沖縄に生まれた運命
子供の頃は目の中に入れても痛くないほど可愛かったM女だが、大きくなるにつれて、さすがに目の中に入れると痛くなっていった。ではあるが、今でも可愛い。
そのM女、今は結婚して北海道に住んでいる。一昨年、北海道を旅行した際、札幌に住む彼女を訪ねた。で、彼女の亭主を加えた三人で飲みに行った。シシャモの刺身が食いたいという私のリクエストに応えて、そういう店を選んでくれた。
その店のシシャモは刺身では無く寿司。三人で大変美味しく頂いた。珍しいモノ好きの私はその他に、鹿の肉を食った。旨かったが、M女はそれを食わなかった。
「ジンギスカンは大好きなんだろ?」と訊くと、
「ヒツジは食べ物、シカは食べ物じゃ無い。」とのこと。
先日、彼女が帰省していた時に食べ物の話になって、
「ヒージャー汁なんか珍しいだろ、お土産に持って帰ったら?」と提案すると、
「えーっ、気持ち悪い。」などと抜かす。ウチナーンチュにあるまじき発言だ。
「ジンギスカンは大好きなんだろ?」と再び訊くと、
「うん、ジンギスカンは最高。」と答える。
「ヤギとヒツジではヒツジの方が可愛いと思うんだが。哀れには思わないか?」
「だって、美味しいものは美味しいんだもん。」ということであった。
多くの人が食しているものは食べ物であり、少数の人しか食べないものは食べ物では無いという感性なんだと思う。そういう食に対する偏見は彼女の母親譲りである。彼女の家ではゴーヤーが全国的に有名になる最近まで、ゴーヤーチャンプルーが食卓にのぼらなかった。そういう偏見を持っているところが、彼女の「玉に瑕」なのである。
沖縄では棟上式の時、山羊料理を振舞う慣習がある。ヤギ1匹を潰して、ヒージャー汁、ヒージャー刺しにする。設計士、大工など建築に関わっている人々の他、家族親戚、近所の人たちなどが三々 五々やって来て、食べる。酒も振舞って、宴会となる。
私が初めてヒージャー料理を見たのは、両親の初となるマイホームの棟上の時。私は小学校1年生であった。その頃、父方の親戚がヤギを養っていた。養って、していた。そこへ、父と二人、ヤギ肉を取りに行った。幸いにも、の現場は見なかったが、大きな肉の塊が料理用に切り刻まれるのを見た。周りで他のヤギが「ベーベー」と煩く鳴いていた。仲間を殺されて、「ベーベー」と泣いていたのかもしれない。
子供の頃、私はヤギのことを哀れに思ったに違いない。ヤギたちは悲しそうな目をしていた。であるが今は、「沖縄に生まれた運命だ、諦めろ。」という気分である。
※=(肉などを利用するため)家畜などの獣類をころすこと。(広辞苑)
ヤギ(山羊):ウシ目の家畜
ウシ科の哺乳類 原種は中近東 方言名:ヒージャー、ベーベー
広辞苑に「羊の近代朝鮮字音ヤングyangの転」と名前の由来があった。漢字では山羊、または野羊と書く。羊よりも野生的ということであろう。ヤギとヒツジは同じウシ科で、見た目もよく似ているが、属が違う。肉質も多少違う。マトンは臭いが、ヤギはとても臭い。ヒツジの方が上品なようで、ヤギ肉は倭国では一般的でない。
方言名のヒージャー、髭のことをウチナーグチではヒージと言い、「髭の生えた者」という意味でヒージャーなのだと思われる。ヒツジのことはメーナーヒージャーと言い、これは「メーと鳴くヤギ」という意味だと思われる。沖縄のヤギは「メー」では無く、「ベー」と鳴く。というわけで、ヤギの幼児語がベーベーとなっている。
私が子供の頃から身近にあって、高校生の頃からたびたび口にしているヤギだが、どのぐらい前からウチナーンチュはヤギを食っていたのかと調べたら、『沖縄身近な生き物たち』に「山羊の家畜化は紀元前4000年頃」とあり、「沖縄へは15世紀初めに東南アジアなどに分布する小型の山羊が入り、その後、いくつかの品種が移入され、それらの混交によってシマヒージャー(島山羊)ができた。」とあった。
沖縄ではもっぱら食用となっているヤギであるが、乳用として、毛用としても飼われている。戦後しばらくは沖縄にも乳用のヤギが多くいたらしいが、今はほとんど肉用。
普通の民家で飼われているヤギ。まだ子供。
何のために飼っているのか不明だが、1、2匹飼っている民家をたまに見る。ペットとして飼っていると、情が移って、食べるのに躊躇してしまいそうだ。小1の時に初めてヒージャー料理に接したが、あんまり臭くて食えなかった。高校生になって、伯父の家の棟上式の時に初めて口にした。やはり臭かった。ヤギは草食である。ハーブなど食べさせて、香り良い肉にできないだろうか。
記:ガジ丸 2008.2.3 →沖縄の動物目次
参考文献
『ふる里の動物たち』(株)新報出版企画・編集、発行
『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
『沖縄身近な生き物たち』知念盛俊著、沖縄時事出版発行