ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

発明015 ソウジマン

2007年04月13日 | 博士の発明

 先週末、いつものようにケダマンと並んでユクレー屋で飲んでいると、マナが、
 「ねぇ、この時期になるとさ、オキナワでは海開きなんてやってるけど、ユクレー島ではそんな行事無いの?」と思い出したように言った。
 「海開きって、海はいつでも開いてるよ。」(ゑんちゅ)
 「じゃなくてさ。今日から海で泳いでいいよ、って日よ。」
 「じゃあってさ。ここの海はいつでも泳いでいいってことだよ。」(ゑんちゅ)
 「海水浴の季節が来たよって日があるんだよ、オキナワには。」
 「海水温の関係だろ。泳げる温度かどうかは個人の感性に拠るだろ。そんなの、役所が決めることじゃないだろ。個人に任せればいいんだ。」(ケダマン)
 「水温はその年によって違うからさ、泳げる温度かどうかじゃないのさ。初めに日を決めて、その日に向けて浜を掃除して、海水浴の季節になったぞーって日なのさ。」
 「役所が泳いでいい季節だよって言わないと、泳いでいいかどうか判らなくなっているのか、今時のウチナーンチュは?」(ケダ)
 「分らない人、いや、マジムンだねぇ。儀式なのさ。だから、掃除もするのさ。」
 「あー、なるほど、掃除をしなくちゃあ泳げない海なんだ。」(ケダ)
 「そういうわけでも無いけどさ。まあ、ちょっとは必要だね。・・・あー、そういわれれば、この島の海や浜はいつでもきれいだね。」
 「あー、そういえば、オキナワの海は、海の中も泥やゴミが溜まっているが、浜はだいぶ汚れているよな。ゴミが散らかってるよな。」(ケダ)
 「そうなんだよ。だから掃除が必要なんだよ。あっ、だからさ、何でここの海はいつもきれいなの?いつも村の誰かが掃除してるの?」
 「まあ、先ず、汚す人がいないからだろ。」(ケダ)
 「うん、それも確かにあるけど、村の人が汚さなくたって、ゴミは海から流れてくるから、放っておくとユクレー島の浜も汚くなってしまう。」(ゑんちゅ)
 「あー、じゃあ、やっぱり村の誰かが掃除してるんだ。」
 「そ、」と私が言いかけたら、ケダマンが横から口を出した。
 「あっ、思い出した。俺知ってるぜ。博士の発明したロボットがあったんだ。確か、ソウジマンって名前だった。実物は見たこと無いが、昔、博士から話は聞いた。浜辺を掃除するロボットだ。ちゃんとゴミの分別もしてくれる優れモンらしいぞ。」
 「あー、そうなんだ。そのロボットが密かに掃除してるわけね。」

 ソウジマンについては、私もだいぶ前に博士から話を聞いている。室内を大掃除する大掃除機スップルの発明よりもずっと旧い発明品である。ソウジマンは室内で無く、浜辺を専門に掃除するロボット。ケダマンの言う通りちゃんとゴミの分別もしてくれる。分別は生ゴミ、燃えるゴミ、プラスチック類、金属類、ガラス類などを認識するらしい。そこまで聞くと、確かに優れモンである。その時の博士も自慢げに語っていた。
  「これ一台あれば、この島の浜はいつでもきれいだ。太陽電池で動き、分別してくれるので環境にも良い。浜がきれいになって、環境に良くて、私は私のノウジマン(脳自慢)ができる。掃除機は三文の得ってわけだ。ハッ、ハッ、ハッ」と高笑いした。
 「博士、掃除機は三文の得って、正直は三文の得のシャレですか?でも、それ違いますよ。早起きは三文の得ですよ。」と私が真面目に言うと、
 「あー、そうだったっけか。まあ、そう細かいこと言いなさんな。」とまた笑う。

 ところが、その後、このソウジマンが島の浜辺で活躍しているのを私は見なかったし、そんな噂も聞かなかった。後になって、村の人に話を聞いたところ、
 「あー、あれ。あれはダメですよ。物の分別はちゃんとやるんですが、その物がゴミなのかそうでないのかを分別することができないですね。浜辺に置いてある必要なもの、例えば、海水浴や釣で使う道具、ボートを繋ぎとめる杭なんかも、ゴミと一緒にしてしまうんですね。我々はバカ掃除機と呼んでましたよ。」
 元々、ユクレー島の浜辺は、汚す人がいないし、村の人たちがいつもきれいにしているから、ソウジマンの必要もあまり無かったみたいである。数日後には、博士にソウジマンの撤去を村人たちが要請したとのことである。
 掃除機もバカ正直だと、損をする、ことになるのであった。
     

 記:ゑんちゅ小僧 2007.4.3


口封じ

2007年04月13日 | 通信-政治・経済

 金曜日の職場が、年末から三ヶ月ばかりインターネットが使えなかった。で、その間、友人Hの店で私は、ガジ丸HPのアップ作業をしていた。
 アップ作業は、先ず、写真のアップをし、書いた記事の確認後、記事と写真のリンク設定をし、その後、記事をアップする。以上の作業に1時間、長いときは2時間ばかりかかる。たった1、2時間であるが、集中力を要する作業である。他の事をやりながら、例えば、誰かとおしゃべりしながらだと、作業の進み具合が遅くなる。
  Hの女房、E子はおしゃべりである。概ねの女はそういうものであると、長年生きているオジサンの私はよーく認識しており、インターネットを使わせてもらっているということもあって、それに対し文句は言えない。でも、煩いと思っている。
 何とかしなければならないと思った。Hの店でHPのアップ作業をするようになって3回目くらいの時に閃いた。E子は、寝ている時と美味しいものを食べている時はあまりしゃべらない。そこで、お菓子を持っていくことにした。口封じのお菓子である。
 口封じという言葉はしかし、「黙っていて欲しい」という意味にはならない。口封じは口止めということである。私は口止め料として E子にお菓子を与えているわけでは無いのである。「しゃべられては困ることを他にしゃべらないように」(広辞苑)させようとしているわけでは無いのである。ではあるが、E子のパクパク開いている口を強く塞ぎたいという気持ちを込めて、口封じの菓子と命名したわけである。
          
          

 「自分のいた場所ではそういうことは無かった」と言う一人の証言に、「自分たちの周りでそういうことがあった」と言うたくさんの証言が封じられてしまう。封じようとしているのは国家権力である。その方が国にとって都合が良いのであろうか。
 私は、日本軍が住民に自決を強要したということが昔あったからといって、それで日本や日本人が嫌いになるということは無い。戦争で庶民が虫けら扱いされることは、大昔からよくあったことだ。戦争とはそういうものであろう。戦争になると、普通の人でも鬼になってしまうことがある。だから、戦争が起きないようにしましょうね、という教育をしておけば良いのである。戦争が無ければ、日本は良い国なのである。
 国の検定教科書は、過去にやった間違いを、「いや、そんなことやっていない」などとするつもりだろうか。それが卑怯な振る舞いであるとは思わないのだろうか。そんな教科書を使って、日本の子供たちを卑怯者に育てる教育をするというのだろうか。

 記:2007.4.13 ガジ丸


瓦版027 ジラースーの生活

2007年04月13日 | ユクレー瓦版

 ケダマンが、「ジラースーとユーナの暮らしぶりを見に行こうぜ」というので、ちょっと行ってきた。ジーラースーの住む村はユクレー島から近い。私はその背中に乗って、ケダマンに飛んでもらった。その日は風向きも良く、ほんのひとっ飛びであった。
 ジーラースーの家に行ったことは無いが、我々は鼻が利く。迷わずに彼の家を見つけることができる。が、その前に、村の様子を見ようと、商店街のありそうなちょっと賑やかそうなところへ先ず下りた。心地良い春の風が流れている。行き交う人々もゆったりと歩いている。ユクレー島ほどでは無いが、ここものんびりした雰囲気である。

 しばらく商店街をブラブラした後、ジラースーの家には歩いて行くことにした。そこへ向かう田舎道をのんびり歩いていたら、その途中、偶然にジーラースーと出会った。ジラースーは腕に買い物籠を下げていた。逞しい海の男には不似合いな格好である。
  「ジラースー、その格好、変だぜ。」とケダマン、そして、
 「うーん、何か違和感があるよ。」と私が続けて言う。
 「うるせぇ。」とジラースーは憮然とした表情で応え、
 「これが生活というもんだ。」と続けた。
 「そうか、そういえば、ジラースーは普通の人間だもんな。」(ケダマン)
 「そうだ。それにしてもあんたら、こんなところで何してるんだ?」
 「うん、あんたに会いに来たんだよ。あんたとユーナがどんな暮らしぶりをしているのか、ちょっと覗きに来たんだ。」(ゑんちゅ)
 「ほう、そうか、じゃあ、客というわけだ。なら、今夜は一杯やるか。」

 ということになって、我々もジラースーの買い物に付き合い、彼が必要とする日常の食料の他に、酒や肴もたっぷりと仕入れた。その帰り道、
 「ジラースーが料理するの?ユーナが作るんじゃないの?」と私が訊いた。
 「いやー、ユーナもたまには作るが、料理は俺の方が上手いな。それに、あいつ、朝寝坊なもんだから、朝飯は、ほとんど毎日俺が作っているよ。」
 「チシャもやらないの?」(ゑんちゅ)
 「え?言ってなかったっけ、チシャは今、俺のところにはいないよ。この4月からイトマンの漁師のとこへ修行に出している。出て行ったのはつい4、5日前だ。」
 「へー、そうなんだ、いちおう頑張ってるんだ。」(ゑんちゅ)
 「沿岸から遠洋まで、一通りのことを覚え、造船技術もあるていど覚え、船舶免許、通信免許なども取って貰おうと思っているから、4、5年は帰ってこないかもな。」
     

 などと話しているうちにジラースーの家に着いた。家は、赤瓦屋根の平屋、オキナワの田舎にはよくある造りの建物。石垣の塀に、石垣のヒンプン(門から建物の間に設けられる屏風状の塀)もオキナワ風である。ジラースーはヒンプンの左手、台所のある方へ向かう。庭は広くて、台所に近い一部は野菜畑になっている。
 「どうせ、ヒマだろ?畑にネギとニラとンジャナがあるから、食べたい分だけ収穫してきてくれ。」とジラースーは我々に言って、自身は台所へ入っていった。
 我々が言われたものを収穫して台所へ持って行くと、
 「そこの流しで、それらを洗ってくれ。」と、さらに命じる。その通りにする。洗ったものをジラースーに渡すと、慣れた包丁捌きでそれらを切り、ニラはフライパンに、ンジャナは鍋に、ネギは、既に出来上がって皿に盛られた料理の上に振りかけた。で、3分後には、3つの料理が出来上がった。なるほど、料理上手と自慢するだけはあった。

 できあがった料理と、酒と器を持って、我々は外を歩いて、ヒンプンの右手にある座敷の方へ行き、そこの縁側へ腰掛けた。ちょうどその時、ユーナが学校から帰ってきた。
 「あい!何で?あんたたちここにいるの?」
 「ちょいと遊びに来たのさ。元気そうだな。」(ケダ)
 「うん、ありがと、元気だよ。」
 「ユーナも一緒に食べたら?」(ゑんちゅ)
 「あー、もう飲んでるんだ。でも、私は宿題済ませてからにする。ありがとね。」とユーナは言って、自分の部屋に消えた。
 「ほう、何かずいぶん真面目になっていないか?あれ、ホントにユーナか?」(ケダ)
 「うん、学校が楽しいみたいだよ。勉強も楽しんでいるみたいだ。」
 「そりゃあ良かった。馴染んだんだね。まあ、性格はいいからね。」(ゑんちゅ)
 などと会話が始まって、酒は進んでいった。その後、ユーナも加わって、笑い声の耐えない楽しい宴会となった。明日は休みだと言うユーナと、ケダマンと私と三人でナハの街へ出かける約束をして、その夜は御開きとなる。

 で、翌日、ユーナはバスで、我々はそのバスの屋根に乗って、ナハへでかけた。ナハの街は賑やかだった。三人で繁華街をブラブラした。ユーナも楽しそうであったが、言葉数は少なかった。それは私が注意したからだ。
 「ユーナ、気をつけた方がいいよ。僕たちは他の人間には見えていないからね。あんまり僕たちと話していると、独りごと言っている頭の変な女の子って思われるよ。」って。ユーナも頭の変な女の子って思われるのは嫌みたいであった。

 語り:ケダマン 2007.3.25


瓦版026 帰る場所

2007年04月13日 | ユクレー瓦版

 ユーナが一時帰島した。ユーナにとっては初めての、セーラー服姿を披露しに来たのである。それを見て、ケダマンは「馬子にも衣装」などと憎まれ口を叩いたが、マナが「可愛い」と褒め、私も同様に褒めた。私とマナが褒めたことに対しては、ユーナは少し喜んだ。しかし、ガジ丸の「うーん、なかなか似合ってるじゃないか。」の一言には、ユーナはとても喜んだ。ケダマンの憎まれ口も、我々の褒め言葉も、ガジ丸の一言に吹き飛ばされたみたいである。これも、愛の力なのであろう。

 明日はユーナの歓迎会も兼ねたハマウリ(浜下り:潮干狩りのようなもの)の予定で、いつものメンバーが浜に集まる。皆で採った貝や魚や海草をご馳走に、夕方からは宴会となる。で、今日は特に飲み会は無し。私とケダマンはいつものように、ガジ丸もこの日は早い時間から、ユクレー屋のカウンターに座って一杯やる。ユーナも久しぶりのユクレー屋で、カウンターに立った。まだ一月も経っていないのに何だか懐かしい気分。
 「久しぶりだね。まだ三週間しか経っていないのにすごく懐かしい感じ。」と、ユーナも私と同じ気分であるようだ。
 「でも、明後日帰ったら、しばらくは来れないんだよね。」とユーナは続ける。
 「そうだな、今度来るのは夏休みになるか。」とケダマン。
 「夏休みじゃないよ。その前にゴールデンウィークがあるよ。」(ユーナ)
 「ゴールデンウィークって、4月の終わり頃だろ?すぐじゃないか。一ヶ月ちょいじゃないか。そんなちょくちょく帰ってくるのかよ。」(ケダマン)
 「何だよ、ちょくちょく帰ってきちゃあ悪いのかよ。」(ユーナ)
 「悪いとは言わないが、ただよ、結婚して、たびたび里帰りする嫁さんみたいじゃねぇか。ちったぁ腰を落ち着けたらどうだ、ってことさ。」(ケダマン)
 「おー、腰を落ち着けたらなんて、その口から聞くとは思わなかったな。」(ガジ)
 「空を漂ってばかりだったもんな、ケダマンは。」(ゑんちゅ)
 「へー、そうなんだ。落ち着きの無い人だと思っていたけど、元々そういうフラフラした性質を持っているんだ。なるほどね。」(マナ)
 「へへーんだ。言われてやがんの。」(ユーナ)
 「なんだい、俺の話をしてるんじゃないわい!」(ケダ)
 「いや、でもな、帰る場所があるってのは大事なことだぜ。」(ガジ)
 「そうだよ、ケダマンだって、この島が帰る場所としてちゃんとあるから、何年も漂っていられるんだろう?」(ゑんちゅ)
 「うーん、まあ、そう言やぁそうだな。安心感はあるな。」(ケダ)

 すると、ここでマナがしんみりした口調で言う。
 「私なんかさ、もうどこにも身寄りが無いしさ、帰る場所なんて無いんだよ。それってさ、何か不安でさ、淋しいもんだよ。」
 「マナの帰る場所もここでいいじゃないか。」(ガジ)
 「そうだよ、ここがマナの故郷だよ。」(ゑんちゅ)
 「俺たちが家族っていうわけだ。」(ケダ)と、三匹が次々に慰める。
 「なんか、みんな優しいね。嬉しいねぇ。涙が出そうだよ。ねぇ、もう一度抱きついていい?もう一回、その胸の中で泣いていい?」
  「おー、いつでもOK。この胸に飛び込んでおいで。」とケダマンが応える。
 「あんたじゃないよ。ガジ丸に言ってるんだよ。」とマナは言って、カウンター越しにガジ丸に抱きつこうとする。ユーナがさっとその間に割って入る。
 「ダメ、ガジ丸はダメ。ケダマンだったらいいよ。」と言う。
 「まあ、やきもち焼きだねぇ、ユーナ。ガジ丸はいったい、あんたの何なのさ。」
 「ガジ丸は、・・・私の帰る場所だよ。」
 「うーん、そうか、ユーナの帰る場所か。なら、しょうがないね。」
     

 なんていう会話があって、それから少し経って、村人の勝さん、新さん、太郎さんの三人がやってきた。時刻はまだ夕方。外には明るさが残っている。彼らが飲むにしては早い時間だ。案の定、飲みに来たわけではなくて、ガジ丸に用があるとのこと。
 三人は村の代表で、村人たちの意見をまとめ、村に必要な物資をリストアップし、その週の注文品を、ウフオバーと相談しながら決めている。で、たいていはいつも最後に、ガジ丸の意見(ガジ丸が反対することはほとんど無いが)を求め、たいていはいつも一緒にジラースーの船まで行き、ジラースーを加えた4人と1匹で話を決める。ガジ丸が一緒なのは、デンジハガマの洞窟にある在庫品の確認が必要だからでもある。デンジハガマの洞窟には、人間だけではなかなか入れない。時空の入り乱れた場所なので、ガジ丸が一緒で無いと、わけのわからない時空へ飛ばされたりするのだ。

 その日は、私も三人と一匹に付いて行くことにした。思えば、勝さん、新さん、太郎さんもそれぞれ天涯孤独の身である。三人とも七十歳を超えている。三人ともこの島にずいぶん長くいる。で、道々、ちょっと訊いてみた。
 「三人とも、この島に骨を埋めるつもりですか?」
 「そういうことになると思いますね。」と勝さんが答え、他の二人も肯く。
 「この島が三人の帰る場所ということですね。」
 「帰る場所ですか。そういうことになりますね。」(勝さん)
 「帰る場所、・・・良い言葉ですね。」(新さん)
 「安心ということですね。」(太郎さん)
 ということだった。マジムンの私は、ユクレー島があることは当たり前のことで、不安とか安心とかを考えたことは無かったが、深い悲しみを背負っている人間にとっては、帰る場所があるということは、安心を得ることなのであった。

 語り:ゑんちゅ小僧 2007.3.17


瓦版025 幸せの量り売り

2007年04月13日 | ユクレー瓦版

 ユクレー屋の休みは旧暦の行事がある時などが主で、日曜日も特に休みと決まっているわけでは無かった。お陰で、ケダマンはほとんど毎日飲めたし、私も週末、金、土、日の夜は概ねユクレー屋で時間を過ごすことができた。ところが、マナが来てからは、ユクレー屋は日曜日、休みとなってしまった。なので、日曜日の夜、ケダマンと私は飲み場所を他に探さなければならなくなった。浜辺で飲んだり、シバイサー博士の研究所で過ごすことが多くなった。そういった時は、やはり、ちょっと侘しさがあった。
 マナが来てからまた、これはプラス面だが、ユクレー屋は料理のバラエティーが豊富になった。マナは料理も(話も客あしらいもということ)上手であった。ウフオバーにはさすがに及ばないが、ユーナに比べたら雲泥の差がある。上手である上、ウフオバーが作らない料理、今時の料理をいくつも知っていて、それらを店の料理として出した。そういったことは、日曜日に飲めないというマイナス面を補って余りあるものであった。
 というわけで、ケダマンだけでなく、私もユクレー屋で飲むことが、まあ、これまでも十分楽しかったのだが、なおいっそう楽しくなっている。

 その日の、マナが出してくれた肴は、ブロッコリーの茎を炒めたものと、キャベツの葉脈(固いところ)の胡麻和えであった。それらは、私が見て、食べて、そうだと知ったのでは無く、「これ何?」と訊いて、マナが答えてくれたこと。
 「ブロッコリーの茎を薄く、1ミリくらいね、スライスして、それを胡麻油でソテーするの、ちょっと焦げ目が付くくらい両面ね。それに塩コショウで味付けしただけよ。ブロッコリーの味と胡麻油の香りが上手く合っているでしょ。」
 「うん、ぴったしキンコンカン合っている」(ケダマン、ゑんちゅ)
 「こっちはね。キャベツの固いところをもっと薄くスライスして、塩揉みして、水洗いして、炒りゴマを振りかけて、ポン酢をかけただけよ。」
 「うん、これも美味いよ。」(同じくケダマン、ゑんちゅ)
などということが毎夜毎夜あって、ユクレー屋の楽しみが増している。

 その日は、マナがユクレー屋に来て2週間ほどしか経っていない頃のことなのだが、そんなこんなのことが、日曜日を除いた毎日あって、マナはもうすっかりユクレー屋のママさんになっており、その風格を十分に備えていた。そして、もう十分に我々にも慣れたみたいである。で、ちょっと訊いてみた。
 「マナはさ、この島に来たのはいつ頃なの?」
 「うん、もう1年くらいになるよ。何か、あっという間って感じ。」
 「この島が見えるのは、何か深い悲しみがあったからということになるけど、1年前くらいにそういうことが何かあったの?」
 「うーん、そうねぇ、きっちり話すのは面倒だからちょっと端折るけど、私、3回結婚してるんだよ。私、こんな可愛い顔してるのにさ、男運が悪いみたいでさ、最初と2番目の男はしょうもない奴だったんだよ。一人は酷い酒乱で、一人は酷いマザコン。で、すぐに離婚したのさ。でも、最後の、3番目の人はとても良い人だったんだ。子供もできたんだよ。私もやっと幸せが掴めたと思ったんだ。それがさ、子供が一歳にもならないうちにその人が病気で死んでさ、それから半年も経たないうちに、今度は子供が、これは私の不注意だったんだけどさ、病気で亡くしたのさ。」
 「そりゃあ辛かっただろうね。」
 「うん、気が狂いそうになったよ。私自身、生きているのか死んでいるのか判らない状態で一日一日が過ぎていったみたいだったさ。家の中に何日もボーっとしていたんだ。そしたら、ある日、変な世界に迷い込んでしまったのさ。」
 「変な世界って、この島のこと?」
  「ううん、ここじゃないと思う。何か、夢なのか現実なのかも判らないんだけど、白い道をトボトボ歩いていたら、その道端にさ、低い台の上にいくつかの箱を置いて何やら売っているのが見えたんだ。売っている方は服を着たネコでさ、女の人が一人その前に座って、箱の中のものをいろいろ見ていたのさ。近寄ってみると、小さな看板があって、そこには『幸せの量り売り』って書いてあったんだ。」
 「おー、それ、俺知ってる。前にユーナに話した『怪盗マオ』の世界のことだ。そこでは、そうやって幸せを量り売りしているらしい。その幸せは、マオが盗んできた幸せで、売っている奴はきっと、マオ本人か、マオの仲間だぜ。」とケダマンが口を挟む。その話は私もガジ丸から聞いて知っているが、だけど、私の聞いた話では、幸せを売っているのはマオでも無く、マオの仲間が、マオが盗んだ幸せを売っているのでもない。幸せの量り売りをしているのは、人の弱みに付け込んで儲けているインチキ商人という話だ。

 マオの住む世界に一人の商人がいた。彼が売るものは「幸せ」であった。路上にシートを敷き、その上に何種類かの「幸せ」を置き、それを量り売りしていた。客は商品の前に座り、「愛を100グラム下さい」とか「夢を200グラム下さい」とか言う。客は、それらを手に入れただけで幸せを感じる。手っ取り早い幸せだ。癖になる。
 商人は客に幸せを売るが、それらの対価として物や金は求めない。その人が本来持っている「幸せ」を頂く。自分で作り上げていく「幸せ」だ。商人は、彼が作った見せ掛けの「幸せ」で、本物の「幸せ」を得るわけである。ぼろ儲けである。
 本物の「幸せ」を売って、見せ掛けの「幸せ」ばかりで生きている人々は、そのうち、幸せになる力を失くしていく。・・・といった内容であった。
     

 「で、どうしたの?」
 「幸せを売っているのなら買いたいと思ったよ。で、そうしようと思って、箱の中にあるキラキラしたものを手に取ろうとしたら、肩を叩かれたんだ。そして、『止めな』って声がしたんだ。振り向いたらさ、そこには商人とは別のネコが立っていたんだ。そのネコも服を着ていたんだけど、それは何の違和感も無くて、逆に何か懐かしい感じがして、心が温かい気分になったんだ。で、思わず抱きついたんだ。抱きついたら急に涙が出て、ワーワー泣いて、しばらくして気が付いたら、浜辺に立っていたのさ。」
 「そこがユクレー島だったわけだ。そして、そのネコはガジ丸だったんだね。」
 「そう、私が顔を上げたら、『ここはユクレー島、俺はガジ丸。しばらくここにいな』と言ってくれたんだ。で、以来、ここに住んでいるというわけよ。」

 以上でマナの身の上話は一応終わった。酷い酒乱や酷いマザコンの詳しいことにも興味はあったが、それらは追々聞いていくことにしよう。その夜のその後は、いつものように笑いの絶えない楽しい飲み会となった。マナはすっかり立ち直ったようである。

 語り:ゑんちゅ小僧 2007.3.4