住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
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義浄三蔵とインド伝統医学

2019年05月05日 19時46分27秒 | 仏教書探訪
國分寺の建立に際してその依拠とされた『金光明最勝王経』を訳出した唐の三蔵法師・義浄という勝れた求法僧がいる。義浄は、貞観九年(635)に生まれ、七歳で寺に入り、十四歳の時沙弥となり二十一歳で具足戒を受け正式な僧となっている。幼少時には孔孟や老荘の学を習い、僧となってからは律学を習得、さらに倶舎、唯識を学んでいる。

そして三十歳の時、『大般若経六百巻』の訳者でもある玄奘三蔵が歿しているが、おそらくその前から玄奘の行跡に憧憬を寄せていたのであろう。三十六歳にして同志と共に入竺計画を立案している。檀越を募り、その翌年にペルシャ商船に乗り込んで、今のインドネシア・スマトラ島のシュリーヴィジャヤ(現在のパレンバン)に到着。そこで半年余り過ごす間に梵語文法を学んだとされている。

そうして南方航路を通り、インドのベンガル湾に面した町に上陸し、そこで一年を過ごす間に梵語を学び、その後仏跡地を巡拝してからナーランダー僧院で十年間にわたり研鑽を積む。そして、梵本三蔵というから経律論五十万余頌を携え帰国の途に就いた。ただし、この間に中国国内では中宗が廃されて則天武后が実権を握るなど騒然としていたからだろうか、往路で半年過ごしたシュリーヴィジャヤで七年間を過ごす。この間に『南海寄帰内法伝』や『求法高僧伝』などを著述のほか雑経十巻の翻訳をしたとされている。

そして六十歳の時帰国し、洛陽の都に入る際には時の皇帝則天武后の出迎えを受けたという。帰国後は官僧として諸経の他、多くの律部論部諸本の翻訳に従事する。七十九歳で歿するまで、生涯で訳出した三蔵は、五十六部二百三十巻。『華厳経(共訳)』、『金光明最勝王経』、『薬師瑠璃光七仏本願功徳経』、『仏頂尊勝陀羅尼経』などの経典、『有部毘奈耶薬事、僧事、出家事、安居事』などの律本や『因明正理門論』、『成唯識宝生論』などの論書に及ぶ、誠に貴重なものを多く含んでいる。

ここではナーランダー寺にて実際に見聞した衣食住薬にわたる僧院生活の実態を詳細に報告した義浄の著作『南海寄帰内法伝』から、インドの伝統医学について触れた第二十七章二十八章を紹介してみたい。

第二十七章は、先体病源と題してインド医学の総論を述べている。

インドの学問は五明論という、音韻・技術・医学・哲学・論理の五種類の学科があり、医学はその一つであり、大事な分野であることが先ず述べられる。医学で大切な事は、五官を総動員して音や色など身体の変調、徴候について観察する事が肝要であり、その後に八つの治療法・八医術を適用すべきであるという。

八医術とは、①外科的手術②頭部の病気の治療③首から下の病気の治療(内科)④鬼神もののけ由来の病学(精神病学)⑤諸々の毒物学⑥小児の医療(小児科)⑦不老長生法⑧強健法とある。そもそも身体を構成する四大、地・水・火・風が調い、穏やかなら百病が生じないのであって、病気に至る原因は、多食と疲労によるのであるとしている。

朝起きて、身体軽やかなら、朝食を普段通り食せばよいが、体調が普段と異なるならその不調の起こす病の源を見て、休息をとり、その後体調が軽やかになったのなら、それは昨晩からの食物を消化したからなので、時至れば少なく食事をすべきであるという。胃腸に残存した食べ物が未だ解消せぬままに食事をする事がわざわいとなると考えるのである。

そもそもお釈迦様は一日一食、昼前に食べる事にしていたのに、ときに朝も食事を許されたのではあるが、朝の身体・四大の均衡、身体の軽い重いを考えて、体調よろしくても少しの食を摂るのがよいのだという。普通三食摂ることが習慣になっている現代人は、あきらかに食べ過ぎているということであろう。朝も晩も控えめにするのがよいというであろうか。かつてインドにいた頃は夕食を摂らず二食にしていた時期があるが、そのころの方が大変体調がよかったと思える。

ところで、毒を食らってしまった場合についての記述がある。それによって死ぬか生きるかは、ここに述べる健康管理や心がけとはまた別に、その人の過去世の宿業によるのだとの見解を述べている。しかし今こうしてあるのだから、是非ともこの健康管理法を軽んじるべきではないという。

次に第二十八章には、進薬方法と題して、インド医学の原理が述べられ、その後インドの絶食療法について詳しく述べている。

万物を形づくる構成要素である四大とは、地(形を維持するもの、骨、筋肉、皮膚など)・水(液体のもの、血液、消化液、唾液など)・火(温かいもの、体温、消化、思考など)・風(動くもの、心臓の拍動、肺の伸縮、胃腸の動きなど)の四要素である。その四大の調和と不調和は命あるものに必ずあるのであって、立春・春分・立夏・夏至・立秋・秋分・立冬・冬至の八節に四大がこもごも競い動じて常態というものはないという。


四大の不調とは、まず地大が増大して身体を沈重させ、水大が集まり貯まって涙や唾が沢山出る、火大が盛大となり頭や胸に熱をもつ、風大が活発となり気息がつまる。こうして朝自らその徴候を見いだしたならば、絶食すべきであるとあり、一日二日、ないし四五日絶食して、体調が治れば絶食を終了したらよい。もしも腹の中に未消化の食物があり不快であれば、熱湯ないし冷水、生姜湯を飲み指で喉の中をえぐり吐いて腹中物を吐き出し尽くすべきであるともある。

様々な症状に対処する療法も述べてあるが、より抜本的な治療法は絶食であるとされ、腫れ物、発熱、手足の痛み、流行病、切り傷や捻挫、感冒、下痢、頭痛、心疾患、眼痛、歯痛の類いまで、断食すべきとある。絶食療法のほかには、三等丸がよく多くの病を癒すとある。三等丸とは、訶梨勒(かりろく)(haritakīインドなどに産するシクンシ科の高木。高さ30メートルに達し、葉は長楕円形。枝先に白い花が群がって咲く。果実を風邪・便通・咳止めなどの薬にし、材は器具用にする)の果実の皮と乾燥させた生姜と砂糖を等分にして砕き融かして丸状の薬としたもの。または訶梨勒の実を毎日一つ食べその汁を飲めたら終身無病ともある。

絶食療法によって病が癒えたならば、しばらく休息し、米飯を食べ、熱い大豆のスープを飲むべきであるが、香辛料として、寒気がある場合は、山椒、生姜、胡椒を入れ、風邪や喘息の場合には、胡葱(あさつき)、荊芥(ねずみぐさ)を入れる。義浄自身も中国を離れて二十年、もっぱらこの絶食療法により身体を治療してきたのだと言われる。絶食の日数は、西インドでは半月ないしひと月、中インドでは七日、南海では二三日をを最大としてその風土にあわせて行うのがよいとある。これらの章には中国医学への批判記事も散見されるが、病気に際してかえって多くを食べさせたりする悪弊が横行していることを諫めている。

インド伝統医学についての記述は以上であり、簡単に言えば、私たちの身体は食べ物によっているのであるから、その食物、食べ方によって、または疲労によって四大不調となり体調を壊し病になるということなのである。では何を食べるかということを第九章受斎軌則に学んでみよう。この章では、斎会に参加した際の作法を中心に述べているが、補足的に供養される食事のあらましを記述している。

それによれば、①飯②麦豆飯③むぎこがし④肉⑤餅(インドパンの類いも含む)とある。七世紀のインドではどのような調理法がなされていたものか想像もできないが、北では麦の製品(チャパティのようなインドパンであろうか)が多く、西方ではむぎこがし、ガンジス河中流域のマガダ国では麦の製品が少なく米が多く、南方東方も同様とある。酥油(ギー)や乳酪(ヨーグルト)、ミルク、バター、チーズはどこにでも豊富であるという。また一般の人々でも生臭(肉食)を好む者は少ないとあるが、それは今日でも同様である。うるち米が多く、粟は少なく、黍はない、甘瓜はあり、蔗、芋は豊富とある。またインドでは生野菜は食さず、腹痛の患いなく胃腸は和み、こわばることもないという。

さて、今日の私たちに、これらの七世紀のインドの僧院生活がどれだけ役に立つのかとも思えようが、私たちの身体はもともと一つの細胞が分裂を繰り返し、誕生後は口から取り入れる食物によって成長したものであろう。その内容が、そしてその量が適切であったのか、心身の用い方、疲労はいかがであっただろうかということのみが問われる事なのではないか。

義浄三蔵がここに記してくれているように、多食が病気の根本原因とするのであるが、それも現代にあっては本来口に入れるべくもない、加工食品、動物性脂肪、添加物、人工甘味料、トランス脂肪酸など食の安全を脅かすようなものの山を毎日のように平らげている私たちである。病気にならない方がおかしいのかも知れない。

実は、今年に入りご不幸が重なる。定年後も働いて、七十代となり、やっとゆっくりしようかという様な方々ばかりである。それもみんな悪性腫瘍、いわゆるガンを体内に増殖させての痛ましい亡くなり方である。なんの力にもなれず、残念なことに思えて仕方ない。みな外科の世話になり、さらに化学療法の末に他界されている。化学療法は以前から疑問視されている事は周知のことであり、諸外国で1990年代以降ガンによる死者が減少しているのは化学療法を止めたからであるとも言われる。日本ではガンによる死者は年々増大傾向にあり、高価な薬剤ばかりが生産され消費される現実。

ガン患者は揃って低体温であると聞いた事がある。それは人体六十兆もの細胞が元気を失っていることを意味するという。高体温の動物の肉を食らい、体内のリンパを流れる体液はドロドロとなり、生気のない加工された食材ばかり食べていたのでは細胞も活性しない。逆にガンの好物である甘いもの、ブドウ糖ばかりを体内に摂り入れているのだから治るものも治らない。勿論ここで絶食を勧めるのでは勿論ないが、いかにあるべきかはこの義浄三蔵が教えてくれているように思える。食べるものが大事である。自然のもの、玄米や新鮮なビタミンミネラル豊富な食材を適切に摂り、体温を上げ、さらには食べないこと、つまり体内に不要な薬物を取り入れないという選択肢も必要なのかも知れない。

とにかく天寿を全うして欲しい、ただそれだけを願っている。

(参照・法蔵館刊『義浄撰・南海寄帰内法伝』宮林昭彦・加藤栄司訳)

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