ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

大東島の旅その2、南大東編

2014年02月18日 | ガジ丸の旅日記

南大東1日目

3-1、水平飛行3分
 北大東島から南大東島へ行く飛行機は那覇から乗った飛行機と同じ型のもので、約40人乗りのプロペラ機。那覇から一緒だった年配の十数人のグループも含めて満席。
  私は一番前の席、そこは2席あって、そこだけが後ろ向きとなっている。つまり2番目の席と向かい合わせになっている。それは特に何の問題も無い。私は通路側の席で、通路を挟んでスっちゃん(今はキャビンアテンダントと言う)の隣り。そのスっちゃんが若くて可愛い子だったので、彼女といろいろおしゃべりした。それがまた、何か問題を起こしたというわけでもなくて、ただ単に、楽しい空の旅であったということ。
 飛行機は上昇したかと思うと、すぐに着陸態勢に移る。美人によると、所要時間15分のうち、水平飛行はたったの3分だけとのこと。彼女もほとんど座ったままだった。
 4時50分頃に南大東空港へ着く。旧友のM氏が迎えに来てくれていた。ホテルの送迎バスもあったが、M氏の勧めるままに彼の車に乗って、空港からホテルまでの道程にある観光スポットをいくつか回って、6時頃にはホテルに着いた。
 

3-2、同じく荒れる海
  南大東島の風景は、その雰囲気は北大東島と同じ、海岸の岸壁は荒々しい岩肌で、波も荒々しい。海の色も深い青。よく似た兄弟だ。
 M氏に、海水プールなるものを見せてもらったが、海の傍の岩を削ってプール状にしたもの。それは北大東にもあったが、大東島には砂浜が無く、波は概ね荒れていて、安心して海水浴のできる場所が無い。ということで、このようなものができたとのこと。
 

3-2、同じくサトウキビの島
 南大東島も北大東島と同じく、基幹産業はサトウキビ。ネットで調べると、井上荘太朗氏の論説「沖縄甘しゃ糖業の現状と課題」に情報があった。引用する。
  北大東島は島の総面積のうち、約45%が耕地面積で、耕地面積の82%強がサトウキビ畑、南大東島は島の総面積のうち、60%が耕地面積で、耕地面積の82%強がサトウキビ畑となっている。まさしく、サトウキビの島。
 北大東村のHPにはなかったが、南大東村のHPには資料があった。「農家一戸当たりの経営規模は約8haで経営耕地面積は広く我が国では例の少ない大型機械化一貫作業体系による大規模経営が確立している。」とのこと。サトウキビで食っていけるわけだ。ちなみに、一人当たりの所得で、南大東村は沖縄県でトップとのこと。
 サトウキビの生産高は北大東島365百万、南大東島1267百万、製糖工場も南大東島のものが規模が大きい。ちなみに、総面積は北が11.94平方km、南は30.57平方km。
 

3-3、同じく倭国文化
  旧友のM氏は私を車に乗せて、空港から海軍棒と海水プール、島で最も高い位置にあるという日の丸山、亀池港、塩屋の海水プールを回り、最後に大東神社に案内した。北大東と同じくここの神社もまた倭国風、しかも、いかにも倭国といった施設があった、やぐらのある相撲場、ここで、ちゃんとマワシを締めた相撲が行われるとのこと。
 相撲は元々神事である。神の前で行われる儀式。沖縄は先祖供養の行事は盛んだが、神社での神事はあまり聞かない。これも、入植者が倭人だったことの文化だ。
 

3-4、整備の足りないホテル
 M氏は大東神社からホテルへ私を送ってくれた。夕食を一緒するということで、一旦お別れ。ホテルは、南大東では最も大きなホテルとのことであったが、北大東のホテル「はまゆう」に比べると小さい、ホテルはまゆうがリゾートホテル風だったのに対し、小さなビジネスホテルといった風情、建物も古く、ロビーも雑然としていた。
 その日は混んでいた、という理由なのかよくは知らないが、係りの人の応対も雑と言えば雑、良く言えば気さく。少なくともあまり親切では無い。
 部屋もそうきれいではなかった。外の空気を入れようと窓を開けたら、網戸が破れていた。これでは夜、蚊に悩まされるに違いない。もっとも、クーラーはちゃんと付いているので、窓を閉め、クーラーを点ければいいのだが、整備も雑とは思った。
 

3-5、旅の夜の美女
 ホテルは混んでいるとのことで、夕食はホテルのレストランでは無く、ホテルのすぐ近くにある居酒屋でということになった。
  ホテルのロビーで友人のK子と、その娘のSと待ち合わせて、指定の居酒屋へ。K子とSは「昨日もここで飲んだよ。」とのこと。
 Sは南大東小中学校の職員、今年の春から赴任している。イケメンの恋人を沖縄に残してまでの転勤、何故だか理由は聞かなかったが、志願したとのこと。頑張り屋である。真面目な性格は母親のK子よりは父親似なのかもしれない。
 頑張り屋なところは私と異なるが、自分の信じた道を突き進むところは私とちょっと似ている。私の場合は、突き進むのでは無く、のんびり歩くだが。いずれにせよ、可愛い娘だ。旅の夜、美女と酒が飲めるなんてことは、私の場合滅多に無いこと。
 

  飲み始めてすぐに、旧友のM氏がやってきた。別席にいたM氏の同僚の二人も加わって賑やかな酒席となる。前夜飲めなくて、酒に飢えていたこともあって、私にはとても美味い酒となった。4人での飲み食い、見栄を張って私が支払ったが、1万6千円、それほど食ってはいないので高いと思った。離島ということで酒が高いのかもしれない。
 那覇から一緒だった年配の十数人のグループは北大東のホテル、北大東から南大東への飛行機、南大東のホテルでも一緒だったが、ここでも一緒になった。
 

3-6、深海魚
  大東島の名物や美味いもんを出発前にちょっと調べた。黒糖の菓子、大東寿司などが名物として有名なようだが、これは食べなくちゃあと思うものは見つからなかった。
 黒糖関連は沖縄にも多くあり、大東島のものが特に美味いということは無かろう。なので、食べなくていい。サトウキビからラム酒を作っていると聞いて、これには興味を持ったのだが、「そうたいしたものでは無い、ちょっと味見する程度でいいんじゃないか。なんなら、帰りに俺からプレゼントするよ。」とM氏が言ったことと、ラム酒は以前、バカルディなど美味いのを飲んでいるので、これも、特に味わう必要は無いと判断。
 

 大東寿司はヅケ(漬け、魚の切り身をタレに漬けたもの)の握りで、それは、そう珍しいものではない。ネタは主にサワラとのこと。マグロも使われるとのことだが、それらも珍しいものでは無い。だが、一つ聞き慣れない名前があった、インガンダルマ。
  インガンダルマは方言で、和名はアブラソコムツ、またはバラムツのことを指す。深海魚とのこと。居酒屋にアブラソコムツの唐揚げという料理があって、それを食べた。普通に美味いが、特に食べたいと思うほどでは無い。グルクン唐揚げがまだ上。
 アブラソコムツはその肉に脂分を多く含み、その脂は人間が消化できない脂で、食べ過ぎると尻の穴から脂が漏れ出すとのこと。刺身を2切れ以上食べるとそうなるらしい。私が食べたのは唐揚げだったので、そうなる心配はないらしい。
 11時過ぎ、疲れのせいでとても眠くなる。飲み代を支払って私は先に失礼する。
 

南大東2日目

4-1、無防備の学校
 大東島最終日の朝、前日3万4千歩も歩いて、さすが疲れていたのか、目が覚めたのは8時過ぎ、だらだらと起きて、だらだらと朝食を取って、だらだらと歯を磨き、顔を洗って、チェックアウトして、ホテルを出る。散歩しながら南大東小中学校へ向かう。
  地図を見ると、ホテルから学校までは徒歩15分くらいのようだが、周辺を散策し、写真を撮りながらだったので50分くらいかかった。空はきっぱりと晴れていて、太陽がガンガン照り付けていた。午前中の陽射しであったが、きつかった。
 遠回りしたこともあって、学校の表ではなく裏側に着いた。体育館の裏、そこに塀は無かった。不審者の侵入に敏感となっている日本の学校だが、南大東島には不審者などいないようである。誰でもどうぞお入りなさいということみたいである。
 北大東小中学校もそういえば門は開いていた。人口、南大東村は約1200人、北大東村は約500人、皆が顔見知り、不審者になりたくてもなれないのかもしれない。
 

4-2、みんなが知合い
 日曜日だが、南大東小中学校は登校日、行事名は(聞いたけど)忘れたが、父兄も参加して各学年でそれぞれ違う料理を作り、それぞれを持ち寄ってのお食事会。
  生徒数は小中合わせて約100人とのこと。子供たちも父兄も教職員も皆が知合い。和気あいあいと料理を作っていた。手間のかかりそうな豆腐作りもやっていた。
 そこには関係者であるM氏もSも当然いる。K子もいる。私は夕方の便だが、K子は午前中の便で那覇へ帰る。娘のSに空港まで送ってもらうため、待機している。
 3人にサヨナラして、私はホテルに戻り、自転車を借りる。ホテルのオジサンはいかにもがめつそうな人、「千円だ」と言う。カウンターの女性に訊くと、「4時間以内だと500円で、後払いですよ。」とのこと。「送迎バスが4時に出るんだったら、4時間以上は使いそうですね。」と私が言うと、「なら、前払いで千円払ってもらえ。」と横からさっきのオジサン、そこまでがめつくことは無いんじゃないのと思いつつ、千円払う。
 

4-3、1時間待って4羽
 オジサンが無言で指差した自転車はママチャリ、これだと上り坂はきついかもと思ったが、他には無いみたいなので、しょうがない。出かける。
  さっき、学校で会った時に旧友のM氏に相談したら、南大東島の観光スポット、自転車で5、6時間で回れる範囲であれば、大池、星野洞(鍾乳洞)、漁港の3箇所でいいんじゃないかとなった。大池ではいろんな野鳥が観察できるとのこと。
 ホテルから南大東小中学校の傍を通って、大池へ向かう。大池までの道はフクギなど大きな木の並木道になっていて、木陰が続いている。楽に走れた。
 大池のオヒルギ群落という看板を見つけ、そこを見学。しかし、そこはオヒルギなどの樹木が茂っていて、そこからは大池が広く見渡せない。大池を展望できる場所を聞いておくんだったと後悔しながら、池の周囲と思われる道をぐるぐる回る。
 

 農道をあっち行ったり、こっち行ったりしながらやっと見学するために設けられたベンチ付きの桟橋のような箇所を見つける。そこで、しばらく待機。
  着いた時、何種類かの鳥の声は聞こえていたが姿は見えなかった。人がいるのを察知して隠れているのだろう。で、鳥が警戒を解くまで静かに待機。
 30分ほど待って、やっと出てきた。しかし、距離が遠い。写真を撮るが、やっと確認できる程度の大きさと明るさ、後で調べるとカイツブリであった。それが2羽。別の場所からバンの写真も撮れた。バンは既に沖縄島でも撮っていて、知っている。これも2羽。大池には、別の場所に展望台もあって、そこは帰りに寄ったのだが、そこも合わせて計1時間以上もいた。しかし、目で確認できた水鳥はその4羽だけだった。
 

4-4、景色は最高だが
 南大東島は沖縄島よりずっと小さな島だが、サトウキビ畑の規模は沖縄島のそれより大きい。広がるサトウキビ畑の景色は雄大な感じさえ受ける。
  そんな景色の中のサイクリング、走る車もほとんど無い道を、自然の風を受けてさぞかし良い気分であろう、と思われる、かもしれないが、全くそうでは無い。
 大池を出ると、大きな木の並木道はほとんど無い。あったとしても真昼なので木陰はほとんどできない。灼熱の太陽がハンドルを握る両腕を刺す。灼熱の太陽が帽子の上から服の上から体を焼く。「熱い、熱い、熱い・・・」と呟きながらペダルを漕ぐ。
 大池から星野洞へ向かっているのだが、だいたいの方向を頭に入れて、ひたすら漕ぐ。道はできるだけアスファルトでない道を選んだ。照り返しの無い分、少し楽。
 

4-5、へとへとになって
 1時間以上走ったが、星野洞が見つからない。で、アスファルトの、幹線らしき広めの道に出て、そこを走る。星野洞は観光地だ、幹線にはきっと案内板があるに違いないと思った。しかし、1時間以上走っても、何の看板も見つからなかった。
 ママチャリを漕ぐ足がヘトヘトになっていた。腰も尻も痛くなっていた。ちょっとした上り坂も登れなくなっていた。太陽に焼かれ続けている腕は悲鳴を上げていた。
 感覚では、ホテルからだいぶ離れている。もう戻らないと体力が持たない。そこから途中休み休みしながらホテルへ戻った。2時間かかった。へとへとになっていた。
  ホテルの自転車置き場に自転車を戻した時に、ギア付きのサイクリング自転車があることに気付いた。「ママチャリとギア付きを並べて写真撮らなくちゃあ。」と思ったが、その前に一服する。と、もう何かをやる気力は既に失せていて、写真も忘れた。
 ホテルの送迎バスで南大東空港へ着く。出発の40分前だったが、近くを散策する気力も無く、搭乗手続きを済ませると、椅子に腰掛けてぐったりする。旧友のM氏が土産にとラム酒を持たせてくれたが、そのお礼もそこそこに彼と離れて、一人ぐったりする。
 

4-6、最後の一枚
 南大東島の旅、最終日はさんざんな結果であった。へとへとになった挙句、ダイトウオオコウモリにも会えず、植物や動物の写真も、北大東島のそれらに比べると三分の一以下しか撮れなかった。自転車でなく徒歩にすれば良かったと後悔した。徒歩なら、腕にこれほど酷い火傷を負わずに済んだだろうし、写真もいっぱい撮れたはず。
  その写真、大東島旅行での最後の一枚はこれ。荷物チェックを受けるため並んでいる時に撮った旧友M氏の後姿。ちょうど七夕の日、子供が笹に短冊をつけるのを彼が手伝っているところ。M氏はいかにも優しそうな顔をしていて、その通り優しい。
 彼からは土産にラム酒の他、大東寿司の弁当を頂いた。「今日の夕食にどうぞ」ということ。その通り大東寿司は夕食になったのだが、へとへとになっていた私はその写真を撮るのを忘れた。大東名物として、大東寿司も紹介しなければならなかったのに。
 

終章 旅を終えて
 大東島の旅、最終日はさんざんだったが、それでもやはり、旅は楽しい。何も無い日々に比べれば、日焼けに苦しんだことも幸せの内である。腕はヒリヒリしても、自転車より徒歩にすれば良かったなどと後悔しても、それでもなお、カラカラに乾いていた心が、今は潤っている。日常でない時空で私は生きていた、という満足感がある。
  日焼けした腕は、畑のアロエを塗ったお陰で、翌日には痛みが治まった。1週間後にはもう、ところどころ表皮が剥がれ始めた。しかしながら、こんなこともきっと、「歳の癖にこんな日焼けして、バカだったなぁ。」などと、楽しい思い出になるはず。
 旅は私にとって、若い女性にとってのケーキのようなもの。いつでも別腹である。経済的余裕があれば年中旅していたいと思うのであった。
 

 記:2009.7.13 ガジ丸  →ガジ丸の旅日記目次