沖縄の古い民家、例えば、国指定重要文化財となっている中村家住宅などを訪ねると、屋敷の中に豚を養うであろう一角を見ることができる。中村家住宅は300年くらい前の建物だが、そんな大昔まで遡るまでもなく、私が子供の頃、ほんの4、50年前だって、豚小屋のある家はさほど珍しいものでは無かった。当時、私の家は那覇市三原という、現在のモノレール安里駅から徒歩10分とかからない場所にあったが、そんな街中でも豚小屋を見ることができた。識名園から徒歩10分とかからない那覇市繁多川に伯母一家が住んでいたが、伯母の家は山羊、鶏、アヒル、そして、豚を飼っていた。
子供の頃、それほど身近な動物だった豚だが、今は全く身近では無い。確かな記憶では無いが、私はここ20年ばかり豚さんの姿を見ていないと思う。動物としての豚を紹介しようと思って、写真を撮らなきゃあと思って、あちこち散歩をしている最中も「豚小屋ねぇかなぁ」と意識しながら歩いていたのだが、見つからない。
「昔は豚小屋なんてどこにでもありましたよねぇ」と、行きつけの散髪屋で、髪を切って貰いながら親父に訊いた。「あー、あったよ。石嶺は田舎だったからなぁ、すぐ近所にもいくつかあったよ。」とのこと。私の記憶は正しかった。
某スーパーで仕入れ担当の親分をしている友人のKYに、「豚さんの顔が見たい。昔はあちこちで豚さんに会えたんだが、今は、田舎を散歩していても、牛や山羊や鶏は見つかるが、豚はまったく見えない。どこに行けば会える?」と訊いた。
「昔みたいに個人が小規模で養っている豚はもういない。今の養豚はある程度の規模を持った養豚場に集約されている。だから、養豚場へ行けば豚はいる。しかし、養豚場は個人が勝手に入ることはできない。口蹄疫の問題があるからだ。」とのこと。
その数日後、友人の脱サラ農夫KSに、「そっちの畑の近くに養豚場ってないか?」と訊いた。「あるよ、畑から車で5分とかからない場所だ。」ということで、さっそく、その場所へ出かけた。養豚場はあった。しかし、門があり、門は門扉で閉じられていて、中に入ることができない。豚舎はまた、そこから2、30メートルは離れていて、豚の姿どころか、鳴き声もよく聞こえなかった。警戒は厳重なようであった。
それから一ヶ月ほども経って、仕入れ担当親分から連絡があった。「仕事で養豚場へ行くことがあ る。俺と一緒なら豚に会える」と彼は前に言っていて、その連絡であった。彼は行かないが、彼の部下が行くので「彼と一緒に」ということであった。
その部下、Yさんから事前にメールがあった。私への質問だった。「最近、外国に行った事はありませんか?また他の畜産関係の農場に出入りしていませんか?かぜやインフルエンザにかかっていませんか?家族にインフルエンザがいませんか?」といった内容。その全てに「いいえ」でないと、案内はできないらしい。厳重である。
全てが「いいえ」であった私は、Yさんに案内され て、豚舎を見学することができた。豚さんの顔を見るのはおそらく十年から二十年以上ぶり。豚さん達は相変わらずの顔をしていたが、何か、昔の豚さんとは印象が違う。どこだ?体つきだ。
「私が以前によく目にしていた豚とは体格が違いますね、スマートですね。」
「昔は残飯などを与え、豚が栄養過多になって、健康状態も肉質も悪かったのですが、現在では配合飼料によって豚の肉質や健康が管理されています。」とYさんは言う。
そう、豚は雑食性で、昔は餌とするために農家の人が家々を回って残飯を集めていた。そういう 光景は私が中学生の頃まではよく見かけた。
ブタの餌というと、戦前までは人糞だったと『沖縄身近な生き物たち』にある。トイレの下にブタを飼い、人が糞をすると、それをブタが食べる、そのトイレのことをウヮーフール(フールが便所の意)と言う。ブタの餌が人糞であったことも、ウヮーフールというものがあったということも、戦前を生きた父母から私は聞いている。
ブタは食用として世界に広く飼育されている。沖縄でも日常に欠かせない食材。倭国が仏教の普及で肉食が禁じられていた頃も、仏教の教えは無視して沖縄はブタを食った。その頃は庶民の日常食ではなく、盆正月などの特別食だったらしいが。
沖縄にブタ肉料理は数多くある。赤肉や脂を食い、顔も食えば、耳も食い、内臓も食って、爪先まで食う。戦後は庶民の日常食となり、ブタに感謝している。
イノシシを家畜化したもので、沖縄では17世紀頃から養豚が広がった。
私が子供の頃は、豚の餌は残飯だった。そのせいか、豚は臭かった。
私が子供の頃は無かったと思うが、もっと昔、豚の餌は人糞だった。
現在、豚の餌は配合飼料で、匂いも和らいだらしいが、やはり臭かった。
臭いと言っても、たぶん昔ほどでは無い。十分我慢できる。
口蹄疫の関係であまり近付けなかったが、触っても構わない程の臭さ。
ブタ(豚):ウシ目の家畜
イノシシ科の哺乳類 イノシシを家畜化したもの 方言名:ウヮー
ブタの名前の由来は資料が無く不明。イノシシを家畜化した後にブタと名前が付いたと思うが、シシ(イノシシの古い呼び名)がブタとは革命的な変化だ。何事があったのか興味が湧く。あるいは、「太いシシだなぁ」とどこかの誰かが仰って、「太い」が「フト」→「ブタ」と変化した、なんて、単純な話なのかもしれない。
方言名のウヮーは、鳴き声からだと私は思う。ブタの鳴き声、倭国では「ブー、ブー」のようだが、沖縄のブタは「ウヮー」と鳴く。少なくとも私にはそう聞こえる。
『沖縄大百科事典』に、沖縄への伝来はいつごろか不明で、甘藷(サツマイモ)を栽培するようになって庶民の生活が安定した17世紀ころから養豚が広く普及したと記述されている。『沖縄身近な生き物たち』も同様の記述があった。
イノシシを家畜化した結果、野山を駆け回るイノシシとは体型が異なっていった。運動せず食べてばかりの人が太るのと同じようになった。太って、皮下脂肪が増えた。きっと運動能力も低下している。ただ、嗅覚はイノシシと同じく鋭いとのこと。
肉は食肉として、世界で広く食されている。皮は皮革製品に利用される。多くの品種があって、沖縄ではアグー(純粋種はごく少ないらしい)豚が有名。
記:2011.1.25 ガジ丸 →沖縄の動物目次