おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

蜜蜂と遠雷

2021-12-09 06:53:11 | 映画
「蜜蜂と遠雷」 2019年 日本


監督 石川慶
出演 松岡茉優 松坂桃李 森崎ウィン
   鈴鹿央士 臼田あさ美 ブルゾンちえみ
   福島リラ 眞島秀和 片桐はいり
   光石研 平田満 アンジェイ・ヒラ
   斉藤由貴 鹿賀丈史

ストーリー
3年に一度開催され、若手ピアニストの登竜門として世界から注目を集める芳ヶ江国際ピアノコンクール。
かつて天才少女として騒がれた栄伝亜夜(松岡茉優)は、母の死のショックからピアノが弾けなくなり、表舞台から遠ざかっていたが、今回のコンクールは亜夜にとって再起を賭けたラストチャンス。
そんな亜夜の演奏を聞いた審査委員長の嵯峨(斉藤由貴)は、1次予選は通るものの、その後は難しいだろうと思っていた。
コンクールの本命は、ジュリアード音楽院に通うマサル・カルロス・レヴィ・アナトール(森崎ウィン)で、マサルの師匠は嵯峨のかつての夫で今回の審査員でもあるシルヴァーバーグ教授(アンジェイ・ヒラ)だった。
楽器店に務めるサラリーマン高島明石(松坂桃李)は年齢制限ギリギリで今回のコンクールに挑んでいる。
明石と同級生の仁科雅美(ブルゾンちえみ)がドキュメンタリー番組の撮影クルーとして密着取材をしていた。
1次予選終了後の審査会場では、16歳の風間塵(鈴鹿央士)に対する評価が真二つに割れていた。
会場では亜夜とマサルが顔を合わせ、幼なじみの二人は久しぶりの再会を喜び合う。
ピアノ教師だった亜夜の母親にマサルもピアノを習っており、いっしょに連弾した幼いころをふたりは懐かしむ。
第2次予選の課題曲『春と修羅』は、後半のカデンツァを演奏者自身が作曲して弾くというむずかしいものだったが、マサルは亜夜に、自分の曲は完璧に楽譜に書き起こした自信作だと言う。
まだ何もできていない亜夜は焦るが、昔の亜夜の即興演奏は凄かったとマサルに言われハッとする。
2次予選当日、マサルはむずかしいテクニックを駆使した演奏で聴衆を魅了する。
明石の2次予選の会場には、妻の満智子(臼田あさ美)が息子を連れて来てた。
明石のカデンツァは、宮沢賢治の詩のように優しくあたたかく、その演奏には亜夜や塵も心を動かされた。


寸評
僕は音楽に造詣が深いわけではないし、ピアノに至っては弾くことはもちろんのこと演奏の優劣など判る筈がないのだが、この映画はピアノ演奏を通じてそんな僕を最後まで引き付けた。
日本映画には珍しい上質の音楽ドラマである。
ドラマと言っても大きな出来事があるわけではないのに、僕を画面にくぎ付けにする。
エンドロールまで魅入らされる心地よさは何処からくるのだろう。
これも音楽の持つ人に伝える力なのかもしれない。
音楽は勿論だが、オープニングから写真で止めおきたいような美しいシーンも描かれる。
僕はその映像だけで一気に作品に引き込まれたのだが、メインとなるピアノ演奏でさらに映画世界にのめり込む。
第2次予選の課題曲は「春と修羅」と題するオリジナル曲であるが、それを藤倉大氏が4人分も作っている。
なぜならこの曲には演奏者自身が作曲するカデンツァという部分があるからである。
主要人物の演奏は吹き替えであることは想像がつくのだが違和感はない。
4人にはそれぞれに専属としてピアノ演奏担当者がついており、河村尚子氏、福間洸太朗氏、金子三勇士氏、藤田真央氏という一流が揃っているとのことで、演奏シーンの迫力はさもありなんと思わせる。

僕は音楽を聴くことは好きだが演奏は出来ない。
音楽の才能が全くない僕から見れば、ピアノ奏者は全て天才に見える。
コンクールに集まった天才たちは、音楽と言う共通の世界でお互いを認め合い心を通わせる。
7年間のブランクがあった亜夜に破れた女性ピアニストが、「貴女が休んでいた7年間に私は必死で努力してきたのにアンフェアだ」と言うのだが、それが才能というもので努力では埋め合わせることができないものである。
天才は天才を知る。
亜夜とマサルは亜夜の母親からピアノを教えてもらっていた幼なじみで、お互いが行き詰まった時にアドバイスを与えあう。
明石はピアノがなくて困っている亜夜に助け舟を出し、その亜夜を追って塵がやって来て心を通わせる。
お互いがコンクールに出ているライバルの筈だが、そこのあるのは音楽家としての通じ合いである。
4人の間にはライバルへの嫌がらせとか、嫉妬のようなものがないので、見ていても誰かに肩入れすることなく安心して見ることができる。
この映画では愛だの恋だのは登場しない。
ただ彼らがお互いを認め合い、ピアノを通じて理解し合う姿が描かれているだけで、その心地よさがいい。

天才少女と言われた亜夜には母との死別を通じてピアノを弾けなくなった過去があるなど、4人はそれぞれ問題を抱えているのだが、それらが大きなドラマとして誇張されずに抑揚されたタッチで描かれていることで、僕はむしろ心にしみてきた。
タイトルとなっている蜜蜂は登場しないが、穏やかな陽光の下で飛び回る蜜蜂は音符の象徴だろう。
遠雷は送り出された音楽への拍手喝采であり、若き天才の登場を待ちわびる歓声でもあるのだろう。
彼らは素晴らしい音楽を届ける為の我々へのギフトだったと思うが、同時にそんな彼らの姿を捉えた映画は僕にとっては何よりのギフトだったと思うし、音楽も芸術なら映画も芸術なのだと思う。


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