現場で見かけた説明図です。現場は撮影禁止ですが、これは宜しいとのことでした。平面図で上が北、右が東で判りやすいです。漢墓は東西に長く、東の端が入り口で斜面から外に出ます。東端の入り口から西に向かって入り、最初の部屋は左右の耳室があります。耳の形をしているので耳室というのでしょう。右耳室と表示がある耳室の側に防空洞とあります。この墓は1969年の発見ですが、当時は文化大革命のさなかで、ソ連の攻撃を予想して上の雷祖殿から防空壕を掘っていて、この右耳室を見つけたのが発見のきっかけです。そして馬踏飛燕を含む231の文物が発見されたのです。
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