、煙草を1本吸う。そうしているうちに、少しあった熊への不安も「3億円なんて当たる人にしか当たらない。俺にはきっと縁が無い」と考えが及んで、不安が消える。山道散策決行を決定する。
     

 山道の入口に看板が立っているというので、毛越寺の案内所の女性が言う「少し下った」の"少し"が具体的にどのくらいの距離なのかは訊かなかった。貰った簡略図を見ると、毛越寺から展望台までの距離の約五分の一くらいだった。300mくらいになる。300mが"少し"の範疇に入るかどうか疑問はあったが、看板を目当てに峠を下る。
 行けども行けども看板は見当たらなかった。毛越寺から中尊寺へは山道もあるが、車の走る舗装された道路もつながっている。その舗装道路を私はずっと歩き続けていた。テクテクと歩き続け、そして、毛越寺から峠の展望台まで歩いた時間と同じくらい歩いたところで、やっと看板を見つけた。そこは、中尊寺側にある山道の入口だった。
 展望台側からの山道の入口に、実は心当たりはあった。入口を示す看板は無かったけれど、山に入っていけそうな細い登りの道があったのだ。それはあまりにも展望台の近くにありすぎて、毛越寺の案内所の女性が言う「少し下った」の"少し"では無かろうと判断したのだった。「熊出没」の看板を撮った写真、看板の右後ろに見える柵を立ててある所が見える。そこが入口だったのだ。まったく、簡略図なんかをロードマップのようにして信じた自分が悪かった。

 けして熊に出会いたいからでは無く、木立に囲まれた中を歩きたいと言う欲求から、中尊寺側にある山道の入口から毛越寺に戻るようにして山道に入った。山道の入口には「新奥の細道」と書かれてあったので、山の中で一つ俳句でも、と思ってもいた。
  山道は整備された散策道で、ずっと上りの坂、及び階段ではあったが歩きやすい。が、落ち葉の積もり方を見ると、人が頻繁に通っている様子は無い。ひょっとしたらここしばらく誰も歩いていないのではないかとも思われた。中尊寺側の山道の入口にも「注意 熊出没」の看板があったことを思い出す。道の先を見ると、樹木が鬱蒼と茂り暗くなっている。「平泉の山中で沖縄出身の中年男性が、熊に襲われ死亡」なんていう新聞記事を想像した。今、大声をあげても誰も気付かないだろう。携帯電話も通じない。独り、だった。山道は奥の心細い道となった。引き返した。
     

 3、オランダ親分

  さすがの沖縄も11月になって朝夕涼しくなった。タオルケット1枚では明け方肌寒く感じるようになり、先々週の土曜日、ついに掛け布団を出した。半年振りの羽毛布団の温もり、ぐっすり寝ることができている。
 その夜、土鍋を出し、今期初の鍋料理(牡蠣鍋)で日本酒を飲む。先週末は七輪を出し、今季初の炭焼き料理(ブリカマの塩焼き)で日本酒を飲んだ。いよいよオジサン好みの食の季節到来となった。ただれた脳味噌が本来の固さを取り戻して、オジサンは絶好調となる。「鍋旨ければ、酒なお旨し。炭焼き旨ければ、酒さらに旨し。」と唄も出てくる。カッ、カッ、カッ、と笑いも出る。
     

 冬の料理はもう一つ、ダッチオーブンによる料理がある。これは次の週、つまり、今日から明後日にかけてやるつもりであったが、去った月曜日、週末の予行演習をしようと思い、ダッチオーブンを使って、ベイクドポテトを作ることにした。
  オランダ親分と呼んでいる私のダッチオーブンは、3月以来、袋に入れられて台所の棚に仕舞われたまま。先ず、ジャガイモ2個を洗って、芽を取り除いて、それからオランダ親分を棚から出し、袋から出す。蓋を開けて愕然とする。私のオランダ親分の内側はカビがたくさん生えていた。食材を乗せる足つき網はところどころ錆びていた。
 洗ったり、錆び落としをしてまでダッチオーブン料理をするかというと、オジサンは概ね、そのような情熱は持ち合わせていない。オランダ親分を粛々と元に戻す。
 ジャガイモは2つに割ってオーブントースターで焼く。表裏5分ずつ焼くと、適度に焼け焦げの付いた焼きジャガイモができ上がる。焼きジャガイモ2個と豆乳500ccがその日の夕食となった。焼いたジャガイモはスライスチーズを乗せて食うと旨い。いつもはそうしているのだが、あいにくチーズが切れていて、ジャガイモだけ食う。 ちょっと不満の味。一口目のジャガイモで歯茎の裏を火傷するというオマケも付いて、11月最初の夜をオジサンは、不快な気分で過ごしたのだった。
     
 平泉に高舘・義経堂というのがあった。そこは、眼下に北上川が望める丘の上。「匂い優しい白百合の・・・」と口ずさみながら歩く。敷地内に高舘宝物館というのがあり、覗く。名前は忘れたが、野外用の鍋が陳列されていた。ダッチオーブンそっくりの足付きの鍋だった。追われる身の義経一行、ある日のひと時、義経も弁景もダッチオーブン料理を楽しんだのだろうか。
     

 記:ガジ丸 2004.11.5 →ガジ丸の旅日記目次