ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

大東島の旅その1、北大東編

2014年02月18日 | ガジ丸の旅日記

 序章、東端の旅
 私は旅が好きである。貧乏なので、ほぼ国内の質素な旅行だが、毎年、年に2、3回は旅に出ていた。それが、先立つものやその他の都合で2006年秋以来、沖縄島から1歩も出ていない。私はまるで、「水を得ない魚」となっていた。
 旅(したい)計画はいくつもある。富士山登山、屋久島散策、リンゴが実る頃の青森、ミカンが実る頃の和歌山などなど。そして、沖縄県の島々巡りも計画している。
 まだ行ったことの無い与那国、波照間、宮古諸島、伊是名、伊平屋、大東諸島など。2007年に沖縄南端西端の旅で与那国、波照間を、翌年には沖縄北端の旅で伊是名、伊平屋を予定していたが、諸般の都合で無期限延期となっている。
 ところが、行きたいとは思っていたが、特に具体的な計画を立てても無かった沖縄東端の旅が、ひょんなことから決まってしまった。
 友人のK子の娘が転勤で、この春から南大東島に住んでいる。で、K子が娘のとこへ遊びに行くと言う。それを聞いて、「沖縄東端の旅ができる。」と閃いた。貧乏は益々貧乏になっているのだが、「えーい!明日は明日の風が吹くさ、水を得なければ魚は死ぬ、もう俺の心はカラカラだ、K子に便乗しよう。」と即決した。

 北大東初日

 1-1、余裕の出発
 旅程は、1日目、那覇空港から北大東へ渡る。その日は一人で北大東島を散策し、一人で酒を飲み、そこで一泊。2日目、夕方、南大東へ渡り、K子とその娘のSと三人で飲み食いし、一泊。3日目、南大東島を散策し、夕方には那覇へ帰る。
  那覇空港から北大東島への飛行機は午後2時45分発なので、時間的余裕がある。なので、午前中、家から近い友人Hの店に行き、ガジ丸HPをアップすることができた。
 お昼過ぎには家に戻って、コーヒーを飲んで、一服して、1時過ぎには家を出て、2時過ぎには空港に着く。旅の出発には慌てることの多い私だが、今回はゆっくり間に合う。時間の余裕は心の余裕になって、気分上々。ノートを広げ、旅日記の始まりを書く。
 

 1-2、北大東島着
  那覇発2時45分は、40人乗り程度の小さなプロペラ機。年配の十数人のグループなどがいて機内はほぼ満席。定刻通りに乗客は乗ったのだが、離発着の飛行機で滑走路が混んでいるとのことで、そのまま待たされる。予定より15分遅れて離陸。
 その日は曇天で、離陸から上昇時に揺れたが、雲の上に出ると安定した。1時間10分のフライト、私は再びノートを広げ、これからの予定を考える。降下時にジェットコースターに乗っているかのように激しく揺れたが、まあまあ楽しい空の旅だった。
  4時10分頃に北大東空港へ着く。ホテルの送迎バスに乗って、4時半頃にはホテルに着く。ホテルは、ホテル「はまゆう」、何年か前に北大東島へ来て、ここへ泊まったことのある元同僚のTの話では、民宿とのことだったが、リゾートホテル風の造りで、なかなか立派な建物。敷地内も整備されていて、部屋の中もきれいであった。
 
 

 1-3、兵どもが夢の跡
  チェックインして、荷物を軽くして、すぐに散策。ホテルから西方面へ向かう。
 空は曇っている。降ってはいないが降る可能性は高そうと判断し、ヤッケをバックに入れておく。空は曇っているので厳しい暑さではない。少々汗をかく程度。道々、植物の写真を撮りながらの、のんびり散歩、50分ほどで海岸へ出る。そこは西港という名の漁港となっていて、近くには燐鉱石貯蔵庫跡という史跡があった。
 燐鉱石貯蔵庫跡はいかにも廃墟という風情、その昔、男どもが戦った(働いた)跡だ。芭蕉の俳句を思い出した。夏草や兵どもが夢の跡。
 

 1-4、北大東島の海
  前述の、元同僚のTが勧めた海岸へ降りる。西地区緑地という名の公園の真下、コンクリートの岸壁。「いつも荒れている」とTが言うとおり、波がその岸壁に打ち付けて飛沫を上げている。太平洋の荒波に囲まれた島、波の具合で船の欠航はよくあるらしい。
 
  岸壁の、飛沫の上がらない場所の縁に立って海を覗き込む。「海の色が沖縄と違う」とTが言うとおり、とても青い海。色の名前に詳しくはないが、こういうのを群青と言うのではないだろうか、青が群れている感じ。大東島は隆起珊瑚の島、周囲は断崖絶壁に囲まれて海が深く、青が深いとのこと。沖縄島のような砂浜はないとのこと。
 

 1-5、子供のいない公園
 岸壁から階段を上って、西地区緑地という名の公園に入る。広い公園はよく整備されていて、芝はきれいだし、低木もきれいに刈込まれて、ゴミもほとんど落ちていない。トイレを利用させてもらったが、そこの中も外もきれいであった。
  広くてきれいな公園、だが、私以外に客はいない。30分ばかりウロチョロしたが、観光客らしい若い男が一人、北から南へ通り抜けて行っただけ。
 公園内には子供が喜びそうな遊具を置いてある一角もあった。遊具は全て有名メーカーの作と思われる上等のもの。しかし、そこにも人っ子一人いない。金曜日の夕方、まだ明るい時間、子供たちがキャーキャー騒いで、お母さんが「ご飯だよー」ってそろそろ呼びに来るような時間、お金をかけた割には利用されていない公園のようであった。
 

 1-6、たくさんの虫
  公園を出ようとした午後6時過ぎから雨が落ちてきた。シトシトの雨ではあったが、空模様を見ると長く続きそうだったので、ヤッケを来て、散歩を続ける。
 オオジョロウグモがたくさんいる。一匹のオオジョロウグモは網にかかったシロテンハナムグリを丸めているところであった。そのシロテンハナムグリ、飛んでいるのを数回見たが、翌日、ここにはツヤハナムグリはいなくて、シロテンハナムグリが多いと知る。
 
 モンシロモドキもたくさんいた。また、ウスイロコノマチョウがテリハボクの生垣に群れているのを見た。同じところにたくさんのウスイロコノマチョウ、沖縄ではあまりお目にかかれない光景だった。その他、メイガの類が多くいた。
 

 1-7、大きなカエル発見
  そのすぐ後、もっと驚くものに出合った。大きなカエルだ。私の住む近所で見かけるカエルといえば、大きいものでも4センチほどのカジカガエル。今目の前にいるカエルは体長でその3倍、体重だと10倍以上はあるんじゃないかと思われる大きさ。それが道端にちょこんと座っている。近寄ると草むらに隠れたが、その草を退けて、写真を撮る。
 

 すると、その左側でも何か動いている。これもカエル、大きさは同じくらい。でも体色が違う。雄と雌なのかと思って、そっちも写真を撮る。
 時刻は7時、ホテルへ帰る前にスーパーへ寄る。風呂上りのビール1缶と、寝酒の泡盛1合瓶を買うつもり。そこに小学4、5年生くらいの少年達がいた。
 「でっかいカエルを見たんだけど、何だか分かる?」と訊く。
 「ミヤコヒキガエルだよ。」との答え。デジカメの写真を見せながら、
 「黒っぽいものもいたけど、これは雄雌の違いかな?」
 「雄と雌の違いは大きさだよ。」とのこと。その他、ミヤコヒキガエルは害虫駆除のために持ち込まれたもの、毒液を吐くなどということを教わった。
 もう1種はオオヒキガエル、かと思ったが、形から見ると同じミヤコヒキガエルのようである。背景によって体色が変化するのかもしれない。  
 

 1-8.旅での初体験
 子供たちとの会話が終わって、スーパーへ入ろうとしたら、閉まっている。
 「あれ、スーパーは休みか?」と訊くと、傍にいた女子中学生が答えてくれた。
 「ここは、6時には閉まるよ。」とのこと。で、ビールも泡盛も買えなかった。まあ、しかし、ホテルに行けばビールはあるだろう。寝酒もビールにするか、となる。
 ヤッケを着ていたので雨には濡れなかったが、たっぷり汗をかいた。が、夕食時間をだいぶ過ぎていたので、シャワーには入らず、そのまま食堂へ。食堂には生ビールがあったが、風呂上りに飲みたかったので我慢し、食事を終えると部屋に帰ってシャワー。
  私は旅が好きだ。25年くらい、年に2回は旅をしてきた。1回3泊とすると、これまで150回は旅の夜を過ごしている。旅の夜に酒は欠かせない。しかし、今回、初めて酒の一滴も、ビールの一滴も飲まない夜を経験した。
 ホテルにビールの自販機は無かった。もちろん、酒も無い。飲み屋は遠いらしい。行く元気は無い。で、とてもつまらない旅の夜となってしまった。
 翌日、ホテル内を散策していると、ビールの自販機を見つけた。長く使っていないらしい自販機であった。どういう理由からか知らないが、ホテルでは、食堂以外でのビール、及び酒の販売はやらないことにしているみたいだ。何でだろう?訊けば良かった。
 

 北大東二日目

 2-1、国指定天然記念物
  北大東島は、いたるところに石垣がある。民家の敷地の周りでは無く、道路脇、畑の傍などに、古くからあるもの、今建設中のものまで、石灰岩で築かれた石垣が多くある。それらは人工の石垣だ。おそらく、防風、防潮のためであろう。
 

 それらとは別に、それらよりもっと規模の大きな壁が、海岸から少し離れた場所に立っている。長さ1500mもあるその壁は自然にできた地形のようで、まるで、「私が潮風から守ってやるから、ここに住みなさい。」と言っているみたいだ。
  そこは長幕岸壁といい、そこの植生と共に、「長幕岸壁及び崖錐の特殊植物群落」として国指定天然記念物になっているとのこと。
 そこには生物分布上貴重な植物が自生しているとあったが、わざわざ探すのではなく、歩いていて目に付いたら写真を撮ることにして、その三分の二ほどを歩いた。のどかな空気だったせいか、私の目は貴重な植物たちにちっとも気付かないままだった。
 ちなみに崖錐、私も知らない言葉なので広辞苑を見る。「がんすい」と読み、「懸崖や急斜面の上から落ちて来た岩屑が麓にたまってできた半錐形の地形。」とのこと。
 

 2-2、サトウキビの島
  南北大東島の基幹産業はサトウキビであると聞いている。そして、実際、島を歩いていると、島の面積の多くをサトウキビ畑が占めていることが分かる。沖縄島のサトウキビ農家は概ね、けして裕福ではない。が、大東島は裕福らしい。それは、一戸当たりの作付面積が広く、農家共同による機械化が進んでいるからとのこと。
 この件に関しては、南大東島のホームページに資料があったので、後述する。
 

 2-3、倭国文化の島
 旅の出発の日、HPをアップするために友人Hの店を訪れた。Hは絵描きでもある。彼から、絵になるような風景の写真を撮ってきてくれと頼まれた。
 「絵になる景色」といっても彼我の感性は異なる。彼の絵は沖縄らしいので、沖縄らしい景色とは思うが、何を持って「絵になる」という点については不明。それは個人の感性の違い。だが、「沖縄らしい」というと、赤瓦、サトウキビ、青い海などが思いついた。
  大東島に赤瓦の家は、少なくとも私が回った範囲には無かった。青い海、ここの海は青いが、沖縄の海らしくは無い。ということで、サトウキビ畑の写真を撮る。
 サトウキビやガジュマル、ギンネムなどの植物以外では、この島の景色は沖縄らしさが少ない。小さな島なのに大規模な石垣がたくさんあって、何か雄大さを感じる。サトウキビ畑を見なければ、倭国にいるような錯覚を起こさせる。
 沖縄らしくないという点では、神社のある景色もその一つ。沖縄にも神社はあるが、ここの神社は雰囲気が本土のそれと一緒。倭国文化が根にあるようだ。「開拓当時は八丈島から渡ってきた人が多かったから」とのことである。
 

 2-4、新しい産業
  北大東島は島の総面積のうち、約45%が耕地面積で、耕地面積の80%強がサトウキビ畑となっているらしい。サトウキビが島の経済の大黒柱となっている。
 ホテルの送迎バスの、「迎」の中で、運転手さんが話していたことだが、最近はゲットウの栽培も始めるようになったとのこと。ゲットウは、繊維が採れ、紙になったり、香料が採れ、化粧品になったりする。ゲットウ加工場を建築中だとのこと。
 で、翌日、散歩の途中で、噂のゲットウ加工場を見つけた。後日、調べたら、その工場、2010年度には稼動予定とのこと。
 

 2-5、景気の良い島
  島を散策していると、ゲットウ加工場もその一つだが、建設工事現場が多くあった。道路工事、土地改良工事、池整備工事などをあちこちで見かけた。数年来の建設業不況にある沖縄島に比べるとずいぶん景気がいいんだなあという感想を持った。実際、南北大東村の所得は、沖縄県の中では上位に位置するとのこと。
 旅から帰って、後日調べて分かったことだが、南北大東島には今、県から、あるいは国からの補助で、大規模開発事業が行われているらしい。土地改良工事も、池整備工事も、漁港整備工事もその一環。それらもしかし、後10年では終わるとのこと。
 

 2-6、轢きカエル
 前日発見して、子供たちからその名前を教えてもらったミヤコヒキガエル、この日の散歩中にはさらに多くを目にした。その全ては既に死んでいた。
 今回の大東島旅行、目的はいくつもあったが、大きなものの一つにダイトウオオコウモリに会って、その写真を撮ることというのがあった。なので、散歩の間、私はなるべく上を見上げながら歩いていた。木にぶら下がっているオオコウモリに会えないかと。
 島の道はしかし、大きな木の無いところが多い。で、ずっと上を見上げて歩いていたわけではない。お陰でチョウやカエルなどを発見することができた。この日も、大きな木の無いところでは道端の草むらなどを見ていた。それで、いくつかの花、いくつかの昆虫の写真を撮ることができた。路上にはまた、目立つものが他にあった。
  目立つものとはミヤコヒキガエル、あるいはオオヒキガエル、それらの死体。それらの死体は驚くほど多くあった。さすがヒキガエル、車に轢かれて轢き蛙となっていた。轢き蛙がほとんどであったが、中には轢かれてなくて死んでいるカエルもいくらかいた。車が通ることのない場所でも見た。彼らの死因は不明。
 
 

 2-7、目的果たせず
 今回の大東島旅行、ダイトウオオコウモリに会って、その写真を撮ることという目的の他にもう一つ、沖縄県の最東端に立つ、少なくとも最東端の碑の写真を撮るという大きな目的があった。そこは北大東島空港の近くにあった。
  ホテルからのバスは余裕を持って空港に早めに着いた。南大東島空港へ向かう便の、出発予定時間の50分前。30分あれば最東端まで行って来れるかもと思って空港の職員に訊くと、隣りにいた観光客の若い男性が、「厳しいですよ、片道20分以上はかかると思いますよ。」と教えてくれた。まあ、でも、行ける所までと思って、最東端へ向かう。
 15分歩いたら引き返すつもりで、15分経った。15分でやっと海岸に辿り着いただけだった。最東端の碑はここから500mほど先だと、さっきの若い男性が言っていた。これは無理だと諦めて、すごすごと空港へ引き返した。
 しかし、その日(だけじゃなく、日常茶飯に遅れるらしい)は出発が25分遅れた。25分もあれば余裕で最東端へ行けたはず、と思ったが、覆水盆に返らずだ。
 北大東ではダイトウオオコウモリにも会えず、最東端にも行けなかった。
 
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