ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

次世代への責任

2009年08月21日 | 通信-社会・生活

 先週土曜日(8月15日)、友人の、商売人であり画家でもあるHに誘われて源河川へ出かけた。Hの息子、今年社会人になったばかりのK1も同行する。
 私の車、私の運転で一般道を走り続けて約1時間半後、名護市の市街地の外れにあるショッピングセンターで一休み。そこから目的地まではK1が運転した。数ヶ月前にも、友人I女の娘が運転する車に乗せて貰っているが、「そうか、いよいよ、娘や息子の世代が車を運転するようになったか。そんな歳になってしまったか。」と感慨に耽る。

  その日、K1と話しながら、「さて、父親の友人とはいったい、どういう存在なんだろうか。」と、ふと思った。私の父には友人がほとんどいなかったので、そのことについて私は知らないのだ。私にはK1以外にも、道で会えば、声をかけ、ちょいと立ち話をする程度の、友人の子供たちが何人かいる。彼らにとって、私は何なのか?
 わざわざ会いに行こうなどとは思わないので、いてもいなくてもいい存在であることは確かだだろう。ただ、ちょいと立ち話をする程度の関わりがある以上、その関わり分の責任は少なくとも、こちらから向こうへ対してはあると思う。私自身は、彼らに良い(私が思う良い、例えば、沖縄が好きとか)影響を与える存在でありたいと思っている。

 じつは、関わりのある子供たちに対してだけで無く、一般的に、ある世代は、その次世代に対して責任を持つ。今暮らしている社会を、大きく言えば地球を、暮らしていけるような状態で受け継いでもらうという責任だ。今述べた責任は二つに分かれる。「暮らしていけるような状態を維持すること」と「正しく受け継いでもらうこと」。
  今、父に自伝を書いてもらっているが、彼は戦争中のことを書かない。話を聞いても、あまり多くを語らない。嫌なことは思い出したくないのだろう、とは思うが、しかし、父の世代は、語る責任があると思う。次世代が過去の過ちを繰り返さないためには語った方がいいはずだ。それが、「正しく受け継いでもらうこと」に繋がる。
 我々がノーテンキに遊びに行っていた15日は終戦記念日であった。テレビでもそれに関する特集をいくつかやっていた。気になるのはやはり、体験者の高齢化、戦争の悲惨と平和の尊さを体験から語ってくれる人がやがていなくなること。私の父だってもう日本人男性の平均寿命を過ぎている。運良く長生きできたって、あと10年かそこらだ。「それまでに語りなさい。家は継げないが、話は継げるぜ。」と言いたい。
          

 さて、今週18日に総選挙が公示された。政権交代が期待される選挙だ。私も期待している。ただし、私が期待しているのは政権交代であって、民主党では無い。
 各党の政権公約(マニフェストとかいう奴)には、テレビなどで紹介されている主な公約を聞いただけだが、ガッカリしている。「日本の未来には希望が無い」と思うほどにガッカリしている。「我が党の商品がお得ですよ。どうぞ我が党を選んでね。」と言っているみたいだ。政策という商品売りだ。「お前らは商人か!」と言いたくなる。
 10年後、20年後、この国が概ね(絶対にとは言わない)平和であり、概ね(全てがとは言わない)暮らしやすい社会であるために今どうするかを問いたい。理想は聞くが、理想は問わない。政治は、次世代への責任を大きく背負っている。
          

 記:2009.8.21 島乃ガジ丸