住職のひとりごと

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『人生のポイントカードをいかす』法話草稿

2019年02月11日 09時02分14秒 | 仏教に関する様々なお話
『人生のポイントカードをいかす』

本日は、○○会の皆様には、早朝より誠にご苦労様です。皆様、各業界ともにグローバル化であるとか、技術革新の波にさらされ色々とご苦労されている中にあって、まったくと言っていいほどに旧態依然とした日本仏教界の一末寺からやって参りました。そんなことで皆様にとり面白い話になりますかどうか不安な所ですが、私なりに頑張ってお話し申しあげます。

まず、事務局の方からプロフィールとテーマを送って下さいとのことでしたので、新年早々に思いついたことを書いてあります。プロフィールは大体そんなことで良いことしか書いてありません。テーマは、「人生のポイントカードをいかす」とあります。いかにも奇をてらったテーマの付け方ですが、実はある月刊誌に依頼された原稿の一頁として構想した原稿のタイトルを拝借しました。この話の前提には、インドの仏教の発想である、業による輪廻、私たちは何回も何回も生まれ変わってきているということがあります。

今私たちが人間としてあるのは、前世で沢山の善業があったお蔭であると考えます。その何回もの過去生で私たちの沢山の様々な経験、頑張ったことや苦しんだこと、乗り越えてきたことなどの様々な行い、いわゆる業を積み重ねてきている、それを最近はやりのポイントカードと言っているようなことなのです。みんなその見えないポイントカードを胸にぶら下げて生まれてくるんだと思います。ですから、生まれる環境も違い、顔も身体も、才能も、好き嫌いも、みんな違います。その両親の元に生まれてくるのも、業、そのポイントの内容によるのだと考えます。一卵性双生児のように身体や顔はうり二つというケースもありますが、長い人生やはり生き方は違うということです。

で、その見えないポイントカードに貯まっていたポイントによって、私自身の人生は、紆余曲折を経ながらも、今日に至っていると考えています。そこで、まず、まったく仏教やお寺に縁の無かった私が仏教と出会い、どのように國分寺に至ったかを手短にお話し申します。

実は中学のときには祖母、伯父、同級生、恩師と毎年のように身近な人が亡くなりました。同級生が亡くなったときには、葬儀で弔辞を読み納骨の法事にも参加し、葬式の後なぜか後ろ髪引かれ一人で毎月月命日には仏壇に線香をあげにいっておりました。そして丁度一年経った頃、一人息子を亡くして悲しむばかりだった夫婦に突然男の子が生まれて、その子が亡くなった同級生の生まれ変わりだと言って、そのご夫婦は急に元気になりました。

そして、私も高校大学と進み、忘れかけていた頃、当時二足のわらじで、昼間は日本橋の会社に勤め、五時になると帰らされ大学に通っていました。大学二年の秋のことですが、早稲田大学の文学部の門前で、高校時代の同級生二人と待ち合わせ、その晩いろいろと難しい哲学や倫理の話をした記憶があります。それがきっかけとなり、その数日後、渋谷の大盛堂書店に立ち寄り、この一冊の仏教書に出会うことになりました。それ以来仏教にはまり込んでしまい、経済学部仏教学科を卒業したと言わねばならないほど仏教書ばかり読む日が続きました。

その大学時代には既に坊さんになりたいと思い、母親にも相談したところ、大変に落胆し、世をはかなんで自殺でもするように思ったのか、一晩中泣かれました。そしてしばらくサラリーマンを続け、ですが、その後も仏教書を読み続け、年末年始の休みには一人高野山に参詣に出かけておりました。そんなことを二年三年続けていましたら、母親も慣れてきて、まあ、自分の納得のいくようにしたら、ということになりました。

そして、二十六才の時に高野山大学の集団得度式を受けて、全雄という僧名をいただき、翌年専修学院という真言宗の僧侶養成所に入りました。そこは全国から七十名ほどの僧侶が集まる全寮制で、一学期にはお経声明を習い、二学期は四度加行という一日三座百日の修行をし、三学期は伝授があり卒業となります。卒業後は、高野山の師匠を紹介してくれた東京のお寺に住み込み、役僧として勤めました。三ヶ月した頃、夕方本堂の床の雑巾がけをしていた時、ハタと、そのお寺が、大学二年の時に仏教と出会うきっかけとなった、同級生と待ち合わせた場所の真ん前にあるお寺だったとその時初めて気づきました。その瞬間に、走馬燈のように過去のいろいろな場面場面が目の前を通り過ぎていきました。

すべてのことの、いろいろな人生の岐路に立って、また様々なことを間違いなく選択してきて今がある、瞬間瞬間の原因結果の積み重ねのすべてが今に結実している、すべてのことはあるべくしてある、未来は今のこの瞬間に何を考え何をするかにかかっている。今の瞬間こそ最も大切なものであると。仏教で言う、縁起、因縁、空というような教えの真理の一端を垣間見る体験をしたと考えております。その時には何を見ても聞いてもありがたく、みんな私と出会うためにそこに存在してくれているというような気持ちになり誠にありがたく、かけがいのないものに思えました。そんな状態が二週間くらい続きました。

それから、お寺の仕事のあいた時期にインドに行ったり、四国遍路を二度歩いたり、禅寺に一週間の座禅会に行ったり、お寺を出て東京で数寄屋橋や浅草寺などで托鉢をして二年くらい生活したり。またインドで再出家をしてインド僧として三年程過ごし、その間日本に帰ってきていた時に神戸の震災がありボランティアをするなど。そうしたいろいろな経験の末に、そのお蔭でといいますか、今生でも沢山のポイントを積み増すことができ、やっとのこと四十才で國分寺にたどり着くわけです。まったく神辺とも縁もゆかりもなかったのですが、倉敷のお寺に東京のお寺の兄弟子がおられ、相談に行きましたところ、ひと月もしないうちに國分寺で後住を探しているから来いということになり、参りましたその日に先代と総代が即決され入寺が決まりました。

そこにナポレオンヒルとバットマンと書いてありますが、ナポレオンヒルという方を皆さんご存知ですね。思考は現実化するという成功哲学の大家として有名ですが、私はずっと、いつ頃からか自分が入るべきお寺が私を待っていると信じておりました。コウモリの姿をしたヒーロー、バットマンがマントを翻して車に乗り事件現場に出て行くシーンがありますが、正にそんなイメージをも頭に思い描いておりました。國分寺の参道のように真っ直ぐのトンネルのような中をバットマンは車に乗り出かけていきます。まるで予知していたかのようにも思えるのですが、正にそれが現実となりました。

関連して他の方の事例を少しお話し申し上げると、例えば、みなさんよくご存知だと思いますが、辻井伸行さんという全盲のピアニストがいます。三歳の時お母さんの歌に習ってもいないおもちゃのピアノで伴奏されています。今では世界的なピアニストとなられまして、世界的に有名なオーケストラとも共演されています。譜面を見ないであれだけ複雑な曲を全部音として暗記して、誠に見事に弾かれるわけです。わからないところでどれだけ努力をされていることかとは思いますが、それだけではなくて、あの方は大変なピアノに特化したポイントをお持ちになり生まれてきた。つまり前世過去世で相当にピアノを練習し、もしかしたら世界的なピアニストの生まれ変わりなのではと私はひそかに思っています。

また女性の書家に、金澤翔子さんという方があります。ご存知だと思いますが、ダウン症で生まれて、お母さんも書家で、書に親しみ育てられ、本人の努力もありましたでしょうが、やはり前世での才能を引き継がれてのことと思えます。太く力強い立派な字をお書きになられます。

また、日本の伝統技術を継承してきた職人さんの人材不足が叫ばれて久しいわけですが、例えば大変根気の要る作業を伴う、絞り染めの職人さんなどに発達障害の方がその仕事に出会い、ものすごい集中力で仕事をこなしていかれているということをテレビで紹介されていました。また、レストランやコンビニなどの大きなガラスの掃除を正に職人技で一点の曇りなく掃除できる、やはり発達障害で人とのコミュニケーションは苦手だけど、そういう仕事は完ぺきにできる人などもおられ、喜ばれているとのことでした。自分の適性の仕事に出会い、神業のような仕事をしていかれているなどというのも、持って生まれたポイントのおかげなのかと思います。

障害のある方ばかり見てみましたが、健常者で前世の才能を引き継ぐ方も沢山あると思いますし、皆様にもあるはずですが、見えにくいので、見えやすい方のみ紹介しました。

最近小学校の先生から聞いた話なのですが、進路指導などをしていて、何になりたいかと問うと、別にサラリーマンと、行きたいところはと聞くと、福山というようなことで、今の子供たちは、幸せが何かわからない、夢、何かなというような、はりあいのない子供が多いということなのです。恵まれた環境に育ち、みんなゲームばかりして、大きくなればスマホをつついてます。みんなと同じことばかりするのではなく、是非本当に自分が好きなこと、楽しく思えること、時間も忘れ没頭出来ることに出会い、自分のポイントをいかせる、今生での役割を見つけ出して欲しいと思います。

では次に、以上のようなことを踏まえ、人生のポイントカードを持っている私たちは、いかに生きるべきか、これからを生きる上で大事だと思われる六つのことについてお話し申したいと思います。

①は、前世過去世を含めた果てしない過去があって今があるということです。ですから、たとえば、仕事の上でもプライベートでも、いろいろなことで成功したり、よいことがあったり、逆に失敗するようなことがあっても、それは今の自分だけではなく、過去世での経験の蓄積も影響してのことなのだと思って、舞い上がることなく、また落ち込むこともないということです。特に失敗したりするととても落ち込む人がありますが、今の自分だけが悪かったわけではない、まわりの人たちや、それに過去のいろいろな経験の影響もあってのことなんだと捉えるということが大切です。謙虚に冷静に平常心を保つことに繋がると思います。

②は、来世があるものと信じられたら救われるということです。人は夢と現実の狭間で悩むことはよくあることです。皆さんには該当しないかも知れませんが、お金にならないことで夢を追いかける、絵描きとか音楽家とか、デザイナーとか。誰もがこの世で才能を認めてもらえるわけではありません。来世があると思えれば現実に生きながらも、夢を諦めないで生きることができます。また、東日本大震災のように多くの人が津波で亡くなったり、また事故で突然亡くなる方があります。そのことを、ただ無残な死を遂げた、すべてが無駄になったと捉えるのではなく、来世があると思えれば、亡くなられた方がこの度のことで災難に遭うような悪い業が消えて、来世には今生での努力も役に立ち、幸せに長生きして人生を全うしてくれるはずだと信じることができ、遺族も救われると思います。人生をしっかり絶望せずに生きていくことに繋がると思います。

③は、人と比較しない、自分の世界、俺の世界を持つことが大切です。信念を持ってやっていても、つい他と比較し悩んだり不安になったりしがちですが、人と比較しない自分の世界を持ち、そしてそれを発信する、アウトプットすることが大切だと思います。私は文章を書くことが好きなのですが、同時に、仏教とは何だろうという思いを大切にしています。今も仏教書は読み続けていて、自分はこのことについてこう考えるということを文章にすることが自分の仕事と思って頑張っています。私はブログを十三年やっていますが、お蔭で本も出すことが出来ました。未だに歴史ある仏教雑誌に原稿を依頼してもらえる。有難いことです。皆さんにも、自分の世界があると思います。是非大切にして欲しいと思います。これは自分自身の本当の自信に繋がると思います。

④は、人生に無駄はないということです。私は、高卒で会社に入り、先ず経理をさせられましたが、今お寺の会計をすべて一人でしています。またそこでは事務局のような仕事もしましたし、二つ目の会社では企画や営業の仕事もしました。そうした経験のすべてが今に生きています。先に行って、いつ何が役に立つかわからないということです。どんなことも、特にいやだなと思う仕事こそ一生懸命にすることが大切だと思います。自分の意に沿わないことをすることは、先々、将来の自分のためになるということです。是非若い社員さんたちにお話ししてあげて欲しい。

⑤は、人生の目的とは、簡単に言うと心がきれいになることだと思います。皆さんの心が汚いと申すわけではなくて、仏教ではみんな煩悩があるから生まれてくると考えるのです。正月に東京ミラクルという番組を見ていたら、築地に出入りする寿司職人のコメントを紹介していました。なぜそこまでこだわって寿司を握るのかとの質問に、この一貫の寿司によって、お客様に心から幸せになってもらいたい、幸せな気持ちでお帰り頂けたら私も幸せだからと云われていました。日本の物作りの原点とも云える話ですが、・・・。仏教でも自分さえ良ければいい、自分だけの楽しみというような、自分に執着することは善くないことであり、周りの人の幸せとか、みんながよくあるように、全体の利益を考えることが善いことなのです。ですから皆さんも、社員みんながよくあるようにとか、顧客の幸せのためにとお考えになると思います。また地域とか、仲間のためにこうした会も開かれているわけですね。そうした心で仕事をすることで、心が軽くなっていく、しがみつくものがなくなる、きれいになっていくのだと思います。それは、つまり、ポイントカードを、生まれたときに引き継いだものより、より善いものにするということを意味するのだと思います。ですから、よりよいポイントカードを来世の自分に受け渡すということ、それこそが、私たちの人生の目的なんだと思います。深いところの人生の納得、安心に繋がると思います。

最後に、⑥は、過去ではなく今からが大切ということです。なぜかというと、このポイントカードには、善いことだけでなく、悪いこともすべてが書き込まれています。ですが、善いことをしていたら、真面目に生きていたら、善いポイントだけが反応する、よい道が開かれるということです。長い人生の中で後悔するようなこともあると思いますが、過去で為した悪いポイントは沈殿させて、塩漬けに出来るということです。未来は今の思い行い次第でいかようにもなります。今こうして朝からこの坊さんのわからない話を聞いてあげようかという誠に慈悲深い皆様には、善きことがこれからも沢山起こると思います。是非、その善いポイントをいかして会社経営もさらに上向いていきますことを願っております。

ご静聴ありがとうございました。



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