おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

激突!

2019-05-18 07:55:55 | 映画
「激突!」 1971年 アメリカ


監督 スティーヴン・スピルバーグ
出演 デニス・ウィーヴァー   キャリー・ロフティン
   エディ・ファイアストーン ルー・フリッゼル
   ルシル・ベンソン     ジャクリーン・スコット
   アレクサンダー・ロックウッド

ストーリー
この日、デヴィッドは貸した金を返してもらおうと、その知人のもとへ車を走らせていた。
その道中、前方を走るタンクローリーを追い抜いていく。
だがその直後、タンクローリーはデヴィッドに迫り、また前方をふさぐのだった。
デヴィッドは再び抜き返し、その距離を広げてガソリン・スタンドへ。
すると間もなく、タンクローリーがまたしても姿を現わし、デヴィッドをあおりにかかる。
デヴィッドは田舎道を走るスピードではないほど飛ばし必死で逃げた。
車は砂煙をあげ走ったが、木の柵に車の横腹をぶち当ててやっと止まった。
カフェでタンクローリーの運転手を探しているうちにタンクローリーは走り去った。
そうこうするうちにデヴィッドは前方のトンネルの向うにタンクローリーが待ち構えているのを見た。
奴は戻って来たのだ!
列車に車ごと衝突されそうになったり、警察に連絡をしようとした電話ボックは粉々に踏み潰されたり、デヴィッドは生死の境目に追いやられていった。
行く先は断崖絶壁という場所に追い詰められ、デヴィッドはタンクローリーと正面衝突しかないのだと覚悟する。


寸評
僕はあまりスピルバーグが好きではないのだが、この「激突!」は面白い。
ハイウェイで平凡なドライバーが理由もなく突然、大型タンクローリー車に追いまわされるだけの話なのだが、不気味さが見るものにも伝わってくる映画である。
映画といっても、TV用として作られたものを日本では劇場公開したものなのだが、並みの映画にない面白さがあり、スピルバーグの才気をいかんなく発揮した作品だ。
元はテレビ用とあって、製作日数の関係から撮り直しができなかった為なのだろうが、主人公の車や、電話ボックスのガラスにスピルバーグの姿が映ってしまっているのはご愛嬌。
今となっては、それを発見するのも楽しみの一つになっている。

終始一貫して追われるドライバーと、巨大なタンクローリーという機械だけが描写され、タンクローリーが生き物のように見えてくる。
消えたかと思うと突如現れ、あるときは真後ろに、あるときは先回りして待ち構えていたり・・・。
最後までその運転手が顔を出さないところなどが実にいい。
それでもたった一度だけ、その運転手が姿を見せるシーンがある。
姿を見せると言っても足もとだけなのだが、それがまた効果的でこの映画を評価する理由の一つになっている。
このシーンはスピルバーグが心酔する黒澤明が「野良犬」の中で駅の待合室にいるはずの犯人を探すシーンを引用しているのだが、スピルバーグはその足元の意味をさらに膨らませていたと思う。
どうやらタンクローリーの運転手は、そのブーツからして、大柄で野性的な男だと想像される。
反して、一方の 平凡なドライバーはビジネスシューズだから、ある意味で知性的な都会人の代表だと言える。
その彼が、ブーツを頼りに運転手を求めて入ったレストランでは、皆が同じようなブーツを履いていて誰だかわからない。
じろじろと見る粗野な男達のアップに続いて、カメラがブーツだけをなめながら移動していくこのシーンは結構長くて、理性を持った人間が野性的な人間に飲み込まれていく様を感じさせる出色のシーンになっていると思う。

ほとんどデニス・ウィーヴァーの一人芝居と言ってもいいが頑張っている。
タンクローリーは擬人化されているが、こんな奴に絡まれたらたまったものではない。
僕は学生時代のアルバイトで、ここまで執拗に追いかけることはなかったが、理不尽な行動を取る運転手の助手席に乗ったことがある。
世の中にはこんな運転手もいるのだと少し憂鬱になった。

そして主人公もタンクローリーの運転手も徐々に凶暴になっていく展開が面白く出来ている。
戦いが済んだ後の、今までの出来事は一体何だったんだろうという虚しさのようなものが漂っているのもいい。
わたしを慰めてくれるのは西の空を染めた夕焼けのみであったというエンディングだ。
善悪を突きつけていないエンタメ性がこの映画を支えていると思う。
この後「ジョーズ」で成功し、ファンタジーから社会性のある映画まで撮って、巨匠の仲間入りをした感のあるスピルバーグであるが、僕はこの「激突!」が一番好きだ。


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2 コメント

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「激突 !」について (風早真希)
2023-07-15 23:11:22
館長さんが、スピルバーグ作品の中で一番好きだと書かれている「激突 !」について、コメントしたいと思います。

「激突 !」を再見すると、少し誇張して言えば、ここにスティーヴン・スピルバーグ監督の全てが、すでに顔をのぞかせているのがわかりますね。

デビュー作に表現者の生涯の全部が表れると言われますが、奇しくも日本での初登場となった「激突 !」の中に、スピルバーグの本質は、全て花開いていると思います。

普通車に乗って出張中の平凡なサラリーマンが、巨大なタンクローリーに執拗に追われる。
初めは気にもしていなかったのが、相手は「大」で、こちらは「小」、だんだん怖くなってくる。

次第に生命の危機さえ感じて、逃げて逃げまくる。
タンクローリーが地獄の底までつけまわしてくる。
最後にサラリーマンは、必死の覚悟でタンクローリー車に戦いを挑む。

「小」が「大」と戦う。そして、タンクローリーは谷底へ落ちていくのだった--------。

単純なストーリーだ。セリフはほとんどないし、だいいちセリフなんか必要がない。
映像が全てを語って余りある。

追いかけられる理由が全くない。
だから、不安が増してきて、いつか恐怖におののいて逃げまどう。

アメリカ西部の荒野を背景に繰り広げられるカーチェイス映画であり、延々と走り続けるという意味では、アメリカ映画お得意のロードムービーの伝統も引き継いでいるが、"不気味な不安と恐怖"が次第に高まっていくサスペンスが、実に見事だ。

私は、この映画を観ながら、フランツ・カフカの小説「変身」が脳裏をよぎった。
ある朝、主人公のザムザが目覚めると、大きな虫に変身していたという、有名な短篇小説だ。

主人公がなぜ虫になってしまったのか、その他、全ての「なぜ」に説明がないまま、彼はよりによって家族に殺されてしまう。
現代人の存在の根源的な不安を先取りした不条理を描いていた小説だった。

内容は違うが、この「激突 !」も何がなんだかわからないままに、追いかけられる。
これまた不条理。タンクローリーの運転手の顔は一度も映画に出てこない。

この映画の成功の大きな要素は、実はここにあるのだが、アイディアはスピルバーグの天才性を示していると思います。

相手がいかなる魂胆を持って追いかけてくるのか想像することさえ拒否している。
いや、あらゆる想像が可能だ。
だから不安が増す。

主人公の不安と恐怖は、現代という時代を象徴している。
現代は社会が肥大化し、機械文明が巨大化し、人間が機械を制御することが困難な時代だ。

いや、機械に人間が振り回されていると言ってもいいと思う。
なんとも恐ろしい。そんな不安と恐怖は、例えてみれば、理由もわからずにタンクローリーに追いかけられているサラリーマンの男に似ている。

現代に生きる人々は、いつ何どき同質の不安と恐怖に陥れられるかもしれない。
ある日、突然、虎になっていたという中島敦の「山月記」をも想起させますね。

そんな時代に我々は生活しているのだと思います。
日常の隣に、底なしの暗闇が我々を飲み込もうと待ち構えているようでもある。
だからこそ、この「激突 !」にリアリティを感じてしまうんですね。

とにかく、スピルバーグの不安と恐怖の雰囲気づくりが見事だ。
「第三の男」で見せたキャロル・リード監督の鮮やかなサスペンス描写に匹敵すると思います。

スピルバーグの演出のうまさに舌を巻いて観ているうちに、すっかり私は画面の中に吸い込まれるが、スピルバーグ演出の基本はリアリズムだと私は考えています。

スピルバーグは、大冒険活劇が得意であり、科学的ファンタジーの世界やら、恐竜時代を豊かな想像力で再現するなど、誰もが到達できなかった映像世界を切り開いた映画作家には違いありません。

だが、スピルバーグの出発はリアリズムだ。
初め、気楽にタンクローリーを追い抜き、また追い抜かされる遊びをやっていたサラリーマンに恐怖が生まれる。
そこに至る描写には種も仕掛けもない。
つまり、ファンタスティックなものが入り込む余地がないリアリズムだ。

ドライブインのシーンでの多少思わせぶりな演出を除くと、全編に嘘がない。
スタジオで撮ったテレビ・ドラマではなく、ほとんどが自動車の実写を含むロケで撮っているが、後にスピルバーグがSFXやCG技術を駆使して、いわば「作り物」の世界を、いかに本物らしくどのように大袈裟に作り上げて、観る者を喜ばすかに全知全能を賭けることになるのとは、全く違っている。

これが、スピルバーグの出発なのだ。
「激突 !」が追われる者の不安と恐怖を描く、すなわち不条理を押し付けるだけの映画だったならば、この映画の価値はさほど大きくなかっただろう。

原題がDuel=決闘とあるように、追い詰められたサラリーマンは、逃げまどいながらも、その不条理=悪と「決闘」する決意をし、土壇場で男気を出すのだ。
リアリズムから離れるとすれば、このラストだけだ。

不条理なものに対しては、己は例え小の虫であっても、不退転の決意で敢然と戦う。
この正義の心をはっきりと打ち出したところに、アメリカ的な理想主義があり、ヒューマニストであるスピルバーグのスピルバーグたる所以があると思います。

ヒューマニストとしてのスピルバーグは、早くもその第一歩の時点で、はっきりとその顔をのぞかせていて、この勇気と上昇的な気分がなければ、世界中でこれほどまでに支持される代表的な映画人にはなれなかったに違いありません。
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偉くなる前の (館長)
2023-07-16 06:44:48
スピルバーグは少々偉くなり過ぎたような気がします。
私は初期の作品の方が好きです。
宮崎駿さんにも同じような気持ちです。
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